[詳細探訪] 参考:小学館発行「万有百科大事典」 〈「梅」に関する伝説〉 梅の花は、宮廷貴族の間では、奈良時代から好んで愛でられ、屡々「梅の花の宴」が 催されたことが記録に見える。梅はいわば花の代表であり、後世の桜に相当する地位を 占めていた。梅を詠んだ歌は『万葉集』にも極めて多く、数においては桜を遥かに凌い でいる。紫宸殿シシンデンの左近の桜も、かつては梅であったと云う。ウメと云う語はウマ (馬)などと同じく、中国語音に由来する外来語であろう。『古事記』『日本書紀』に 梅が登場していないのは、伝来が比較的新しかったためであろう。この頃、梅は未だ日 本人の生活全般に根を下ろすに至っていなかったようで、当時の地方の生活を描く『風 土記』には、殆ど現れていない。 梅に関する伝説には、菅原道真公と結び付いているものが多い。公が筑紫の太宰府に 流されるに当たって、庭の梅の木に詠み掛けた歌が平安時代から著名で、鎌倉時代には、 その梅が公を慕って太宰府の地まで飛んで来たと云う飛び梅の伝説を生んでいる。公の 配所であった榎寺から移したと云う飛び梅は、現に太宰府天満宮の社殿の前にある。公 が梅を愛したと云う伝説は、公を祭神とする天神信仰の発達に伴って世に広まり、よく 知られている。菅原姓には梅の花を家紋とする家が少なくない。天神社(天満宮)でも、 梅の花を神紋とし、梅の木が付き物になっている。 梅干は最も日常的な食品の一つであったが、漁村には全国的に、梅干の種を海に捨て てはいけないと云う伝えがある。必ず始末して置き、陸に持ち帰って処分する。対馬で は沖へ出るときは梅干は持たないと云う。竜宮様(海の神)或いは天神様が嫌うからで あると、その理由を説明している地方が多い。梅干と限定せず、一般に酸味のあるもの がいけないとか、果実の種がいけないとか云う土地もあるが、梅干の種は陸に捨てれば 芽が出る位だからと云う村もあり、これは何か梅の種の生命力と関わりのある俗信らし い。種を割り、中の仁を食べ、殻だけを捨てると云う所もある。捨てた種から生えた梅 の木の伝説が多いのも、この俗信と関係があろう。 梅の若い枝は真っ直ぐに伸びるので、祭礼の行列などで杖に用いられることがある。 葬式で儀礼的な杖に梅の枝を使う地方もある。貴人の挿した杖が生育したものである、 と云う伝説のある梅の木が各地にあるのも、矢張り梅の枝を杖にする習俗があったから であろう。梅の杖を悪魔払いの目的で用いることもある。新築の家に入るとき、梅の杖 で家の中を打ちながら呪文を唱えて、先にいる悪霊を追い出す。牛の病気を治すのにも 梅の杖で打つ習慣があり、真言宗の寺でも、散杖サンジョウと云って梅の枝を修法に用いる。 また、梅の若枝には適度な弾力があるので、各地の神社で歩射ブシャのときの弓の材料に している。 関連リンク 「菅原道真公」