異生物展示館
ずいぶん長かった。感慨は予感に付随してうかびあがってきたものだ。私は今日、その命の灯を燃えつきさせるだろう。さして劇的でもなくただ、ひとりの老人がだれにもしられぬ無人の時間に天寿をまっとうしたのだ、という形で。
あるいは、そう。
あるいは、永遠の扉をひらく時の到来──バカげた妄想だ。そう。妄想にちがいあるまい。それともそれはあの、影の存在の魅惑にみちたいざないであっただろうか。
ライシァの透徹した宝玉の夜を、ゆるやかに、優雅に飛翔する羽手竜スールの、すきとおった十二枚の青い羽。
カルニヴァスの猛る朱の風にひしりあげる、地獄の番犬ケルベロス。
キエンの重くのたうつ黒い海から首をのぞかせているのは、銀河でももっとも稀少で、そしてもっとも凶悪なアクセル──神経・筋肉強化麻薬ルインを、死のまぎわのその涙腺から分泌する進化の亡霊トーレシア。
そんな数々の、人類到達区の最外縁まで展開するさまざまな生物圏、その奇怪な生態や危険さであまねくしれわたった無数の動植物の剥製・模型をあつめたこのクロセディア博物館においてそれは──どちらかというとあまり目立たない、地味な展示物の部類に入るにちがいない。
神秘、あるいは造物主などという大仰な言葉でさえ、アシュトラの教義以上になまなましく実感させてくれるこの広大な螺旋の回廊の中心に位置しながらそれは、ふしぎに静謐に、まるで道辺に吹きはらわれ、ひっそりと舞い落ちたそのまま人々に忘れさられた一片の淡色の花片のようにして、たたずんでいた。
むろん、私の背たけの四倍もの巨躯をもつ薬液づけの生白いそれの見てくれは、おせじにも美しいとはいいがたいものであったし、そういう意味では私が一世紀にわたって管理してきたこの博物館にふさわしい一品であることはまちがいない。
所蔵する無数の動植物その他の中のごく一部しか公開されてはいないものの、それでも広大なこの館をめぐりきるにはUTで一日かけてもとてもたりない。そんな中、どうめぐろうとその足も気力も疲れなえ、そろそろ休もうか、あるいは帰ろうかという思いが訪問者の間で目顔で相談されはじめるころあいに現れるこの展示物。
あるいは入場まぎわの陳列品のなかにでもまぎれこんでさえいれば、それなりに人目をひきつけたかもしれない。
だが、あまりにも奇妙で驚異にみちた銀河中の異世界の生態をたてつづけに見せつけられてきた目には、それはあまり大した見世物にも見えないだろう。
事実ここにめぐり来たった訪問者たちは、真珠色のやさしい照明のみちたゆるやかな螺旋階段の降り口にたたずむそのガラスケースには、ちらりと興なさげな視線をなかば義務的に投げかけるだけで、立ちどまってそれをしげしげとながめわたしたり、その風体や性質について同行者とながながと話しこんだりする、といったことはほとんど、否、たえてないようだ。
そう。
知っているのは私だけ。
核パルスの炎をはいて荒れ狂う天を飛翔するカイルセカンダスのロケット生物、制御されないテレパシー投射で妖しい、危険な夢を人類にたたきつけてくるパイラスⅣの化石植物、などといった奇怪で稀有で華麗な生き物たちより、この、薬液づけの、色素のぬけた、ぶかっこうな奇妙な生物のほうが神秘に──あるいは、そう、根源に──よほど近いところにいるのだ、ということを。
セントラル外縁のクロセディアにこの幻惑の館が建てられるはるか以前から、銀河中の諸世界を経めぐってさまざまな事象を渉猟した創始者イブン・サッディーヤが、この獣をどういった状態で見つけ、捕獲し、そして搬入してきたのかはわからない。
一世紀まえ、私が新進の研究員としてここに赴任してきたときにこれはすでに、薬液づけのありふれた標本としてその巨躯をうつろにただよわせていたし、それ以来、日々ここをめぐりつづけ、かたわらをとおりすぎつづけてきたがそのありさまは一度として変化のきざしさえ見せたことはなかった。
十年ほどまえにテロリストが逃亡乱入したときも、あるいはその翌年にセントラルを強襲した次元渦動の惨禍にさえ荒らされることなく──そう、この獣はただひっそりと、乳白色の照明の下、めったにゆらめきさえしない液体の中にうずもれていた。
一定の期間をおいて保存液はいれかえられ、そのたびにこの脱色した巨大な獣の残骸もまた注意深く、一定のプロセスを経て固定され、もちあげられ、待機させられ、ふたたび液体の底にしずまされもしたが、そのときにさえ身じろぎひとつしたことはなかったはずだ。
なんの不思議もあるまい。それはただの、保存された死骸でしかないのだから。
だが──いいや、私は知っている。
稀有なる永遠者である神聖皇帝の血統がとぎれて帝国が霧消し、エル・エマドとフェイシスのあいだでかたい握手がかわされて新銀河連合が締結されたとき、人界のあらゆる事象もまた加速度的に、まるでお祭りさわぎかなにかのように疾走をはじめ、そして私も一線からまたたく間にふり落とされて失墜し──
そしてずいぶん長い間。
この広大な建造物の一角にその居をさだめ、異常の有無を点検してまわるだけが日課の、ほとんどすべてとなっていた。
敗残者としての自己憐憫はほどもなく歳月にまぎれて風化し、ほんのときおり、思い出したようにこの知と猟奇の殿堂をなめおとずれる奇禍災害もどうにかやりすごし、今日をむかえる。
ずいぶん長い時間をここですごしてきたような気もするが、まるでうたかたの夢のようでもあった。
この、銀河中の奇環境を集大成した大聖堂の内部で私は、外世界のかけらにさえふみだすことなく時をやりすごしてきた。べつに後悔はない。やわらかなかなしみと、そしてあきらめがかすかに、胸の奥を刺しつづけているだけだ。
そのあいだも世界は走りつづけ、人類と文明とは荒々しいまでにのたうち、膨張しつづけていた。
それにあわせてここの展示物もまたつぎつぎとその装いを新たにしそして拡張され、昨日とはまるでちがう今日をくりかえしつづけてきたはずだ。
そんな中で、なぜこの獣だけがひっそりと、この目立たない一角で、まるで路傍の木のようにたたずみつづけてきたのか──考えてみるとずいぶん不思議だ。
あるいは──意志だったのか。
私がそれに気づいたのはいつのことだったろうか。
広大な館内を経めぐりつづけ、しぼりだすようにしてさがしつづけてきた新しい発見も底をついていつしか倦みつかれ、ただ機械的におわりなき職務を消化するだけの、うつろな人形のような日々をむかえはじめたころだったような気がする。
都市、というよりはひとつの世界を形成するクロセディア・ステーションが惑星の影にしずみ、恒星の灯のめぐみから遮断されるほんのわずかな、ささいな時間。この博物館は閉ざされ、その回廊からはひとびとの姿が消える。
決まってそんなときだった。
それが私に呼びかけてくるのは。
眠りにしずむ館内は静寂にみたされ、機械的に巡回する私の跫音だけが螺旋状の構築物の内部に茫漠と反響する。
立ちどまるのはいつも、奇怪な目が、老いて忘れ去られたこの卑小な存在を見つめているような気がしたからだ。
あるいは巨大惑星区の浮遊生物や、原始環境館の牙をむき猛毒の唾液をまきちらしながら吠えたける暴獣の、むき出された視線が私を見つめているように感じてなんとはなしに背筋をふるわせるようなことなら、べつにとりわけめずらしいことでもない。
照明のおとされた無人のスペースのそちこちで、なにか得体のしれないものの視線を感じたような気がしてむやみに足をはやめたことも幾度となくあった。
だがそれは──いや、それもまた扁桃体が泡のようにおくりだすうわごとのひとつ、人類の闇の部分を刺激しつづけてきた“気の迷い”と呼ばれるありふれた現象のひとつでしかなかったのかもしれない。──いいや。
いいや。
だんじてちがう。私にはわかっている。
それは呼びかけてきたのだ。
シャーイルの声、ホナル、精神感応──私には一度としてその体験はない。だから、その声がそれとおなじ種類のものであるかどうかなどわかるはずもない。
なにより私は、そのことをだれにも話したことがないのだから。
話せば、私がなにか精神的な病につかれたのだと判断されるにちがいない。無理もあるまい、知性さえもたなかった薬液づけの獣の死体が、呼びかけてくるなど──狂気の産物、妄想以外のなにものであろうか──そう、それはしごくまっとうで、道理にかなった解釈だ。私はそれを否定するなんの論拠も、もちあわせてはいない。
ましてそれがおのれを形容して──いいや、口にしたくはない。私は断じてそれを信じてなどいないし──あるいは、まるで逆の存在なのではないかとさえ考えているのだから。
かぞえきれないほどくりかえしてきた巡回路の途上、それはいつも背中ごしに呼びかけてくる。螺旋階段を降りきった私はいつも、奇妙な胸さわぎと不信と不安、そしてうろんな思いとをかみしめてふりかえり、ペンライトの灯りをふりかざす。
その獣がまぶしげに目でもしばたたかせて肩をすくめ、身じろぎのひとつでもしてみせれば、私とてそれをだれかに話していたかもしれない。
だがそれはやはりうつろに薬液の内部にただようだけで、一度として、いかなる生の兆候もあらわしたことはなかった。
そう。それが呼びかけてきたという証左は当のこの私にとってさえ、その声が頭蓋の内部に、まるでまぼろしのように反響したというその一事以外には存在しない。
だからもしかしたら──あるいは、したり顔にやはり──それは私の挫折した孤独な脳裏の描いた……否、それはたしかに……。
狂気の幻影におびえて幾度となく私は、つきあげる気泡のようなその思いを口にして吐きだしてしまいたいという衝動にかられた。たとえ狂人あつかいされようと、それをひとりの胸の奥底に秘めておくよりはまだしも安楽なのではないかという、はなはだ消極的な理由づけをともなって。
口にしなかったのは、それが不快ではなかったことと、そして私自身の絶望の、底しれないうつろさのせいだっただろうか。
疲れはてた生の機械的な日常にその声は、あるいは沙漠に沁むささやかな水のようなおぼろではかない救いを、もたらしていたのかもしれない。
巡回は定期的で果てしなくくりかえされたが、それがいつも呼びかけてくるとはかぎらなかった。
そして呼びかけてくるときはいつも、私ひとりだった。
そう。いっそ狂気の幻想である、とみとめてしまったほうが楽なのかもしれない。
そしてまったくそのとおりなのかもしれない。
そうではないか。
今日という日が近づいてくるにつれ私は、まるで逃亡者のようにおびえた心境でそう考えるようになった。そう考えるように、狂おしく、もがき苦しむようになっていた。
ずいぶん長かった。
身を切り裂くほどの苦痛や、夢にまであらわれてさいなむ不幸もなかった。若いころにはそれなりに楽しかったことや幸せだった瞬間も人なみにはあったようだ。その記憶はいまでもおぼろに、淡く、私を楽しませてくれないでもない。
幸福ではなかったが、おおむね大過ない人生であったはずだ。未練。そう、未練なく訣別できる生涯など存在するだろうか。死はむしろやすらぎではないか。
いま私は──薬液づけのうつろな獣の死骸の前で、胸をおさえてうずくまる。
苦痛はうつろな霧にまぎれて遠ざかり、やがて至福が私をつつむだろう。
いますぐ最新設備のととのった医療施設の治療室にでもかつぎこまれれば、この死の淵から生還して、そう、あと幾年かは、うつろな日々のリフレインを維持しつづけることもできるかもしれない。
だがそのような生など……もう何年も前から発作を抑制する薬を服んだふりさえすることもやめた。ようやくおとずれたのだ。
ようやくおとずれたのだ。
だから獣よ、呼びかけるのはやめてほしい。
もう充分だ。これ以上の時間は必要ない。未練? 未練なく訣別できる生涯など、存在しない、そうではないか? そうではないのか? もうそんなものでさえ、そう、わずらわしいのだ。呼びかけるな。死なせてくれ。
なぜおまえはそのようなところにうかんでいる。
それは死骸なのか。それとも死骸を装っているだけなのか。これは私の狂気か。幻想か。あるいは世界の夢みる夢なのか。いいや、ちがう。私は知っている。知っているのだ。
そう、おまえがおまえの主張するような存在であるなら、奇妙な、信用ならない空手形を発行するより先に、この私のうつろで無意味な生涯の意味を教えてくれ。おまえがおまえの主張するような存在であるならば、私がこういった存在として生まれてきて、そしていま生涯をおえようとしているその理由もまた、知っているはずではないのか?
それではおまえは、なぜ私をえらんだのか。
この場所に、その姿で、なぜおまえはいるのか。
おまえのまぶたがぴくりと震える。
いや、錯覚だ。錯覚なのだ。私は目をふせ、うめきをもらす。それの目がひらくことなどありはしない。あり得ない。私は見ていない。なにも。死の幻覚だ。幻覚なのだ。そうだろう。
私はいく。呼びかけないでくれ。もう聞きたくはない。すべてをおわらせてほしい。もうここにいたくはない。もう一度生をくりかえすなどごめんだ。たとえすべてを自由にできようと。
ずいぶん長かった。それももうおわるだろう。おわらせるのだ。いやだ。世界などほしくはない。
眠らせてくれ。
そうだ、私の望むのは
(了)