31 植物の世界「渓流沿い植物」
 
             植物の世界「渓流沿い植物」
 
                      参考:朝日新聞社発行「植物の世界」
 
 湿潤な熱帯においては,普通年間2000o以上,処によっては8000oを超える雨が降り
ます。降雨後の河川は増水と減水を繰り返し,その頻度は,例えば雨季のボルネオ島に
おいては週に2回程です。晴れた日の低水位と,増水時の高水位の間にある高低差3m程
の川岸や川床は,その間短期間ですが頻繁に濁流の中に没します。このようなゾーンを
渓流帯と呼びます。
 
〈特異な環境を生き抜くために〉
 洪水中の渓流帯は,水流の圧力や濁流中の砂粒子などによる機械的破壊力が相当なも
のであり,微生物による腐食も激しい。そのため,渓流帯は普通の陸上植物が生育する
のには適さない環境になっています。ものすごい大雨の降った後,数m以上の増水を経験
することがあります。そのような折は,平均的な高水位を遥かに超えて,普通の陸上植
物が生育している処にまで洪水が達し,陸上植物は決定的な破壊と腐食のダメージを受
けてしまいます。
 ところが,このような渓流帯にのみ適応した一群の植物が存在し,「渓流沿い植物」
と呼ばれます。川岸と川床の景観を眺めますと,渓流帯とそれより上の陸地の植生とは
はっきりと違っていることに気付きます。渓流沿い植物は,渓流帯と云う特異な生育環
境に生育する植物である,と生態的には定義されますが,その環境に適応した形態から
も他の植物と区別することが出来ます。
 
 それは,
@根茎が発達し,岩などにしっかりと固着する,
A茎は強靭で簡単には折れない,
B仮軸カジク分枝を繰り返して,水の流れに沿うように枝を張る(木の場合),
C葉は細長く流線形で,平滑で無毛,かたまって付く傾向がある,
などで,これらの形態は全て,植物が受ける水流の圧力に対抗するか,それを減らすよ
うに作られています。
 
 渓流沿い植物の細い葉は,交雑,播種ハシュ(胞子)実験,長期栽培を行った結果では,
葉の形は条件によって変わらずに安定し,遺伝的に固定されていると云えます。例えば,
わが国の代表的な渓流沿い植物のサツキ(ツツジ科),ヤシャゼンマイ(ゼンマイ科)
などは庭や生け垣に好んで植えられていますが,そのために著しく葉の形が変わると云
うことはありません。
 渓流沿い植物の細い葉は,魚の体形に見立てることが出来ます。魚は水中を泳ぐ際,
水の抵抗を受けるため,流線形をしていることが多い。
 シダ植物は胞子によって殖えます。渓流沿い植物のシダも,胞子を空中散布して分布
域を広げます。従って,胞子を付けた葉は,陸上植物と同様に空中にあるときに胞子を
散布します。種子植物の場合も同じで,花は普通水面より上に付き,受粉します。後述
のカワゴケソウ科においても,花は雨の少ない乾季に咲きます。
 
 渓流沿い植物は実に様々な分類群に見られます。これまでに約70科240属650種の渓流
沿い植物が知られ,全種が渓流沿い植物であるカワゴケソウ科などを除きますと,普通
は各科に少数種ずつあります。シダ植物としては世界において約100種が知られていま
す。ボルネオ島にはこれまでに12種の渓流沿いシダ植物が記録されていましたが,最近
の調査によって50種近くもあることが分かりました。このように,渓流沿い植物は現在
知られている650種よりも遥かに多く,植物全体の0.5〜1%を占めるのではないかと思
われます。渓流沿い植物は,渓流帯がよく発達した湿潤な熱帯に多く,雨量の少ない地
域や高緯度地域になる程少なくなります。熱帯アジアの中においてもボルネオ島は世界
で最も渓流沿い植物が多い。固有種が多いことも渓流沿い植物の特徴の一つで,水系に
よって渓流沿い植物の種が異なっていることもあります。
 
 わが国は温帯に位置しますが雨が多いので,渓流沿い植物は比較的多い地域です。わ
が国の渓流沿いシダ植物には,ヤシャゼンマイ,サイゴクホングウシダ(ホングウシダ
科),ヤエヤマトラノオ(オシダ科),ヒメタカノハウラボシ(ウラボシ科),ミツデ
ヘラシダ(ウラボシ科)などがあります。
 ヤシャゼンマイはわが国の固有種で,北海道から九州にかけて広く分布しますが,屋
久島,琉球諸島には知られていません。これに近縁で,その祖先種と推定されているの
がゼンマイです。ゼンマイは原野や林縁に生える普通の陸上種です。ヤシャゼンマイは
ゼンマイよりもやや小型です。特に目立つ違いは,ヤシャゼンマイの小羽片ショウウヘン(裂
片)が流線形で,基部は楔クサビ形であるのに対して,ゼンマイでは披針ヒシン形で,基部は
切形セッケイから心形をしていることです(そのため水中では水圧を強く受ける)。
 
 サイゴクホングウシダは西南日本に,ヤエヤマトラノオとミツデヘラシダは八重山列
島に,ヒメタカノハウラボシは屋久島と琉球諸島に分布します。ヤエヤマトラノオとヒ
メタカノハウラボシは固有種ですが,その他は近隣地域にも分布します。これらの渓流
沿い植物は,川岸や川床の苔むした岩の上に生えています。サイゴクホングウシダの祖
先種と推定されることがある陸上種はホングウシダ,ヒメタカノハウラボシの祖先種は
タカノハウラボシです。
 
〈適応の極限を示すカワゴケソウ〉
 いろいろな渓流沿い植物が,陸上植物からそれぞれ独立に起源したことはほぼ確かで
す。渓流沿い植物は適応の程度や生育環境の違いなどによって幾つかのタイプに分かれ
ます。ある種が全て渓流帯にのみ生育する真正渓流沿い植物や,種内に変異があって渓
流沿い型と一部が通常の陸上に生育する条件的渓流沿い植物があります。これらは進化
の程度の違いを表しているのでしょう。陸上植物の中には,たまたま渓流帯に紛れ込ん
で来たものもあります。このような種は普通は陸上に生えているのですが,稀に渓流帯
に生え,形態は陸上植物のままで,渓流沿い植物の姿をしていません。これなどは,渓
流沿い植物の進化の始まりかも知れません。
 
 ある属に1種だけ渓流沿い植物が存在する場合や,種全部が渓流沿い植物の場合もあ
ります。前者は,陸上植物から渓流沿い植物への一次的進化の例で,後者は渓流沿いの
種から別の渓流沿いの種が二次的に進化した場合を含むと考えられます。全種が渓流沿
い植物であるヒメシダ科の一群(トリゴノスボラ属として分けられることがある)やカ
ワゴケソウ科は,後者の例でしょう。二次的な進化によって生じた種は,形態的にも渓
流帯により適応しているのでしょうか,或いは単に生殖的又は地理的に隔離されている
だけでしょうか。渓流沿い植物のミツデヘラシダから二次的に進化したと推定されるミ
クロソルム・パウキユグムは,更に葉の裂片が細長く,水中に没する頻度が高い渓流帯の
最下部に生育しています。
 カワゴケソウ科は,風変わりな形態をした渓流沿い植物です。形態が一見したところ
コケに似ていることから,「川苔草カワゴケソウ」の名前が付きましたが,れっきとした被子
植物です。植物体は根が変形したものであり,茎や葉は退化していることが多い。殆ど
何時も水に浸かる渓流帯の最下部の岩の上に生えており,しかも約270種の全てが渓流沿
い種であり,渓流沿い植物として極限にまで達していると云えます。
 
 一方,高木になる渓流沿い植物もあります。熱帯多雨林の代表的な樹木で,屡々樹高
が60mを超えるフタバガキ科は,熱帯アジアに広く分布します。この科のディプテロカル
プス・オブロンギフォリウスも,樹高20〜30mに達することもある渓流沿い植物の一例で
す。高木であるため,ある程度成熟しますと幹の根元だけが洪水に浸かるだけで,さほ
どの影響は受けないように見えます。しかし,稚樹の時期は普通の渓流沿い植物と同様,
渓流帯の環境の中において生活しなければならず,そのようなものを「幼期渓流沿い植
物」と呼んでいます。シダ植物のような草本では,当然のことながらそのような渓流沿
い植物は知られていません。
 
 スイレン(スイレン科)やハス(ハス科)などの水生植物は,池などの静かな水に生
育し,嫌気的(酸素不足)条件に適応しています。これに対して,渓流沿い植物にとっ
ての水は,水流と云う流体力学的環境を提供します。このように,渓流沿い植物と水生
植物は似て非なるものなのです。
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