34 植物の世界「藻類を食べる」
 
             植物の世界「藻類を食べる」
 
                      参考:朝日新聞社発行「植物の世界」
 
 日本人は,世界で最もよく海藻カイソウを食べる国民と云われています。
 藻ソウ類を利用面から考えますと,アマノリやコンブのように比較的大型なものと,ク
ロレラのように直径10マイクロメートルにも満たない微細なものに大別されます。アマノリやコ
ンブなどは目につく処に生育し,古くから利用されて来ましたが,クロレラなどは,そ
の存在が明らかになってから未だ100年しか経っておらず,本格的に利用されるようにな
ったのは第二次世界大戦以後のことです。
 わが国において食用にされる海藻は,ローカルなものを含めますと約70種にもなりま
すが,商業的に流通しているものは十数種程度です。緑藻リョクソウ類ではアオノリやアオサ
のほか,砂糖と醤油で味付けして佃煮にされるヒトエグサなど,褐藻カッソウ類ではコンブ,
ワカメ,ヒジキ,モヅクのほか,酢の物や汁物の実にされるマツモなど,紅藻コウソウ類で
はアマノリや寒天の原料になるテングサ類,更に海藻サラダや刺身のつまにされるオゴ
ノリ,トサカノリなどがあります。
 食用と云うより,錠剤にしてビタミン剤にように服用される微細藻類には,クロレラ
の他に,同じ緑藻類のドゥナリエラや藍藻ランソウ類のスピルリナなどがあります。
 本稿においては,まず最も利用量の多いアマノリとコンブについて,その利用の歴史
を考察し,続いて微細藻類のクロレラを紹介します。最後に,藻類全体の栄養価や生理
作用を纏めてみます。
 
〈租税の対象であったアマノリ〉
 アマノリは1994年の1年間に,板海苔イタノリとして約120億枚が生産されています。これ
は国民1人当たり年間100枚ずつ食べていることになります。これらの板海苔の原料にな
るものは,分類的にはアマノリ属に属し,アサクサノリやスサビノリなどが含まれます。
天然で採取されるものはいわゆる岩海苔などと呼んで特産品として各地において販売さ
れますが,数量としては微々たるもので,食用になるものは殆どが養殖されたものです。
 
 アマノリは文献上においては最も古く登場する藻類で,出雲イズモ(島根県東部)や常
陸ヒタチ(茨城県)の『風土記』や『万葉集』に,「紫菜ムラサキナ」や「神仙菜シンセンナ」の名で
記されています。勿論これは中国から入った漢字を当てたもので,中国においては陸上
の食用植物を「野菜」と呼び,これに対応して海の食用植物を「海菜」と呼んでいまし
た。乾燥したアマノリは湿気を帯びますと紫色になることから,これを「紫菜」とした
のでしょう。また「神仙」とは中国における不老長寿の仙人で,アマノリを食べると長
生き出来ると信じられていたのかも知れません。鎌倉時代以降は「甘海苔アマノリ」と記さ
れるようになりました。これは海苔に甘い芳香があることから,噛カむと仄かに甘い味が
するからと云われています。
 
 アマノリは,奈良時代以降の税制である「租庸調ソヨウチョウ」の調によって指定されてい
る海産物の一つで,ミルやニギメ(ワカメ)と共に,貢納品コウノウヒンとして徴収されてい
ました。『延喜式』(927年)においても貴族の料理として登場しており,当時は高級な
食べ物で,庶民の口に入るものではなかったようです。鎌倉時代になって平安時代の税
制が崩壊した後も,佐渡,出雲などはアマノリの特産地として文献に登場しています。
少量しか採れないため希少価値が高く,贈答品として重宝されていました。
 
〈アマノリ養殖の開始〉
 アマノリが庶民の食卓に上るようになったのは,江戸時代に東京湾沿岸においてアマ
ノリの養殖が盛んに行われるようになってからです。
 東京湾内のアマノリが初めて文献に登場するのは『毛吹草ケフキグサ』(1638年)で,「
葛西苔カサイノリ,浅草苔,品川苔」の名で登場します。しかしこれは天然のもので,養殖が
始まったのは18世紀に入ってからです。一説には享保キョウホウ2(1717)年に,品川浦にお
いて始められたとも云われています。
 アマノリの養殖においては,「ヒビ(竹冠+洪)」と呼ばれるものにアマノリの殻胞
子カクホウシを付けて生長させます。ヒビは現在においては網ヒビが専ら用いられますが,当
初はナラ,クヌギ,ケヤキなどの枝や竹竿を3〜5本束ねたものが使われました。これ
を9月頃に湾内の浅瀬に挿して置きますと,自然に殻胞子が付き,約2カ月で収穫出来
ます。アマノリは水温や生活史の関係でこの時期にしか養殖出来ないため,主に農閑期
の副業として発達しました。
 
 紙を抄スくのと同じようにして作る抄き海苔も,アマノリ養殖が始まる享保年間に開発
されました。抄き海苔は,まず収穫したアマノリを刻み,水を加え,四角い木製の枠に
葦簀ヨシズを入れたものを使って水を切り,乾燥させるものです。こうしますと,単に乾
燥させたものに比べ,砂粒などの不純物がなく,風味や味わいが格段によくなります。
 元禄時代に急速に経済力を持つようになった一部の町人等は,享保年間になって,時
の将軍吉宗の度重なる倹約令にも拘わらず,贅沢品を求めていました。抄き海苔は,そ
うした珍し物好きの江戸っ子の間において流行しました。
 汁物の実や炙ってそのまま食べるだけであったアマノリの料理法も,抄き海苔の発明
によって,海苔卷き鮨などの新しい料理が次々と開発されました。地方にも紹介される
ようになりますと,抄き海苔の需要は急速に高まりました。
 このためアマノリは品不足になり,19世紀の文政ブンセイ年間の頃から,商人等は養殖適
地の農・漁村の役人に直接働きかけて,東京湾東部の葛西浦カサイウラや上総浦カズサウラ,更に
駿河スルガ湾,伊勢湾など太平洋岸の各地に新たなアマノリ産地を生み出して行きました。
 
 明治時代になりますと,殖産興業の一環として,アマノリの養殖が全国的に行われる
ようになりました。現在においては,養殖アマノリの収穫量は,多い順に兵庫,佐賀,
福岡,熊本,愛知の各県となっており,アマノリ養殖の発祥地である東京都においては,
1962年に埋立事業による漁業権放棄によって,その長い伝統に終止符が打たれました。
 このようにわが国の文化に深い関係のあるアマノリですが,海外においても食べられ
ています。当然ながらわが国と関係の深い中国や韓国においては普通の食べ物で,主に
スープに入れますが,韓国では板海苔を炙り,ゴマ油を塗って食べます。またペルーや
チリのアンデス地方においては,アマノリ属の1種であるポルフィラ・コロンビアナをコ
チャユーヨとかモコチョと呼んで,スープなどに混ぜて食べています。同じ種をニュー
ジーランドのマオリ族も食べていると云う報告もあります。
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