31a 日本名庭100選〈庭園の歴史とその見方〉
 
〈浄土庭園と神仙思想〉
 △浄土庭園の流行
 仏教伝来からまもなくして,その教理が定着しますと密教化する傾向が強くなります。
一方,京では平安朝の貴族文化を謳歌し,庭園は「阿弥陀信仰」による浄土の世界を写
すことが,流行します。いわゆる浄土庭園がこれです。浄土とは仏・菩薩の居所であり,
西方浄土 =極楽浄土= のいう極楽往生のことです。庭としては浄土曼荼羅を具現した
もので,平安期に入ると智光清界曼荼羅のごときものも現れて,作庭への指針を与えま
した。理想境としての池泉を大きく穿ち,蓮を植え,八功徳の水を湛える清浄香潔な景
を中心に構成します。治安2年(1022)に藤原道長は前代未聞の寺院を,浄土世界を忠
実に再現して建立します。無量寿院をつくり,阿弥陀仏を本尊とした法成寺がこれです。
本格的浄土庭のはじまりとなります。
 △九山八海の具現
 仏教伝来はわが国に極楽浄土の思想と共に,現世(この世)の構成概念が入りました。
九山八海とは,須弥山を軸として,外周(この世のはずれ)である鉄囲山に接する南瞻
部州の大海までの間に七つの山(持双山,持軸山,檐木山,善見山,馬耳山,象耳山,
尼民達羅山)をあわせて九つの山と,その間に形成される八つの海をいうものです。庭
に島々を浮かべ,また平庭に立石や築山をあげて九山八海を具現して,観賞者へ仏理を
教えこんだのです。
 △神仙三島・五島
 仏教伝来に伴うわが国の思想形成に大きく影響を及ぼしたのは,中国大陸の神仙思想
です。神仙三島とは,中国の三神山すなわち蓬莱ホウライ・瀛州エイシュウ・方丈ホウジョウの三山
をいい,また大海に浮かぶ神仙すなわち仙人が住む三島を意味します。庭園では九山八
海と共に池泉の中島や,枯山水庭の石組,平庭の築山などの寓意となりました。神正五
島とは三島に,「岱与タイヨ」「員きょうインキョウ」二島を加えたものです。有名な竜安寺石
庭の寓意ともいいます。
 △鶴亀庭
 中国道教思想に基づき,不老長寿を願い,慶祝を表すもので,鶴,亀に見立てた島を
つくり,また山をつくったりしました。本文の金地院庭(京都),深田氏庭園(鳥取県)
などは最も代表的な鶴亀庭です。また鶴亀両島をもって蓬莱島ともいいます。
 △はん池ハンチと社寺庭園
 俗世間とは違う神聖な境域を定めるため,寺院では山門又は山門前に左右に池を穿ち,
神社では大鳥居の内又は外に神苑と称して池泉をつくります。この池は,その平面から
心字池とか,瓢箪池,箱池などと呼ばれています。よく見かけます「心字池」とは,池
の汀線の屈曲 =砂浜を表すための岸のカーブ= と池泉の中島が「心」の字の点となっ
て称せられたもので,付合です。この池が,仙境と俗境を区分する「はん池ハンチ」と呼
ばれるもので,池を渡ることにより”彼岸”に至り,この池水が人間の俗悪を清め,神
聖へと導くのである。従ってはん池には人が容易に彼岸又は仙境に到達できないことを
意味する急な勾配を持った反ソリ橋すなわち太鼓橋を多く架けます。孔子廟などでは円形
の池泉に中島を浮かべて,二つの橋を渡しますが,これは明らかに浄土庭の影響による
作意とみられます。
 △滝と竜門瀑
 わが国の美しい自然風土は,多雨な気候とも関係し,大小の河川や渓谷美をつくり,
そこに滝や沢をつくりました。庭の滝は大きな鏡石と呼ばれる据石を中心に組まれ,滝
は不動明王の居処として,不動石が組まれたり,天端テンパには庭全体の主人としての観
音石を据えました。古くから滝石組は,音羽の滝,那智の滝,日光華厳滝,奥州厳美渓
などが手本となっていましたが,鎌倉末期から室町期にかけて竜門瀑が現れます。この
滝は中国黄河の上流,山西省竜門にあって,いかなる魚も登ることのできぬ三段落ちの
大瀑布で,ここに鯉があるとき登り,竜に化身する説話があります。武士たちは,この
竜門の話は武門としての絶好の作庭寓意であり,禅の教理の悟りに通じることもあって,
次第に庭園の滝組に用いられました。
 △舟石・夜泊石・遠山石
 神仙思想は作庭寓意の基本となったことは以上述べましたとおりですが,竜門瀑など
細部の手法の中にもその作意の発端になったものが多いです。すなわち,神仙三島へ向
かう舟 =宝船= を現す「舟石」。古く秦の始皇帝が徐福をもって神仙蓬莱島に通わし
た船が,夜の渚に停泊する様子を著す直線上に点在される立石法の「夜泊石」,庭園内
の後方や,池泉中もしくは柴山の背後に,仙境の山々を遠近法を用いて立石する「遠山
石」などがあります。
 
〈枯山水庭の流行〉
 △枯山水とは
 枯山水は「石庭」ともいい,水のないところに水を見,山のないところに山を見,木
々のないところに木々を見る庭という超自然の芸術の内で,最も抽象に徹した,最も芸
術性の高い庭です。その作意は,言うまでもなく禅定三味による禅の教理であり,「無
」こそすべての根源 ―色即是空―形あるもの(色)はこれみな無(空)である― を語
ることにより,空即是色 ―無は形あるものの根源― という無我の境地を透して庭を見
るのです。厳しく気魄に満ちた石を何と見るか,それは人さまざまですが,破綻のない
石組の中に凛呼とした禅の覚悟が宿り,枯木寒巌に花を見る思想が宿っているのが枯山
水なのです。枯山水を記して,正しくは「からせんずい」と読みます。
 禅に枯山水が用いられます以前,「作庭記」によれば「池もなく遣水もなきところに
石を立つることあり,これを枯山水と名づく」とあって,さらに「片山の岸あるいは野
筋などを作りいでて」取付ける,と記していますように,はじまりは庭園構成上の一部
の手法でありました。それは毛越寺に残る手法や平城宮の発掘,また,鳥羽院などにも
見られます。
 △順の庭と枯山水庭
 何も枯山水に限ったことではありませんが,庭に水枯流を配すのは東から西に流しま
す。すなわち,庭は東から西に全体をさっと流す感じで作庭するのです。これを順の庭
といい,東に滝(枯滝)や三尊石を据えるのが一般的です。枯山水庭では,この法則が
よく守られています。
 △石立僧の出現
 禅の教理や浄土思想が作意となったわが国の庭園は,寺院境内の本堂,方丈,書院な
どに多くの作品を生み,僧侶の中に,庭づくりを専門とする者が現れ,また作庭技術は
臨済禅の宗派を中心に学僧にとって学ばねばならぬ学問となっていました。ことに北宗,
南宗の「水墨画」は枯山水庭の出現に大きく影響を与えていきました。大徳寺を中心に
大仙院を作庭した古嶽宗旦はその代表的な僧侶で,古くは全国各地に庭をつくり,西方
寺の洪隠山石組を作った夢窓国師,室町期の代表的な水墨画の画聖,雪舟等揚もまた臨
済禅の立石僧の一人と見られます。仁和寺にもまた15世紀に記された「山水並野形図」
の蔵書で知られるとおり静空,静意などの名手が出ています。
 △三尊石・枯滝
 枯山水の立石と石組手法で忘れてはならないのは三尊石の存在です。三つの石を主護
石 =主人= として庭の中心に据えるもので,三つの石はそれぞれ,並んで立てられて
いますが,いろいろな手法を持ち,一つを横にしたり,離したり,又は大中小と形の違
うものを組み合わせることで,変化を持たせます。大きく主景となる三尊石は,現代の
オブジェとも共通します。阿弥陀三尊・薬師三尊・釈迦三尊など三尊仏を具現します。
枯山水の場合,東や中央に据えて,水のない枯滝を表現します。立石の表面とその手法
から,水がないのに潺々センセンと流れる滝を見るのです。
 △中国五岳と仮山
 石組,立石を山水庭で行う場合,その寓意の多くを三尊石や竜門瀑に求めましたが,
中国の五霊山(華山・秦山・衡山・恒山・嵩山)も神仙三山(三島)と同様に用いられ
ました。七・五・三状のいわゆる「虎の児渡」の庭の寓意ともいいます。また盆山(部屋
に置く山の形をした置物)の形より出でたという仮山の水のない岩山をもって立石又は
石組とし,仮山をあつめて集団石組をするものを仮山聚景といいました。
 △白砂と砂紋
 枯山水の多くは,その平面を白砂敷とする砂敷ともいって,海に見立てたり,陸に見
立てたりします。白砂敷は磊々ライライたる石に対し清美で瀟洒ショウシャなたたずまいを演出
するものですが,ここに洗練された砂紋を独特な熊手「砂かき」という箒をもって紋様
(箒目)をつくります。これは,忍びの者(忍者)や法敵に対する意味もあり,もちろ
ん清浄な法域を表すためでもありました。その形状により,さざなみ,山波,立波,う
ねり,やり水,流水,菊水,網代,市松,片男波,観光水,青海波,渦,喰違い,獅子
紋など23種類に分類されます。
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