28a 植物の世界「年輪は語る」
 
[年輪気候法によって環境変動を予測]
 
 現代において,地球の温暖化や世界各地において起こっている異常気象など,地球的
視野に立った環境変動の予測が重要になっています。この予測の鍵となるのは,過去に
どのような変動があったかを出来るだけ正確に把握することです。この場合,従来は過
去の文書や地質などを研究して予測して来ました。しかし不明な点も多く,新たな指標
を探す必要性が出て来ました。こうした状況で注目されたのが,樹木の年輪です。
 わが国においては,機器による気象データは過去100年程度しかありません。しかし樹
木は数百年から数千年にも亘って生き続けるものもあり,太古の,特に人間が地球と深
い関わりを持ち始めた過去1000〜2000年間の気象変化,台風や火山噴火などの自然気象,
年々の暑さや寒さ,降水量,日照りの様子をしっかり記憶しています。それどころか,
最近においては年輪が地球の磁場ジバや太陽活動の変化,温暖化による環境変動やエル
ニーニョとの関連,大気汚染,核実験なども刻み続けていることが分かって来ました。
年輪は過去の様々な情報を記録し続けて来た貴重な「タイムカプセル」なのです。
 
 樹木の年輪に興味を持った人としても知られますレオナルド・ダ・ヴィンチは,今から
約450年も前に北イタリアの樹木を詳しく観察し,年輪の幅と降水量との関係を指摘しま
した。これを学問的に確立したのが,先に年輪年代法においても紹介したダグラスです。
年輪気候法は,気象条件が年輪形成に敏感に影響する半乾燥地域に生育する樹木を用い
て研究が進められ,わが国などの湿潤な温帯地域,更に地球環境に大きな影響をもたら
す熱帯地域の環境変動の把握まで,多大な情報を提供出来ることが明らかになりつつあ
ります。
 
〈年輪から気候を読みとる〉
 毎年1輪ずつ作られる年輪は,その幅は勿論,春から秋にかけての細胞構成の推移,
気候の違いや山火事,火山噴火などの突発的な出来事を忠実に反映しています。年輪か
らこれらの情報を引き出すにはX線を用います。例えば,人間の胸部のX線写真を見ま
すと,密度の高い骨の部分は白く,密度の低い肉の部分は黒く写りますが,この原理を
樹木の年輪に応用したのが,「ソフトX線デンシトリメトリ」と呼ばれる方法です。こ
の濃淡を,顕微濃度計によって定量化して情報を読みとります。
 このように年輪幅だけでなく,年輪の中身も詳しく調べることで,年間単位の幅でし
か把握出来なかった情報を,年輪形成の開始時期から休止期に至るまで,季節を追って
詳細に読みとることが出来ます。年輪の幅だけを見ても「この年は寒かったようだ」と
云う結果は得られます。しかし,ソフトX線デンシトリメトリ法によりますと,そのグ
ラフにおいて,例えば年輪内の密度が他の年に比べて異常に低く描かれますと,「この
年は春の訪れが遅く,夏は特に低温で,秋の訪れも早かった」と云うことが分かるよう
に,得られる情報量が飛躍的に増え,年輪との対話が一段と深まるのです。
 
 このように年輪の形成は,普通は気候などの環境に影響されますが,一方においては
個々の樹木の生育条件も吟味しなければなりません。何故なら気象条件だけではなく,
互いに生長を競って来た周りの樹木の枯死などによる日照条件の変化なども,樹木の生
育に複雑に絡み合っているからです。環境に関係した年輪情報を読みとるには,多くの
樹木の年輪を統計的に比較するなど,総合的な検討が必要です。
 こうした条件を踏まえ,年輪と環境変動の関係を読みとれる事例を幾つか紹介しまし
ょう。
 
〈環境変動による年輪の変化〉
 例えば,千葉県市原市姉崎アネサキのスギを調べた(筆者太田貞明氏)ところ,1960年代
半ばから1970年代後半にかけて,年輪内の密度が極端に低くなりました。このことは日
本各地の他のスギ個体においても共通しており,何らかの環境変動がこの時期にあり,
生長が著しく抑制されたと考えられます。
 この時期のわが国はいわゆる高度経済成長期に当たり,二酸化硫黄や窒素酸化物が大
気中に多量に放出され,公害が社会問題化して来た時期です。スギの生長もこの影響を
受けたものではないでしょうか。
 更に云いますと,1970年代後半からは年輪の最大密度が回復して来ました。これも工
場や発電所,自動車などに脱硫装置の設置が義務付けられたことによって,二酸化硫黄
濃度が低下したためと推定出来ます。
 
 年輪が突発的な環境変動を記録していることもあります。例えば愛知県新城シンシロ市の
ヒノキの年輪幅の推移を見てみますと,1959年を境に年輪幅が大きく落ち込んでいる年
が10年以上続いています。1959年は,東海地方一帯に甚大な被害を与えた伊勢湾台風が
来襲した年で,これによりヒノキの生長を阻害するような影響(根の損傷など)があっ
たと推定されます。
 また,静岡県周智シュウチ郡春野町気田ケタのヒノキについて,1730年から現在までの年輪
内の最大密度を測定したところ,1825年頃から1870年頃に明らかに平均値を下回ってい
る時期が見られます。この時期は江戸時代末期から明治時代初期に当たり,歴史的に,
天保テンポウの大飢饉や,その後の幕末の混乱期に当たっています。全国的な日照り,早
霜,雹ヒョウなど何らかの気候不順があったことや,幕末の混乱により一揆や打ち壊し,戦
乱によってヒノキ林の手入れが行き届かず,生長が阻害されたと想像されましょう。
 
 気温についても,年輪との関係から推定することが可能です。過去80年間の7月の最
高気温の実測値に基づき,これと年輪データ(年輪幅,平均密度,最大・最小密度及び両
密度の中間値など)を関連付けて,過去300年まで遡って推定しますと,前述の1825〜
1870年の時期は,必ずしも気温はそれ程低くはなかったことが分かります。そうします
と,天保の大飢饉は異常低温によるものではないと想像出来ます。
 
〈年輪中の安定同位体による解析〉
 このように年輪気候法は,年輪の幅や密度の変化から気象条件を探って来ました。し
かし,最近においては分析法の発達により,今まで汲み取れなかった情報を読みとるこ
とが出来るようになって来ました。
 年輪は,二酸化炭素を取り込んで酸素を放出する光合成による生産物なので,二酸化
炭素を含有しています。その中にある炭素は殆ど質量数12ですが,極微量ながら質量数
13や14である同位体が含まれています。大気中においても同様に炭素同位体があり,そ
の存在比率は気温によって変化しますので,樹木中の炭素同位体の存在比率と比較しま
すと,気温の変遷が分かるのです。わが国においては未だこの研究においての目覚まし
い成果は少ないが,ドイツやアメリカの研究グループは,国内のヨーロッパモミなどの
炭素同位体の存在比率によって,1000年頃から現在までの夏の気温復元を報告していま
す。
 
 また熱帯季節林に見られる,年輪に似た性質を持つ成長輪が新たな研究対象として注
目され,詳しい解析が行われ始めています。例えば,クマツヅラ科のスンカイ(ボルネ
オ島中央部原産)においては,雨季に木部モクブが肥大成長し,大きな道管が発達します。
この性質に注目し,様々な地域において採集した個体データを標準化してみました。こ
のデータを暦年パターン化出来ますと,これを基に安定同位体を調べたり,年輪が不明
瞭な熱帯多雨林の樹木の安定同位体のデータと比較することなどによって,地球規模で
の気象復元,環境予測の可能性が出て来るのです。
 こうした地球規模での環境調査は,国際学術連合会議において「地球圏 − 生物圏国
際共同研究計画」として1990年に具体化し,現在においても調査研究が続いています。
環境に関する研究が益々国際化する中において,わが国がアジア,環太平洋地域におい
て重要な役割を果たすことが期待されています。年輪気候法が,このような大きな問題
に今後も寄与して行くことは間違いないでしょう。

[次へ進む] [バック]