「う、いけねえ」と空を見あげて篠原はいった。「ふってきやがった。飴だ」
「うわあ、こまったなあ。ぼく傘もってませんよお」
 とまぬけな声をだしつつ背後からあらわれた山田三平の背中をどしんとどやしつけ、「なこた、このおれさまもご同様だっての。わかりきったこといちいち口にすんじゃねえ」
 不機嫌にいいはなちながら篠原は、路上をぱたぱたとたたきはじめる無数の飴粒にうらみがましい視線をむける。
「どうするんですかあ」
 げほげほとむせながら小太りの短躯をおおげさにゆすりつつ三平が問いかける背中に、篠原はさらに一撃。
「ばか。ぐずぐずしてると邪魔本のおやじ、またまたどっかにふらふら出かけちまうに決まってんだろ。走るぞ、おら」
 いいざま、盛大にふりそそぐ飴のなかへいきおいよく走りだす。
 ああん、待ってくださいよう、ともたもたついてくる山田三平にむかって篠原は舌打ちをおくり、
「気をつけろよ三平。ただでさえ飴でころがりやすくなってんだからな。でなくてもてめえは、ころころころころあっちでもこっちでも気軽にすっころんでは失笑ふりまいてんだからよ」
 との揶揄がおわらぬうちに、
「うわあ」
 と間のぬけた悲鳴とともに山田三平が路上にころりとすっころがった。怒る気力もわかずに篠原は「あーあ」と天を見あげる。その顔面にばたばたとふりかかる、無数の飴粒。
「たたた。これだから飴はなあ。ったく、天気予報もちっともあたりゃしねえし。しかたがねえ。タクシーでいくぞ」
 いいながら篠原はガードレールをのりこえて路上に乗りだし「回送」の表示がしっかり出ているタクシーを強引にとめさせてとっとと乗りこみ、ケツをおさえてうろうろしている三平に叱責を加えながら車内にひきずりこんだ。
「はあ、ひどい目にあっちゃったなあ」
 と愚痴たれる三平の頭をこつんとこづいて
「いつものこったろうがよ、このうすのろが、ったく」
 と毒づく。
 あー、せんぱいひどいなあ、それじゃまるでぼくがバカみたいないいかたじゃないですかあ、とまるで自分がバカではないかのような抗議を返してくる三平には、内心の脱力感をおしころして冷たい無視を決めこみ、篠原は見るともなしに窓外に視線をさまよわせた。
 いき交う車のタイヤにばきばきとつぶされていく無数の赤い粒を目にして、今日のはリンゴ味か、と漠然と考えていると、
「やあ、イチゴ味ですよ。おひとつどうです篠原せんぱい。なかなかいけますよ」
 口いっぱいに飴玉をほうばったまぬけ面をもぐもぐさせながら三平が手のひらいっぱいの赤い玉をさしだしてよこす。
 おい、あのなあ、とあきれ顔でなかばつぶやくようにいって篠原は、はああとこれみよがしにながながしいため息をつき、
「おまえね、いくら飴だっつったって、きたないんだよ、こういうのは。高空の雲んなかで撹拌されてできてきたもんだし、最近じゃ水銀だかなんだか人体に有害な物質がふくまれてるってんで問題になってるっていうし、よ。おまえきいたことない? 酸性飴とかいうだろ?」
「はあ。でもおいしいのになあ」
 と心底しあわせそうな顔をしてべちゃべちゃと舌をならす。
 もういい、と力なく吐きすて篠原はふたたびため息をつく。
 そのまましばらくは無言でいたのだが、となりで際限なくぺちゃぺちゃつづく舌つづみの音にいらいらをつのらせた表情で、篠原は不機嫌そうに運転手にむけて話しかけた。
「よお運ちゃん。さっきからぜんぜん進んでないじゃないか。いったいどうなってるんだい。こちとら、しめきりまぎわにしょっちゅう行方をくらます作家の大先生がようやくつかまったってんで、いそいでるところなんだがな」
「すいません。それがこの飴でねえ」と運転手は、さして気にしたふうもなさそうな表情でのんびりと頭をさげた。「なにしろ飴なもんだから、ワイパーなんかもあんまり役にたたないしねえ。運転しにくくって、すぐに渋滞になっちまうんですよ。事故も多くってねえ。それにお客さん、今日なんざまだましなほうですよ。黒飴とか小梅ちゃんの大玉とかふってきてごらんなさいよ。もうめちゃくちゃですよ。チュッパチャップスなんかふってきた日にゃあんた、棒つきですから」
「あー、ペロペロキャンディもな」
 うんざりしたふうに篠原はあいづちをうち、ほどもなくしびれを切らした。
「もういい。とめてくれ。歩いていく」
 のんびりと車をわきによせる運ちゃんに業をにやした風情で投げつけるように金をわたし、それでもしっかり釣り銭と領収書はうけとって山田三平の尻をけとばしながらふたたび路上へとおりたった。
「うらうらうらうら三平このうすのろ、なにつったってんだ走るぞこの」
 とぽちゃぽちゃした三平のケツ肉にやたら蹴りをくらわせつつイチゴ味の飴が顔面にふりつけてくるのを両腕でガードしながら走る。こけまくる三平の尻に容赦のない叱責をくらわせつつようやくたどりついた大作家先生の仕事場であるマンションの玄関先で、ぴぽぴぽぴぽとせわしなくチャイムをならしまくると、
「あら、遅かったじゃない」
 しどけないかっこうででてきた、見るからにキャバスケといった感じの女。
 ち、またか邪魔本のおやじめ、仕事場にまで囲った女つれこむなってんだ、とうかぶ内心の憤懣をぐっとおさえて極力事務的な口調で
「先生、まだいますかね。なにせしめきりとっくのむかしにすぎてるってのに、原稿ほったらかしで遊び歩いてるって情報入ってるんで。ようやくさっき連絡とれたところで、原稿もうすぐ完成するってんですっとんできたんですけどね」
 と問いかけると、女はざまあみろとでもいいたげなうす笑いをうかべてみせた。
「原稿? できてるわけないと思うけど。だってさっきあたしといっしょに熱海からかえってきたばっかだし」
 あちゃー、と篠原は天をあおいだ。
「いそがせなきゃ。先生、なかですかい? ちょいとお邪魔しますぜ」
 と女をおしのけるようにして入りかける背中ごしに、
「先生ならいないわよ」
 と一撃がきた。
 かこん、とあごをはずしてふりかえる篠原に、女はあいかわらずのうす笑いの顔のまま、
「あんたの電話うけた直後に、逃げるみたいにしてでかけてったわ。あたしはひと眠りしたかったから、残ったけどね」
「なんてこった。あんた、なんでとめてくれなかったんだくそ」
「そんなこと、あたしの知ったことじゃないでしょ」ふん、と鼻をならして女は高飛車にいう。「逃げる作家をつかまえるのは、あんたの仕事なんじゃないの」
「こうしちゃいられねえ。いくぞ三平」
 ぼけっとつったっていただけの三平の襟首つかまえて走りだしかけ、ふと立ちどまってしまりかけたドアを制止し、めいわくそうにふたたび顔をだす女にむかってあわただしく問いかける。
「おいあんた、先生の行くさき、心あたりないか」
「さあねえ。この時間だったら、新橋の“左甚五郎”かしらねえ。銀座の“雅”にはまだはやいから」
「新橋の“左甚五郎”だな? ありがとよ、ねえちゃん。あんたいい女だぜ」
「あらいやん」
 とくねくねしなをつくりはじめるのをおきざりに、しぶる山田三平をせきたてながら篠原はふたたびはしりだした。外へでると、飴はますますはげしくなっている。
 道路の渋滞状況をみて今度は最初からタクシーはあきらめ、もよりの駅にむかってかけこんだ。
 切符を買うのももどかしげに、おろおろするばかりで動作のひとつひとつが悠長な山田三平のケツを蹴りとばしてせかしつつ、階段をかけおりてホームにたどりつくと黒山の人だかり。
「うわあ。人でいっぱいだなあ」
 と呑気な味だして感嘆する山田三平の後頭部をすぱんとはり飛ばし、くりかえされている駅構内アナウンスに耳をかたむける。と、
『ええ、ただいま混雑のため中央線はおくれております。お客様にはたいへんご迷惑をおかけいたしております。ただいま飴のため電車はたいへん混雑しており、ダイヤはおおはばに遅れております。ご迷惑をおかけしてもうしわけありません。ただいま中央線は――』
「ええい、ちくしょう!」ぷちーんと切れて篠原はみたび三平の襟首をつかみあげ、「もいっちょ、走るぞこの」
 と宣言した。
「ええー? ここ御茶ノ水ですよお。ほんとに走るんですかあ」
 と情けなげに抗議する三平をひきずるようにしながら、
「うるせえ、ダイエットにちょうどいいだろうがこの小太りめが」
 毒づきつつ階段をかけあがり、さらに激しくなりつつある飴のなかへと走りだす。 坂をおりはじめたところで、三平がすてーんとすっころんで篠原をものすごいいきおいで追いぬき、そのまま路上にしきつめられたイチゴ味の飴の上をころの原理で猛スピードで滑走しはじめた。
「ああっ、こら三平、なんつう荒技を」
 あわててあとを追いかけかけ、篠原もついに飴に足をとられて転倒し、そのまま三平のあとを追って降下滑走を開始する。
 坂のてっぺんから最後まであおむけのまま疾走し、どっかん、どっかんとたてつづけに坂下のガードレールに激突してようやくのことで停止した。
 いててててと腰をさすりつつよれよれと起きあがる篠原の頭上から、飴は情け容赦もなくふりつづく。
「うーん。先輩、ぼくもういやですよう」
 路上にへたりこんで泣き言をいう三平の背中を力なく蹴りつけ、篠原もため息をつきながら空を見あげた。
 どよどよと全天をおおいつくすイチゴ色の雲を見あげながらうんざりとしたように首を左右にふり、よし、とむりやりしぼりだすように声をあげ、三平をふりむいた。
「いくぞ三平。新橋の“左甚五郎”だ」
「もういやですよう。だいたい、いったいこの世の中じゃいつから飴が空からふるようになっちゃったんですかあ」
「うるせえこのばか。んなこといったって、ふるようになっちまったもんはしようがねえだろうが。いいから黙ってついてこいってんだ、うら。いくぞ」
 いいざま、みたび飴のふりしきるなかへと走りだす。
 よぼよぼと立ちあがり、ふらふらしながらあとを追いはじめつつ、三平は愚痴っぽい口調でさらに述懐する。
「むかしはもっと、べつのものがふっていたような気がするんだけどなあ。いったい、どうしてこんなことになっちゃったんだろうなあ」
 そんな三平のつぶやきをあざ笑うかのように、飴はどしゃぶりになりはじめた。

雨――了

 

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