[詳細探訪]
 
                      参考:小学館発行「万有百科大事典」
 
〈神聖な樹木「桑」〉
 日本人がクワ(桑)に対して、特定の神秘性を認めていた証拠がある。東日本では養
蚕ヨウサンの神、家の守護神に「おしらさま」を信仰するが、神体はクワの木で作る。この
神は「いたこ」と呼ぶ女性祈祷者が両手に持ち、祭文サイモンを唱えながら祭る。
 東北地方の旧家には、その家の先祖の女性がクワ畑に草履を揃えて脱いだまま山に入
って帰らなくなったと云う伝承がある。
 またわが国の各地には6月1日を「きぬぬぎついたち」と云い、この日は蛇ヘビがクワ
畑で衣キヌ(皮)を脱いでいるから、立ち入るのを禁じ、もしこの禁を破れば死ぬと伝え
ている。
 長野県小県チイサガタ郡では、普通の日にクワの棒を杖にして歩くのを忌み嫌っている。
これは死者を葬るときに、クワの枝で作った杖を添えるからだと云う。
 このように、クワに対して特殊な観念を持っていたことが分かるが、その根拠は十分
に説明出来ない。
 
 わが国では雷鳴がひどいときに「くわばら、くわばら」と呪文を唱えると、雷の害を
避けることが出来ると云う俗信があり、沖縄辺りにも分布している。
 中国では『捜神記ソウシンキ』に、クワの木の下で雷を捕らえたと云う伝説がある他、桑原
と云う土地に一度も落雷がなかったとか、桑原と云う土地の井戸に雷が落ちて捕らえら
れ、以後は落ちない約束をしたと云う伝説がある。わが国の「くわばら」も、中国の伝
説によって成立したものであろう。
 中国ではクワを聖樹とする観念の強いのは、古くから養蚕が行われていたことによる。
 殷インの湯王が、クワの木に祈って雨乞いをしたと云う「桑林説ソウリンセツ」がある他、男
が広く活躍して功名を得ようとする志を云う「桑蓬ソウホウの志」の話は、男児が出世した
とき、クワの木の弓と蓬ヨモギの矢を用いて天地四方を射て祝った故事によると云う。何
れもクワに人知を超えた霊的な力の宿っていることを示している。
 
 また人間関係や道徳の面においても、クワが主題となる成語が多い。「桑梓ソウシ」と
は、クワとアズサであるが、これを屋敷に植えて、子孫の生活の助けにすることから、
子孫が父母に対する恭敬、敬老の意味を持ち、更に郷里の意味を持つようになった。
 「桑麻ソウマの交マジワリ」と云うのは、クワやアサの生長を話題として、俗世を脱した生
活をする仲の人間関係、田園に生活して農民と等しく交わることを云う。
 人間の心の源郷をクワの茂る、いわゆる桑土ソウドに置いていることが分かる。「桑田
ソウデンの変ヘン」は「桑田変じて海となる」の略語で、世の変遷の甚だしい様を意味する。
 また「桑中ソウチュウの喜ヨロコビ」と云えば、男女の不義の楽しみを意味する。「桑中」と
は、『詩経シキョウ』の「庸(庸偏+邑オオザト)風ヨウフウ」に見える淫奔インポンの詩であり、周
時代に男女関係が乱れ、桑畑の中で密会が行われて風俗の退廃が極に達したことを風刺
している。
 養蚕の技術は、中国よりわが国古代に移入されたものであるが、同時に中国のクワに
対する神聖観や生活上の諸観念も伝えられたのであろう。
 
 なお、わが国ではクワを「栽培」し始めたのは新しく、それまでは山林で生長するま
まにしており、その実は子供達が好んで食べたものである。
 
関連リンク 「お白さま」
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