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猫の首から鈴を外せ


猫の首から鈴を外せ

 闇の底で蒼白の光がかげろうのようにゆらめいたとき、緊張と殺気をみなぎらせてあふれでてきた兵士たちは、まるで見当ちがいの方角に銃を向けていた。
 焦慮にみちた標的の探索。誇張された伝説と胸がはりさけそうな待機の時間がかれらの心裏から冷静さを徐々にはぎとっていき、ぴんとはりつめた神経は今しもぴしりと音をたてて弾けとびそうだ。
 音は、その緊張の糸にふれる域下ぎりぎりの点で、つつましく鳴りひびいた。
 兵士たちのひとりがふりかえる。
 そしてまぼろしのように淡いゆらめきに気づき、目をすがめる。
 ぎくりと硬直した。
 蛍火のように端麗なその光が、セイフティ・ロックをはずされたブラスターの銃口からたちのぼる熱対流のゆらめきであることに気がついたからだった。
 となれば、暗視カメラがとらえた侵入者らしき映像は完全に、彼らを誘いだすための罠であったことになる。
「敵――」
 襲だ、とつづけるよりはやく、ゆらめきは凶暴な超高熱の光条となってほとばしった。
 一団を形成していた兵士たちのほとんどすべてが、何かが起こったことにすら気づく間もなく――
 膨張した熱塊は十人近い重武装の一団を、ほぼ一瞬で蒸気と化さしめた。悪夢のような高熱が、兵士たちの走りでてきたエントランス前の舗道を瞬時にして軽石状に変質させ、異様な刺激臭をともなった白煙をたちのぼらせる。
 警報が、豪奢な白亜の邸内になりひびいた。パワーライトがスポットのように侵入者に向けられる。
 白熱の光の内部にほんの一瞬、あざやかな奇襲を成功させた侵入者の姿がうかびあがった。
 かざした手。亜麻色の髪。均整のとれたプロポーション。ラプルズフォームの戦闘服につつまれたそのみごとな肢体は、しなやかな筋肉で鎧われているはずだ。
 そしてなによりも特徴的なのは――かざした手の下の、美麗な容貌にきざまれた無惨な傷跡。
 美の顕現たる芸術作品をただただ冒涜するだけのために、いたずらに刻まれたかのようなその傷跡は、かたちのいい右眉の上から鼻梁をぬけて左頬にいたるまで、ぎりぎりと痛々しくはしりぬけている。医療技術の発達状況から考えれば、わざと残しているとしか思えない凄惨な迫力が、その傷跡からはたちのぼっているのだった。
 キャスリーン・ナイチンゲール・ガレーヌ。
 それが彼女の名前だ。腕ききのバウンティ・ハンター、賞金かせぎ。裏界ではひろく知られている。ただし、だれも彼女をキャスリーン、ナイチンゲールとは呼ばない。
 ヘルハウンド・ガレーヌ。
 賞金首たちが揶揄と恐怖をこめて口にする、それが彼女の通り名だった。
 がらりと、邸内いたるところに設置された集音マイクのひとつが重い音を捕捉する。ガレーヌの手もとから、その銃口よりうっすらと煙をたちのぼらせる武器がほうりだされた音だった。
 銃、というよりは大砲だ。個人が携帯できるブラスターとしては、限界に近い威力を発揮するだろう。事実、先兵たちを一瞬にして蒸発させた実績は、戦艦が装備する大口径ブラスターのそれにさえ匹敵する。
 その代償として、連射性能はおろか、再使用さえその設計概念からは欠落していたのだろう。ガレーヌの足もとにころがった銃身は高熱を発してかすかに歪んでさえ見える。
 そして騒擾は移動する。侵入者撃退システムがきりきりと音をたてて動きだしたときすでに、襲撃者は玄関ホールに踊りこんでいた。
 広大な螺旋階段を大挙しておしよせる護衛兵。その機先を制するように、白熱の光球をふくれあがらせたプラズマ弾が、毛足のながいじゅうたんごと溶解したクレーターを玄関ホールに凶猛にうがつ。
 刺激臭をはなちながら蒸発した十数段を下にして、一群の兵士たちは出足をくじかれ、襲撃者の死角にすばやく身をふせた。
 あざわらうように、さらに一弾がガレーヌの手にしたランチャーから放出される。轟音がホールを雷神の鉄槌のごとく一撃し、先見の明を発揮したほんの二、三人の護衛兵たちのみが難をのがれて後退できただけだった。
 顕現した地獄をひきつれて無言のまま、ガレーヌは――ヘルハウンド・ガレーヌは、さらに屋敷奥深くへと進撃する。


「あとはまかせたぞ、アッダウラ」

 つつましやかなエンジン音をひびかせつつ離陸しはじめた浮遊機のリムジン・シートから、ラジム・シャーは信頼にみちた視線とともに、眼下にたたずむおのが知恵袋たる秘書に呼びかけた。
 地方の名士として、あるいはその裏で武器供給ギルドの元締めとして、無数の部下たちを掌握してきた信頼感あふれる表情と声音だ。
 アッダウラはその信頼が真実のものであることを確信しているのと同じくらいに、ラジム・シャーがすでに、アッダウラのことを害あるものとして切りすてていることもよく知っていた。
 迷いのない誠実さと、さらに迷いのない冷酷さ。それがラジム・シャーに現在の地位をもたらし、また維持させているものの正体であることを、ともに死線をくぐりぬけてきただけにアッダウラはだれよりもよく心得ていたのだった。
「特別ボーナスを期待していますよ、シフ・ラジム」
 おだやかにほほえみながら心にもないセリフを平然と口にするアッダウラに、
「うむ、楽しみにしていてくれ」
 これも負けないくらいに誠意にみちた空手形を、ラジム・シャーは保証した。これが銀河標準時で五年におよぶラジム・シャーとアッダウラとの、蜜月の終了だった。
「しかたがない、か。伝説の賞金かせぎに命をねらわれている部下のとばっちりをくいたいとは、さすがに暗黒街を掌握するラジム大人も思わないだろうしな。短いが、いい夢を見させてもらったよ。ありがとう。さようなら」
 すでに人影すら識別できなくなりながらなお遠ざかる浮遊機にむかって手をあげた姿勢のまま、アッダウラは静かな口調でひとりつぶやく。
「さて。彼女の首尾のほうだが」
 手をおろし、屋上フライアポートの出入口にくるりとふりかえるタイミングをはかってでもいたかのように――
 盛大な音響をたてて、厳重にロックされていたはずの扉が灼熱の光球とともに割れはじける。
 もうもうと立ちのぼる黒煙に向けてアッダウラは、ひゅう、と口笛を吹いた。
「派手だねえ。うわさ以上に」
 つぶやきつつ、ふところからとりだしたハンドガンのセイフティを解除し、銃口をぴたりと固定させる。
 数秒、その姿勢のまま待ったが、もうもうと煙をあげる扉の残骸の向こうがわから、賞金かせぎの姿があらわれるようすは一向になかった。
「妙だな。急用でも思いだしたのかい、シファ・ヘルハウンド・ガレーヌ」
 敬称つきの呼びかけにこたえるように――
 アッダウラの後頭部で、がきりと鋭い音があがった。
 ハンマーをコックする音――実体弾を発射するタイプの、原始的だが威力は致命的な銃が、ぼんのくぼにポイントされているのだった。
 瞬時、アッダウラは硬直し、ついで静かに、ゆったりとした動作で手にした銃を足もとにころがしてから、両手を頭上にあげて目をとじた。口もとにはうすく笑いが刻みこまれる。
「手品師の基本、か。右手に注目をあつめたすきに、左手が仕事をする。みごとだよ」
「抵抗してみるか?」
 ひくくおさえられた女声が、抑揚を欠いた口調で問いかけた。
 短く笑いをもらしてアッダウラは、両手をあげたままちいさく首を左右にふる。
「まさか。むだなことはしない主義でね。さ。つぎにおれは、なにをすればいい?」
「ついてきてもらおう。ターヒルがあんたに会いたがっている」
「予想どおりだ。彼がおれのために用意してある運命に関しては、あまり想像したくはないな」
「よけいなおしゃべりはいい」ヘルハウンド・ガレーヌは無機質な口調でいった。「ここまでくるだけでずいぶん苦労させられた。あとはあまり、手をかけさせてほしくはない」
「なあに」とアッダウラは軽い口調できりかえす。「あと一息さ」

長年にわたってラジム・シャーとその利権をわかちあいながら、陰では一度ならず暗闘をくりかえしてもきたもうひとりの大物であるターヒルは、連合政府でさえ手をだすのをためらうような、権力と武力で堅固に武装をかためた人工惑星ターヒル・パレスのふところ奥深くでガレーヌと、そして彼女に連行されたアッダウラに謁見した。

 人工惑星にむかえ入れられた時点で、アッダウラはもちろんのこと、ターヒルの意を受けて彼を連行してきたガレーヌでさえもが武装解除され、内臓までスキャンされた完全な丸腰にさせられていた。ラジム・シャーとちがってターヒルは軍事力と神秘の壁にまもられた堅牢な防壁の裏側にひそんだまま、その権力を駆使する方法を好んでいた。ガレーヌでさえ、ターヒルと直接顔をあわせるのはこれが初めてのことだ。
「待ちかねたぞ、アッダウラ」
 要塞惑星最奥部の執務室で、簡素だが実用的な執務机を前にした裏界のもうひとりの支配者は、不機嫌が刻みこまれた渋面をまっすぐにアッダウラに向ける。質素な室内は実用一点ばりで、壁にも絵画一枚かざられてはいない。
「おひさしぶりです、シフ・ターヒル。あいかわらずお元気そうで、なにより」
 対してアッダウラは世間話でもするような気安い口調でそう返した。
「ひさしぶり、か。まったくだな、アッダウラ」とぎすまされたナイフを思わせる硬質の口調でターヒルはいう。「顔をかえ、経歴をかえ、わたしの息がかかっていることをいっさい秘匿しておまえがラジム・シャーの配下におさまり、側近としてやつの知恵袋といわれるまでにかかった時間は、わたしにとっては永遠にもひとしい苦痛にみちた待機のときだった」
「またまた、ご謙遜ですな、シフ・ターヒル。あなたは必要とあれば永遠でさえ待つことのできるひとだ。すこしもあせらず、そう、いまのように、まったくの無表情のままでね」
「たわごとだな」ターヒルはおもしろくもなさそうにつぶやく。「だが、ようやくやつのふところにまでたどりついたはずのおまえが送ってよこすやつに関する情報は、毒にも薬にもならんようなものか、あるいは故意に錯誤したとしか考えられない誤報ばかりだった。そのあいだにラジム・シャーは、わたしの領土をいくつか、苦もなくうばい去っていったな。それまで不可能だったそんなことがなぜ急にやつにとって可能になったか。その理由をいまさら口にするまでもあるまい、アッダウラ。やつはわたしよりも仕えがいのある主人だったのか?」
 アッダウラはくちびるのはしに微笑を刻みながら、肩をすくめる。
「そう。あなたとおなじくらいに、魅力あふれる人物でしたよ、彼は」
 ふん、とターヒルは鼻をならす。
「鳴らない鈴なら、猫の首にかけておいたままでもさして支障はあるまい。だが、その鈴がねずみの隠れ場所や餌場までことこまかに猫に報告しはじめたとなると、そのままにしておくわけにはいかなくなる。そうだろう、アッダウラ」
「おっしゃるとおりです、シフ・ターヒル。ですが、わたしの計画が上首尾にいっているとすれば、もうあなたはある事故に関する報告を受けとっているはずですがね」
「ラジム・シャーの乗ったフライアが爆発炎上した件のことか」
「ごぞんじで?」
 肩をすくめながらアッダウラは、屈託なくほほえんでみせた。
「おまえがここに着くかなり以前に、報告は入っている。あれはおまえのしわざ、というわけか、アッダウラ」
 アッダウラはこたえず、鼻のあたまをかいただけ。
「だとすれば」とターヒルはつづけた。「おまえはずいぶん愚かなまねをしたことになる。わたしの糾弾をかわすためにそんなことをしたのか? あいにく、やつを殺してこいと命じた覚えは、わたしにはない。ラジム・シャーはたしかに、わたしにとって目ざわりな存在にはちがいない。だが、それだけではなかったのだ。あくまでもやつには、生きていてもらわなければ不都合が多すぎるのだからな。おかげでわたしは、ずたずたになった勢力地図を再編するためにたいへんな苦労をしいられることになるだろう」
「それもご謙遜ですな、シフ・ターヒル」とアッダウラはすずしげにこたえる。「あなたはこの好機をぞんぶんに活用できるだけの能力をおもちだ。そして、積極的にそうなさるおつもりのはずですな。ちがいますか?」
「そんなことは、おまえには関係ないよ。もう、な」
「もう、ですか」
「そう。もう、だ。おまえを生きたままここまでつれてこさせたのは、おまえが後悔にそのすずしげな顔を歪ませるのを見たかったからだ」
「ご期待にそえなくて、申し訳ありません、シフ・ターヒル」
「なに。わたしの期待は、もうすぐ現実のものになるさ。シファ・ガレーヌ」
 と、ターヒルはふいに賞金かせぎにその猛禽のような視線を移動させた。
 無言で見かえす傷跡の刻まれた美貌をしばしターヒルは無言でながめやり、そしていった。
「わざわざごくろうだったな、シファ・ガレーヌ。きみは伝説にたがわぬすご腕の仕事師だった。そして伝説以上に苛烈で、うつくしい」
 真顔の賞賛に、これも表情ひとつかえぬままガレーヌはたたずんでいるばかり。
 ターヒルはつづける。
「よければ、シファ・ガレーヌ。これからはわたしの専属の職業的暗殺者として、働いてもらいたい。連合あたりが提示する合法的なハンティングの報酬あたりでは、苦労にみあうだけの実入りは期待できないはずだ。その証拠に、きみは法律的にはまったく非合法なわたしの依頼をききいれて、こうしてこの裏切り者をわざわざここまでつれてきてくれた。どうだろう。この申し出はきみにとって、決して悪い話ではないと思うが」
「悪いが」そのときはじめて、ヘルハウンド・ガレーヌは口をひらいた。「わたしはあんたの提示する仕事には興味はない」
「だがすでに一度、きみはわたしの依頼をこなした」
「それもちがう」
 かわらぬ口調でガレーヌはいった。
 アッダウラが、かすかにくちびるのはしを笑いのかたちに歪ませる
「どういうことだ」
 ターヒルは硬い表情になった。
 ガレーヌはこたえる。
「わたしが今ここにいるのは、あんたの依頼を受けたからではない」
 つう、とターヒルは目をほそめた。
「つまり……きみの雇い主は実はわたしではない、と?」
「いい読みですね、シフ・ターヒル」
 茶化すように、アッダウラが口をはさんだ。
「それもすこしちがう」とアッダウラにいったのはガレーヌだった。「わたしは賞金かせぎだ。雇い主は存在しない。存在するのは、賞金をかけるものと、そして賞金首だけだ」
「その首が」と無表情にターヒルはいった。「わたし、というわけかね、シファ・ガレーヌ」
 執務机の裏側でその手は、非常呼び出しボタンを押していた。間をおかず、ガレーヌとアッダウラが背にした扉がいきおいよくひらいて、黒い戦闘服に身をかためた五人の護衛たちが室内になだれこんできた。手にした銃を、アッダウラと、そしてガレーヌに向ける。
「無謀な策を労したものだな、ヘルハウンド・ガレーヌ。残念だ。きみはわたしが思っていたほど腕ききではなかったらしい。まして、暗黒街でささやかれる伝説などには、足もとにもおよばない」
「めずらしいですな、シフ・ターヒル」からかうような口調でアッダウラがいった。「あなたの、ひとを見る目が狂う、というのは」
 おもしろくもなさそうに、ターヒルはアッダウラにうなずき返す。
「残念だよ。かいかぶりというのは、失望も大きい」
 対してアッダウラは――揶揄の口調できりかえした。
「おっと失礼。シフ・ターヒル、訂正させてもらいますよ。かいかぶりではありません。この場合は、あきらかに過小評価です」
 じろりと、ターヒルはアッダウラをにらみつけた。眉間にひとすじの縦じわが、深く刻みこまれる。
「武器をもたない賞金かせぎが、武装した五人の兵士に銃をつきつけられた状態でいったい何をできるというつもりだ」
 不機嫌な口調で問いかける。
 アッダウラは、余裕しゃくしゃくでほほえんだ。
「それもまちがっています、シフ・ターヒル。そもそも、彼女がなぜヘルハウンド・ガレーヌと呼ばれるか、あなたはごぞんじですか?」
 ターヒルは眉根を疑問のかたちによせた。
 アッダウラはつづける。
「ま、この点はあなたに限らず、世のほとんどの連中が誤解しているようですがね。つまり、賞金あさりの猟犬、という程度の意味での“ヘルハウンド”の通り名だと、ね。まあ多少はあたっていないとはいえないのかもしれません。が、おおかたはまちがってます。彼女には非常にたよりになる相棒がいるんですよ」
 ターヒルはますます混迷の度合いを深めて、アッダウラをにらみつけた。
 ほほえみながらアッダウラは、芝居がかったしぐさで両手をひろげてみせる。
「カイム、という名をきいたことがありますか?」
 ターヒルはさらに疑問をその表情に刻みこみ――
 護衛たちのひとりが、苦鳴をあげてくずれ落ちるのを見て、目をむいた。
 アッダウラはおろか、ガレーヌでさえ指一本うごかしたようすはない。遠まきにふたりをとりかこむ護衛たちに手をだせる要素は、かけらもないはずだった。
 が――びくびくと全身を痙攣させて床上に伏した護衛のひとりは、何か目にみえない刃で顔面をそぎ落とされでもしたかのように、大量の血をどくどくとフロアにまきちらしているのだった。
 残った四人の兵士たちが敵を求めて銃口を右往左往させ――
 悲鳴をあげる間すら与えられぬまま、さらにふたりの護衛が倒れ伏した。
 ひとりはギロチンにかけられたように首をとばされ、もうひとりは爆弾でも炸裂したかのごとく、背中を血まみれに破裂させていた。
 くそ、と、のこった二名のうちのひとりが、手にした銃をやみくもに乱射させた。
 放射されたビームの光条がそのとき、ある一点でみえない壁にはばまれるように八方にむけてスパークした。
 同時に、何かおぼろな影のようなものが腕をふるう光景が、まぼろしのように銃撃手の眼前で展開した。
 身体の前面を血色にはじけさせながら、その男もまたくずれ落ちる。
 そのとき、最後のひとりは賢明にも、まぼろしめいたとらえどころのない影ではなく、ガレーヌに向けて銃口をポイントしていた。
 が――残念ながら、影のほうがはやかった。
 特大のハンマーに脳天から打ちつぶされるようにして、最後のひとりもまた血まみれの肉塊と化した。
 ターヒルは中腰のまま信じられぬ殺戮の光景に目をみはる。
「どうなっている……?」
 ぼうぜんとつぶやいた。
「“カイム”ですよ、シフ・ターヒル」すずしげな口調で、アッダウラが口をはさんだ。「名前は、アルフェラータ、だったかな、シファ・ガレーヌ?」
 ガレーヌはこたえず、かわりに彼女のかたわらの空間で、波紋のように宙がふるえた。
 すぐにそれは、獣のかたちをとりはじめた。
 巨大な四足獣のかたちだった。うずくまった姿勢で、ひとの背丈ほどの大きさだ。全身が真紅の剛毛におおわれ、おおきな頭部の両側面にこれも巨大な耳がぴん、とはりつめている。そして、真円に近い両の目の、賢者のごとく何もかもを見すかしてでもいるかのような、黒い宝玉の瞳。
 カイム、とそれは呼ばれている。種族名にあたるが、正式な名称ではない。そもそも学術的に存在が確認されてさえいるわけではない、なかば伝説的な生物なのだ。あるいはいにしえの銀河全域に存在したといわれる先史文明の、一角を構成する知的種族の一員であるともまことしやかにささやかれるが、むろんこれもまた伝説の域をでない。
 そんな、正式に確認されてさえいない生物だが、人口には膾炙している。かつて人類より以前に銀河系を闊歩していた、まぼろしの種族ではないかというロマンチックな伝説をぬきにしても。
 ぬう、とそのカイム――“アルフェラータ”が、ターヒルに向けてその巨体をゆっくりと前進させた。
 膨大な質量が移動するとともに、異様な圧迫感が暗黒街の支配者のもとへとふきつける。そのくせ、巨獣は音ひとつたてていない。
 目をむき、浮足だちながらもターヒルは、すばやくひきだしのなかから銃をとりだし、眼前に肉薄しつつある怪物に向けて発砲した。
 エネルギー束が巨獣の顔面に直線を結び――
 みえない壁にぶちあたったかのようにして、花火のごとくはじけとぶ。
「そんな……ばかな!」
「ところが、そんなばかなことが実際にありうるんですよ、シフ・ターヒル」と、アッダウラは感慨深げに口にした。「カイムという種族は、ある種のエネルギー中和フィールドを発生する器官をその頭蓋内にそなえているというのです。それによって、たとえば熱線などの攻撃をある程度無効にすることもできるらしいし、通信などを傍受する能力をもってさえいる、という意見もきいたことがあります」
「だが、どうやってここに侵入できたというのだ? 軍事基地なみの警戒網をそなえたこの要塞に、どうやって!」
 冷静さの仮面をかなぐりすててわめきちらすターヒルを、アッダウラは興味深げにながめやりながら口にした。
「それもカイムというのが超生物たるゆえんですよ。あなたはごぞんじなかったようだが、かれらはどうやらスペクトルを自在に調整できるらしいんです。それによって自分を光学的に不可視化する。原理的にはファンタム型ステルス機能と同じものと考えられているようですね。まったく、おどろくべき能力ですなあ」
 だがとくとくと説明するアッダウラの言葉を、もはやターヒルはきいてはいなかった。
 ゆっくりと、しなやかな動きで接近するカイムのアルフェラータに向け、ヒステリックに銃撃をくりかえす。
 その銃撃にうんざりしたように、巨大な獣はかすかにのどをふるわせて異音を発し――おどろくほど優雅な動作で宙をとんだ。
 ひととびでターヒルの頭上をとびこえてその背後に音もなく着地し、巨大な真紅の前脚をふりあげた。
 血色の体毛からのぞく鋭利な鉤爪が、一瞬でターヒルの頭蓋を粉砕する。はじけた果実のように鮮血をふきださせて、暗黒街の独裁者もまた床上の肉塊と化した。
 やれやれ、と軽い口調でアッダウラはガレーヌをふりかえり――硬直した。
 ポイントされた鈍色の銃口が、つめたいかがやきを放っていた。
 実体弾を発射するタイプの、旧式だが圧倒的な威力をほこる銃だった。
「おどろいたな」両手をふたたび頭上にあげながら、アッダウラはいった。「実際、ここの厳重な警戒をくぐって無断で武器をもちこめる人間がいるなんて、いまのいままで想像することもできなかったよ。きみはもしかして、カイムの協力なんてなくてもターヒルを殺すことくらい造作もなかったんじゃないのかい?」
 無駄口にはつきあわず、ガレーヌは氷のような口調で問うた。
「おまえはアルフェラータの名前まで知っていた。カイムのことなら、伝説でききかじっていたかもしれない。だが、わたしのかたわらにいるアルフェラータのことまで知っている人間は、この銀河系に数えるほどしか存在しない。それをおまえはかぎつけた。危険な存在だな、アッダウラ、おまえは。ある意味では、ラジム・シャーやターヒルなどより、よほど危険な存在だ」
「光栄だよ、シファ・ガレーヌ」観念したのか、ふたたび軽い口調をとりもどしてアッダウラはいった。「美人にほめられるのは、わるい気分じゃない。たとえ銃をつきつけられていてもね。そう考えれば、これも悪くない死にかたかもしれないな」
 ほほえみながら二、三歩あとずさり、あげていた両手をおろして胸上で組み、後ろの壁に背をあずけた。
 どうぞ、とでもいいたげに両腕をひろげてみせる。むろん、ほほえんだままだ。
 そのまま数秒、氷結したような時をふたりは対峙してすごし――
 やがてガレーヌは、そっけない動作で銃を、張りのある太股のホルスター内部へとしまいこんだ。
 瞬時、アッダウラはぼうぜんと目をむいた。
 ガレーヌのその行為よりは――ほんの一瞬、傷跡のきざまれたその美貌にかすかな笑みがうかんだような気がしたことこそが、意外だったからだ。
 だがすぐにアッダウラは肩をすくめて、
「どういう心境の変化だい?」
 もとの、余裕しゃくしゃくの態度をとりもどして問いかけた。
「べつに」と、こちらももとの無表情のまま、ガレーヌはいった。「わたしはバウンティ・ハンターだ。賞金のかかっていない首はハンティングしない。それだけだ」
「残念だね。もっとロマンスの香りあふれる理由を期待していたのに」アッダウラは軽口をたたく。「でも、やっぱり恩には着ておくよ。美女に恩返しする機会を待つのも悪くはない。たしかきみには、仇と狙っている人物がいたはずだね」
 真意をはかりかねる目つきで、ガレーヌはしばらくのあいだアッダウラを見つめかえした。
 が、ほほえみの仮面の底をさぐるのはあきらめたように、やがて静かにこたえる。
「シャフルードだ」
 と。
「盗賊シャフルードが、わたしの生涯の仇敵だ。この男だけは、賞金首だから狙っているわけじゃない」
「へえ。じゃ、なぜだい?」
 さらにしばらくの沈黙を間において、ガレーヌはいった。
「弟の仇さ」
 とだけこたえた。
 OK、とアッダウラは応じる。
「なにか役に立つ情報でも入手したときには、まっさきにきみに知らせるよ。連絡をつけるには、どうすればいい?」
「捜すんだな」にべもない口調でガレーヌはいった。その底に、苦笑がにじんでいるような気が、アッダウラにはしたのだった。「勝手にあんたが着た恩だ。賞金の窓口でもあちこちあたれば、そのうちいきつくだろう」
 くるりと背を向け、アルフェラータの巨体にふわりと手をかけ、歩きだした。
 その背中にアッダウラはさらに言葉をつづける。
「その盗賊がうらやましいよ。愛と憎悪は表裏一体だ。おれも、夢にまで想われたいもんだな、きみに。もちろん、できれば愛のほうでね」
 きいているのかいないのか、ガレーヌは一度もふりかえることなく歩き去った。カイムのアルフェラータだけがその巨大な頭部をちらりとふり向け、アッダウラに一瞬の一瞥をくれた。
 その、巨獣の一瞥に憐憫と同情をみたような気がしてアッダウラは肩をすくめ、ため息とともに苦笑をおしだしたのだった。


(了)


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