ペルソナ

 

 乱舞するイルミネーション。
 怒号が館内をゆるがす。
 五万五千の怒号だ。
 それを圧するように、扇情的なテーマミュージックがひびきわたった。
 あふれ出た人群れをかきわけて、ひとりの男が花道をゆく。
 今夜の、対戦相手だ。
 とてつもない因縁が、山田と、そしてこの男とのあいだには横たわっていた。
 いよいよだ。
 心中、奥ふかくからわきだすものに全身を激しくふるわせながら、山田は、パン! とみずからの頬をはった。
 マスクにおおわれた頬を。
 ふてぶてしい足どりで花道をいく対戦相手が、いま、セカンドロープをくぐってリングに仁王立ち、じろりと一周、場内を睥睨する。
 それから、両手を、たかだかと頭上にあげた。
 同時に、ブーイングがふりそそいだ。
 外部団体からの来訪者であるこの男に対して、観客の反応はつめたい。
 だが、この程度の拒否反応にたじろぐような男ではないことを、だれよりも山田自身がよく知っていた。
 案の定、ブーイングにこたえるようにして、中指をつきあげてみせた。
 下くちびるをつきだして、ふてぶてしく顎をあげる。
『え、つづきまして、青コーナーより』
 リングアナの華々しい声が、マイクをとおして場内を占拠したブーイングをおさえこんだ。
 山田は、ぐっと緊張した。
 ケツの穴をきゅっとしめた。
 いまこの瞬間、おれはもう山田ではない! もう、山田三平ではない!!
 おれは――おれは――
『豚神、サンペーチョンガー選手の入場です!!』
 声高な宣言とともに、田野中リングアナのタキシードを着こんだ片手が、たかだかとさしあげられた。
 そう――いまおれは、驚異のマスクマン! 豚神サンペーチョンガーなのだ!!!!
 心中叫びあげ、山田は、否、豚神サンペーチョンガーはもういちど、みずからの頬をはり、鳴りひびきはじめたテーマ曲『狼は生きろ、ブタは死ぬのだ!』のリズムにあわせて花道を疾走しはじめた。
 うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおと壮烈な怒号がわきおこる。
 それはそのまま凶猛なうねりと化して、ドームの内部をひとつの巨大な生きものと変え、獰猛な巨竜のように狂おしく、その身を大きくふるわせた。
 その中を山田は――否、驚異のマスクマン、豚神サンペーチョンガーは、家畜のようにかけぬけた!
 全身をおおうコスチュームの基調は、今日は赤。
 血の赤だ。
 おれはいま、神だ!!!!!!
 再度、心中で叫びあげ、観客をかきわけて花道をかけぬけ、リングにむけてトップロープごしにとんだ!
 足をひっかけた――!
 ――こけた。
 一人バックドロップであった。
 しかも雪崩式だ。
 強烈なダメージをうけた。
 背中からおちて一回転し、尻をうってバウンドした。
 場内をうめつくしていた大歓声が一瞬、こおりついたように静まりかえった。
 そして、つぎの瞬間――前にもまして盛大にわきおこった。
 尻をかかえてころげまわる驚異のマスクマンに、おしみない歓声がふりそそぐ。
 対戦者の篠原は、腕組みをしたままそれを冷徹に眺めおろしていた。
『それでは、VJP期待の超戦士、家畜の神と、RYUからの刺客との一戦! ぞんぶんに! 燃えてください!』
 田野中リングアナの惹句に呼応して、怒号がうねりあがった。
『ただいまより、スーパーヘヴィ、スペシャルマッチ、四十五分一本勝負をおこないます。赤コーナー、RYU所属、百九十二センチ、百十キロ、しのーはらー、まさーあ、るーうー!』
 コールとともに、篠原は下くちびるをつきだしたままの表情で、とたんにわきおこったブーイングに呼応するようにして、たかだかと両手をふりあげた。はりきった筋肉が隆々と隆起する。
『青コーナー、百八十センチ、百六十五キロ、豚神サンペー、チョンーンガーアーアー!!!』
 大歓声がふりそそぐなか、サンペーチョンガーはなおまだケツをなでさすりながら、片手をあげてそれにこたえた。
 今夜の対戦相手、篠原克とはじつは、高校時代の先輩後輩のあいだがらだった。
 だが、マスクをかぶったその瞬間から、そんなことは関係ない!
 全力をもって、たたきつぶすのみなのだ!
 レフェリーのボディチェックのあいだにも、篠原はふてぶてしい表情のまま腕組みをして冷たくサンペーチョンガーを睥睨していた。
 ちょうど頭ひとつほどの身長差があった。
 だが、体重では自分のほうが勝っている。
 サンペーチョンガーは、かつての先輩にむけて傲然と挑戦的な視線をかえし――意表をついて、先制攻撃に出た!
 レフェリーをつきのけるや、ドロップキックを見舞ったのだ。
 サンペーチョンガーがレフェリーをつきのけるのを見て、篠原もまたおどろいたように目をむいていた。
 完璧に、虚をついていた。
 サンペーチョンガーは、空中でにやりと笑った。
 あまりにも意表をつく展開が、サンペーチョンガーの持ち味でもあった。
 さらにもうひとつのサンペーチョンガーの異名――“秒殺”!
 のびきった豚神の巨体が、宙で足をのばした。
 目をむいた篠原の眼前に、サンペーチョンガーのリングシューズがあった。
 そのまま――リングシューズは篠原の眼前にとどまったまま、落下した。
 つまり――とどかなかった。
 とどかないまま、リングにみずからたたきつけられたのである。
 一人バックドロップであった。
 しかも、二発目だ。
 壮烈な、ダメージであった。
 場内が、水をうったようにしんと静まりかえった。
 さすがにだれもが、呆然としていた。
 意表をついた展開が、サンペーチョンガーの持ち味なのだ!
 よろめいてセカンドロープにもたれかかっていたレフェリーが、しかたがないのでゴングを要請する。
 同時に、大歓声がもどってきた。
 サンペーチョンガーに対するおしみない声援がふりそそぐ。
 そしてその声援を一身にうけてサンペーチョンガーは、ぴくりとも動かなかった。
 がんばれ、まけるな、立つんだチョンガー! あちこちから身をきるような励ましの叫びが投げかけられるなか、サンペーチョンガーはぴくりともしない。
 篠原はとまどったように後頭部をかいている。
 レフェリーがサンペーチョンガーの頬をはたいた。
 ぴくりとも動かない。
 超戦士たるゆえんであった。
 こんなレスラーは、ふたりといない。
 業を煮やして、篠原が一歩二歩とすすみ出た。
 制止するレフェリーをつきとばし、かがみこんだ。
 そして、口もとに手をあてがって、ラッパにした。
「おーい、三平、朝ですよう。起きろ、このバカ」
 間のぬけた呼びかけはもちろん、大歓声にさえぎられてだれの耳にもとどかない。
 ぴちぴちぴちと、ぷよぷよした頬を軽く張るたびに、怒号と悲鳴がどよめいた。
 あげく、あきれたように篠原が肩をすくめてみせると、またもや嵐のようにブーイング。
 しかたがないので、篠原はフォールした。
 レフェリーがカウントをとった。
 あっという間に、三つ入った。
“秒殺”の異名に恥じない、展開であった!
 怒号と失望の声で、場内はうめつくされた。
 あまりの騒音に、ぴくりとも動かないサンペーチョンガーにむけて篠原があきれたようにつぶやきかけた言葉もまた、完全にかき消されていた。
「おめーもやっぱ、あいかわらずだよなあ」
 かつてのいぢめられっ子にむけて、あわれむように投げかけられたセリフも、もちろんサンペーチョンガーの耳には入ってはいない。
 ただサンペーチョンガーは、もうろうとした夢幻境をたよりなくただようばかりであった。
 そして結局、サンペーチョンガーは意識を回復しないまま、若手にかつがれて退場していった。
 そのぽちゃぽちゃした背中に、おしみない拍手と歓声がおくられた。
「つぎもがんばれよ!」
「みせてくれよ!」
 なにをみせてくれってんだ、という篠原のつっこみはもちろん、だれの耳にもとどかなかった。
 ゲートをくぐって、脂肪だらけの背中が花道から消えた。
 一説には、その全身をおおったコスチュームはサウナスーツであるという。
 豚神サンペーチョンガー。
 マスクをかぶっても、やはり山田三平のままであった。
 がんばれ、チョンガー! まけるな、チョンガー!
 きみの未来はながくはないぞ!

そういうわけで、完!!!!!!!!!!

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