34 植物の世界「虫瘤コブの話」
 
             植物の世界「虫瘤コブの話」
 
                      参考:朝日新聞社発行「植物の世界」
 
 植物の葉や茎に出来る様々な変形は,昔から自然の不思議さを象徴するものでした。
果実のようで果実ではありません。中に虫が居ることもありますが,空のこともありま
す。同じ木なのに出来る年と出来ない年があります。まるで瘤コブのような,あれは一体
何でしょうか。
 えい(病垂れ+嬰,ゴールとも)と呼ばれるそれらの構造物は,虫えい,線虫えい,菌
えい,細菌えいなどを含み,「ウイルス,細菌,菌類,植物,動物などの影響の下に植
物組織が異常成長をし,それを誘導した生物に隠れ家と餌を与えるもの」ですが,えい
形成のメカニズムについては,未だよく解明されていない点が多い。えいは植物とえい
形成者の相互干渉の結果形成されるものであり,その形態は両者の遺伝子型によって決
定されています。
 えい形成は昆虫だけでなく,ダニや線虫,菌類など様々な分類群の生物(フシムシ)
によって誘導されますが,えい形成者として最も多様でまた普遍的に見られるものが,
昆虫です。本稿においては,昆虫によって誘導される虫えいチュウエイを中心に紹介してみま
しょう。
 
〈虫と植物の軍拡競争〉
 ウルシ科のヌルデの葉には,秋になると長さ3p程の袋状の虫えいが形成されること
があります。これを五倍子ゴバイシ(付子フシ)と呼びます。
 ヌルデに五倍子を形成する昆虫はヌルデオオミミフシアブラムシなど数種のアブラム
シです。これらのアブラムシは,寄生する植物(宿主シュクシュ)を一生の間に取り換える(
宿主転換)と云う複雑な生活史を持っています。
 蘚セン類のチョウチンゴケ属の上において越冬した幼虫は,4月に有翅雌ユウシメスとなって
宿主のヌルデに移住します。
 この雌(幹母カンボ)は樹幹部において吸汁キュウジュウ しつつ,雄と雌の無翅虫ムシチュウを産
みます。これらの無翅虫は交尾をし,6月になると雌は1匹の幼虫を産みます。この幼
虫は雌で,ヌルデの新梢シンショウに移り,吸汁しつつ虫えいを形成します。雌虫はその中に
単為タンイ生殖によって仔虫コムシを産み続けます。虫えいは9月になりますと急激に肥大し,
10月に虫えいの先端部が裂開して有翅雌が飛び出し,チョウチンゴケ類に移住します。
この雌は単為生殖によって幼虫を産み,この幼虫が越冬に入るのです。生殖が行われる
ヌルデを一次宿主,有性生殖なしで越冬に利用されるチョウチンゴケ類を二次宿主と云
います。タンニン採取のために虫えいが採取されるのは,9月下旬の虫えい裂開前です。
 
 虫えいと人との生活の結び付きは,東洋においても西洋においてもタンニンの利用と
云う点が最も大きい。五倍子を採取して粉にし,鉄分を含む水と混ぜますと,虫えいが
含むタンニンが第二鉄イオンと不溶性であることから,黒い沈殿が生じます。かつては
これで歯を染めて「お歯黒」としていました。ヨーロッパにおいてはナラ類の芽に出来
る虫えいのタンニンを利用して,髪の毛や衣類を黒く染め,またインクの製造にも用い
ました。この虫えいはわが国においても同様の目的で利用されたことがあり,没食子モッ
ショクシと呼ばれました。
 タンニンは不溶性の黒い第二鉄塩を作るだけでなく,蛋白質やアルカロイドを沈殿さ
せる働きがあります。そのためタンニンは植食ショクショク性昆虫(植物を食べる昆虫)の消
化酵素の働きを阻害します。この性質を利用して,ブナ科などの木本植物は虫えいを形
成する植食昆虫に対する防御物質として,タンニン蓄積の仕組みを進化させて来ました。
これらの植物は化学防衛を巡る虫えい形成者との"軍拡競争"によって,特に虫えいに多
くのタンニンを蓄積するようになったのです。
 
〈進化のせめぎ合い〉
 虫えいは,変動する激しい外部環境から隔離された,安全で安定した隠れ家です。し
かし虫えい内の住人は必ずしも常に安全であるとは云えません。虫えい形成者はそれぞ
れに特殊化した寄生バチの攻撃から免れておらず,また鳥などの捕食もあります。
 植物と虫えい形成者は,お互いに対抗しつつ,様々な方法を進化させて来ました。タ
マバチが形成する虫えいの中には蜜を分泌するものがありますが,この蜜を舐めに来る
アリによって,このタマバチは寄生バチの攻撃から守られている可能性が考えられます。
またナラリンゴタマフシのように虫えいが赤く色付きますと,鳥によって内部の幼虫が
食われやすくなると云う影響が考えられます。
 
 虫えいの形態は,植物と虫えい形成者双方の遺伝子型によって決まりますが,そこに
はその他の環境要因,例えば捕食者や寄生者との関係が強く影響しています。虫えいの
壁の厚さも,寄生バチの産卵管の長さを超えようと進化して来た筈です。植物と虫えい
形成者との進化のせめぎ合いは,このような数多くの生物間の複雑な種間関係の影響を
通して決定されています。
 虫えい形成者は栄養段階から観ますと植物寄生者ですが,その進化の道筋は多様です。
植物組織を吸汁する生活から虫えい形成を誘導するようになったものに,アブラムシ科,
アザミウマ科などがあります。また,葉を食べる生活から虫嬰形成者になったものに,
ハバチ科やゾウムシ科などがあります。植物の組織内に食い入る生物には潜葉虫センヨウチュウ
や穿孔虫センコウチュウがいますが,それらの一部も虫えい形成を誘導します。ハモグリバエ
科,ミバエ科,キモグリバエ科などがその例です。腐食から虫えいの中の植物寄生に移
行したものにタマバエ科とフシダニ科があります。昆虫寄生から植物寄生に転換して虫
えい形成者になったものがタマバチ科です。
 
 多くの虫えい形成者は宿主特異性が非常に高く,その虫えいの形態も種の特徴を強く
反映します。1種の宿主植物に複数の虫えいが付く場合には,虫えいの呼び名は,宿主
植物名に形成部位,形状を付け,語尾に「フシ」と付けます。この虫えいの名前に虫え
い形成者の分類群の通称を付けたものが,虫えい形成者の和名となります。例えばブナ
ハマルタマフシと云いますと,ブナの葉に付く丸い球状の虫えいで,その虫えい形成者
であるタマバエの仲間はブナハマルタマフシタマバエとなります(現在はブナマルタマ
バエと改称)。
 
〈イワナを"産む"虫えい〉
 タマバエ科は,カを小さくしたような弱々しいハエ目(双翅ソウシ目)の昆虫です。タマ
バエは様々な植物の芽,葉,果実,茎などに様々な形態の虫えいを形成し,日本産の虫
えいの中において最も種類の多いものです。80種ものタマバエが虫えいを作るキク科を
始め,ブナ科,ヤナギ科,マメ科,イネ科など,タマバエ科の虫えいが多く見られる植
物は幾つもの科に亘っています。
 ブナ属は特に多くの種のタマバエの虫えいが形成されることで有名で,ブナ1種に26
種類の虫えいが作られます。その虫えいの形態は半球状,紡錘ボウスイ形,楕円体など多様
です。生活史も多様ですが,ブナに付くタマバエの多くは,ブナの芽吹きの頃,展開中
の柔らかい葉に産卵します。葉の展開と共に消しえいは成長し,それにやや遅れて虫え
いの中の幼虫は秋まで成長します。虫えいは葉に付着したままの状態で落下し,その中
のタマバエは幼虫態で越冬し,翌春に蛹化ヨウカし,ブナが芽吹く頃羽化ウカするのです。
 
 ササウオタマバエは,イネ科のササ属の芽に魚の形をした虫えい(ササウオ)を形成
します。ササウオは日本海側の山地を中心に見られ,渓流近くのササの桿カン(茎)の先
端にササウオが垂れて付く様子から,ササウオからイワナが生まれると云う俗信が生じ
ました。
 江戸時代の本草家木村蒹葭堂ケンカドウは,「飛騨ヒダの国の山中に生ずる篠ササありて、春
の下旬にいたりて、篠の節よりして筍ササノコを生ず。其形恰も魚の如し。斯カクて五月雨サミ
ダレふりつづく頃、自ら落て渓タニに入、化して魚となり、水中を游オヨぐ。是を岩魚イワナと
いひ篠魚ササウオといふ」と書いています。
 ササウオタマバエの幼虫は数年間も長期休眠することが知られており,1頭の雌から
生まれた幼虫の間においても休眠期間が個体によって異なります。この休眠期間の個体
変異は,ササの萌芽ボウガ数が年によって変化することや開花に伴う一斉枯死に対する危
険分散の適応と考えられます。
 
 アブラムシは口吻コウフンを篩管シカンに突き刺して篩管液を吸汁するカメムシ目(半翅ハンシ
目)の昆虫ですが,そのうちのタマワタムシ亜科などのアブラムシが虫えい形成を誘導
するようになりました。吸汁刺激を受けた植物組織は異常成長し,アブラムシを取り囲
むように虫えいを形作って行くのです。
 マンサク科のイスノキは8種ものアブラムシの虫えいが出来る樹木です。モンゼンイ
スアブラムシが形成する虫えいは長さ8pにも達し,硬い果実のようになります。この
アブラムシも二次宿主を持っており,秋になりますとイスノキを去って二次宿主のアラ
カシやシイに移り,春にまたイスノキに戻って来ます。虫が脱出して空になったイスノ
キの虫えいは猿笛サルブエと呼ばれ,子供等は虫えいの開口部を口に当てて笛を吹きまし
た。イスノキのことをヒョンノキと呼ぶのは,この虫えいを巡る風習の名残です。この
ほかに,ケヤキ,サクラ,ニレ,ハンノキなどにアブラムシの虫えいがよく見られます。
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