37a 盆栽界発展の軌跡(史)
 
〈盆栽界発展の軌跡〉
 
昭和2年10月,朝日新聞社で『盆栽』誌主催の「明治大正記念全国代表名木盆栽展覧会
」が開催され,翌3年には今上陛下ご即位記念の「奉祝全日本盆栽展」が,東京市主催
で日比谷公園広場で開かれました。茲で特筆してよいのは,この盆栽展に初めて「皇居
の盆栽」が「お貸し下げ」になったことです。
 当時としては,皇室ご所蔵の盆栽が民間の催しに出品されるなど考えられないことで
したが,この実現の裏には小林氏を始め多くの人々の協力があったと云われています。
 この盛事を記念して,以後「全日本盆栽展」が同8年まで毎年開かれました。
 
 同9年3月「国風盆栽展」の第1回が上野の東京府美術館を会場にして開催されまし
たが,当時の盆栽観は一般に低いもので,美術,芸術の殿堂である東京府美術館の使用
には様々な抵抗がありました。それを会場とすることが出来ましたのは,小林氏が彫塑
家朝倉文夫氏の理解と協力を得て,各方面を大奔走の結果,成し遂げられました。その
「国風盆栽展」も,今年(同51年)で「50回」目を迎え,新築開館された新東京都美術
館を会場に,全国の盆栽愛好家の注目を浴びつつ盛大に開催されました。国風盆栽展が
全国の名盆栽を集め,盆栽界最大の恒例展示会として第1回以来今日まで,同美術館に
おいて開催出来ましたことは,一般の盆栽への評価をどれ程高めたか分かりません。
 国風盆栽展のような大きな展示会が開かれますと,それに連れて中央,地方共大小の
盆栽展が続々開かれるようになり,盆栽に関する本の出版も目立つようになりました。
 
 盆栽界全体が活気付いて,盆栽の愛好家も次第に増え始めた頃の昭和12年にはパリ万
国博覧会に盆栽が出品され,最高賞を獲得しました。しかし,それからは一歩,一歩戦
争に近づいて,第二次世界大戦にが勃発してからは国風盆栽展も中断され,小林氏の『
盆栽』誌も休刊と云う事態になりました。
 また,戦禍は盆栽の場にも厳しく,空襲で焼失したもの,人手不足で露地植えされた
もの,菜園に早変わりしたものなど,戦中戦後のある時期の社会的な条件は,盆栽の温
存など許しませんでした。それでも終戦を迎えた翌21年には『盆栽』誌も復刊され,同
22年には国風展も再開に漕ぎ着けました。
 
 同33年,東京日本橋三越において開かれた「日本盆栽名品展」は,デパートで開催さ
れた盆栽展の最初のものでした。無事に戦災からも守られ,培養や管理も少しずつ元に
戻り,盆栽専門家の手で姿や形を整えられた本格的な盆栽が,久々に大衆の目に触れた
のです。評判を呼んだこの催しは,この後同46年まで毎年開催され,盆栽愛好家の層を
大きく拡げることに役立ちました。
 同39年,日比谷公園において開かれた「オリンピック記念大盆栽展」では多くの外国
人も観賞して,わが国の「盆栽」と云う鉢の中の植物に驚異と関心の目を見張ったもの
です。
 
 戦後復興の中において,盆栽界の発展は目覚ましいものがありました。精神的にも,
環境的にも,荒廃の中に生きた戦後の日本人にとって,自然を求める気持ちは切実で,
一鉢の盆栽の緑を身辺に置くことで心安らいだのです。
 盆栽の愛好家は全国的に見ても大変多いが,地域的な趣味グループとしての活動で,
全国的な組織作りはこれまでありませんでした。ただ一つ,全国的な繋がりで活動の輪
を広げていたのが国風盆栽会で,これが母体となって同40年2月「社団法人日本盆栽協
会」(初代会長元内閣総理大臣吉田茂氏)として発足,初めて全国に支部組織が生まれ,
茲に盆栽界の確立を観たのです。
 日本盆栽協会が設立され,国風盆栽展を主催し,現代盆栽逸品展,作風展など全国規
模の充実した大盆栽展が次々と中央で開かれるようになりました。また会誌の発行によ
って情報連絡も行き届き,各地の盆栽教室の開講など,正しい盆栽の普及活動が続けら
れて今日に及んでいます。
 
 盆栽がわが国の素晴らしい伝統文化であり,創作の芸術であると云う認識が,広く内
外に行き渡るようになったのは,同45年大阪において開催された万国博が一つの契機と
見てよい。日本庭園に政府出展として飾られた全国の名品盆栽は,万国博の中の最大の
感動と語った外国人も居た程,盆栽はこの時点から大きく国際的な興味と関心の対象に
なりました。盆栽が,国際語「ボンサイ」として,広く海外にその美と伝統が認められ
て来たのです。
 同51年7月,アメリカでは建国200年記念式典が行われましたが,これに先立ちワシン
トン国立樹木園は,記念行事の一環として,わが国の盆栽の展示室を設け,長くこれを
公開しようと計画しました。その要請を受けた日本盆栽協会は,政府機関に諮り,各方
面の協力を得て,盆栽50点,水石6点,他に皇居及び宮家よりは盆栽3点をアメリカに
寄贈しました。「ワシントンの桜」と同じように海を渡った盆栽は,これから長く国際
親善の掛橋となるでしょう。             (以上,原筆者原田佐久氏)

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