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どいつもこいつもわかっちゃいねえ


「よう、メイウ!」
 螺旋階段を半分もおりきらないうちに、下卑た声が呼びかけてきた。
 薄明が死斑ののごとくあちこちに点在する、隠微でうろんな臭気と、疲れはてた喧噪がけだるくうずまく闇のなか、店奥に申し訳なさそうにしつらえられたバーカウンターにだらしなくとぐろを巻いた肥満体が、よれよれと左手をあげてみせる。
 苦笑とともに、かすかに鼻の頭にしわを寄せてながら、ウォン・メイウは地下のフロアにおり立ち、煽光のたうつテーブルのあいだをかき分け、近づいてきたボーイを丁重にしりぞけながらカウンターにむかった。
 酔いに染まるぽちゃぽちゃとした頬に下品な笑みをうかべつつ、チャン・ユンカイはおどろくほどすばやい動作でメイウの手を握りしめて無理やり隣のスツールに着地させ、
「ようサリム、シャイーブ・マウトだ」
 と当人の意向も確認せずに悪名高い安カクテルの名をバーテンに告げる。
 髭ヅラ小太りの、あまり熱心でもなさそうなアシュトラ教徒らしきバーテンはかすかにフンと鼻をならしつつ、無言で頭上のグラスに手をのばした。
 抗議する気力もわかずにウォン・メイウはため息をつき、さりげなく四囲をながめやる。
 カウンターにはほかに、ユンカイにおとらずうさんくさげな人種がふたり。いずれも、この悪徳刑事とはあまりタチのよろしくない方面での、顔見知りらしい。
「どうしたい。ずいぶんつれないそぶりだったが、やっぱりおれに惚れてたか」
 らちもないたわ言を口にするユンカイは無視して、メイウはさらにぐるりと視線を走らせる。
 店内にはほかに、下心まるだしで客にしなだれかかるホステスも含めて総勢十数名。そのなかに、目当ての顔は見あたらない。
 小刻みに何度もうなずきながら、さし出された毒々しい蒼白のカクテルを手にとり、ぐいとあける。
「あいかわらずまじめに仕事してるのね、チャン・ユンカイ」
 痛烈な皮肉に、
「あたりまえだろうが」へべれけな口調で肥満顔が返す。「都市の闇はいつでも、おれのような男を欲しているのさ」
 鼻で笑っただけで、メイウはそれ以上寝言にはとりあわず、店の中央でなぜかニューズを流すネットワークホロに熱のない視線をむけながら、
「マスラマ・サラルがこの店によく顔を見せるってきいたんだけど」
 と切り出した。
 バーテンのサリムが、ちらりと眉をあげた。口はひらかず、手は投げやりにカウンターのむこう側で動かされたままだ。
「ヤクの売人に用があるとは尋常じゃないな、メイウ」チャン・ユンカイが下卑た笑いで満面をゆがませた。「よくないなあ、そういうのは。逮捕する。それとも、説教程度ですませようか?」
「どちらにしろ尋問はホテルの部屋で二人きり、てんでしょ?」
 うんざりしたような口調でメイウがいうと、ユンカイは「うんにゃ」と首を左右にぶるぶるとふるってみせた。
「レンタルームだ。今月は金がねえ」
 えらそうにほざいて、胸をはる。
「いつもだろうがよ」
 と横から茶々を入れたのは、全身にやたら光ものをちりばめたちぢれ毛の、褐色の肌の男だった。
「うるせえぞマビ・タンカ。邪魔するんじゃねえ」
 酔いにふらふらと頭をゆらめかせながらユンカイは怪しげな口調で吐き捨て、どうだい、とメイウにむかって汚らしい歯をむき出して笑ってみせる。
 ウォン・メイウはすでにユンカイは完全に無視して、カウンターの端を、のばした爪の先でこつこつと弾いてバーテンの注意をひいた。
 ちらりと、うろんな視線をあげたサリムにむけて、メイウはバッグの内部から手の切れそうなリアルマネーをちらつかせる。
「マスラマ・サラル、ですかい?」バーテンは気のなさそうな口ぶりでいった。「最近見かけませんぜ。なんでもでかい仕事が入ったらしくてね。そっちにかかりきりなんでしょうよ」
「その仕事ってのは?」
 重ねて問うメイウに、サリムは力なく首を左右にふる。
「くわしい話はなにも。この店にゃ、自分のシノギについてくわしく話したがるヤツなんざ、あらわれやしませんな」
 ちげえねえや、と軽く笑いながらマビ・タンカが何度もうなずく。
 へ、おれはどうなるんだい、とよれよれの口調でいうユンカイに、てめえはこの界隈でも最低のクズさ、と冗談とも本気ともとれない調子でほかの常連たちがまぜっかえすのを横目に、ウォン・メイウは肩をすくめてカクテルグラスを口もとに運びながらホロ映像に視線をむけた。
 趣味は造園とでもいいたげな顔つきをしたキャスターが平板な口調で、十三番街で現在進行中の人質篭城事件についての情報をたれ流している。
『銃器不法所持で職質を受けて逃亡し、スラム街わきにあるビルの屋上ペントハウスに立てこもった犯人は、警察の説得にも応ずることなく、すでに五時間が経過しようとしています。人質としてとらわれているのはチョウ・レンシンさん、マ・ルンさん、シン・ロワンさんとその息子のルアンちゃん、ウル・クオルンさん……』
「ようメイウ、すかしてねえで何とかいえよ」
 へべれけでならべ立てる口説き文句を片端から無視された形のチャン・ユンカイが、なれなれしく肩口によりかかって注意をひき戻そうとするのを、不快もあらわに跳ねのけながら、
「やかましいわねチャン・ユンカイ。あの篭城事件、このすぐ近くじゃないの? 行って仕事してきたらどう?」
 吐き捨てた。
 ひっく、と朱い顔を跳ねさせてユンカイは、どんよりとした目つきでホロの画面をながめやり、
「ふむ、そうするか」
 いって、よろよろと立ちあがる。
 周囲にいた常連客はもちろん、バーテンのサリムまでもが目をむいた。
「おいおいチャン、本気かよ」
「足もとフラついてんぜ」
「なんでえ、真面目なフリしてもだれも何も出しゃしねえぞ」
 口々に、冷やかしともつかぬセリフが飛びだしてくるところを見ると、案外さほど煙たがられているわけでもないらしい。
 対してユンカイは「うるせえ。市民の安全を守るのは、警官の義務ですよう」などとどう考えてもまともとは思えないセリフをろれつのまわらぬ舌で吐き散らしながら、ぐらぐらとおぼつかない足どりで螺旋階段をのぼりはじめた。
 本気かね、と客のひとりがあきれ声で口にするのへ、マビ・タンカが唇の端に苦笑をうかべつつ、
「案外本気かもしれねえな」
 と投げかけた。
 けげんそうな顔をしながら問いかえしたのは、メイウだった。
「それどういうこと?」
 問われてマビ・タンカは、しばし困惑したようにメイウを見かえしたあげく、闇に沈んだ鉄骨むきだしの天井を見あげて肩をすくめた。
「なに、深い意味はねえけどよ。やつァときどき、ずいぶん単純で道徳的な基準で動きだすことがあるからな。まあ、小悪党にしちゃあ、って程度だろうけどよ」
「ふうん。たとえば?」
 興味をひかれたふうにメイウが身を乗り出すのへ、マビ・タンカも苦笑をもらしつつ額をよせる。
「そうだな……。ちょいとずれるかもしれねえが、こういう話があるぜ。ある日、やつが公務をさぼって十番街あたりをひとりでふらついてたと思いなよ。そこへものすごいいきおいで走ってきたガキがいたんで、足をひっかけてとっつかまえたところ、よくある強盗のたぐいでよ。必死になってあとを追ってきた子どもづれの半狂乱の主婦が、礼もいわずにとられた品々をわめき声で列挙しやがるもんだから、やつめ得意の押収ピンハネもできずに憮然とした」
「ちょっと。そのどこが単純で道徳的なのよ」
 と上がりかける苦情をマビ・タンカはさっと上げた右手で制し、
「まあ、ききな。で、やつァしぶしぶながらも盗られたバッグを強盗からとりあげて女にさし出した。と、女に抱かれてたガキが、ママ、ボクの宝物、とかなんとかぬかして、母親がひらいたバッグの中身をまさぐりはじめる。出てきたのは、つまらない帝国宇宙船の模型か何かだったらしいんだがね。まあガキにしちゃ確かに宝物だったんだろうよ。ごてごてゴシック飾りのついた宇宙船に頬ずりしながらガキゃ、おじちゃんありがとう、なんていいながらあのユンカイに礼だといってポケットからキャンディをひとつかみ、さしだしたってよ」
「それ、あのユンカイからきいた話なの?」
 信じられぬといった面もちでメイウが問いかえすのへ、マビ・タンカはさもおかしげに笑いながら「やつの相棒からさ」と返答する。
「笑っちまうだろ。あのチャン・ユンカイがよ、テレて後頭部ぼりぼりかきながら、ガキ相手にまじめな顔してありがとうよ坊や、かなんかいいながら好きでもねえアメ玉をほおばってみせるところを想像してみるとよ。その上、残りのキャンディをやつァ、こともあろうにお守りだ、とかいいながら後生大事にいつでもふところに入れてやがるとさ。ガキの気持ちがうれしかったばかりにな」
「それは確かに似合わないわ」
 もはやぼうぜんメイウがいった。
 まったくだ、と笑いながらマビ・タンカはなにげなくホロの画面に視線を移し――目をむいた。
「チャ、チャ、チャ」
 どもりながら指さすのに、けげんそうに眉根をよせつつふりかえったメイウもまた、篭城事件の映像を流すホロ画面の内部に――ふらふらとペントハウスにむかうチャン・ユンカイの太ったうしろ姿を見つけてぼうぜんと目を見はる。
『ただいま到着した殺人課刑事が、直接交渉をすべく犯人の立てこもったペントハウスにむかっております。なお、最新情報によりますと、犯人グループは麻薬密売業を営むマスラマ・サラル一党と見られ……』
 ウォン・メイウとマビ・タンカ、それにバーテンのサリムとが、いちように同じような阿呆面をしてたがいの顔を見あわせた。
 メイウはそのまま、情けなげに眉をよせ、ぐいとグラスをあけるとリアルマネーをカウンターごしにサリムにさし出し、スツールから立ちあがる。
「またあの男の尻ぬぐいを、しなきゃならなくなりそうだわ」
 うんざりしたように、ため息とともにいった。
「ああ、お嬢さん」
 立ち去りかけるメイウを、サリムの声がひきとめる。
 いぶかしげにふりかえる女に、
「あんた、マスラマ・サラルにどんな用事があるってんです?」
 遠慮がちに、サリムは問う。
 ウォン・メイウは答えず、ただ肩をすくめて微笑んでみせただけだった。
 その笑顔に――サリムやマビ・タンカが薄気味悪いものを感じて背筋をふるわせたのは、裏街に巣くうクズどものうろんな直感が刺激されたからだった。


「近づくな、チャン・ユンカイ!」

 開口一番、立てこもった犯人側から名ざしで罵声が飛んだのも、いま考えてみれば互いに知った顔だからと納得できるのだが、はっきりいってかなりタチの悪い酔いかたをして半分がた意識さえなかったユンカイにそんなことがわかろう道理もたしかになかった。
 マスラマ・サラルにしても、ほとんど朦朧とした顔で右によろよろ、左によろよろと、見るからにまごうかたなき酔っぱらいであったからこそ、悪名高い悪徳刑事が単身危険をかえりみず乗りこんでくる、というかなりうさん臭い状況にもよけいな裏読みをせずにすんだのかもしれない。
 いずれにせよ、ほとんど寝言のような口調でぶつぶつと、おれが人質をかわる、ほかのやつらは全員解放しろ、などと殊勝なセリフを吐くユンカイになどマスラマ・サラルは頭からとりあわず、結果的にユンカイの行動は人質をひとり増やしただけだった。
 むろん、二時間ほど寝言をほざきながら屁はたれるわいびきはかくわでおよそ人質らしからぬ、まして刑事らしからぬチャン・ユンカイが犯人グループの狂暴性を多少なりともやわらげた功績を数えろ、という後のユンカイの主張など警察上層部でまじめに取りあげられることなど絶えてなかった。いやそれどころかむしろ、降格と減給の対象として討議されることとなるわけだが――とにかく目が覚めた時点でユンカイは、そんな未来の事象など夢にも思わず、かといって現在の状況を正確に把握しているとも、とてもいえない状況にあったことはまちがいのない事実だった。なにしろ、自分がどこにいて何をしているのかさえ、まったく理解できなかったのだから。
 それでも、ここはどこだ、などと間抜けなセリフを吐かずにすんだのは、場末のバーでネットワークホロを見て思い立った決心が、おぼろげながらにも頭の片隅にでもころがっていたからなのだろう。
「おい、きさまら、おれにこんな真似をしてタダですむと思うなよ!」
 耳障りなわめき声が、どうやら強烈な宿酔いのユンカイの目を覚まさせた原因らしい。
「おいっ。きいてんのか? おれをだれだと思ってんだ、ああ? このままじゃ、タダじゃすまねえっつってんだ! わかんねえのかてめえら!」
 癇癪もちらしい甲高い声の主は、いかにも頭の悪そうな顔をした小僧だった。うしろ手にしばられて床上にころがされ、疲れたような目つきでうつろに見まもるほかの人質をわきにひとり、やけに威勢がいい、というか騒々しい。
 そのわきで、うんざりしたような顔つきで、やたら臭いにおいを発する葉巻をくわえた男がおざなりに小僧にむけて銃口をポイントしている。
 その人質たちの一団とはやや距離をおいて、銃を肩がけにした、目つきのするどいやせ男が、油断のない、それでいてどこか憮然とした視線を注意深くユンカイに固定していた。ほかに、窓のわきに陣取った、視覚・聴覚を機械的にブーストしたらしき巨体のサイボーグがひとり。そして窓と扉のあいだの壁に背をもたせかけた――マスラマ・サラル。
「きさまは、何というかあいかわらずだなチャン・ユンカイ」
 顔面の下半分を占めるこわい髭がうごめき、よくひびく声音がおかしげにそういった。
 フン、と憎々しげに鼻をならすつもりが、なんだかつぶれた蛙のような声が耳障りに喉をふるわせただけだった。ついでに、胸の底から反吐まみれの不快感がせり上がってくるのを、必死になってむりやりおし戻す。
「おまえ、何やってんだよこんなところで」
 強烈な頭痛にポンプのように波うつこめかみをもみほぐしながら、かろうじて意味のある言葉を口にすると、クーフィーヤで頭部をおおったマスラマ・サラルは鼻で笑って肩をすくめた。
「そりゃこっちがききたいこったぜ」ちらりと、窓の端から外に目をやる。「まあ、ちょいとドジを踏んだってところだな」
「年貢の納め時ってやつだぜ、マスラマ・サラル」痛む頭をしきりにもみほぐしつつ、半分がた上の空でチャン・ユンカイは告げる。「ここらで観念しちゃあどうだい。え?」
 とたん、クーフィーヤの下の双眸がつ、と細められた。
 手下の三人が、不快を隠そうともせず色めきたつのを、マスラマ・サラルは軽く手をあげて制する。
「あいにくだがよ。おれたちが怖いのは、てめえらじゃねえんだ」
 ユンカイはいぶかしげに下唇をつきだし「どういうこった?」とつぶやいた。
 葉巻男が、くわえた葉巻をわざとらしく口からとって、ユンカイにむけ異様な臭いのする煙をぷうと吐きかける。
「ちょいとブツをさばくルートをまちがえちまってよ」自嘲するような口調でマスラマ・サラルがいった。「ウォン・ファミリーを刺激しちまったんだ」
「ウォン・ファミリー? なるほど納得いったぜ」ユンカイは目を丸くし、ついでこれはおもしろくなったとでもいいたげに下卑た笑いで頬をゆがませた。「ちょいと、そこの殺し屋と顔見知りでな。さっきまで飲んでたんだがそこにちょうどあらわれたところだったんだ。そういえば、サリムのやつにおめえのことをきいていたっけなあ」
 目つきの悪いやせ男の顔貌に、瞬時、驚愕とおびえが走りぬけるのをユンカイは見のがさなかった。葉巻男はぼうぜんと目を見ひらくし、サイボーグ野郎は表情はかわらぬものの、びくりと派手に肩をふるわせていた。
 マスラマ・サラルもまた、野太い眉をよせてしかめ面をつくってみせたが、すぐにその髭ヅラにニタリと不敵な笑みをうかべる。
「フン、さすがに対応がすばやいぜ」
「警察が保護してやるさ。安心しな」
 冗談口のようにいってみせたが、マスラマ・サラルは自信にみちた嘲笑を返すだけだ。
 チャン・ユンカイはいぶかしげな顔をした。
「いいのかよ。あ?」
「ジョーカーを握ってるんだ」
 口端をゆがめつつ、マスラマ・サラルはいった。
「ジョーカー?」
「ああ」
「なんだそのジョーカーてな」
 すると、マスラマ・サラルは得意げに笑いながら髭だらけの顎をしゃくってユンカイの背後を示してみせた。
 ふりかえると、あの耳障りな甲高い声で騒いでいた小僧が、なおも憎々しげに歯をむき出しつつ、ぐいぐいと身をひねってみせる。
 ただし、「タダですむと思うなよ」との得意のセリフは、なぜか今度は出てこなかった。
「そのガキがどうしたってんだ?」
 眉間にしわをよせつつ問うユンカイに対しても見境なく、小僧は噛みつきそうな顔つきでぎっと唇の端をめくりあげる。
「ウォン・シェイツの不肖の息子ってやつさ」
 とたん、ユンカイと同様――いや、それ以上におどろいた顔を、“不肖の息子”はうかべてみせた。
「知ってたのか、オマエ。なら、さっさと縄をほどけ! さもないと、タダじゃすまないってことがわからないのか、このばか!」
 なかば泣き叫ぶような口調になっていたのは、自分がいまどういう立場に立たされているのか薄々ながらも感じとり始めていたからだろう。
 それを裏づけるようにしてマスラマ・サラルは無言の嘲笑で答え――同時に、お守り役らしい葉巻男が、とがったエナメルの靴先で小僧の顎を思いきり蹴りあげた。
 ごぶ、とぶざまな声を立てて倒れこんだウォン・シェイツの息子に、ごていねいに葉巻男はわざとらしく派手なしぐさで唾を吐きかける。
「なるほどな」反吐を飲まされたような顔でユンカイは、マスラマ・サラルにうなずいてみせた。「しかしウォンの係累がなぜスラムに?」
「なに、単なるわがままの家出息子ってだけさ」これも、唾棄するような口調でサラルが答える。「糞餓鬼がよ、家名を捨てて裏街でいきがってよ、てめえ一人の力でいっぱし顔役きどってるつもりになってたんだよ。裏じゃウォン・シェイツのにらみが利いてるって、ここらあたりの連中はみな知ってるから逆らわねえだけだってことも知らずによ」
 ああ、ああ、ああ、ああ、と小声でつぶやきながらチャン・ユンカイはマスラマ・サラルと家出息子とを交互に見比べ、何度も何度もうなずいてみせた。
 小僧のほうは、といえば――これが、両の目に涙をいっぱいにためて、歯を食いしばっている。
 知ってたってわけだ。
 ユンカイは、小僧のそのツラを見てそう悟った。
 背中から目立たぬように父親が庇護の手をさしのべていたことを、この糞餓鬼は承知していたのだ。承知の上で、家出気分を満喫し、しかも利用できる七光はしゃぶりつくし、気づかぬフリだけをつづけてきたのだ。
 マスラマ・サラルもまた、そのあたりの事情は察していたのかもしれない。つぶやくように
「甘ったれた、糞餓鬼がよ」
 小さく、吐き捨てる。
 その背後に、ユンカイは見つけた。
 地上五階、安普請のスラムのビルの屋上の縁を乗りこえて、スリムな曲線がひらりとあらわれたのを。
 ぎくりと身をふるわせ、すばやく四囲に視線を走らせる。
 やせ男は嫌悪感もあらわに、ドラ息子をながめやっている。葉巻男はくゆる紫煙を追って天井あたりに視線をさまよわせ、マスラマ・サラルもまた立てた膝に肘をあてて虚空をにらみあげたまま――
 行けるか、と希望を抱きかけたが――最後のひとり、サイボーグがしっかりと窓外に視線をむけるところだった。
 瞬時、心中舌打ちしかけたが、タッチの差でサイボーグがふりかえるより速く、メイウは死角に消えていた。
 ニタリとユンカイは片頬をゆがめ――ふりかえったサイボーグもまた、ユンカイにむけてニタリと笑ってみせる。
「おれの脳はマルチタスクでな」
 低い声でそういいながらサイボーグは、後頭部を指でつついてみせた。
 スキンヘッドの延髄近くに左右二対、小さな角のようなものが出ているのには気づいていたが――ユンカイはあんぐりと口をあけて馬鹿ヅラをさらす。
 声を立てて笑いながらサイボーグは、巨体を身軽くひらいた窓のむこうに運びあげ、メイウの消えた死角にむかった。
「フン」マスラマ・サラルが口をひらく。「ハン・チョウのやつめ、補助眼で何か見つけたらしいな」
 そしてユンカイをふりかえり、おあいにくだったな、と口にした。
 奥歯をきしらせるだけで答えるすべもなくユンカイは身じろぐ。
 空気のぬけるような音がひらいた窓をとおして、縦横無尽にかけぬけた。ショックガン――メイウの得物だろう。それがいつまでも鳴りやまないのは、互いにしとめられないからか。
 それが不意にとぎれ――ひそやかに、コンクリートを蹴るような音だけがつづいた。
「いいのかいマスラマ・サラル。応援に行かなくってもよ」
 フンとサラルは唇をめくりあげ、
「ハン・チョウのスピードと感覚についていけるやつなんざ、そんじょそこらにゃいねえさ」
 余裕しゃくしゃくで、壁にもたれかかった。単なるポーズだろうが、それだけサイボーグの実力に信をおいている、ということでもあるのかもしれない。
 やがて窓外が静かになったと思いきや――ぬっとあらわれた巨体が薄闇をさえぎって立ちふさがった。
「ずいぶんとかかったじゃねえか、ハン・チョウ」
 壁によりかかったままマスラマ・サラルがいう。
 答えず、サイボーグは無言で窓を乗りこえた。
 ――硬直して、崩れこむように。
 どさりと、地響きを立てて巨体が室内になだれこみ、一同がぎょっと身を起こしかけたところへ――
 サラルのわきの扉が荒々しく蹴破られ、肩口からはりきったヒップを回転させてウォン・メイウが飛びこんできた。
「ハン――」
 ぼうぜんと叫びかけるやせ男の額が、見えないハンマーにぶん殴られたように後方にむけて弾け飛び、そのままもんどり打って倒れこんだ。
 ほぼ同時に、葉巻男とマスラマ・サラルがてんでに移動を開始していた。
 葉巻男は、ぶざまに地をはうドラ息子に手にした銃をポイントし――
 追いすがる火線をからくもかわしつつ、マスラマ・サラルはすばやく移動しながら乱射の嵐をあびせかける。
「武器を捨てろ!」
 意外に重厚な声音で葉巻男が恫喝した時、サラルにあわせるようにしてやはり移動をくりかえしていたメイウはふたたび扉のむこう側に身を隠したところだった。
「武器を捨てて出てこい!」
 葉巻男が、勝ち誇ったようにくりかえし――つぎの瞬間、肩口に衝撃を受けて苦鳴を上げつつ後退した。
「へっ!」
 馬鹿にしたように叫びながらドラ息子は立ちあがり、救援者にむけてやみくもにかけ出していた。
「危ねえ!」
 と、ユンカイが叫んだ時は、すでに手遅れだった。ショックガンの直撃を肩口に受けたとはいえ、葉巻男は気絶してもいなかったし、銃を手放してもいなかった。
 そしてユンカイの懸念どおり、パニックに助長された怒りが、思考停止状態のままトリガーをしぼらせた。
 背後から心臓を撃ちぬかれてドラ息子は血を吐き、信じられぬとでもいいたげに目をむき出したまま、どうと倒れ伏した。
 マスラマ・サラルが瞬時、惚けたように、その致命的な光景に目を見はった。
 同時に、葉巻男の左胸が派手な音を立てて陥没した。
 回転しつつ、ウォン・メイウが再度の突入をかけてきたのだ。
「くそがよ!」
 サラルの罵声は、どちらかというと悲鳴に近いひびきをともなっていた。
 マスラマ・サラルは残った人質にむかって希望のない疾走に移り――ウォン・ファミリーの殺し屋にとって、単なるスラムの住民など人質の役には立たない――メイウは軽やかな身のこなしで体勢を整えるや、銃をポイントした。
 肥満体がタックルをかまさなければ、ウォン・メイウの銃は確実にマスラマ・サラルの息の根をとめていただろう。
 わずかに狂った手もとは、衝撃波を麻薬密売人のこめかみにかすらせるにとどめていた。
 もっとも、それでも凶悪犯から意識を奪うには充分だったことはたしかだ。サラルは声も立てずに昏倒し、倒れこんだ先で一団となって六人の人質が、生き延びられた奇跡にはいまだ気づかぬままただただ恐怖に目を見ひらくのみだった。
「ユンカイ、何の――」
 つもり? とメイウがつづけるよりはやく、
「お嬢さん、勇敢にもご協力ありがとう!」さえぎるようにユンカイは叫んだ。「応援が到着しました! ここから先はわれわれ警察におまかせあれ」
 とぼけたセリフとほぼ同時に、あけ放しの入り口からどやどやと機動隊がなだれこんだ。
 ぼうぜんと目を見はり――ついでウォン・メイウは、あからさまに舌打ちしながら横目でユンカイをにらみやる。
「なぜマスラマ・サラルを助けたの?」噛みつくように、問うた。「お友だちだからかしら」
 歯をむき出すメイウに、ユンカイもまたニタリと笑いながら、首を左右にふった。
「裏街に友がらなんざよ。互いが互いの餌ってだけさ」
「じゃ、なぜその餌をかばったのよ」
 しがみつくユンカイをむりやり引きはがしながら、仏頂面でメイウはきいた。
 答えずユンカイは、逆に質問を発する。
「おめえこそなぜだ? ウォン・シェイツの家出息子を救いに来たんじゃなかったのかよ」
「形の上はね」とメイウは肩をすくめてみせる。「残念ながら失敗して、殺されてしまった――ってのが、筋書き」
「危なくねえのか? おめえはよ」
 いぶかしげに問うのへ、女はにっこりと笑ってみせる。
「ファミリーの資金が放蕩息子に食いつぶされていくのを不快に思っていないのは、たぶんウォン・シェイツくらいのものよ」
 片頬をゆがめたままで、冷たくメイウはそういった。
 対してチャン・ユンカイは、嫌悪感もあらわに、
「汚えよ」
 吐き捨てて立ち上がる。
「ちょっと。あんたはまだあたしの質問に答えてないわ」
「金一封と感謝状は後ほど、署のほうでどうぞ」
 投げやりな口調でふりかえりもせずにいいながら、でっぷりとした尻のあたりでひらひらと手をふってみせる。
 このブタ! と叫びつつ床を蹴りつけ、メイウも立ち上がって背をむけかけ――
 人質の一団の中から、ちょこちょこと頼りなげな足どりで歩み出てくる幼児を、いぶかしげにながめやった。
 そんなメイウの視線にはまるで気づかず、あわてて後について出る母親らしき女をしたがえてその男の子はチャン・ユンカイのそでを、くい、くい、と引いた。
 ぎょっとしたようにユンカイは男の子を見やり、ハッとふりかえって、まだメイウが立ち去っていないのを目にして思わず、といった感じで、ばつの悪そうなしかめ面をうかべる。
 そんなユンカイの狼狽にはいっこうに頓着せず、帝国宇宙艇の模型を大事そうに抱えた子どもはなおもそでを引いてユンカイの注意をうながし――あわててかがみこんだ悪徳刑事に真剣な顔つきで、
「おじちゃん、ありがとう」
 いいながら、かたわらの母親のバッグからとり出した、小さな手いっぱいのキャンディをさし出した。


(了)


			

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