0408時桔梗出世請状
 
                    参考:小学館発行「万有百科大事典」ほか
 
〈時桔梗トキモキョウ出世請状シュッセノウケジョウ〉
「桔梗キキョウ」
 キキョウ科の多年草。夏秋の頃、茎の先端に青紫色又は白色の美しい5裂の鐘形花を開
く。果実は朔(草冠+朔)果サクカ。山地・草原に自生し、秋の七草の一。根は牛蒡ゴボウ状
で太く、乾して生薬の桔梗根とし、去痰・鎮咳薬。古名、おかととき・きちこう。
 
〈時桔梗出世請状〉
 歌舞伎脚本。四世鶴屋南北作。時代物。五幕。文化五年(1808)七月江戸市村座初演。
明智光秀が本能寺で織田信長を討つまでの経緯を脚色。今日では普通『時今也トキハイマ桔梗
旗揚キキョウノハタアゲ』の名題で上演され、通称を『馬盥バダライの光秀』と云う。
 武智タケチ光秀は主君小田春永ハルナガから勅使饗応の役目を命ぜられ忠実に働いたが、春
永は光秀の態度を憎み、森蘭丸モリランマルに命じて鉄扇で眉間を打たせ、謹慎を言い渡す。 
− 序幕(饗応)。春永は本能寺で光秀に目通りを許したが、馬盥で酒を飲ませたり、昔
光秀が流浪中の貧苦のため妻皐月サツキが切り売りした黒髪まで持ち出して恥辱を与える。
 − 三幕目(馬盥)。光秀は愛宕山アタゴサンの旅宿へ帰り、妻と昔を述懐して愁いに沈む。
連歌師紹巴ジョウハが謀反を勧めるのを退けた光秀は、折から所領没収を伝えに来た上使の
前に死装束をして座し、切腹と見せて行イき成り上使を斬り、謀反の意志を明らかにす
る。 − 同(愛宕山)。
 
 二幕目で中国攻めの真柴マシバ久吉ヒサヨシ(羽柴秀吉)が陣中で遊女町を設けて遊興する
話、四幕目から五幕目にかけ水尾ミズオ正兵衛ショウベエが光秀の身代わりになって死ぬ話な
ど、歌舞伎的な脚色も施されているが、現在では比較的史実に忠実な三場だけが上演さ
れている。光秀の役は初演の五世松本幸四郎から七世市川団蔵・九世市川団十郎等を経
て、近世では初世中村吉右衛門の得意芸の一つだった。
[次へ進む] [バック]