この体験記はアマチュア女装交際誌『くいーん』編集部の求めによって執筆し、緑川りのさんとの往復エッセイ形式で同誌113号(99年2月発行)に掲載されたものに、加筆修正を加えたものです。掲載ヴァージョンとの最も大きな違いは執筆時以降の展開を書き加えた点です。(99年4月21日作成)
『くいーん』誌上でこの体験記とペアで掲載された緑川りのさんのエッセイ(緑川りのさんの個人サイトの中にあります)もご参照ください。(99年6月11日付記)
多くのトランスヴェスタイトたちとは違い、女性用の衣服や下着に特別な関心を持ったことなど一度もなかったが、「女になりたい」あるいは「女でありたい」という願望は幼い頃から多少なりともあった。もしも生まれ変われるものならばその時は絶対に(たとえ男の目から見て不細工であったとしても)女になりたいと思っていたし、今でもそう思っている。だが私が女性ホルモンに強い関心を抱き、そして使用し始めるに至ったのは、「女になりたい」からでも女性的な乳房が欲しいからでもなく、もちろんきれいになりたいからでもなく、「男でありたくなかった」からであり、換言すれば、性欲も含め男である自分の肉体に対する嫌悪感と絶望感からだった。思春期の頃、自分の肉体が大人の男たちと同じようなものに変化し始めた時の絶望感は、とても言葉では表せない。男の肉体だけは私の精神を縛りつけようとする牢獄だったのだ。
以下、(99年4月の時点で)2年余りにわたるホルモン使用を通じて私の肉体がどう変化し精神がどう揺れ動いていったかを、時間軸に沿って振り返ってみる。97年3月
あらかじめ下調べしてあった産婦人科医院に行く。受付はスムーズ。特に変な顔をされることもない。定期的な内臓検査が必要だとかの注意を受けた後、注射を1本打ち、錠剤をもらう。意外に思ったのは、錠剤には皮膚病の治療という名目で保険がきいたこと。4日分で200円。注射には保険はきかず1本2000円。1日おきにきてほしいと言われ、戸惑う。普通は週1本くらいのペースだということをホルモンを打っている友人たちから聞いていたからだ。とりあえず医者の言う通りにする。2週間経った頃、乳首にしこりができているのに気づく。小学校高学年の頃、男の子も乳首にしこりができる時期があるが、ちょうどそんな感じだ。4月
2日に1本のペースに不安を感じる。打ち始めて3週間経った頃からは、同じ医院に通っている知人の助言に従い、4日に1本のペースにする。担当医師に薬の詳細(製品名等)を尋ねるが、ひとこと「毒だよ」と言われただけで後は何も答えてもらえない。不信感を抱く。お化粧をして仕事に通い始める。5月
これまで通っていた医院はやめ、別の知人の紹介の産婦人科医院に行く。担当医師と相談の上、卵胞ホルモンの注射を週1本打ち、ピル(卵胞ホルモンと黄体ホルモンの混合薬)を1日1錠服用することにする。製品名も教えてもらう。注射はプロギノンデポー10mgで、1本2000円。ピルはドオルトンで、3週間分で2500円。保険はきかない。投薬し始めて2か月経つ頃には、わずかだが胸がふくらみ始めている。性欲は減退し始めた。投薬前は週2回の頻度でオナニーをする必要があったのに、まったくする気がしない。試しにやってみると快感はそれなりにある。6月
乳首がシャツで擦れて痛い。睾丸が小さくなっている。7月
胸のふくらみが目立ち始める。走ると揺れるので妙な気分だ。日常的にブラジャーを着用し始める。ブラをつけていないと落ち着きが悪いのだ。胸だけでなくお尻、おなか、腰などにも脂肪がつき始め、体全体が丸みを帯びてきている。つめが割れやすくなった。脂っこいものを食べると吐き気がすることが多い。8月
胸はAカップ弱。自分の裸体を鏡に映すのが楽しみになる。あんなに大嫌いだった男性的な肉体が変化し始め、自分の精神にふさわしい肉体を手に入れつつあるという満足感。女性的な乳房が欲しいなどとは思っていなかったはずなのに、胸がふくらんでいくことに喜びを感じ始めているらしい自分に驚く。気がつくといつも自分の胸をさわっている。10月
胸の大きさはAカップのブラでピチピチの状態。衣服の上からでも目立つ。他のホルモン使用者と比べて自分の胸が大きいらしいことに気づく。何だか誇らしい気持ちだ。11月
注射の頻度を週2回にする。ホルモンと同時期に始めた永久脱毛も順調で、もともと色白でもち肌だった自分の肉体がいとおしくてたまらない。わざわざ「女装」などしなくても、素のままの自分の状態がとても心地よい。12月
寄せて上げるタイプのブラならBカップがちょうどよい大きさになる。体重がホルモン投与以前に比べて7キロ増えている。顔つきは女性的になったというよりも幼くなった感じがする。素のままで男性用の衣服を着用している時に、初めて女性と間違われる。素直にうれしい。世間に対するガードは極端に甘くなる。ホルモンを使用していることがバレてもかまわないと思い始め、仕事に初めてスカートをはいて行ったのもこの頃のことだ。98年1月
週に2本打つと妙にけだるい。週に1本に戻す。ふと気づくと、もう何か月もオナニーをしていない。試しにやってみる。ペニス自体の快感は多少残っているが、なかなか射精に至らない。3時間かけてやっと射精するが、精液が透明だったのには驚く。睾丸は以前の半分の大きさになっている。2月
女装スナックで男性客に胸を愛撫されることに喜びを感じる。ただし、純粋な性的快感ばかりではないようだ。男性に胸を愛撫されている自分がいとおしい感じとでも言えばよいのだろうか。男性でも女性でもない中途半端な肉体だが、この状態が今の自分にとって何とも言えず幸福だ。3月
ある女性を好きになる。「アマチュア女装」の世界に足を踏み入れてから知り合った業界内部の女性だ。もともとホモセクシュアル寄りのバイセクシュアルだったし、ホルモン使用により肉体も大きく変化したこの時点になって女性を好きになってしまったことにひどくショックを受ける。不眠症になり、何回か胃液を吐く。4月
ホルモンをやめ「女装」するのもやめ、今の自分をすべて投げ捨てる決意をして相手の女性に告白するが、振られる。やけになって1日5本注射を打つ。以後、暴走状態に突入する。5月
注射を週2回にする。Bカップのブラが窮屈になったので、Cカップに変える。胸を強調した服を身につけることが多くなる。男性とのセックスにおぼれる。強姦まがいの目にあったり、感情が昂ぶって突然泣き出したりする。すべてに投げやりな気分と、男に抱かれている自分がいとおしいという自己愛とがないまぜになった、妙にぬくぬくとした心地よさから抜け出るのがおっくうだ。情緒不安定。正直言って、あと2、3歩間違っていれば今頃は...という危機的な状態だった。7月
この時期に女装スナックで知り合ったある男性客にやすらぎを覚え、以後おつき合いするようになる。8月
「アマチュア女装」の世界に足を踏み入れて以来ずっと常連客として通ってきたエリザベス会館の年に2回のパーティーの司会進行を務める。この時点でありとあらゆることから(それはつまり、この世からと言い換えてもよいのだが)リタイアすることを密かに決意していたので、最後のご恩返しとして自分の経験とアイディアをすべて注ぎ込み、みんなが等しく楽しめるパーティー(それまでここのパーティーが楽しいと感じたことは一度もなかった)を作り上げて、それを置き土産にしようと思ったからだ。ところがパーティーが大好評で、みんなに大いに楽しんでもらえた上に、アマチュア女装交際誌『くいーん』が毎年行っているフォトコンテストの結果がこの日発表され、大賞(グランプリ)を頂いてしまった。この日のできごとがきっかけで、自分とは肌触りの違う人たちではあるけれども、「アマチュア女装」の世界の仲間たちに自分が必要とされていることを感じ、危機的状態を脱し始める。9月
自分の肉体に対する心地よさはあいかわらず。この状態を記録に残したくて、裸体の写真を撮り始める。10月
注射を週1本に戻す。睾丸摘出(俗に言うタマ抜き)をしたいという欲望がふくらみ始めている。肥大していく欲望を抑え、現実と折り合いをつけながら生きていくためには、自分にはホルモンが必要だと改めて痛切に思う。12月
ホルモンを使用し似たような悩みを抱えている深津ルルとじっくり話をする。これまでも友人のひとりではあったが、この時初めて、かけがえのない仲間に出会えたと実感する。以後行動を共にする機会が増え、現在に至る。ひとりで生きていくという決意はしているものの、ひとりでは生きていけないこともわかっている。とりあえず今の自分には仲間が必要だ。99年1月
ものを食べると、ひどい吐き気がするようになった。まるで、つわりになったみたいだ。2週間程ホルモン投与を休んだ後、担当医師と相談。注射は今まで通りにし、錠剤の方はプレマリン(合成型卵胞ホルモン)と今まで使っていたドオルトン(いわゆるピル。卵胞ホルモンと黄体ホルモンの混合薬)を交互に服用することにした。吐き気は結局、4月頃まで続いた。2月
『くいーん』誌の石川編集長が、次号企画の取材で埼玉医科大学のジェンダークリニックのメンバーである内島豊先生(泌尿器科)を勤務先の病院に訪ねることになり、誘われて一緒について行く。平均的な男性の睾丸の大きさは15ccから20ccだが、女性ホルモンを定期的に長期に渡って投与し続けると小さくなり、10cc以下になるとおおむね生殖能力が失われ、しかもそれは不可逆的(つまりもとに戻らない)な変化だという話を伺う。さまざまな大きさの睾丸の模型に触らせてもらう。15ccとか20ccの模型が異様に大きく感じられる。密かに自分の睾丸の大きさと比べてみるが、明らかに10ccの模型よりは小さい。睾丸の大きさが以前の半分になっているとは感じていたが、実際に確かめることができたわけだ。不可逆的な生殖能力の喪失なんて当然わかっていたことだし、覚悟もできていたし、むしろすっきりしていいと思っていたのだが、具体的な形としてつきつけられると、軽いショックを覚えた。この日伺った話で重要なことはもうひとつある。ホルモン剤に使われているのは合成型のホルモンであり、これは天然型のホルモンとは違って、血液検査をしても測定できない。したがって女性ホルモンの投与が効果的に行われているかどうかを確かめるためには、男性ホルモンの血中濃度が低下しているかどうかを測定することでしかわからないということだ。3月
内島先生の勤務先の病院を今度は1人で再び訪ね、血液検査をお願いする。結果は1週間後に出た。内臓機能については問題なし(つまり副作用は出ていないということ)。男性ホルモンの血中濃度については専門的な用語を使うことになるが、血中テストステロンが16.2ng/dlで、血中フリーテストステロンが0.6pg/ml以下という検査結果だった。基準値は血中テストステロンの場合、成人男性が277〜1111ng/dlで、成人女性が16〜86ng/dlであり、血中フリーテストステロンの場合、成人男性が14〜40pg/mlで、成人女性が3pg/ml以下だ。平たく言えば、成人女性並みの検査結果だったわけで、女性ホルモン投与が効果的に行われているというお墨付きを頂けたという形になるわけだ。正直うれしかった。なお、検査はすべて保険がきき(他の病院でやった場合はきかないようだが)、領収証が行方不明のためうろ覚えでしか言えないが、検査に1500円程度(初診料を入れても3000円程度)、検査結果を受け取りにいった時の診察料に1000円程度がかかっただけだった。4月
情緒不安定なのは直らないみたいだ。昔から躁鬱気味だったが、ここのところ極端。躁状態の時はそれこそ、ビルの屋上から身を翻せば楽々空を飛べそうな気がするし、鬱状態の時は、数人の例外を除いてまわりの人間がみな自分のことを陥れようとしているような気がして、怖くて仕方ない。3月末から、これも『くいーん』誌の石川編集長の勧めで、性同一性障害の相談に乗ってもらえるメンタルクリニックに通い始める。2週間に1回のペースで、今のところはこちらの話を一方的に聞いてもらっている段階だ。女性ホルモンの投与を始めてまる2年。久しぶりに会った人にはびっくりされるほど、外見や全体的雰囲気が変化してしまった。この先自分はどうなっていくのだろう。