27a 植物の世界「植物の窒素固定」
 
〈根粒形成のメカニズム〉
 マメ科植物の根粒は,植物と根粒菌の共同作業によって形成されますが,其処では菌
と植物の間において,分子レベルの情報交換が行われています。植物は様々な代謝産物
を生産して,生き残りのための化学兵器としています。これらは病原菌に対する抵抗性
物質,昆虫を誘引する物質,他の植物の生長を抑制する他感作用物質など,様々な機能
を示します。
 このような物質の一つに,通常は昆虫誘引物質などの機能を持つフラボノイドと呼ば
れる一群があります。マメ科植物の種子には様々なフラボノイドが含まれており,発芽
時に土壌中に放出されます。この物質は,根粒菌の細胞内に入りますと,根粒菌の根粒
形成に関与する遺伝子群(nod遺伝子群)の発現を促します。暫くしますと,根粒菌の
nod遺伝子群は,Nodファクターと云う糖と脂肪酸の複合化合物を生産して分泌します。
この化合物はマメ科植物の根の根毛に作用し,既に菌の感染を起こして細胞分裂を停止
している根の皮膚細胞の分裂を開始させ,根粒組織の完成を誘導します。
 
 ところで,特定の根粒菌は特定のマメ科植物にだけ根粒を作ることが出来,これは根
粒菌の宿主シュクシュ特異性と呼ばれています。現在までに,Nodファクターは,アルファル
ファ,エンドウ,インゲンマメ,ダイズ,セスバニア・ロストラタのものが構造決定され
ていますが,各構造には微妙な違いがあることが明らかとなっており,この構造の違い
が宿主特異性を決定している主な要因と考えられています。
 マメ科と全く同じタイプの根粒が,ニレ科のパラスポニア属において発見されていま
すが,インドネシア産の樹木であるパラスポニア・アンデルソニイから分離された根粒菌
は,70種にも及ぶ様々なマメ科植物に根粒を作る奇妙な根粒菌として知られていました。
この根粒菌のNodファクターも構造解析され,またこの物質が様々なマメ科植物に根粒
を作らせることが確かめられました。この根粒菌は,宿主特異性の研究だけでなく,農
業利用(後述)と云う観点から,大変興味深いものとなるでしょう。
 
 根粒の形成は,根粒菌によって生産されたNodファクターが引き金となりますが,そ
の後の成熟は,主として植物側の遺伝子の発現によって進行します。根粒菌の進入後に
作られる植物側の蛋白質はノジュリンと総称されますが,これらは根粒の成熟と共に段
階的に生産されて行きます。ノジュリン蛋白質として最も有名なものは,日本人(久保
秀雄氏)が発見したレグヘモグロビンです。これは「マメ科植物が作るヘモグロビン」
と云う意味で,その構造や性質,機能は,脊椎セキツイ動物の赤血球中の酸素を運ぶヘモグ
ロビンによく似ています。
 
 ところで,窒素固定を行う酵素蛋白質のニトロゲナーゼは,酸素がある状態において
は活性を示しません。これに対して,根粒菌は大量の酸素を必要とする細菌です。根粒
は植物の細胞の中において,根粒菌が多数入った細胞と,根粒菌の入っていない細胞が
入り組んだ状態となった組織ですが,レグヘモグロビンは根粒菌の周りにあって,根粒
菌に酸素を供給すると共に,ニトロゲナーゼの活性の発現を助けています。
 根粒菌の感染は絶え間なく起こり,放って置きますとおびただしい数の根粒が出来て
しまう筈です。しかし根粒は,根のある部位において根粒が出来ます(皮層細胞の分裂
が起こる)と,その周辺の皮層細胞の分裂を抑制すると云う方法で根粒の数をコントロ
ールしています。この根粒の数をコントコールする物質は,植物の地上部において作ら
れ,根において作用することが分かっています。しかし,物質の化学構造は未だ解明さ
れていません。
 
〈地球環境に関連〉
 地球温暖化,フロンによるオゾン層の破壊など,地球環境の危機が政治的,経済的話
題になりつつあります。窒素固定は,このような環境問題とも大変大きな関わりのある
反応なのです。
 化学肥料と云いますと窒素,リン酸,カリと云われますように,この三つは植物にと
って最も大量に必要な元素です。これらの化学肥料は,様々な化学形態のものが,肥料
会社において製造されています。
 1992年の統計においては,世界において消費される化学肥料は,年当たり窒素約7500
万t,リン3600万t,カリ2400万tと,窒素が最も多い。単位重量当たりの製造エネルギー
を観ますと,窒素肥料は1s当たり1万3700キロカロリー(アンモニアについての値)
を要し,リンやカリの約6.5倍が必要です。
 従って,肥料生産のためのエネルギー消費の殆どが値窒素肥料製造に向けられている
と云えます。最近の見積もりでは,肥料生産のために年間約7億バレルの石油(石油換
算量)が消費されていると報告されています。これはわが国の原油輸入総量約16億バレ
ルの約45%に相当します。生物的窒素固定は,そうした人為的エネルギーを必要としま
せんので,これを活用した農業が拡大されますと,二酸化炭素による地球温暖化の速度
を少し遅くすることが出来るかも知れません。
 
 一方,窒素肥料の利用は,田畑において生じる別の化学反応においても,地球の温暖
化を促進しています。田畑に施された窒素肥料の一部は,亜酸化窒素ガス(N2O)とし
て大気中に放出され,温暖化のみならず,オゾン層の破壊にも関与していると考えられ
ています。その点,生物的窒素固定においては,共生細菌が必要な量の窒素を固定し,
植物はそれを放出することなく利用しますので,亜酸化窒素ガスを発生させないと考え
られます。
 更に窒素肥料の消費は,地球温暖化とは別な面から,環境汚染を引き起こしていると
云えます。田畑に施された窒素肥料は,その約40%が硝酸や亜硝酸の形で河川や湖沼,
海に流失すると云われ,これらの環境の汚染源となっています。生物的窒素固定が活用
されますと,このような汚染も軽減すると予想されます。
 
〈マメ科以外の作物に〉
 様々な遺伝子組み換え植物が,大学などの研究室において作り出されていますが,組
み換え植物を農業の現場において栽培し,食用にするまでには未だ時間を要すると予想
されます。本稿においては作物の実用化に関する諸問題には触れず,遺伝子組み換えの
技術を用いて,窒素固定能力をマメ科植物以外の作物に持たせる可能性について述べま
す。
 
 世界において最も大量に生産されている穀物はイネとムギですが,これらイネ科植物
には窒素固定能力はありません。これまで,イネやムギに窒素固定能力を持たせるのは
難しいと考えられて来ました。実際,1970年代から80年代にかけて10年近く,わが国に
おいては農林水産省と文部省がそれぞれ大型プロジェクトを組み,この研究に当たりま
したが,根粒菌の感染のメカニズムが解明出来ず,実現しなかったと云う経緯イキサツがあ
ります。
 ところが,ここ数年の研究によって,特定の根粒菌を用いたり,根を化学処理するこ
とで,イネにも根粒に似た構造体を作る能力があることが明らかになりました。また,
マメ科植物以外の植物にも,根粒形成に関わるノジュリン遺伝子の多くが存在している
ことが確かめられました。従って,イネやムギにも,マメ科植物の極僅かな種類の遺伝
子を組み込むことによって,根粒形成能力を持たせることが出来るものと考えられます。
 筆者は現在,マメ科植物において根粒形成の鍵になる遺伝子を,分子生物学的方法に
より探索しています。また,イネに他の遺伝子を組み込む方法も確立とつつあります。
近い将来,イネやムギを,窒素肥料を与えずに生産出来るようになるかも知れません。

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