酒
●プロレス雑誌「週刊コング」コラム記事より抜粋
(前略)というわけで米メジャー団体AWPと業務提携を果たしたメキシコのルチャ団体BBBの実力、このゾンガー・ザ・グレートのAWP認定チャンピオン獲得をもっていよいよその全貌をあらわしはじめた、という感じだが、今回のTVマッチシリーズが開幕するにいたって、さらに新たな選手がクローズアップされてきた。これまではまったく無名の、体重からいえばジュニアのマスクマンだがその実力はあなどりがたい。発表されたリングネームはチャプダイ・チノハーラ。マヤ系メキシコ人だというふれこみだが、その奇怪なリングネームの由来はまったくなぞだ。 気になる実力のほうだが、小柄な体格に似あわぬおそるべきパワーファイターで、セミファイナルのタッグでAWPの巨漢・オオゼキ相手に披露した大技はまことに戦慄すべきしろものだった。空中殺法でさんざん攻め込まれたオオゼキが業をにやしたように強引にチャプダイをロープにとばした次の瞬間、その技はまさにオオゼキの巨体を吹きとばしていたのである。
その技の強烈さと絶大なインパクトについては映像でごらんいただかなければわからないと思うが、かいつまんで説明するとこうなる。つまりロープにとばされたチャプダイの喉もとにオオゼキのラリアットがぶちこまれる前、チャプダイはリングをけって垂直に跳躍、オオゼキの眼前に尻から落下して、ちょうどあぐらをかくような姿勢に着地。そしてなんとチャプダイは、オオゼキの両足首をがっきとつかむや「バンザイ」のような形でオオゼキの巨体を強引にひっくりかえしてしまったのである。いわば助走のないスパインボムのような技だが、大地に根の生えたような巨体のオオゼキ相手にこれを実現するには相当の膂力が必要であることは一目瞭然。これには八千人の観客もまさに呆然とした。後頭部からもろに落下した形のオオゼキは完全に失神、パートナーのザ・ガイコツの好フォローであっという間の3カウントであった。いうまでもなく大殊勲であり、セミファイナルのオオゼキ・スコーピオンのチームに力負けしない堂々たる試合ぶりも目をひいた。
強引なフィニッシュ技を披露したチャプダイ・チノハーラのくわしいプロフィールは依然なぞのままだが、オオゼキを文字どおり「ぶん投げた」チャプダイの、これもまさに文字どおりの「力技」は米プロレス界を戦慄せしむるに充分であろう。さて今後のBBBの興行スケジュールだが……(後略)(桑藤)
●「週刊コング」桑藤記者が入手した「篠原克(チャプダイ・チノハーラの本名)」の少年時代に関するレポートより(BBB日本招聘を決定した朕日本プロレスの圧力により、雑誌には掲載されず)
燃えるような夕日がごちゃごちゃとつづく殺風景な建物群のむこうに沈みつつあるなか、克少年は腹の底からわきあがる勝利感に、おさえようとしてもおさえられないにやつきを顔面いっぱいにうかべながら小路を小走りにぬけ、家路を急ぐ。
「とうちゃん、おれはやったぜ!」
たらいに入れた洗濯物をしぼっていた近所のおばさんがおどろいてふりむくのにもかまわず、克は「やったんだあ!」ともう一度叫んでいた。
我が家である長屋の一角の粗末な玄関をくぐると、靴をぬぐ間ももどかしくとびはねるようにしてかけこんだ。父はいつものように背中をまるめてあぐらをかいている。
「とうちゃん、おれはついにやったぜ! きいてくれよ!」
克は満面に笑みをうかべながら、ツギのあたった粗末な上着を無造作に着こんだ父の背中にむかって一気にまくしたてかけ――
流し台の前でダイコンをきざむ姿勢のままちらりとふりむいた姉の頬に、涙の筋がきらりと光るのを目撃して目をむいた。
「ああ……おかえり、克。いま夕飯の用意ができるから、ちょっと待っていてね」
すばやく涙のあとをぬぐったのは、かわいい弟に無用な心配をかけまいとする心づかいであったのだろう。だが、見てしまったあとでは、克には黙殺することはできなかった。
「ああっ、ねえちゃん! ねえちゃんが泣いているっ!」
あぶら汗をたらたらとたらしながら目をむき、大口あけてぐらりとよろめいた克は、そのままよろよろとあがりがまちのところまで二、三歩あとずさったあげく、わけのわからぬまま、あいかわらずかたくなに背中をむけたままの父に視線をむけた。
「と、とうちゃん、これはいったい……!」
そして気がついた。
父があぐらをかいた前に、いつものようにすえられたちゃぶ台の上には――夕餉のしたくが追いやられるようにして一升瓶と、そして端のかけてひびの入った粗末な茶碗とがおかれていたのである。
「ああっ!」
うめきざま、克はさらによろよろと後退した。
「と、とうちゃんが、と、とうちゃんが」
克の背後のバックに渦まく暗黒がどろどろと円を描いた。
「酒をのんでいるっ!」
がーん、がーん、がーん、がーんとオノマトペが克の周囲をつつみこむ。
同時に、がしゃんと父がちゃぶ台を叩いた。
「やかましいわ!」
短く刈りこんだ頭をうなだらせ、かつては花形レスラーだったが戦争によって引退を余儀なくされた父がその背中を肩を、こきざみにぶるぶるとふるわせた。
「わしは情けない。わしは情けないぞ、克!」
うなだれたまま父はくりかえす。
そのセリフに、克はかちんときた。
「なにがだい、とうちゃん」
思わず挑戦的な口調で言葉が口をついてでる。
「おれは今日、あの宿敵である鼻形を、ついに破ってきたんだぜ。それも圧倒的な勝利でだ。てっきりおれは、とうちゃんに誉めてもらえるものと思っていたんだ。それを……それを、とうちゃんはこともあろうに、情けないという。どういうことなんだい。せつめいしてくれよ、とうちゃん!」
こぶしをにぎりしめ、額に青筋たてて克は父ににじりよる。
不穏な気配を察知し、
「克、やめて!」
姉がとめに入ろうとしたが、ごごごと燃える克のどんぐり眼のなかの異様な炎に気圧されて、思わず立ちつくした。
だが
「だから情けない、というのだ!」
ふりむいた父に、姉も、そして克も呆然と目をむいた。
父の両の頬にも、くっきりと涙の筋が刻まれていたのである。
「いいか。よくきけ克よ。おまえが鼻形と再戦したことはこのわしもよーく知っとる。なぜなら、わしもその様子は遠くから陰ながら一部始終を見ていたのだからな」
父のその言葉に、克はぎくりとした。
克のそんな様子を、そのぎょろ目で凝視しながら父はさらに重ねた。
「克よ。おまえは、あの情けない試合を勝った、というのか。あの情けない、試合ともいえぬ茶番を!」
「ちゃ、茶番とはききずてならないね」
内心の動揺をおしかくし、克はいった。
「おれはあの鼻形のやつから、ギブアップをうばったんだぜ」
だが、そんな克の口調に、先刻のいきおいはすでになかった。くちびるをかみしめ、ついと気弱げに視線をそらす。
その克の挙動を、父は見逃さなかった。
「ならば克よ、なぜおまえはこの父から目をそらすのだ!」
情け容赦のない口調で詰問する。
「正々堂々と戦って得た勝利なら、胸をはっていればよい! だがおまえはこの父の目を見ることさえできぬ。なにしろおまえは、鼻形くんにサブミッションをしかける直前、小指をつかんで横にひいたのだからな! あのまま鼻形がひかれるままにしていなければ、彼の小指は骨折していただろう。そして克よ。おまえはあれが反則だと知っていながら、しかけたのだ。目先の勝利のためにな!」
「そ……そうだよ!」
克はひらきなおって叫んだ。
「そのとおりだ! だけどとうちゃんはいつもいっていたじゃないかっ! 反則はレフェリーの視界に入らないかぎり反則ではないって! しかもとうちゃんは、きたない外人レスラーの反則で魔送球が投げられなくなってしまったんじゃないか! そのかたきをおれが討って何が悪いんだっ!」
「ばかもの!」
と叫んで父は飛雄……訂正、克の頬をばしっと張った。
「ああっ、飛……じゃなくて克!」
かけよる姉にたすけ起こされて半身を起こした克に、父は滂沱と涙を流したままこぶしをにぎりしめて力説する。
「よいか克。われわれレスラーが5カウント以内まで反則を許されているのは、卑怯な手を使って勝利を得ることが目的ではない。プロレスとは肉体と肉体の会話なのだ! その会話をかがやかせるためにこそ、レスラーにはベビーフェィスとヒールとがいるのだ! きたるべき勝利の瞬間のかがやきを信じているからこそ、レスラーはロープにとばされればかえってくることができるのだ! よいか、克! おまえが今日やったことはプロレスではない! あれはただの野良犬の喧嘩だ! そのことを鼻形くんも、そして、だれよりも克よ、おまえ自身がよくわかっているはずだ! 目先の勝利などにまどわされて、プロレスの本質を見あやまるでない! そんなおまえに、ルチャドールたる資格などないわっ!」
叫びざま父は、ちゃぶ台の端をがっきとつかみ、
「このばかものがっ!」
一気にひっくり返した。
酒瓶と茶碗が音を立てて畳の上にひっくりかえる。
「でていけ、克! 今日かぎりおまえはわしの子ではない!」
「ああ、でていってやらあ!」
克もまた滂沱と涙の筋を頬にはりつけて叫びかえした。
「とうちゃんの……とうちゃんのばかやろうっ!」
ぐいとこぶしで頬をぬぐいながら克は叫び、くるりとふりかえると姉のとめる声を背中でききながら長屋を走りでていった。
ばかやろう、とうちゃんのばかやろう、と幾度も幾度もくりかえしながら克は走りつづけた。
巨大な夕日は地平線の彼方に沈みつつあった。
●「週刊コング」の記事より抜粋
BBBの朕日本マット参戦が早くも決定した。両国国技館の最終戦ではゾンガーと鉢本のタイトルマッチが内定したほか、豚神サンペーチョンガーの保持するTWGPジュニアのベルトにチャプダイ・チノハーラが挑戦することも検討される。脅威の必殺技(名前はチャプダイ・バスターと判明)が日本マットで炸裂する日も近い(桑藤)
●未掲載レポートのつづき
「できた! できたよ、とうちゃん! これが新しいおれの必殺技だ!」
「うむ! 克よ、よくやった! これなら、あの鼻形にも勝てる! かならず 勝てるっ!」
滂沱と涙を流しながら親子は抱きあってよろこびをわかちあう。
そして暮れはじめた大空を前に、親子はいつものように天にかがやく星を指さして誓いあうのであった。
「克よ。おまえはメヒコの星になるのだ。踏まれても踏まれてもよみがえるサラマンダーのように!」
「ああっ。とうちゃん。この必殺技で、おれはメヒコの星に、一気にかけあがってみせるぜ! 見ていてくれ!」
うむ、と力強くうなずきながら父は天をあおいだ。
克もまたぐいっと涙をぬぐいながら、胸をそらして視線をあげる。
メヒコの星。
それはたんなる金星であった。
完
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