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 四月の雪は街を眠らせた。
 朝には陽気に汗ばんでさえいた、うすものにおおわれた肩を、凍てついた夜気にふるえる手で神経質に抱きながら男たちも女たちも足早に帰路を急ぐ。
 路地裏でふるえる野良犬をおびやかす酔漢の千鳥足も、今宵は背中をまるめて小刻みに地をうち、夜ごと威勢のいい、あるいは淫靡な呼びかけが朝まで耐えない裏街の街路も、今宵ばかりは早々にネオンの灯りを落としてつぎつぎに扉を閉ざしていった。
 そして幻想が街をねり歩く。
 鎌を抱いた極彩色の死神は夢の内部のできごとのように人びとにうつろな恐怖と陶酔をふりまいて歩き、そしてそれは時には死者さえひねり出していた。が――その当事者以外にそのことに気づいているものはまだ、だれ一人としていない。
 降りつぐ雪に音は奪われ、白い集積の底に臭気は封じこめられ、少女はうつろに笑いながら打ち壊されたガラス玉の残骸を求めて街をさまよう。
 そして、ダブルシフトまっただなかのチャン・ユンカイは、けたたましく鳴きわめく電話のコールを天から無視しつつ、幾度めかのアルコール調達行をまたもや上司に阻止された憤懣を、ありったけの不機嫌とともに後輩のルー・チーロンに放出していた。
「エリートさまは、まったくよ。ええ? 先輩の命令だってのに買い物ひとつできねえってんだからな。ああ、ああ、そりゃおめえは総監の息子で優等生のエリートさまだもんな。そりゃこんな万年ヒラ刑事のどぶ泥な人間のいうことなんざ、そりゃちゃんちゃらおかしくって聞いちゃいられねえんだろうさ。ああ、ああ、そりゃ、な。そりゃそうだとも。ええ、ええ、ごもっともってんだ。へ」
 無能、および悪徳で名高い小太りの先輩刑事のいつもの愚痴に、近々別部署への配置がえが決まっている長身をもてあました若きエリート刑事は、これもいつもどおり、きわめて生真面目に応対していた。
「そんな、チャン先輩、ぼくはそんなつもりなんて全然ないんです。だってぼくの父が総監だってことはぼく自身とはまったく関わりのないことなんだし、もちろんそれを鼻にかけたくだってない。でも先輩、勤務中に飲酒だなんて、やっぱりどう考えてもいけないことです」
 実際、どこをどうまちがってかヤクザと寸分たがわぬ荒くれどものたむろするラウレン殺人課二係に配属された上に、よりにもよってチャン・ユンカイなどという悪名高き不良刑事とコンビを組まされて標準時で一年近くが経過していながら、この強烈かつ卑俗なるユンカイの個性に毒されるどころか持って生まれた正義感を維持強化したのみならず、その純真さ、素直さをさえ失うことなく不思議に悪くないコンビを組んでこられたというのだから、あるいは直属上司のマウェンの云うごとく、この事実は奇跡にほかならないのかもしれない。
「うるせえぞエリートさま。あのなあ、この世界てのはなあ、いけないことで成り立ってるんだよ。わかる?」
「でもやっぱりいけないことはいけないことです」
 正論派対すちゃらか派の議論は、まるで電話に出ようともしないユンカイと、こちらはひとつこと(つまりはユンカイ相手の正論展開)に夢中になりすぎて視野狭窄に陥っているチーロンのふまじめぶりに業を煮やしてみずから電話に応対していた上司のマウェンの怒鳴り声に、強引に断ち切られた。
「おいきさまら、いつまでぎゃあつく愚にもつかないことを。事件だ事件。三番街の軌道エレヴェータのエントランスで男が三人、死んでいるらしい。いって見てくるんだ。早く」
「はあ?」
 とユンカイはあからさまに寄せた眉根でやる気のなさを力いっぱい主張する。
「男が三人? なんだか知りませんがね、課長、いき倒れになんざいちいちかかわりあってちゃ殺人課の名折れですぜ」
「でも先輩、いまどきいき倒れなんてたしかに変ですよ」
「そのとおりだ。しかも今日、同種の事件はすでに四件めだ。その四件がすべて、何者かに対する恐怖の表情をはりつけたままの絶息らしい。殺人かどうかはわからんがたしかに不可解な事件だ。ぐずぐず云わずにとっとといけ。ムダ飯ばかり喰らってんじゃない」
「はい課長。さ、先輩、いきましょう」
「けっ。なんでえ。いい子ちゃんぶりやがってよ」
「先輩、ひどい。ぼく、ぶってなんていません」
 たしかにフリなどではなく、一から十までチーロンは本気である。
「ああ、おい待て。ついでってわけじゃあるんだが、これも持ってけ」
「なんです? どうせまた厄介ごとの追加に決まってるんだ。ぶつぶつ」
「ぶつぶつぬかすんじゃない、チャン」
 とマウェン課長がさし出したホロチップは、ミドルティーンらしきあどけない顔だちの少女の立体映像を映しだしていた。
「課長のお孫さんですか?」
 真顔で訊くチーロンにマウェンは思いっきり顔をしかめてみせる。
「ばかもの。まだそんな歳じゃない」
「じゃ2号だな。よくもまあ安月給で。世間知らずの小娘をだまくらかして囲ってるてわけだ、この超変態の極悪人が」
「きさまはまったくどこまでくだらんたわ言を。都警病院から捜索依頼でまわってきたんだ。なんでも昏睡状態のはずが、だれも気づかないうちにベッドからいなくなっちまってたらしい。病院の外で、ふらふら歩いてるのを見かけた人がいたらしくてな。目下捜索中だ」
「警察病院ですかい?」いぶかしげにユンカイは眉根をよせる。「かわいらしい娘ですが、殺人犯か何かで?」
「バカ。被害者だよ。かなり凶悪な暴行を受けたらしいな。犯人はまだ見つかっちゃいない」
「なんでえ。強姦されたのか。かわいそうに。ほれチーロン、ぽけっと見とれてんじゃねえよ。こういう脳みそたりなさそうな、素朴なタイプが好みか? あん?」
「そっ、そんな先輩、ぼくべつに見とれてなんか」と、むきになって否定する。「それにしても、こんないたいけな少女に暴行を働くだなんてまったく許せない連中ですね。どうしてそんなことするんだろう」
「世の中おまえみたいに平和な脳の持ち主ばかりじゃないってこった」
「ちょっと先輩、それじゃぼくがバカみたいじゃないですか。いいから早くいきましょう。こんな寒空の下さまよってるだなんて、この女の子がかわいそうだ」
「ばか、おめえ、おれたちゃ捜索に出るんじゃなくて現場検証にだな。こら、襟首ひっぱるんじゃねえよ繊維へたってるんだから破れちまうだろうが。ひっぱるなってのに」
 と、チーロンに尻をたたかれるようにしてユンカイは、贅肉だらけの短躯をひいひいいわせながら屋上のフライアの内部にほとんど無理やり、といった感じでぎゅうとおしこめられた。
 なお降りやまぬ白銀の都市を、無機質な灯火の列をぬうようにして浮揚機は耳ざわりな騒音をたてながら、はるかな頭上にうかぶ軌道ステーションへと長大にのびた軌道エレヴェータの都市根幹部へとたどり着く。
 ポリスボックス勤務の制服警官が六名。救急フライアが一台。そして鑑識課の記章をつけた顔見知りの解剖屋が三人。いずれもすでに、ひととおりの検証を終えたらしくいき倒れていたという屍体は、まるでまだ生きてでもいるかのように丁重に担架にのせられつつあるところだった。
「なんか変わった点はあるか?」
 うわあと大口ひらいてあくびを見せびらかしつつユンカイが訊くのへ、鑑識課員のひとりがこれもまた事務的に答える。
「とりあえず何もわかっちゃいないな。死因は心臓麻痺だ。どうもなんだかよっぽどおそろしいものでも見たらしい。何を見たかってのは、まあ、さっぱりわかりゃしないがね。とにかくまあ、どう考えても何もないとしか思えない平凡な場所でショック死、と。遺留品だのの手がかりらしきものも一切なし。近ごろじゃ、とつぜん寒くなったりするとぽっくりいっちまうってのが流行かね」
「ほかにも三件あったんだろ? みんなこれといっしょか?」
「二件はな。あとの一件はちょっと妙でよ。窒息死だ」
「あん?」
 ユンカイは目をむき、チーロンは、
「港ですか? それとも、まさかステーションで?」
「エレヴェータの上は管轄がちがうよ、シャオルー。それに単なる溺死ならべつにわざわざ、この事件につけ加えるような手間かけるかい。ちがうね。場所は十三番街のバーの前だ。死んでたのはバーのマスターとホステスふたり。店のシャッターはおりてて、鍵はかかってなかったがマスターの手の中に握られてたから、まあ早じまいで帰ろうとしてたところだったんだろうな。店内でなら酸欠ってセンも、まあまったく考えられないわけじゃないんだろうが店の外だし、まったくわけがわからんよ。雪に顔つっこんで自殺でもはかったのかね」
「そんなまさか」
 と真正直に反応するチーロンに鑑識課員は苦笑をうかべ、
「くわしいことはもう〝ルキ〟に入ってるころあいだ。興味があったら問い合わせてくれよ」
「興味なんざねえよ」
 ふわあと盛大にあくびをもらしつつユンカイが吐き捨てる。「それに、通信プロセッサ、署に忘れてきちまった」
「もう先輩、しっかりしてくださいよ。通信プロセッサならぼく、ちゃんと装備してます」
「あーあーわかった、おまえはマジメだよ。その調子でひとりで事件解決してくれ」
 ひらひらと手をふるユンカイに生真面目にうなずきながら、チーロンは内耳にしこまれた通信プロセッサに呼びかけ、警察専用記憶バンク端末にアクセスを開始する。救急フライアに鑑識課員たちも乗りこみ、制服警官にはユンカイが「あー君たちもういいよ。とっとと帰って茶でも飲んでな」と犬でも追うようなしぐさで終了を告げた。
「おかしいな。先輩、ぼくのコムプロ、故障しちゃったみたいです。うんともすんともいいません」
「なこた知るかよ。おめえの整備不良ってやつだな。署の備品ぶち壊しやがってとんでもないヤツだなおまえは」
「そんな先輩」
「こら、すり寄るんじゃねえよバカ。けっ、まったく。なんだあいつらはこんな夜に浮かれやがって。まったく」
 憎々しげにいって白い地上に唾を吐くユンカイの視線の先に、道化師のように色とりどりの衣装に身をつつんだ奇妙な一団が、まるで宙でも舞うような軽い足どりでゆっくりと、楽しそうな笑い声をあげながら横ぎっていった。
「ありゃあもしかすっと、ヤクでもやってっかもしんねえな。でなきゃこんなおっそろしく冷えこむ夜にああも浮かれ騒いでいられるモンじゃねえ。うら、ガキども、とっとと家に帰って寝ろ。逮捕すんぞこら。おれにもヤクわけろ」
 刑事にあるまじき言動で叱責とも野次ともとれぬ言葉を投げかけるチャン・ユンカイなどまるで気にした様子もなく、奇妙な一団はふわふわとした足どりで街路を曲がって姿を消した。
「先輩、やっぱり連絡がつきません。ああ、鑑識の人たちに連絡してもらえばよかったかな」
「阿呆。フライアの通信機があるだろうが。どっちにしても、べつに急いで報告することなんざ何もねえんだ。とっとと帰ろうや」
「でも先輩。これじゃ何のために出てきたんだかわかりゃしませんよ。もうすこしこう、聞き込みとか付近の探索とか、ぼくたちだけででもやっておきませんか」
「おいチーロン、おまえついに気が変になったのか? この寒空の下をよ。冗談じゃねえやまったく。しかしまあ、おまえの云うことにもたしかに一理あるかもな」
 え、と目をむいたのはチーロンだった。こちらの方こそ、正気ですかとでもいいたげに丸々と見ひらいた目で見かえすのへ、なんでえ文句あるのかと唇とがらせつつユンカイは云った。
「それじゃまあ、手はじめにさっきあいつが云ってた十三番街にでも、いってみるか。うら、早くフライア出せほら」
 フライアの通信機を使って署の方に手短に報告を入れてから、バンクに問い合わせて問題の店の名を聞き出したころにはフライアは、十三番街にたどりついていた。
 周囲はひっそりと静まりかえって人影ひとつ見あたらず、問題の店はもちろんシャッターが閉じられていた。ポケットから手を出そうとさえしないユンカイの命令を素直にきいて、チーロンはシャッターを開けようとしたが、改めて鍵が閉めなおされたかびくともしない。
 事件があってからも降りつづいていたせいだろう、つもった雪にはすでに足跡ひとつ見あたらず、新たに手がかりになりそうなものなど何ひとつない。
「先輩、これじゃどうにも手のつけようがありませんね。あれ? 先輩。どこいくんです?」
 舞い散る雪の中をはるか離れたネオン街に、誘蛾灯にひきつけられるようにしてよたよたした足どりで消えていくユンカイを、チーロンはあわてて追った。
「先輩、ここではすることなんかもうありませんよ。移動しましょう」
「バカぬかせこのひよっこめが」というのが、チャン・ユンカイの返答だった。「捜査の基本はおめえ、聞き込みだぜ。こういう場合は近所の店をまわるってのが常道なんだよ。イヤならついてくるな」
「ちょ、ちょ、待ってくださいよ先輩」
 と制止をかけるのもまったく聞かずにユンカイは、手近の半地下のバーにとっとと降りていく。こういう場合のチャン・ユンカイの動作は奇妙なほどすばやい。
「よう親父。どうだい景気は? あん?」
 ユンカイの短躯を目にするや禿頭ちょび髭のマスターはカウンターの内部で露骨にしかめ面をした。それでもあきらめたように「ああ、ユンカイの旦那。いつものやつですかい」
 とシェイカーに手をのばすあたり、チャン・ユンカイ相手にしては破格の好待遇といわねばなるまい。
「なに、酒? いや、そうか、悪いなあ。勤務中なんだが。いやせっかくの好意だし、これはことわっちゃ失礼てなもんだ。うるせえチーロン、小さいことをぐだぐだ云うな。な? 親父。ところで最近かわったこた、ないか? ない? そりゃたいへんけっこう。世はなべてこともなし、てね。はっはっはーだ」
 ほとんど一人でわめきたてるような調子で、さし出された〝悪魔の水〟と呼ばれる悪名高き安カクテルをひょいととりあげぐーいと飲み干す。
「よしゃ親父。もう一杯だ。繁盛してるか? ん?」
 上機嫌で無意味に問う。困惑顔ながらもマスターは従順にシェイカーをふりつつ、この界隈ではかなり広い部類に属する店内をざっと目で見わたしながら、
「ごらんのとおりでさ。今夜はもう、商売にはなりそうもありませんな」
 ため息をつきながらそう云った。
 たしかにかなり抑えた照明とフルヴォリューム、アップテンポのBGMにかきまわされていながら、広い店内には閑古鳥が鳴いていた。ユンカイたちをのぞけば店奥のボックス席に寝こける中年がひとりと、後は入口近くで傍若無人にわめき立てるミドルティーンにしか見えない一団が客のすべてだ。
「まあ、このコンディションじゃな。あのガキどもがいるだけでもめっけもんだな。しかしヤツら、妙なヤクなんぞやっちゃいねえだろうな」
「まさか。かんべんしてくださいよチャンさん。ありゃこのあたりじゃ有名なタチの悪い悪ガキどもで。変に悪知恵がきいててあまりシッポ出さないんで店にゃ入れますが、正直あんまり歓迎したくはない連中でしてね。ドラッグだかなんだかしらないが、そういうものを、もし仮に持っていたとしても、ウチにゃいっさい関係ないですから。そのへん、よろしく頼んますよ」
 フンと鼻を鳴らしつつユンカイはさし出された二杯めに手をのばす。
 そのときフッと、照明と音楽とが消えた。
「あ、停電かな?」
 呑気な口調でいうチーロンの横で、ごくごくごくと勢いよく喉を鳴らす音がした後に、
「なんでえ親父、電気代ちゃんと払えよ」
 とユンカイがつっこむ。入口付近は瞬時、静まりかえったが、すぐに先にも倍する陽気な笑い声が爆発した。
「さ、先輩、もういきましょうったら。また課長に叱られますよ」
「へん、課長がなんだってんだ。頼む、もう一杯だけ。な? な? これだけじゃ酔えやしねえ」
「酔ってしまってはいけないんですってば、もう」
「るせえ。エリートさまが。親父、もう一杯だ。早くしろ」
「もういいんです。あっ、電気もついた。それじゃどうもお邪魔しました」
 店内にあふれかえる騒音に負けじと声をはりあげて律儀に頭をさげながら、チーロンはグラスをもって離さないユンカイをひきずるようにして店を出た。
「なんでえこの糞、石頭めが。ほらまたいき倒れだぞ。面倒見てやれってんだ。ちくしょうめが」
 ぶつくさと文句をたれながらユンカイは、白い路上につっぷしたビジネスマン風の男を指さしてみせた。
 チーロンはユンカイの襟首をつかんだままつかつかと伏した男に歩みより、すばやく手をとって脈をみた。
 そして隙を見てバーにUターンしかけたユンカイの背中に向けて、声をはりあげる。
「先輩、この人まだ生きてます」
「あ? 生きてる?」
 あからさまな迷惑顔でユンカイは面倒くさげに声を返し、寸時ためらった後、しぶしぶながら踵をかえした。
「んじゃ単なる酔っぱらいじゃねえのか?」
「どうですかね。たしかにすこし、アルコール臭いけど」
「まあ何でもいいや、とっとと救急にひきわたしちまいな。こんなとこいたんじゃ、いいかげん風邪ひいちまう。早く電話してこい」
「今しました。二分以内に到着するそうです。それにしても、ぼくたちがあの地下の店にいる五分くらいの間のできごとですね。もしかしたら、ほとんどタッチの差だったかもしれない。くそ、いったい何が起こったんだろ」
「知るもんか」
 白い息を吐きつつ、まるで遅いバスをでも待っているようにして全身を揺らしながらユンカイは毒づいた。
 その合間をぬうようにして、う、うう、とチーロンに抱えられた男が弱々しくうめきをあげた。
「なんでえ、生きてるじゃねえか」
「だからさっきそう云ったでしょ」
 さすがに呆れ顔でチーロンは返し、男の耳もとに口をよせた。「どうしたんです? だいじょうぶですか?」
 対して、異様なリアクションがもたらされた。
「鮫が……」
 男は、そうつぶやいたのだ。
「鮫?」
 思わず訊きかえした。が、チーロンとユンカイの疑問は無視して男は、さらに不可解な単語を羅列する。
「飛ぶ……道化師が……寄るな……こっちに来るな……きみはこんなところで……ひとりで……」
 困惑の体でチーロンとユンカイは互いの顔と男とに、交互に目をやった。
 そのとき男は、ふいに白い闇空に向けて、喉もはり裂けんばかりの絶叫を放った。
「おいっ。だいじょうぶですかっ? おいっ。おいっ」
 思わずとり乱したか、チーロンは叫びながら男をゆさぶった。
 いずれにせよ手遅れだったろう。ふいに男は、糸を断ち切られでもしたかのようにことんと首を落とし、息絶えた。
 脈をはかり、呆然とチーロンがユンカイを見あげた。
「どうなってやがる」
 遅すぎたサイレンの音が近づくのを背に、ユンカイもまた気味が悪そうに背筋をぶるると震わせた。
 救急フライアの前照灯がビル群の間からぬうと現れて急降下するのに目を向けかけ――
「おいねえちゃん! そこにいてくれ!」
 ふいにユンカイは叫びつつ、とととと駆け出した。
「先輩!」
 どうしたんです、と身動きならないままチーロンが叫ぶより早く、
「例の病院から行方くらましたあの娘だよ!」
 セリフをおきざりにして、ユンカイは街路を曲がった。
 ふらふらと、まるで幽霊のようにたよりなげな足どりで歩いていた、純白のドレスに身をつつんだブルネットの少女は、ほとんど一瞬の差で消えた角をユンカイがまわった時にはすでに――どこにもいなかった。
 かわりに、先刻路上をただよっていた道化師の一団がいた。
 呆然と目を見はり、ついで一団を見はるかすように背のびをしたりくぐんだりして少女の姿をさがしたが、まるで見あたらない。
 くすくすくすと、道化師の一団が笑った。背の高いのやら低いのやら、伝統的な水玉模様から花をまき散らしたようなもの、文楽を思わせる金ぴかの着物、電脳模様、装飾過剰の電飾衣装、顔に剽げた隈取り、露出過多のトランジスタグラマー、燃え盛る炎、安手のコミックヒーロー、黒ずくめの悪魔。どれもこれも、異様に昂揚した衣装や仮面、化粧などで全身を鎧ってはいたが、奇妙に若い、というよりは幼い印象をただよわせている。
 きらびやかで、雑多で、そして陽気な一団はくすくすと笑いを交錯させながら飛んだり跳ねたりしてユンカイの周囲を巡りはじめた。
「なんだてめえら、どけ」
 口汚くののしりながらもユンカイは、奇妙な違和感を感じていた。
 飛び交う笑いは幻のように反響して耳に痛いほどだった。にもかかわらず――異様に静かで、透明だったのだ。
 若い奴らの、時に残酷なまでの陽気さなど見あきている。さっきのバーの小僧どもなどその典型だ。おしつけがましいほどの圧力はもてあましたエネルギーに裏づけられているのだろう。奴らの責任ではないが、たいがいは抑えようともしない。それに、たとえ抑えてはいても噴き出してくるものがたしかにある。奴らは、群れてそこにいるだけですでに何かを発散しているのだ。
 この連中にはそれがない。
 まるで幻想の内部をただよう無邪気な妖精たちのように、軽く、うつろで、地に足がついていないような印象があるのだ。
 ――否。
 目を見はりつつユンカイは、力なく、首を左右にふった。そして、
「地についてねえじゃねえか……」
 ため息のようにつぶやいた。
 地に足がついていないような――ではない。
 ふわりと飛んだ羽毛模様のパステル調が、ユンカイの頭上で逆さに浮かびながら投げキスを放ってよこした。
 文字どおり、地に足がついていないのだ。
 重力の法則を無視して、中途半端に空中を浮遊する道化師の一団は、なおも陽気で空虚な笑いを響かせたまま、ユンカイの四囲を楽しげに跳び巡った。
 糞が、とユンカイは小さくつぶやく。
「どうなってやがる。あの小娘はどこいきゃがったってんだ……」
 その時、ユンカイの独白に応えるようにして、跳ねまわる道化師たちの背後に奇妙な幻像が身を結んだ。
 小さな、ささやかな、ブラッドストーンの宝石の幻像。
 巡る極彩色の一団の影で、見落として当然のはずのその小さな像がユンカイの目をひいたのはいったいなぜだったのか。
「先輩、これいったい何です?」
 なかば泣き声のようなチーロンの震え声が背後から呼びかけたとき――
 すべてが消え失せた。
 ずいぶん長い間、呆然とただ立ちつくしていたような気がする。
「それじゃ、おめえも」ようようのことでユンカイが口を開いたとき、街路にはただ単調に白い闇がわだかまっているばかりだった。「見たんだな?」
「見ました」
 魂をぬかれたような口調でチーロンが答える。「あれいったい、なんなんです? ホロ映像?」
「にしちゃ、麻薬みてえによく効いたな。サラウンディのシステムがっちりそろえた施設なら、あの程度の芸当も屁でもねえんだろうが」
「それらしき装置、ここらへんには見あたりませんよねえ」
 と、きょろきょろと周囲を見まわす。殺風景なビルの背中がそびえているだけだ。
「ま、どうでもいいけどよ」
 ふいに、ユンカイはさばさばとした口調で云い捨てた。驚くべき回復力、というべきか。あんぐりと口をあけて馬鹿面さらすチーロンに仏頂面で問いかける。
「さっきの野郎、どうした?」
「え? あ、やっぱりダメそうでした。病院に運んで、心臓マッサージするっていってましたが、ついた救急フライアがほんのしばらくでしたけど動かなくなっちゃって。エンジン、冷えちゃってたのかなあ」
「バカぬかせ。たとえアイドリング切ってたって、ほんの二、三分のこったろうが」
「でも、バカにならない寒さだし。ああ、それと、ぼく署の方に連絡入れてたんですけど、それが途中で切れちゃって。やっぱりぼくのコムプロ、故障してしまったようです。それで先輩のあと追って」
「ちょっと待て」
 不快げに眉根をぐい、ぐい、ぐいと寄せつつ、ユンカイはチーロンの言葉をさえぎった。仏頂面で眉間にしわを開いてはよせてみせるのは、この男が珍しくもものを考えているときの癖だった。
「今はどうだ?」
「は?」
 とあいまいに笑いながら訊きかえすのに、ユンカイはもどかしげにくりかえした。
「今はどうなんだよ、通信プロセッサ。使えるのか? あ?」
「そ、そんなに怒らないでくださいよ。コール。あ、使えるみたい」
 フン、と鼻をならしながらもう一度憎々しげな表情で顔面にしわをよせ、
「警察病院に連絡しろ。行方不明のあの娘がいた病院だ」
「は、はい。あの、それで何を?」
「精密検査をどこまでやったかを、だ。いや、つまり――知覚度がどの程度か、てことをだ。TPの才能があったかどうか、だな。あ、それから、あの娘が病院に運びこまれた際のくわしいプロセスなんかも訊いといてくれ」
「はあ。わかりました。コール、ラウレン都警病院」
 内耳の通信プロセッサに向けてチーロンが、あれこれ問いかけるのをもどかしげに見やりながらユンカイはふと、これは独り言をつぶやく狂人と区別がつかないなと考えた。どちらも一見したかぎりでは、路上で空中にでも話しかけているといった風にはかわりない。ありふれた光景なので気にとめることもないが、よだれをたらしながら狂気の光を目にたたえて見えない虚空と会話する類の人間とすれちがっても、ほとんど気づくことさえないのかもしれない。
 チーロンはずいぶん長いこと質疑応答をくりかえしたあげく、いったんコールを切ったあと、あらためて情報バンクにアクセスし直した。
「カットオフ。すごいですね、先輩。読みどおりですよ」
 やがて通信を終えてチーロンが、尊敬のまなざしでユンカイを見ながら云った。
「どうしてわかったんです? ハディージャ・アルマフルーサ・アッザハブはたしかにTPの秘めた才能があったそうです。ただそれも悲惨な境遇に抑圧されて、秘めたまんま表面化したことはなかったそうですが。でも数値の上だけなら、かなりのクラスのテレパスだそうですよ」
「だろうな」仏頂面のままユンカイは答えた。「あの幻はたしかに破格だ。まして、それで人の心臓とめたり窒息までさせちまう、とあっちゃな」
「つまりあれは――」
 あっという表情でチーロンが口にするのへ、
「テレパシー投感だ。ありゃ、そのハディージャなんたらの頭ン中の幻想が、そのままおれたちに投射されて見えたモンなんだ」
「投感テレパスですか」チーロンは感心したようにため息をついた。「初めて見た」
「たいがいそうだろうさ。かなり珍しいタイプのサイらしいからな」
「へえ、そうなんですか? それはたいしたものだなあ」
 チーロンのセリフに、ユンカイは情けなげに顔を歪めてみせる。
「おいおい呑気な味出してんじゃねえよ。もうひとつの方はどうだっんだ」
「あ、入院の際の? それが思っていたより、かなりひどい話みたいなんです。ほとんど死にかけてたほどだ、って」
 フン、とユンカイは鼻をならした。「それで?」
「運びこまれたときは意識なくて、三日間眠りつづけてたそうなんです。ただ、しきりと胸もとをまさぐりながら、おかあさん、おかあさん、てうわ言をくりかえしてて。その間に彼女の網膜パターンから、ずっと以前に系列の病院の治療を受けてることがわかったんですが。その時に彼女を運びこんだのがどこかの会社の重役か何かだったらしいんですけどね。最初、その重役は単なる通りすがりの者だと名乗ってたらしいんですが……」
 ユンカイはぎろりと横目で、長身の後輩をにらみあげた。
「おおかた、その娘の客か何かだったんだろうが」
「先輩、すごい」
 チーロンはさらに尊敬をこめてユンカイを見やった。
「おいこのバカ。妙なことに感心すんじゃねえ。先をつづけろ」
「ええ。それでバンクにアクセスし直して問いあわせてみたところ、やっぱり彼女、かなり頻繁に売春で摘発されてました。人気があったみたいですね。ほかのとは、桁ちがいですよ」
「ふん、予想がつかねえでもねえな。顕現はしてなくても、まごうかたなき投感テレパスだ。いい気分を増幅して相手に投げかえしてでもいたんだろうよ。無意識に、な。こいつもおれの想像だが、ハディージャはちょいと頭がゆるかったはずだ。どうだ?」
「ええ、まあ。当たりです」
 と、今度は感心は見せずに困ったような顔をしてあいまいにうなずいてみせた。〝頭がゆるい〟というユンカイの表現に反発を感じたせいだろう。
「へ。それで、ハディージャのその、おかあさんとやらは? 病院にはかけつけたのか?」
「それがこれもひどい話なんですけどね。彼女、どうも身よりがないらしくって。肉親どころか、聞き込みに友だちだと答える人さえひとりもいなかったらしいんですよ」
「ふん、どぶ泥の底のくずどもなんざ、たいがいそんなもんさ。となると、おかあさんてうわ言がよくわからねえな。――で? ハディージャはいつ気がついたんだ?」
「それがわからなかったんだそうです。当直の医師も、警備の人もまったく気づかないうちに、いなくなっていたんだそうで。居眠りでもしてたんじゃないかって、問いあわせに応対してくれた人はちょっと憤慨した感じでいってましたけど」
「全員がか? ちがうだろうな。たぶん、ハディージャの幻覚に見とれてでもいたんだろうさ。まあ、だいたい概要はわかった。問題は、なぜ急にハディージャの能力が派手に動きはじめちまったのか。それと、なんのために彼女は病院をぬけ出して街をさまよい歩き――そして人を殺してまわっているか、だ」
「殺してまわってるって、意識して、ですか?」
「なこた、知らねえがよ。まあ、自分の幻覚が人にどんな作用をおよぼしているのかに気づかずに、ただ単に散歩してるだけなのかもしれねえが。けど――それにしちゃ、人が死にすぎてる。めちゃめちゃだ。それに――さっき見たときにおまえも感じなかったか? 彼女の――憎悪を、よ」
「それは……たしかにそんな気もしましたけど……」
 なおも歯切れの悪いチーロンのセリフは無視して、ユンカイはさらに鼻の頭にぐいぐいぐいと皺をよせた。
「それと、最後にあのピエロどもの後ろに見えた宝石みてえなの。なんだかよくわからねえが、どうもあれが気になるんだ。くそ……なんだったかな……」
 つぶやきながら唇をかむユンカイのかたわらで、チーロンが「そういえば」と口にした。
「あの首飾り、見おぼえありますよ」
「首飾り?」目をむいてユンカイは問いかえす。「首飾りか、ありゃ? どうもおれは装飾品にゃうとくてな」
「いえ、ぼくだってあれだけ見たんじゃ首飾りだとはわかりませんよ。でも、そうだ、ついさっきあれと同じデザインの首飾りを見たものだから」
「なに?」
 頓狂な声をあげてユンカイは、チーロンににじり寄った。「見た? どこで?」
「あの、さっきのあのバーで。ほら、入口んところで騒いでた連中、いたでしょう? あの一人が首につけてたの、何となく眺めてたものだから」
「危ェ」
 みなまで聞かずにユンカイは喉をうならせながら、もと来た道をひきかえしはじめた。
 半地下の階段を降りる前から、うねる波の間に間に牙をむく鮫の姿がバーの扉をすりぬけるようにのたうっているのが目についた。
「こりゃたしかに――」
 踏みこみかけてユンカイはたたらを踏んだ。
 黒いタールのような奇怪な海の底にプレアデスの光輝や過剰星雲がゆらめき、熱帯魚のようにカラフルな装いの道化師たちが楽しげに、けらけらと笑いながら透明な闇の中で宙がえりをしていた。
 地獄の使者のごとき黒ずくめのフードが、巨大な鎌をふりたてて扉の彼方に消え、ふいにうねる波涛は澄んだ青にかわる。
「見たことがねえんだろうな」
 呆然と幻惑を眺めおろすばかりだったユンカイが、ふと、静かにそういった。
 え、とチーロンが訊きかえす。
「海を、さ」面倒そうに、ユンカイは口にした。「見ろよ、この青さ。紙っぺらに書いたみてえに、哀しいほどきれいじゃねえか。それにさっき見た黒い海。いかにも想像の産物さ。あんなんで心臓とめちまうなんざ――ちくしょう、それでもおれたちゃ、脇から見てただけだからな」
「先輩……」
 チーロンの、つぶやきともとれない呼びかけに応えるようにして、青い波はゆるりと弧を描いて消えた。
 楽しげに宙を舞いとんぼを切る道化師たちも、吸い込まれるようにして扉の奥に消え失せる。
 そして、すべての幻像が去ってしまった後も、チャン・ユンカイは長いあいだ動こうとさえしなかった。
 店の内部にはあいかわらず、薄闇と扇情的な音楽とがあふれかえっていた。
 群れていたガキどもは、恐怖とも歓喜ともつかぬ顔をしてテーブルに伏せたままぴくりとも動かず、カウンターに上体をあずけた姿勢で硬直している禿頭ちょび髭の親父もまた、目を見ひらいたまま奇妙な表情を顔面にこびりつかせて、息絶えている。
 店奥に陣取って寝こける酔っぱらいだけはあいかわらず、もとの姿勢のままだ。安らかな寝息を立てている。熟睡している人間には、顕現した悪夢もさほどの力を発揮しないのかもしれない。
 そして、もうひとつ。
 テーブルの一角に伏して眠る十四、五の娘のたてる寝息はルー・チーロンに、危うげな夢を思わせる不安な眠りを想起させた。
 おかあさん、と唇の形だけで、幾度も、幾度も、おぼろにつぶやく。その手には、むしりとったように鎖のちぎれたネックレスにつながれた、ブラッドストーンのペンダントが堅く、握りしめられていた。
「よお」
 やがて、かすれた声で静かに、ユンカイが云った。
「電話をしろよ。眠り姫が起きないうちに、よ」
「……どこにです?」
 夢見心地のまま問いかえすチーロンに、チャン・ユンカイは「知るもんか」と吐き捨て、つけ加えるように口にした。
「王子さまにゃ、なれねえよ」
 苦汁をしぼり出すような口調にチーロンは、目を見はりながら――おしつぶされた笑いを無理やりひきずり出すようにして、おどけた口調で云った。
「先輩、そのセリフ、先輩にはぜんぜん似合ってません」
 ふん、うるせえ、と瞬時、ユンカイはほっとしたように笑顔を浮かべてみせた。
 白い世界は地下にまで音もなく冷気を吹き込み、ふたりは長いあいだ、何もすることを思いつかないように、寝息をたてる少女の無邪気な寝顔に、声もなく見入るばかりだった。


(了)


			

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