09 植物の世界「富士山を這い上がる森」
 
           植物の世界「富士山を這い上がる森」
 
                      参考:朝日新聞社発行「植物の世界」
 
 富士山は,周辺の山々,特に北アルプス,南アルプス,八ヶ岳に比べますと,若い山
と云えます。小御岳コミタケ,古富士コフジなどが8万年の間噴火を重ね,段々高さを増して
今日の富士山になりました。約290年前に最後の大きな噴火があり,そのとき出来たのが
宝永ホウエイ山です。
 周りの山々においては標高2800〜3000m付近まで森がありますが,富士山においては
2500m辺りで森がなくなり,其処から先は,火山噴出物のスコリアの上に背丈の低い多年
草の草本植物が疎らに生える火山荒原になっています。このような裸地においては,新
たな植物が常に侵入の機会を狙っています。上昇気流や風によって運ばれた多くの植物
の種子が,地中に埋まって発芽の機会を窺っていることは,幾つかの調査から明らかで
す。更に,富士山は太平洋に面していて平均気温が周囲の山々よりも高く,雨量も豊富
であるため,将来は,同じように標高の高い位置まで森が進出して行く筈です。今日,
進行中の植物の"山登り"を,出来るだけ最近のデータに基づいて描き出してみましょう。
 
〈風に流される礫を止める〉
 富士山においては森林限界(森の最先端部)より上は,細かい軽石のような礫レキ,ス
コリアと云う土壌によって出来ています。急な斜面においては,スコリアは重力や風,
雨,雪などによって上から下へと動き,植物は何らかの防衛策を執りませんと極めて生
きにくい。
 激しいスコリアの移動にも拘わらず,まず根を下ろすのはアブラナ科のフジハタザオ,
キク科のミヤマオトコヨモギなどです。彼等は礫の動きに身を任せて生きる「礫移動順
応型」です。礫の移動に合わせて,根の形態を変化させたり,流されても直ちに根を再
生する能力を持ったタイプです。
 
 ところが,地中に大型の根系を伸ばして礫の動きを止めようとする植物もあります。
「礫移動阻止型」です。「順応型」がある程度生育して地表面の動きが落ち着いたとこ
ろで進出する植物に多く,タデ科のオンタデやイタドリがその代表的なものです。オン
タデは真っ直ぐな根を深く速く伸ばし,イタドリは地下茎を水平方向に伸ばして地表面
をカーペット状に押さえる働きをします。オンタデやイタドリが放射状に生長する頃に
は,地表面はあまり動かなくなるのです。森林限界付近の多年生草本植物は,この何れ
かのタイプに属しています。
 
 ところで,フジハタザオはベニバナイチヤクソウ(イチヤクソウ科)と共に富士山の
高山帯においては,数少ない常緑の草本植物です。
 フジハタザオの生育している斜面を雪解け直後に調査しますと,礫に埋もれていたり,
礫に洗い流された根が露出していたりします。そして,多くの個体が表層の移動と共に
移動した跡が見られます。大きく移動する個体は細根が切れてしまう可能性が高く,実
際に切断された細根が多数観察されました。高山植物の特徴の一つに,短い光合成可能
期間をカバーするために,地下茎や根に多くの貯蔵物質を蓄え,それを植物体の生長な
どに振り向けることが知られています。しかし,フジハタザオのように礫の移動と共に
毎年,根の一部が切れてしまうようでは,貯蔵物質が旨く利用出来ないことになってし
まいます。
 この点を旨く補っているのが常緑性と云う性質です。常緑植物の有利な点は,雪解け
直後から直ちに光合成を始められることです。フジハタザオの葉の光合成能力と貯蔵物
質量の年変化を測定したところ,葉は多くの糖類を蓄えていました。また,この糖類は
花茎カケイの伸長や種子の生産に消費されていることや,常緑葉が入れ替わる夏の終わりに
新しい葉を作るために用いられていることも分かりました。ちぎれてしまう根に貯蔵物
質を蓄える代わりに,長期間光合成が出来,しかも倉庫代わりにもなる葉を持つと云う
性格を獲得することによって,移動しやすいスコリアの土壌においても生きられる訳で
す。
 
 一方,オンタデの直根は,大型の個体では長さ1m以上にもなります。イタドリは鉛筆
位の太さの地下茎を縦横に伸ばし,放射状に個体を広げてパッチと呼ばれる群落を作り
ます。植物体の地上部には葉や茎が,地下部には地下茎や根がある訳ですが,この地上
部と地下部の重さの比をT/R比と呼んでいます。T/R比の値が小さければ小さい程,
地下部により多くの植物体が存在することを意味します。オンタデやイタドリのT/R
比は0.5〜0.7位で,これは平地の植物に比べ遥かに小さい値です。しかも幾つかの個体
を掘り起こして調べてみますと,地下茎には貯蔵物質が多量に蓄えられていることが分
かります。貯蔵物質は主として,澱粉や糖類,ヘミセルロースなどで,普通,地下貯蔵
物質は春先に地上部が生育するときに大きく減少します。地下茎は土留めをして自他の
植物の定着を図るだけではなく,地上部の生長に大きな役割を果たしているのです。
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