04 普段の食
参考:鹿角市発行「鹿角市史」ほか
〈副食〉
お汁ツユは、例外なく味噌汁であった。畑で採れた野菜は味噌汁や漬物となった。魚介
類は、旬のときに大量に捕れる安い魚か、乾物物か塩付けの魚が主であった。
△魚介類
売られていた主なものは、みがき鰊(サッカラニシ・ミガキとも)・塩鯨・塩引(塩鱒・
塩鮭、ネコマタギとも)・筋子・昆布・若布・煮干しなどであった。旬で安い鰰・鰯・鰊・ホッ
ケなどは、大量に買い入れて塩蔵や干物にして保存した。
みがき鰊は、山菜の蕗や筍などと一緒に味噌煮やスマシ煮にした。春先の生鰊は、ヤ
ドコ(茅屋根の葺き替え)などのときには、必ず焼いて食べた。なお、冬の味覚「鰊漬
け」には、みがき鰊は欠かせない材料である。
初冬に出回る鰰は、冬期間の保存食として米糠コヌカ漬けや糀漬け、塩漬けにした。正月
にはお頭付きにしたり、飯鮨イイズシにしたりして丸ごと食べた。
塩引は殆どが塩鱒で、切り身は小さく、身は塩で真っ白であった。
また初冬乃至は冬の大鱈は、吸物や焼き物、煮付け、ザッパ汁には欠かせないもので
あった。
寒鮫は刺身、汁物の出汁、味噌付けの焼き物とするユニークな食材であった。塩鮫の
ことをダブと云い、八戸辺りから来て安く売られていたと云う。
冬のカスベ(エイのこと)は格別である云って市日で買い求め、雪道を引きずって家
路に向かう光景もよく見られた。ザッパ汁、味噌煮、スマシ煮などにし、干しておいて
お盆のときに煮付けて食べるのでした。鮮度が落ちてくると、独特の臭い匂いのするカ
スベは、鹿角では殊のほか人気のある食材である。
塩海胆ウニはカゼとも云い、珍味であったが、中身は混じり物が多かったと云う。
十和田鱒(姫鱒)は、大湯や毛馬内に多く出回っていたと云う。
鹿角は内陸故に、生烏賊イカは皮膚は白くなったものしか売っておらずも、それでも「
ああ新しい、刺身にするべ」と言ったものでした。小さな塩烏賊は、ワッパを持参して
買いに行くと、その露を垂らして呉れて、これを飯に掛けて食べたと云う。
塩鯨は茄子カヤキ(貝焼鍋)で食べた。ほかに塩鯖・蒸しホッキ・メヌキ・キンキン・タ
ナゴ・鯛・鰹・ホッケ・赤貝・帆立貝・腹とり(ナマコの腹とり)などがあり、その持ち味を
活かして料理された。
干物・加工食品では、ボヤ節(鯖の生節ナマリブシ)は煮物、鰹節は産人サント(出産直後の
人)がご飯や粥に必ず用いた。また竹輪・煮干し・若布・剥スき昆布・鯣スルメ・昆布・松藻など
があった。海苔は値段が高くて握り飯には使えず、巻寿司や祝儀用の巻物に使われた。
缶詰には鮭・ホッキ・蟹・帆立貝(貝柱)・秋刀魚・鰯・鯨(赤肉)などがあった。
貝焼カヤキに用いる帆立貝の貝殻は六寸以上もあり、これを鍋代わりにして、中に魚や鶏
肉・豆腐・蒟蒻コンニャク・茸・葱などを載せ、スマシ又は塩・味噌で味を調えた。帆立の貝殻か
らも旨味が滲み出て、味が良くなり、火の通りも良いとされていて、何処ドコの家でも持
っていた。一人ずつ別々に料理したり、三人用の大きな貝殻もあったと云う。
△肉類
鳥獣肉の消費量は、魚に比べるとずっと少なかった。肉では鶏が多く、庭のある家で
は五〜十羽程飼っていて、客のもてなしなど特別のときにその鶏を潰して貝焼鍋や饂飩
ウドン、煮物、吸物など入れて料理したものである。ただし花輪狐平キツネタイでは、不動様の
お使いが鶏になっている故、食べないと云う風習があった。
鶏卵は晴れの食べ物で、祝儀や正月、田植、運動会、来客時などや病人に料理して出
し、産人は鰹節粥などに入れて食したものである。ただし農家では大抵は市日に売りに
行き、普段鶏卵を食べられるのは裕福な人達であった。
鉱山では、馬肉と蒟蒻を入れたナンコ貝焼カヤキを作った。これは活力が付いて体が暖ま
り、吸い込んだ鉱石の粉塵を体外へ出して呉れると云われていた。犬や猫の肉を食べる
人もいた。一方農家や馬車曳きは、普段牛馬の世話になっているので、「牛馬は人と同
じだ」と言って食べない人が多かった。万一牛馬が死ぬと、解体して食べる人も幾らか
いたが、その時も肉は座敷には上げず、庭に筵ムシロを敷いたり屋外の小屋でこっそり食べ
るものであったと云う。仏教に関わる家(別当も含む)などでは、古来「四つ足の生き
物」は決して食べない習慣がある。
豚肉は裕福な人が食べたが、その消費量は少なかった。
山近くの人は狐・バンドリ(ムササビ)・鼬イタチ・テン・マミ(穴熊)・野兎などをヒコグ
シ(罠ワナ)、虎鋏トラバサミを仕掛けて捕り、食べた。しかし月山様を信仰している人は兎
肉は食べないと云う風習がある。雀・鴨・雉キジ・山鳥なども焼いたり貝焼鍋にしたりした。
特に雉や山鳥は、キリタンポ鍋に入れると比内鶏よりも美味であると云う。
△畑のもの
大豆は味噌やスマシ・豆腐・豆の粉(黄粉キナコ)・餅・呉汁・漬物などに使った。
馬鈴薯ジャガイモは蒸かしたり、煮物や味噌汁の具などにした。
野菜のなかでは大根が多く植えられ、沢庵漬けや、干菜汁・味噌汁・煮物・鉈漬け(糀)
・切り漬け(糀)・寒干し(寒中に茹でた大根片を流水に晒して、寒気で干したもの)・膾
ナマス・金平キンピラなどに用いた。
胡瓜キュウリは漬物、冷やし汁にしたり味噌を付けて食べたりした。
玉菜キャベツや白菜、蕪は味噌汁や漬物に、蒜こヒロコ(アサツキ)は酢味噌や貝焼鍋に入れて
食べた。
お盆には、モヤシ(豆モヤシ)は必ず食べたものである。
ほうれん草は大正の頃からあったが、昭和に入って一般に普及し、病人などには体に
良いとして食べたが、高級品であった。
茄子は漬物、味噌汁の具、鯨貝焼や茄子焼などにした。
他にキミ(玉蜀黍トウモロコシ)・枝豆・フグダヂ(アブラナ系の野菜の若い茎)・韮・三ツ葉・
ササギ(ササゲの若いの莢)・南瓜・人参などは煮て食べた。山東菜・タイナ・高菜(カラ
シナ)・カタウリなどは漬物にして食べた。
大蒜ニンニク・茗荷ミョウガ・葱ネギ・ナンバンなどは薬味の用いた。シボリ大根(漬菜の在来種
か)は八幡平松館地区のものが上質で、大根を卸し金で摺り下ろし、その絞り汁を「シ
ボリ」と称し、烏賊の刺身や蕎麦切り、鍋物、汁物などに掛けると味が引き立つと云わ
れて評判が良い。
ヂブシはホウキグサの実で、トンブリ、ギブシとも云う。秋に刈り取って乾燥させ、
煮て水洗いをし、芥や皮を流して水を切り、納豆和え・ヂブシナガイモ・葱味噌和え・胡桃
和え、また各種お浸しなどに用い、歯触りの良い食材として喜ばれている。現在では隣
町の比内町で盛んに栽培されているが、江戸期の資料では十和田大湯の箒畑が発祥の地
とされている。また、領内産物調の類にも花輪久保田村などが特産地として記されてお
り、また藩主への献上物としても二升、三升と送られていたと云う。
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