36 植物の世界「植物の有毒成分 そして薬への利用」
 
       植物の世界「植物の有毒成分 そして薬への利用」
 
                      参考:朝日新聞社発行「植物の世界」
 
 タンザニアを拠点に30年余りチンパンジーの研究をしている京都大学のグループは,
病気のチンパンジーが特定の植物を食べて健康を回復していることを見出しました。森
の中において多くの植物に囲まれて生息している彼等は,食用とは別に,薬用としての
植物を選別する能力を身に付け,何らかの形でその知識を仲間に伝達したのでしょう。
しかし,その過程において有毒植物に遭遇することは避けられなかった筈です。
 
〈古代人もハナヒリノキで中毒〉
 植物は,自分自身の身体を形成し維持するための基本的な成分(一次代謝産物)の他
に,種々の酵素によって生成された,より複雑で微量な成分(二次代謝産物)を含んで
います。こうした微量成分は,植物の根だけに,葉だけに,花だけにと存在部位が限ら
れているものや,季節や産地によりその含量が多くなったり減少したりと変動するもの
もありますが,多くは種毎に共通で,植物の分類に利用されることもあります。人類も
チンパンジーと同様に,その植物成分が有用であると気付いたときから食用又は薬用と
して採り入れ,一方において犠牲を伴う損傷や直接的な不快感から有毒なものがあるこ
とを知りました。その経験が身近な者へと伝えられ,イヌ,ヒツジ,ウマ,ウシなどの
家畜が被る中毒が経験の一部として加わり,文字の発明後は記録として残されました。
 
 現在の人の生活圏の中において身近に接することの多いツツジ科の植物に関して残さ
れている記録を辿って見ましょう。紀元前4世紀頃,ギリシャの哲学者であり軍人であ
ったクセノフォンは,ペルシャ王子キュロス(小キュロス)のペルシャ遠征の事績を書
き綴った『アナバシス』の中において,コルキス人の住む山岳地帯の村において起こっ
た出来事を次のように記録しています。「兵士たちが蜂蜜を食べると錯乱状態に陥り、
少量摂取したものはしたたか酒に酔った者のごとく、多量に食べた者は狂人のごとくな
り、瀕死ヒンシの状態に陥る者すらあった。こうして多数の者が倒れ、まるで戦いに負けた
ように士気が沈滞したが、一日後の同時刻に正気に返り、(中略)この中毒はハナヒリ
ノキやツツジ属の植物の蜜から採った蜂蜜に起因する」と記録しています。ハナヒリノ
キはわが国にも自生する落葉低木で,葉の粉末が鼻に入りますと皮膚粘膜を刺激し,激
しいくしゃみが出るのでこの名が付けられています。昔からその毒性を利用して,葉の
煎汁センジュウを家畜の皮膚寄生虫駆除薬に,乾燥粉末を蛆虫ウジムシの駆除薬に使用して来ま
した。
 
 またアセビは,本州中部地方以西の丘陵に多い常緑低木で,牛馬がこの葉を食べると
酩酊状態になるので「馬酔木」と書きます。アセビに近縁のネジキは,島根県三瓶サンベ
地方においては放牧地帯に生育し,牛馬が食べて中毒を起こす「霧酔ムスイ病」として知ら
れています。ツツジ科の植物による家畜の中毒は日本国内だけでなく海外においても屡
々発生し,ボルトンは,毎年霜や雪の影響によって牧草の少なくなる冬季,或いは天候
不順によって植物の生産量などに変化が生じた時期に事故が集中している,と述べてい
ます。北アメリカにおいては,色の美しさに惹かれて子供が花をしゃぶったり,葉をお
茶にして飲んだ事故も報告されています。
 
 有毒成分の化学構造式が明らかにされたのはシャクナゲの一種ロドデンドロン・マクシ
ムムのアンドロメドトキシンが最初で,その後,ハナヒリノキのグラヤノトキシン類,
アセビのアセボトキシン類,レンゲツツジのロドトキシン,ネジキのリオニトキシンが
解明されました。何れの化合物もジテルペンと云う構造が骨格になっています。園芸用
に栽培されているカルミア・アングスティフォリア,カルミア・ラティフォリアなども有
毒物質を含んでいます。
 
〈狩猟用の矢毒から始まった利用〉
 人類が有毒植物を利用出来ることに気付いたのは,どれ位前であったでしょうか。
 紀元前2181〜前2050年の古代エジプトの遺跡から,茶色がかった水溶性のガム状物質
を塗った矢尻が見付かっています。この物質は,キョウチクトウ科のアデニウム属とア
コカンテラ属,それにガガイモ科のカイガンタバコ属の植物に含まれている有毒物質と
推定されていて,何れも強心作用を持ちます。このように矢毒には,世界のあちこちに
おいて実に様々な植物が用いられており,有毒物質の性格も千差万別です。記録されて
いる最古の矢毒は,紀元前1200〜前1000年に編まれたバラモン教の聖典『リグ・ヴェーダ
』に残されているキンポウゲ科のトリカブト属の植物です。古代ローマにおいては矢毒
だけでなく,生肉にトリカブト類の塊根カイコンを擦り込んでオオカミ猟に使っていました。
 
 一方,アイヌの民俗誌に拠りますと,彼等はクマ,クジラ,アザラシ,オットセイな
どの狩りに矢毒を使用しました。十勝地方においては,鋭く尖らせた矢の先端に溝を付
け,其処に矢毒を塗りました。その主な原料はエゾトリカブト,オクトリカブトなどの
塊根で,矢毒の製法は各々の家伝来の工夫がされています。晩秋に採集した根茎を一纏
めにして,長さ1m程のカヤの束の中に包み込み,炉の棚の上で乾燥させます。乾いたら
石の上で突き砕き,水や唾液を加えて泥状にします。この毒の威力を調べるには各人に
秘訣があって,ある者はこれをササの葉に塗って舌の先に貼り,葉を通して舌に受ける
刺激によって試みました。またある者は,左手の小指と薬指の間に挟んで,そのときの
痛さの程度によって判断し,ある者は股の間に挟んでみるなどしました。
 更に,別の有毒物を混ぜて矢毒をより強力にすることもありました。混ぜるものも家
伝によることが多く,ヒロハテンナンショウ(サトイモ科)の球茎,カモメヅル属(ガ
ガイモ科)の植物の根茎,ハナヒリノキ,ニガキ(ニガキ科),タバコ(ナス科)など
の煮汁や,マツモムシ,メクラグモなどの昆虫,アカエイなど魚類の毒を用いました。
 
 トリカブトの有毒性は,アコニチンと呼ばれるアルカロイド系の物質によりますが,
その致死量は大人で3〜6mgです。ヨーロッパ産のアコニトゥム・ナペルスなどは,新鮮
な葉や茎にアコニチンを0.2〜2%も含み,数gを口にしただけで危険な種です。ただし,
インドには猛毒性の種も無毒な種もあり,同じトリカブトでも毒性の強さは様々なです。
わが国においても過去10年間に2回,蜂蜜による中毒事件が起こり,アコニチンを含む
トリカブトの花粉が検出されました。また,芽生えのときのトリカブトは,山菜として
好まれる同じキンポウゲ科のニリンソウによく似ているため,誤って採集されることが
あり,お浸しや味噌汁の実として食べてしまった死亡事故が報告されています。
 
〈中国においてはトリカブトを薬に〉
 欧米においてはトリカブトはあくまでも有毒植物であり,特に18世紀以降は強く注意
を促されています。それに対して中国においては,有毒性を撓タワめて薬として利用する
方法を考えました。未だ有毒成分が分からなかった宋ソウの時代から,アコニトゥム・キネ
ンセの栽培が行われていました。それまでの経験から,毒性が低く強心作用の大きい11
月に採取し,加熱のほか,苦汁ニガリや塩水を用いて更に弱毒化しました。これらの処理
によって中国医学やわが国の漢方においては,重要な生薬ショウヤクとして用いられて来まし
た。「烏頭ウズ」はこの植物の母根で神経痛などに,「附子ブシ」は子根で強心,利尿,
強壮などの目的で使用しました。朝鮮半島産のキバナトリカブトは,硫黄によって晒し
たものが「白附子ハクブシ」の名で片頭痛などの薬として用いられますが,最近,アコニチ
ンなどを加熱して変化させた成分の一種であるベンゾイルメサコニンに,細胞性免疫力
を高める効果が観察されました。
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