臥龍の松


西側より



東側より



根幹


1998年11月19日朝撮影(初雪)


春撮影


2002年5月撮影


庭園

5月撮影


江戸時代からすでに名木の誉れ高く、多くの文人墨客が訪れたという『臥龍の松』(がりゅうのまつ)別名『長四郎の松』は、村山市大久保乙216 :『ガリュー英語学習塾』(塾長 高谷穂澄)の庭内にある。
太い主幹は、その“身”をくねらせて一回転し、斜めに伸びた後、地上0・7メートル付近で大枝が四方に広がる。枝張りは東西18メートル、南北20メートルに達し、龍が地面をはう姿を思わせることから「臥龍」の名がつけられた。(樹種はアカマツ・樹齢は500年)
ここに植えられた由来ははっきりしないが、高谷家が最上川の上流の町(現在の河北町)からこの地に移ってきたのが、250年ほど前のことである。そのころすでに現在の見事な樹形を整えていたとみられ、見物に訪れた文人らが即興的に詠んだ歌や俳句を記した簿冊が今に残されている。また、この松を写した版木があり、嘉永年代に作製されたもので版木の両端に南枝と北枝を補足した部分があり、裏面に「安政卯二年谷地六供町田宮次三郎足之」と墨書されている。
この松の由来には、白鳥十郎の奥方にまつわるもの、その他にもあるが何れも後人の口伝である。
大原(宝田村)開拓の草分け高谷長四郎は、湯野沢の奥に「塔の沢」溜池を構築し、大原街道の東西に広大な新田開発を計画施行している。その計画図面は米沢住絵師後藤半左エ門によるもので、時に享保十八年 三月十九日とあり現存している。


最近の掲載出版物

● 『新日本名木100選』(読売新聞社刊)
● 『巨樹紀行』 写真・文:芦田裕文さん(家の光協会刊)
● 『あした、晴れたら森へ行こう』 「巨樹の会」主宰の平岡忠夫さん著(リヨン社刊)

『日本全国674本:巨樹・巨木』渡辺典博さん著(山と渓谷社刊)1999年3月15日発行
『週刊 四季花めぐり』第20号(小学館)2003年1月23日発売(只今書店にて発売中)


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