02 高山植物の生い立ちと分布
 
            高山植物の生い立ちと分布
 
                    参考:山と渓谷社発行「日本の高山植物」
 
 今から約200万年前の第4紀更新世前期から,約1万年前の完新世初期までの間に,少
なくとも4回の氷期があり,それ以前の2回の氷期を加えて,北半球では計6回の氷期
があったとされています。
 ヨーロッパアルプスを例に採りますと,古い方からビーバー氷期,ドナウ氷期,ギュ
ンツ氷期,ミンデル氷期,リス氷期,ヴュルム氷期と,ドナウ川沿いの河川名を採って
呼ばれています。氷期と氷期の間には,氷河が北に退いて,穏やかな気候に戻った間氷
期がありました。
 これらの氷期が訪れる以前の北半球の広い地域は,気候は温暖で,ブナ属,コナラ属,
カエデ属などの落葉広葉樹林に覆われていました。それが氷河時代の訪れで,絶滅した
り,或いは南へと追いやられました。
 一方,氷河の南下とともに移動してきた氷河植物群(極地高山植物群)は,氷河の拡
大によって生じた寒冷な気候が支配する地域を中心に分布域を広げていきました。この
植物群は,代表種のセイヨウチョウノスケソウの名に因んでドリアス植物群と呼ばれま
す。このドリアス植物群が,現在の北半球の中緯度地域の高山植物群の基本構成要素と
なっています。
 現在,北半球で氷河及び氷床は陸地の10%を覆っているの過ぎませんが,最後の氷期
であったヴュルム氷期(北米大陸ではウィスコンシン氷期)には氷河や氷床に覆われて
いた地域は,全陸地の27%に達したといわれています。このことからも,如何にこの時
代が寒冷であったかが想像できます。
 日本ではヴュルム氷期の終わり頃,即ち今から1万年程前の更新世の最後には,雪線
の高さが現在よりおよそ1000m低く,北海道の日高山脈,東北地方の高山,北アルプスに
は氷河があったと推定されています。氷河の存在は,氷河の浸食作用によって形成され
る氷食谷(U字谷)の谷頭部にカール(圏谷)があること,氷河の末端部であったと考
えられる地域にモレーン(堆石)が残されていることなどで確かめることができます。
モレーンが何列も残っている場合には,氷河が次第に後退していったことを示していま
す。
 後氷期即ち完新世に入っても,ヨーロッパと北米では,今から4000年前から2000年前
位にかけて,再び寒冷な時代があったことが知られており,その頃再び氷河が南下した
と考えられています。日本の北アルプスや日高山脈でも同じようなことが起こったかも
しれません。
 日本の高山植物の分布の起源に関して重要なのは,氷河時代における周北極植物の南
下に加えて,もう一つ主要な要因と考えられるものに,アジア大陸と日本との関係があ
ります。
 今からおよそ2500万年前頃,アジア大陸の東端が割れて広がり,やがて海となり,日
本列島は次第に大陸から離れていきました。約1500万年前には日本海ができて完全に分
離し,その後九州の部分が朝鮮半島と繋がり,再び大陸と地続きとなったりしました。
およそ1000万年前にはサハリンと地続きであった北海道東部が南下して北海道中部に衝
突し,北海道が形成されました。幾つかの島が弧状に連なる日本列島がほぼ出来上がっ
たのは,今から約160万年前とされています。
 今から約200万年前に氷河時代が訪れると,海面は大幅に低下しました。地球の寒冷化
によって氷が解けず,川となって海に流れ込む水の量が減少しました。そのため海面が
低下し,海底の一部は陸化したのです。ヴュルム氷期の頃には海面が140mも低下したと
いわれ,日本は朝鮮半島やサハリンと陸続きになりました。この結果,シベリアを始め
アジア大陸の動物,そして多くの植物が日本に分布するようになったのです。
 また,現在のベーリング海峡付近もヴュルム氷期に陸化して,アジア大陸と北米大陸
は陸続きになっていました。この陸続きの部分をベーリング陸橋といい,今から5万年
前から3万5000年前までの間に1回と,2万5000年前から1万年前までに1回,計2回
存在したと考えられています。ベーリング陸橋によって,北米の植物がアリューシャン
列島,コマンドル諸島,カムチャツカ,千島,北海道,サハリンという経路で分布した
り,またその逆のコースで北米に分布を広げた植物もあります。
 後氷期に入りますと,日本列島は日本海によって完全にアジア大陸から隔離されまし
た。日本に分布するようになった植物の中には,殆ど形態変化が起こらなかったものも
ありますが,あるものは種レベルでの分化が起こって,全く別種になったり,種内レベ
ルでの分化が起こって亜種や変種になったものもあります。また,日本に広く分布する
ようになった種もあれば,極限られた地域だけに分布するようになった種もあります。
 例えば,北半球の高山や寒地に広く分布する周北極要素のクモマキンポウゲは,日本
では白馬連峰の極限られた地域,然も石灰岩質の土壌のところに分布がほぼ限定されて
います。ヒメセンブリも周北極要素ですが,日本では南アルプスと八ガ岳に分布してい
ます。ヒメセンブリが東北地方で見つかったと騒がれたことがありますが,これはヒメ
センブリとは全く別のもので,センブリが矮性化したものでした。
 日本産のサンプクリンドウは,シベリアから中国に広く分布する母種に比べて,全体
に小型で花も小さいです。これは日本で亜種に分化したもので,南アルプスにだけ生え
ると考えられていましたが,1987年に八ガ岳にも分布することが確認されました。結局,
ヒメセンブリと同じような経路で日本に分布するようになったと考えられます。
 アジア・北米要素のヒナリンドウは可成り広い地域に分布しますが,日本では八ガ岳
だけに分布し,大陸産との間に形態的変化は全く見られません。ところが,日光の女峰
山と南アルプスに分布するコヒナリンドウは草丈が低く,根生葉はロゼット状で大きく,
花は短いです。コヒナリンドウをヒナリンドウの亜種や変種として扱う場合もあります
が,これはヒナリンドウがより古い時代に日本に分布し,日本の高山帯で種として区別
できる程分化したと考えてよいです。
 クモマユキノシタも周北極要素の母種から種分化が起こって,独立種となったもので,
北海道の中央高地,夕張山地,日高山脈北部のほか,朝鮮の北部やサハリンに分布して
います。同じユキノシタ科でも,北半球の高山や寒地に広く分布する周北極要素のムカ
ゴユキノシタは,日本では北アルプス北部,八ガ岳,南アルプスに分布し,大陸産と形
態的な差異は認められません。
 同じようにな例はキバナシオガマにも見られます。日本では分布が確認されているの
は北海道の大雪山だけですが,大陸産と比較して,亜種や変種として区別する程の差は
ありません。
 ベーリング陸橋は,イワイチョウなどアジア・北米要素の植物の分布に一役買ったの
ではないかと考えられます。北米大陸に分布するアメリカイワイチョウがベーリング陸
橋を通ってアジアに分布するようになり,地理的亜種として分化したものがイワイチョ
ウで,北海道と本州の中部地方以北,南千島に分布します。
 また,超塩基性岩地や石灰岩地で独自の分化が起こったものもあります。例えば,周
北極要素のセイヨウユキワリソウは,夕張岳の蛇紋岩地に隔離され,別種として区別さ
れる程分化して,ユウバリコザクラとなりました。
 このように様々な要素が複合されて,現在の日本の高山における植物区系が成立しま
した。
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