30 植物の世界「森林衰退の原因」
 
            植物の世界「森林衰退の原因」
 
                      参考:朝日新聞社発行「植物の世界」
 
 1980年頃,ドイツ南部の林業家が,ヨーロッパトウヒ(ドイツトウヒ)のこれまでに
ない衰退現象に気付きました。樹冠部の部分的な落葉が全体に及び,やがて枯死するも
のでした。ヨーロッパモミにおいても同様で,衰退は中部ヨーロッパ,スカンディナヴ
ィア半島南部,イタリア北部,バルカン半島の一部,東ヨーロッパのほぼ全域において
確認されるようになりました。
 また,衰退がヨーロッパアカマツやブナなどの広葉樹ばかりでなく,ダグラスモミの
ような外来樹種にも及んでいることが明らかとなりました。
 その後,北アメリカにおいても森林衰退が問題となり始め,アパラチア山脈や北アメ
リカ北東部から続々と報告されるようになりました。特に北部の山々のアカトウヒ − 
バルサムモミ寒帯林の衰退が著しく,ヨーロッパと同様に,異常落葉や木の先端部の枯
損コソンが特徴です。衰退は標高が増すに連れて増加する傾向にあります。
 これらの衰退は,わが国の都市の大気汚染が問題となった時代と同様に,オゾンなど
の大気汚染が原因とされています。しかし,アメリカのカリフォルニア州のポンデロー
サマツやジェフリーマツの衰退は近年のことではなく,1950年代に既に衰退の報告があ
ります。北アメリカ北東部とカナダ南東部のサトウカエデの衰退は,今世紀初頭からあ
ったようです。
 
〈衰退原因の諸説〉
 現在のところ,「これが衰退原因だ」と云う決定打はありません。一時,酸性雨が注
目されました。北ヨーロッパの湖の酸性化が進み,魚の棲めない湖が増えていること,
地下水の酸性化が進んですることなどが明らかにされたからです。
 しかし,今の森林衰退を酸性雨,或いは酸性降下物による森林土壌の酸性化から説明
するには未だ不十分なことが沢山あります。現在の雨の酸性度では直接被害が生じそう
にないこと,森林土壌の酸性化は一部の特定の地域でしか観察されていないこと,植栽
樹種の選定が間違っていたこと,雨水中の窒素酸化物が肥料効果となって生長を促進し
ていることなど,多くの観察や実験結果があるからです。
 
 現在云われている主な衰退に関する諸説を紹介しましょう。
@酸性化説
 森林土壌は,落枝落葉の分解,土壌の硝化ショウカ作用などによって自然に酸性化します。
こうした酸性化が,酸性降下物の付加によって助長されます。土壌の酸性化が進みます
と,カルシウムやマグネシウムなどの塩基類を溶脱し,毒性の強いアルミニウムイオン
などの金属イオンが増加します。これらのイオンは細根や菌根菌キンコンキンなどの生長阻害
を招きます。細根の生長阻害と壊死エシは,根の吸水量の減少となり,乾燥による生長低
下となって現れます。養分吸収の低下も伴いますから,更に生長の低下が助長されます。
そのため樹体の健全性が低下し,衰退して行きます。
Aオゾン説
 アルプスや北アメリカの山脈においては,標高が高くなる程オゾンが高濃度で停滞す
ることから,オゾンと森林衰退の関係が注目されています。最近においては,オゾンの
単独影響ではなく,酸性雨や他の大気汚染ガス類との複合影響が重要であるとされ,後
述しますように,様々な暴露実験が行われています。しかし,現状の汚染濃度よりも可
成り高濃度でしか可視被害が観察されず,不可視被害の発現について研究が行われてい
ます。
Bマグネシウム欠乏説
 酸性化説の一部です。樹冠や林冠に捕捉された二酸化硫黄を始めとする乾性の酸性物
質が雨水によって洗い落とされ,結果としての酸性雨(林内雨)が土壌中のマグネシウ
ムイオンを溶脱し,土壌中のこのイオンが欠乏することによって衰退が進みます。また,
アンモニウムイオン沈着量が増加することによって,マグネシウムイオンの吸収阻害が
起こることも原因に挙げられています。
C窒素増加説
 窒素化合物の降下量増加は,少なくとも土壌の栄養条件をよくしています。近年の森
林蓄積の増加原因の一つとも云われます。ヨーロッパにおける1940年代の窒素降下量(
1ha当たり年間10s)に比べて,現在はその2倍以上あると云います。しかし,過大な
窒素化合物の降下は,やがて植物・土壌間の窒素含有量を飽和させ,結果として他の栄
養塩類が限定要因となって,必ずしも生長増加と結び付かなくなります。また,生態系
内への窒素の流入増加は,硝化作用を促進し,水素イオンの生成を通じて土壌の酸性化
を促進します。この過程以降は酸性化説に繋がります。
Dストレス説
 包括的な説です。大気汚染ガス類による葉の直接的な被害や光合成阻害などの不可視
的な被害と,土壌の酸性化による根系や菌根菌の間接的な被害の両者は,樹冠の光合成
による同化産物の生産,分配,蓄積に影響を与えます。同化産物は樹体の維持に必要で
あるため,その減少は活力低下の原因となります。このことは,乾燥や病虫害に対する
抵抗性を低下させ,二次被害の発生に繋がります。同化産物の根系への分配低下は,菌
根菌の機能低下を招き,栄養塩類,特にリンの吸収を低下させます。これらの過程を経
る樹木の活力低下は,気象変化などの環境ストレスへの感受性を増して,森林衰退の拡
大となって行きます。
 
〈関東平野のスギの衰退〉
 木が枯れて行くことは目で見て分かりますが,原因と云われる酸性雨や大気汚染,気
象変化などは目に見えません。即ち,私共は自然界の現象を見ることができますが,原
因となりますと,判断が難しい難点を抱えています。
 スギの衰退は,樹高生長の止まった老齢木において起きており,木の先端直下の葉の
減少が目立つ樹冠部上層の枯損から始まります。やがて樹冠の下方に広がって,先端か
ら死んで行くのが一般的な特徴です。衰退は決して近年のことではなく,1970年代から
既に始まっています。また,衰退林に植栽された若いスギは生長もよく,衰退は全く観
察されないことも特徴的です。
 関東地方のスギの衰退は,標高の低い平野部を中心に広がっていますが,方位によっ
て広がり方が異なり,衰退の著しい地域が北西から西の方向に大きく広がっています。
1974年に山家義人氏(林野庁森林総合研究所)が行った同様の調査結果と比較しますと,
衰退地域が関東平野の全域に拡大しています。局地的には,市街化の進行とスギの衰退
の進行が一致します。このような衰退は,京都盆地などにおいても見られます。
 
 スギの立地特性に触れてみましょう。スギの天然分布は,南は鹿児島県屋久島から北
海道渡島オシマ半島まで認められます。本州における垂直分布は丘陵帯上部から亜高山帯下
部ですが,分布の中心は低山帯です。また,林分リンブン状態の天然分布の場合,年間降水
量は1500o以上,個体状態においても1000o以上の地域です。スギの有名な林業地は,
雨量が多く霧の発生しやすい湿潤な土地です。
 一方,東京の年間降水量は,1900〜60年頃まで1500oを下回ることは稀で,1600o前
後でした。しかし,1960年代頃を境に1300〜1500oと減少傾向にあります。また,群馬
県前橋市,埼玉県熊谷市周辺は,関東平野の中においても降雨の少ない地域ですが,
1950年代の1300o前後から,1960年代以降は1200o前後に減少しています。従って,少
なくとも雨量からしますと,スギにとって関東平野は天然分布の気候下にはない状態に
あると云えましょう。
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