10a 植物の世界「とげの収支決算」
〈金華山で繁栄する防衛植物〉
金華山キンカザンは,宮城県牡鹿オシカ半島の先端にある面積960haの島です。この島は信仰
の対象であるため,古くから自然がよく残されて来ました。ブナやモミの原生林が残っ
ているほか,動物の殺生も禁じられて来ましたので,シカやサルも自然状態で暮らして
います。中でもシカは体が大きく,現在約500頭もの多数が生息しているため,植物群落
に強い影響を及ぼしています。
この地方においては極普通に見られるタニウツギ,ノリウツギ,ヤナギ,ササなどが
この島においては殆ど見られません。これらはシカが好んで食べるため,そしてこれら
の植物は比較的再生力がないために減少してしまったのです。
これに対して,逆にこの島に特に多い植物もあります。例えばハンゴンソウ,クリン
ソウ,ウラシマソウ,ミミガタテンナンショウ,ワラビ,イワヒメワラビなどです。こ
れらの植物は体内に何らかの二次化合物を含んでおり,毒があったり,臭かったり,苦
かったりするため,シカが好みません。つまり通常の状態においては伸び伸びと生長し,
群落内で優勢になることが出来る無防備な植物は,シカの採食と云う特殊な条件下にお
いては減少してしまうのに対して,前述のようなある種の植物は,防衛に投資している
ために採食条件下において増加出来ると云う訳です。このような防衛は化学物質を含む
ことによって防衛しているので,化学防衛と呼ばれます。
化学防衛に対して,物理防衛をしている植物,つまり刺植物もあり,金華山において
はサンショウ,メギ,キンカアザミなどが目立ちます。サンショウは殊に沢沿いに多い
が,それ以外においても至る処にあります。筆者(高槻成紀氏)は島を歩いて急斜面で
滑りそうになり,慌てて近くにあった木を掴まりましたが,それがサンショウでした。
この島のサンショウの刺は,他の処のものと比べて長く,鋭いようです。
メギは明るい処に多い。ススキ原のような明るい処にガマズミなどと共に生えている
ことが多い。このような場所はシカにとっては格好の餌場ですので,シカが集まって来
ます。何らかの事情によってシカの密度が高くなりますと,ススキ群落は維持出来なく
なって,次第にシバ群落が拡大し,遂にはススキ群落が消滅してしまいます。これと云
った防衛をしていないガマズミもなくなってしまうようですが,刺のあるメギは生き残
ります。その結果,採食圧の最も強い処においては,芝生の中に点々と半球状のメギが
生える,まるで和風庭園のような景観が生じます。メギの刺は葉の変形したもので,短
枝タンシには普通の葉が付き,長枝チョウシの付け根に刺が付きます。
キンカアザミはダキバヒメアザミの変種で,金華山の固有種です。このアザミもスス
キ群落やシバ群落のような明るい処を好みます。その刺は実に鋭く,採集するにも一苦
労します。素手ではとても触れませんので,剪定鋏で葉を適当に除き,それから茎を切
らなくてはなりません。切った後も,剪定鋏で挟むようにして採集袋に入れます。標本
にするために新聞紙に挟んでも,刺が新聞紙から突き抜けてきます。
〈"廃物利用"をする刺植物〉
西日本には各地にシカの居る島がありますので,筆者はその幾つかを訪ねてみました。
そして金華山と同じように化学防衛や物理防衛をした植物に出会いました。物理防衛を
執る植物,つまり刺植物としてホウロクイチゴ,ナガバモミジイチゴ,カラスザンショ
ウ,オイランアザミなどが目立ちました。ホウロクイチゴは西日本の海岸に多い大型の
キイチゴの仲間ですが,この薮の中にはとても入れない程の凄い刺です。場所によって
種類も異なりますが,採食と云う影響下においては同じキイチゴ属,サンショウ属,ア
ザミ属などの植物が目立つようになるのは面白いことです。これとは別にジャケツイバ
ラ,アリドオシ,カンコノキ,クスドイゲなど,暖地に固有の刺植物もありました。
カンコノキの刺は枝が硬くなったもので,ズミなどの刺に似ており,刺としてはあま
り鋭くありませんが,それでも防衛効果はあります。興味深いことに,この刺はシカの
口の届く範囲では密度が高いが,それを超えますと急に低密度になります。
先年,ネパールのランタン谷の高地において放牧地の植生を見る機会がありましたが,
其処でも幾つかの刺植物が目立ちました。殊にカラガナ・スキエンシスの茎上の刺は極め
て鋭く,密生した薮には家畜も入っていないようでした。また,モリナ・ポリフィラはア
ザミをもっとトゲトゲにしたような植物で,葉と云わず茎と云わず,全身これ刺だらけ,
正に刺植物の代表のような植物でした。また高山の芝生状の群落の中にはアストラガル
ス・カンドレアヌスが株状に生育しており,これも触りますととても痛い。この刺は変わ
っており,羽状ウジョウ複葉の羽軸ウジク(羽片ウヘンの軸)が刺化します。その年の葉の羽軸
は緑色で軟らかいが,前年のものは葉を落とした後も枯れず,硬くなって刺となります。
これが当年の葉と並んで密生していますので,葉を食べようとする草食動物の口や鼻先
に当たりますと大変痛い。自らではなく,翌年の葉を防衛していると云う点において変
わった刺と云えます。刺を作ることも生産物の投資であり,アザミなどは可成りの部分
を刺に分配しています。そう考えますとこの植物は生産を終えた前年の器官,つまり一
種の廃物を有効利用していると云えます。一方,ヒッポファエ・ティベタナは古い枝が刺
化したもので,大変硬く,触るととても痛い。このほかメギ属やバラ属なども多かった。
〈動物たちの棘トゲ〉
[とげ]は植物に限りません。動物界においても脊椎動物,無脊椎動物を問わず広く
見られます。動物の場合,同じ突起物でも器官の機能に応じて呼称が異なり,頭や顔に
あれば角ツノ(カブトムシ),口器にあれば牙(クワガタムシ),前脚にあれば刃(カマ
キリ)などと使い分けられます。従って動物の棘トゲと云う場合は,角や牙以外の突起と
なります。
哺乳類においてはハリネズミ,ヤマアラシなどが代表的な例で,棘は体毛の変化した
もので,細長く,針状です。魚類にはトゲウオ,ハリセンボンなどがいます。昆虫にも
様々な棘を持つものがいます。トゲハムシは全身棘だらけです。カミキリムシの胸部に
は棘を持つものがいます。カブトムシの脚(殊に脛節ケイセツ)には棘のあるものが多い。
バッタ,ナナフシ,カメムシなどにも全身棘だらけのものがいますし,チョウやガの幼
虫にも棘を持つものがいます。またエビやカニの甲羅コウラには棘のあるものが多いし,ウ
ニは正に棘の塊です。動物の棘は虚仮威しコケオドシを含めて自分を守るのに役立っており,
植物同様,基本的な機能は防衛にあるものと思われます。ただし,ツノゼミのような例
では突起は角ですが,全身が植物の刺のようになっていて,寧ろ擬態ギタイによる隠蔽イン
ペイ効果を持つと考えられます。
以上にように,自然界には実に様々なな「とげ」があります。その機能も様々ですが,
他の動物に食べられることに対する防衛機能が重要であることは間違いなさそうです。
[とげ]は一部の生物に見られるやや特殊な器官ですが,植物,脊椎動物,無脊椎動物
と云う広範な生物に共通に見られると云う点において普遍性も大きい。陸上動物と水生
甲殻コウカク類と云う全く異なる生活をする生物にそっくりな器官があると云うのは驚くべ
きことと云えましょう。このことは生物が生きて行く上において,外敵に食べられると
云うことが重大な問題であることを示唆しているのです。
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