20a 植物の世界「カタクリの一生を追う」
 
〈昆虫に依存した種子の生産と散布〉
 カタクリの個体当たりの結実数と胚珠当たりの稔実ネンジツ率について観ますと,個体当
たりの生産種子数は,年によって多少のばらつきはあるものの,平均17〜27個の値を示
し,一方,胚珠当たりの稔実率は30.7〜66.7%の値を示します。野外集団の個体におい
て人為的交配を施し,その稔実率を観ますと,84.5〜96.2%の値を執りますので,シー
ズンによる送粉昆虫の活動の差異が,カタクリの結実数と稔実率に大きく関わりのある
ことを明らかに示しています。
 
 ここで,カタクリの種子を注意深く観察して見ることにしましょう。5月中旬,落葉
樹林の林床は上層の樹冠がすっかり展葉してその暗い影を地表面に落とし始める頃,林
の中において目を凝らしてよく見ますと,あちこちにカタクリのやや黄色付いた朔(草
冠+朔)果が点在しています。この時期には,葉はもうすっかり黄化してしまい,これ
がカタクリの果実であるか否かさえ判別するのが難しい。やがて3稜リョウをした朔果が少
し褐色に色付き,やがて大きく割れ目が入り始めます。種子が露出したのを待ちかねた
ように,ムネアカオオアリやヤヤクロアリなど,いろいろなありの仲間が群がって来ま
す。
 長さ1〜1.5o前後の黄褐色の種子の先端には,エライオソームと呼ばれる附属部が付
いており,その中には脂肪酸や高級炭化水素が豊富に含まれ,これらの物質に惹き付け
られてやって来た様々な種類のアリたちによって種子が運ばれています。多くの種子は
一度,アリの巣の中に運び込まれますが,少し経ってから再び巣の外へ運び出され,あ
ちこちに捨てられ,散布されます。エライオソームに含まれる脂肪酸や高級炭化水素を,
果たしてアリたちが利用しているか否かは,未だ定かではありません。
 
〈生物間相互の関係〉
 今日,自然界に存在する如何なる生物の種も,それ自身だけでは決して生きて行くこ
とが出来ません。このような異なる生物間の相互依存の関係は,今日,相互適応とも呼
ばれています。
 カタクリと同一群集団に共存する動物や植物の種間の関係を注意深く観察して見ます
と,そこにはまず一つには,カタクリと競合的関係にあると見なされる生物たち,二つ
目はカタクリに一方的に依存していると見なされる生物たち,三つ目はカタクリと相互
依存的関係を結んでいる,即ち既に相互適応の関係が成立している生物たちの,これら
三つの異なる生物群の存在が明らかとなって来ます。
 
 カタクリにとっての競争者としては,何と云ってもまず,カタクリの個体の生存を直
接脅かす他の植物を考えなければなりません。
 典型的な春植物であるカタクリにとっては,早春の約1カ月余りが,個体の生命維持
と屡々世代維持にとって決定的と云える時期です。カタクリの葉は高さ5p内外の空間
に展開しますので,それより草丈の高い,更に常緑葉を持つ植物が上層の空間を覆って
しまいますと,陽葉型の光合成機能を持つカタクリの葉の光合成効率は,著しく低下し
てしまいます。カタクリの大きな個体群が発達する林床には,3〜4月には極限られた
数の他の草本植物しか生育していませんし,逆にチマキザサやヒメアオキなどの常緑植
物の低木層が発達する場所においては,カタクリの無性・有性個体共に非常に少なくな
ってしまいます。この事実は,光を巡る競争者の有無が他の資源の分布量とも関連しな
がら,カタクリ集団の成立にとって,屡々決定的とも云える影響を与えていることを物
語っています。
 
 食物の上で少なからずカタクリに一方的に依存しているのがカタクリハムシで,その
名の如く,早春に出現するカタクリを含むユリ科植物の葉を食害する甲虫です。しかし
食物の源やその住処が,ある特定の植物の種に限定されてしまうことは,それに依存す
る側にとっても大変リスクが大きくなってしまいます。もし依存する側が過度に宿主又
は食物提供者を死に至らしめるとしますと,究極的には自分自身の生存さえも危うくし
てしまうからです。大半の草食動物が,その食物の供給源として数多くの植物種に依存
していることの意味は,単に植物の種類と量を確保するだけでなく,特定の種類にのみ
過度に依存することを避け,仮にその植物集団が過度に減少したり,個体密度が低下し
たりしても,自らの集団の維持が不可能に陥ることを防ぐことにもあります。
 
 従属栄養の菌類であるサビキンも,カタクリハムシ同様な位置を占めています。春先,
屡々カタクリの葉の裏に点々と黄色の斑点を見かけることがありますが,これはサビキ
ンの胞子嚢ホウシノウ群で,実生や若い栄養段階の個体においては,黄色の斑点に全体が被わ
れて,気息キソク奄々エンエンと生きている様子がよく分かります。このような植物体のいろい
ろな部分への被食や寄生による影響の増大は,必然的に植物の側にも何らかの相対的な
反応を引き起こす可能性を生み出して来たのでしょう。
 
 生殖器官である花の部分においては,動物たちに対する食物の提供と仕事の依頼 − 
即ち,同種の他個体への花粉の運搬や自らの子供である果実や種子の運搬や分散 − を
同時に果たせるような構造と機能の分化が引き起こされました。こうした相互適応的な
分化が生ずる前提としては,まず不特定多数の生物間相互の比較的緩やかな関係が成立
することで,それからやがて特定多数,特定少数の関係へと移行し,そして最後に1対
1の特異的に種間の結び付きが生じたとき,相互適応が確立されていることが多い。何
れにせよ,カタクリに見られます特徴的な形質の多くは,群集構成要素です。様々な他
の生物たちとの深い関わりを抜きにしては,その分化を考えることが出来ません。

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