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VISITORS -訪問者たち-


 トリガーを入れて“鳴蛇”を放ちながら、チャン・ユンカイは苦々しい思いで標的を見やった。
 血走った白眼と、さらに燃えるように朱い眼球。
 口もとから牙でも生え出ていればまだしも納得できたかもしれない。じっさいは血まじりのよだれが、無節操にだらだらと流れ落ちているだけだ。
 ズタボロに裂けたジャンク流れの戦闘服につつまれた、中肉中背やや痩せぎすの肉体は、ナイフひとつ身におびているわけじゃない。
 にもかかわらず、ユンカイの標的はいま、まちがいなく凶暴きわまりない野獣で、そしてユンカイ自身はその獲物にほかならなかった。
 チチチ、とかすかに音をならしながら“鳴蛇”が床をすべる。が、時限装置が発動するよりはるかに速く、凶悪犯は狂気に充ちた眼をユンカイの顔上に固定した。
 ひらいた口から赤い舌がのぞき、その喉が死をまねく雄叫びを発する――まさに寸前。
 おしよせるようにして女は、ユンカイと、そして襲撃者とのあいだに乱入してきた。
 吹きつける鬼気と破れ窓から吹きこむ冷気とに顔を逆なでられて、ついにこれでおれも最期か、とわき上がったユンカイの観念は瞬時にして当惑と――そして貪欲な希望に変化する。
「ルンツ!」
 叫びつつ立ちふさがるシルエットにむけて、こんな際だが鼻の下さえ伸ばしていた。はり切ったヒップラインは、そのまま好みのタイプだ。
 対して――ラウレン・シティを崩壊の危機にさらしつつある都市破壊魔がその顔に浮かべたのは――歓喜と悲哀、そして後悔と憎悪が入りまじった、複雑な表情。
「ルンツ、もうやめなさい」そんな凶悪犯の表情の変化に気づいたのか気づかないのか、女は奇妙に冷めた口調でそう告げた。「街と人を壊してまわったって、何も得るところはないわ。ばかばかしい真似はやめて、とっとと戻ってらっしゃい」
 都市破壊魔は瞬時、見ひらいた目で女をにらみ、口もとをへの字にゆがめ、ついと気弱げに視線をそらした。
 そしてつぎの瞬間、鬼神の眼光をとり戻す。
「いけねえ!」
 切羽つまった叫びを演出しながら、その実かぎりない喜びをこめユンカイは、女の腰に飛びついた。
 何すんのよ、と気の強い罵声とともに平手うちが頬を打つのと同時に、二つの爆発が展開した。
 ひとつ。頭上――女の頭部が位置していた軌道上を、例の波動が走りぬけた。
 音響は地味だが、視覚効果はこの上なく派手だ。ぶつ、と水泡の弾けるような、つぶやきのような音とともに、背後の壁が泡を噴きながら溶けて蒸発。
 ぎょっと目をむく女の、奥二重の美貌にむけてチャン・ユンカイはにやりと笑ってみせる。ふっくらとした勝気そうな容貌もまた、まちがいなくユンカイの好みだ。破壊魔となんらかのつながりがあるらしいが、何、そんなことは知ったことではない。
 そしてふたつめ。ぼうぜんと目を見はる美貌を、フラッシュのパルスが青白く明滅させた。
 パパパパ、とせわしなく閃光を放ちながら床上から跳ねあがって縦横無尽に移動をはじめた“鳴蛇”は、高低めまぐるしく変調する耳ざわりな騒音を立てながら、凶悪犯のみならず、しかけたユンカイ自身の注意をさえ、瞬時ひきつけていた。
「あれはいったい――」
 ぼうぜんとつぶやきかける女の言葉に、ハッとわれに返る。
 ゴムボールのように不規則に跳ねまわる“鳴蛇”に対して、敵意もあらわに、おおう、おう、と凶悪犯が叫ぶ声は、まるで獣の吠え声のように獰猛にひびきわたった。
「いけねえ。話はあとだ、いくぞ、ねえちゃん」
 叫びざま、「ねえちゃん」なる呼びかけに女が形のいい眉をきゅっと寄せるのにもかまわず、ユンカイは白い手を握ってかけ出した。
 メイウ。
 一拍おいて、哀切な呼びかけが獣の声で追いすがった。
 勝気げな女の面貌に瞬時、甘酸っぱいものが走りぬけたかに見えた。が、そんな呼びかけも表情も、わき起こる怒号にまぎれて消え去り、そして断ち切るように凶悪な波動が逃げるふたりの軌跡を追った。
 どこをどう走ったのかもよくわからないうちに二人は、都市破壊魔の魔手により崩れかけたビルから市街へとまろび出た。
 霧にけぶる街路をよろめきながら走り、ようようのことで化物の追撃はないと確信を得てユンカイは女の手を放し、せいせいと喉をならしながら膝に手をあて体重をあずけ、それでもおちつかずにどさりと路面に尻を落としてせわしなく肩を上下させた。
 乳白色の夜のむこうで、樹林の間隙から天へと挑みかかるいくつもの摩天楼の光が、おぼろな幻のようににじんでいる。女は、そんなにじむ街の灯を背にしばし、無言のままあえぐユンカイを見おろしていたが、やがて、
「ありがとう。たすかったわ」
 かたい調子で、そう呼びかけた。
 そんな女の様子にユンカイの半分ほども疲労が見られないのは、日ごろの節制のちがいかそれとも抱えている体型のバランスのたまものなのか。
 大の字に街路に横になりつつ太鼓腹を上下させるユンカイは、それでも立ち去ろうとする女をあわてて呼びとめられるくらいには、体力を回復させていた。
「待ちなよ、ねえちゃん。あんた何者だ?」
 女はくるりとふりむき、瞬時ためらったあげく、歯切れのいい口調で「ウォン・メイウ」と名のった。
 へへえ、とユンカイは鼻をならす。
「ウォン・メイウ? もしかして、ウォン一族の人間か?」
 ユンカイの口にした、街の創始者を頂点とする一大勢力を形成する一族の名は、女にはなんの感銘も与えなかったようだ。
「さあ。遠い血のつながりはあるかもね」つまらなそうにいい、そしてつけ加える。「ほかにききたいことは?」
「とぼけんなよ。あの凶悪犯との関係だ。そもそもありゃ、何者だ? ルンタ、とか呼んでたな」
「ルンツよ」むっとしたように女は訂正を加える。「何者、ってほどでもないわ。昔の知りあい。恩師なの――学生時代の。ネットワークの画面で、ラウレンを破壊してまわってるらしい犯人のショットを見て、似てると思って。たしかめにきたってだけ」
「本人だったのか?」
 メイウの顔にほんの一瞬、苦しげな顔がうかんだ。すぐにそれを無表情の下におしこめて、うなずいてみせる。
「たぶん、ね。あそこまで凶悪な雰囲気じゃなかったけど。でも、強烈なオーラをつねに発散している、という点では今でも、あのころのままだわ」
 ふん、と鼻をならしながら、ユンカイは苦労して肥満体を地面から引きはがした。
 半身を起こした姿勢で大きく息をつき、そしてメイウの顔を真正面からのぞきこむ。
「つきあってたのか?」
「まさか」
 メイウは眉根をよせつつユンカイをにらみつけた。丸顔がふふんと下卑た笑いをうかべてウインクをした。女はけがらわしいものでも目にしたかのように、鼻頭にしわをよせる。
「なら、いい。だが、あんた明らかに重要参考人だ。署につきあってもらうぜ。いろいろききたいことがある」
「あんた刑事?」
 ぼうぜんとききかえすメイウに、せいいっぱいの苦みをきかせてユンカイはにやりと笑う。
「うそよ。ふつう刑事なんて、単独行動はしないはずだわ。あんた一人だったじゃない」
「団体行動が苦手なのは事実だがよ。残念ながら最初から一人だったわけじゃない。相棒はあの化物に、煮立てすぎたスープにされちまったんでな」
「化物だなんて、いわないでよ」
 弱々しく抗議するのは無視して、ユンカイはよっこらしょっと声をかけつつ立ちあがり、メイウにむけてぽちゃぽちゃした手をさし出した。
「さあ、デートとしゃれこもうかい、お嬢ちゃん」
「悪いけど、もうそう呼ばれる歳じゃないわ」
 ため息のように告げながらさし出された手は無視して、メイウは先にたってとっとと歩き出した。ユンカイは手のやり場にこまって意味もなく後頭部にあげ、肩をすくめる。
 霧のただよう街区をこえて坂をのぼると、丘の上からは、半分近く炎につつまれた都市が、おぼろな灼熱のヴェールをゆらめかせる地獄の光景を一望のもとに見おろせた。
「あれをルンツがやったの……?」
 質問よりは確認の口調で、メイウはきいた。
「ああ。どうも分子振動か何かの作用らしいがな。郊外のエネルギー変換所をぶち壊していきやがった。あとは芋ヅル式に被害の拡大ってやつさ。わざと、かどうかは知らんがね」
「パニックにおちいった暴徒の作用を無視してるわよ」おもしろくもなさそうにメイウは口にする。「分子振動、ね。ルンツが超能力(ティール)を使えるとは知らなかったな」
「記録上じゃシェン・ルンツの知覚度は並程度だ。あれだけの強力な力を隠しとおせるものじゃないし、機械的なブーストだろうな。仕込んであるのは、たぶん喉だ」
「ちゃんと把握してたみたいね。かれのこと」
 冷たい口調でいうメイウに、ユンカイはなれなれしく肩を抱き寄せぽんとたたいた。
「推測だよ。あの凶悪犯がシェン・ルンツだという証拠は見つかっていない。今も、な」
 抗議するようにメイウは目をむき――あきらめたように息をつきながら、ユンカイの手を軽く払いのける。そしていった。
「同行は拒否するわ。強制する権限はないはずね?」
「むりやりつくるって手が、ないわけでもないぜ」
「ナンパのしかたとしちゃ、最悪だわ。セールスポイントがあれば別だけど」
 挑むような、蔑むようなウォン・メイウの視線に、ユンカイは哀しげに顔をゆがめてみせた。
「つれねえなあ」
「また今度、ね」
 唇の片端をつりあげて冷たくいい放ち、メイウは踵を返す。
 おーい、と途方にくれたような呼びかけを、間をおいて二つほど投げかけたあとユンカイは、がらりと調子をかえた低い声音で「コール。バンク“ルキ”」とつぶやいた。
 内耳に仕込まれた通信プロセッサが、リンク、と返答する。
「照会、名前、ウォン・メイウ。女性。シェン・ルンツは、学生時代の彼女の教師。深度Bで出力」
 解答が返るまでに、数秒のタイムラグ。警察専用記憶バンク端末“ルキ”システムにしては異例の反応のにぶさだ。が、その理由はすぐにわかった。
『該当者なし』
 つまり、入力した情報になんらかの虚偽が含まれている、ということらしい。
 瞬時黙考し、ユンカイはふたたび口を開く。
「照会、名まえ、ウォン・メイウ。女性。深度B」
『五名。待機』
 ち、と短く舌を打ち、
「現住所、シティ・レベル」
『マウシャン、機密、カイアン、ラウレン、ラウレン』
 ちょっと待てよ、と思わずつぶやくのへルキ・システムが律儀に、待機、と返答を告げてよこす。
「ふたつ目だ。詳細情報をよこせ。深度S……いや、いい。命令を撤回する。カットオフ」
 深度S、すなわちチャン・ユンカイが現時点で、上司の許諾を得ることなくひきだせる最深レベルである。命令を撤回したのは、現住所レベルの情報でさえ秘匿されている以上、深度をどれだけ深めようと結果は同じであることに気づいたからだ。
 かわりに本庁を呼びだし、上司にメイウとの邂逅を手みじかに要約して告げ、探索を依頼するとともに応援を要請した。こちらのほうも情報はさほど期待できそうにない。手ばやく切りあげ、もうひとつの心あたりにコールする。
『はい、リン商会です』
 どこがどう、というわけでもないが、応対する声調がどうにもうろんにきこえてしまうのは、ユンカイが相手の正体をつかんでいるせいばかりでもあるまい。
 地下世界に棲息するやからは、その物腰にも雰囲気にも、言葉にさえ独特の臭気をにじませる。
「おれだ。チャン・ユンカイだ。ひさしぶりだな」
 よう、とリン・ティェンロンはこたえた。
『あいかわらず、下卑た声してやがるな。ちっとはダイエットしてるのか?』
 軽口にはとりあわず、ユンカイはせいた口調でシェン・ルンツ、そしてウォン・メイウの名を告げた。
 ややいらだち気味のユンカイに、非合法情報バンク・リン商会の主催者にして唯一の構成員リン・ティェンロンはフン、と鼻をならして笑う。
『ずいぶん余裕がねえな。シェン・ルンツ? ははあ。火事場にかり出されたってわけか。けど、ちょいと値がはるぜ』
「うるせえ。見あうだけの代価は払ってやる。とっとと教えろ」
 代金が先さ、と告げる前にリン商会主人は、ぷう、とタバコの煙を吐く音をわざとらしく回線に通してよこす。
 くそ、と毒づきざまユンカイはラウレン署独自のルートで仕入れた重要情報を、順に語り出した。
 三つまでしぼり出されてようやくのことでティェンロンの『まあいいだろう。あんたには世話になってることだしな』というセリフを引きずりだす。
「なら、出しおしみしてねえでとっとと教えろ」
 なかば罵倒気味にそう告げるのへ、
『いいだろう。軍とウォン・ファミリー、それに政府にも関係がある。どれからにする? もっとも、ぜんぶってわけにゃいかねえがな』
 ときた。舌うちひとつ、寸時逡巡したあげく、
「二人の関係からだ」
 と答えた。
 あきらめまじりの苦笑が返る。
『あいかわらず勘が冴えてるじゃねえか。それとも、ウォン・メイウみたいな女があんたの趣味かい?』
 勘だよ、とぬけぬけと答えようとした矢先――
 野獣の声が、下方からながくながく、ひびきわたってきた。近づいてくる。
「いいからはやくしろ!」
 飛びあがりざまわめき、同時に走り出した。すぐに息が切れはじめる。
 フン、と内耳のシステムがリンのゆがんだ笑いを中継し、
『同一人物だよ』
 とんでもない情報を、付与してのける。
 眉根をよせ、唇をゆがめ――ユンカイは息をあえがせて走りながら、目をいっぱいに見ひらいた。
「クローンかよ! かなり完璧だったぜ。見たとこ、劣化もなかったぞ」
『クローナル・エイジングを防ぐ技術なら、何十年も前にドクター・ヤハンの後継者とカージャ・グループが共同で軌道にのせてるぜ。たぶん、ウォンのだれかが相当な金とコネを使って、その技術を買ったんだろうさ。おっと、こいつァ安売りのしすぎだったかな』
「まだ代価に見あってない。ぜんぜん、な」
 ぜいぜい喉をならしながらも、ユンカイはそうわめきかける。
 リンの返答が耳にとどく前に、風が背後で逆まいた。
 アイヤ、と短く嘆いて街路樹に背中をあずけ、あきらめの表情で背後をふりかえった。
 散り行く霧を透かしてとどく街灯の光をうけて、二つの赤い光点がおそるべきいきおいで近づいてくる。
 ため息をつく。瞳が獣のように赤光を反射するようになるのは、最凶最悪のドラッグとしてその名も高いルインの副作用だ。度をすぎたハイテンションの凶暴性は、シェン・ルンツがかなりヤバいラインに達していることを明白に証明しているものの、デッドラインまでにはもう一山、こえなきゃならない。
 何より、特定の声調に反応して放つらしい、音声増幅による指向性分子振動器。
「かんべんしてくれ」
 うんざりしたように泣きごとをのべるユンカイに、リン・ティェンロンが応ずる間もなく、あわてて身をふせた肥満体のすぐ右側方で浮遊点滅する広告機械が、融解して塵と化した。
『とりこみ中らしいな』この期におよんでリンの声が脳天気なのは、あきらかに脅威に対してまったく無関係だからだ。『またにしたほうがいいんじゃないか? まあ生きてたらの話だ、てのはいうまでもないか』
 うるせえ、縁起でもねえ、と罵詈を口にするひまもなかった。
 ふり立てた爪で踊りかかりつつ、都市破壊魔の世界をうがつ吠え声が、毬のように逃げまどうユンカイを執拗に追いまわす。道中ようようのことで弾丸補給を終えたハンドガンも、まったく威力を発揮できないままふただび腹の中身をすべて吐き出してしまい、あとは殺されるのをただ手をこまねいて待つだけだ。冗談じゃなく、ユンカイは泣きたくなった。
「やっぱ、もうダメかな」
 あえぎながら気弱げに言うのへ、リン・ティェンロンの息を飲む音が伝わる。チャン・ユンカイが暗黒街で勇名をはせているのはひとえに、そのしつこさと往生際の悪さゆえなのだ。
『あんたらしくない。あきらめの悪さをのぞいちまったら、あんたの取り柄なんざ……あとひとつ、か』
 いい終えぬうちに、残りひとつの取り柄が、発揮されていた。
 悪運の強さ。
「ルンツ!」
 どこか悲痛なひびきを内包した叫び声が、援軍の到着を告げるファンファーレだ。
 びくり、と硬直した凶悪犯の反応は、ルイン服用者にはまずあり得ないはずのものだった。まして、末期症状の野獣化がはじまっている人間が、おそるおそるふり向くなどという話は、ユンカイはいまだかつて耳にしたことさえない。
「見苦しいよ……ルンツ」
 言葉の内容とは裏腹に、どこか優しげな、抱きしめるようなひびきのある呼びかけ。
 炎のように立ちこめていた狂気のオーラが、瞬時ゆらいだような気がした。
 クローンの意識共鳴が、その原因なのか。
 答えは見出せないまま、ユンカイはハンドガンの弾倉をひらき、エネルギーカートリッジを入れかえた。ぶるぶると指先が景気よくふるえまくっている。毎度のことながら、おのれの臆病さにいやけがさした。だれしも英雄を夢見、そして果たせずに日々をやり過ごしている。
 スライドする音をききつけたのか、あるいは共鳴効果を地獄のドラッグが凌駕したのか、彫像と化していたシェン・ルンツの姿がふいに、かすんで消えた。
「くそがよ」
 泣き声まじりに罵声を発しながら、かまえた銃口をさまよわせる。
『シェン・ルンツがオリジナルだ』パニックにおちいった脳内に、リンの事務的な声がうつろにひびいた。『半世紀近く前のクラニスバード暴動の時点では、カウナス・マドゥの傭兵部隊に所属していたらしい。訓練教官もかねてたって話だから、かなりの手だれだったんだろうな』
 そのかつての手だれとやらも、今は完全に狂人と化して縦横に宙を飛びかいながら着実にユンカイを追いつめにかかっている。
 やみくもに銃のトリガーをしぼりつづける。このままではみたび、撃ちつくして立ち往生になりかねない。だがほかに、ルインに増幅された獣人の突進をまがりなりにも牽制できる手段は、ユンカイには一切なかった。
「ルンツ、やめなよ、もう!」
 同じ細胞をわけた女の呼びかけにも、もう答えるどころか躊躇ひとつ見せはしない。
『コピーは全部で五体。ほう、ぜんぶ女性形だな。このへんの理由は、おれのほうじゃつかんでないよ。残念だったな』
「それどころじゃねえよ!」
 見えぬと知りつつ内耳に横目をおくり――代償に、襲撃者を見失った。
『じゃ、やめにするか?』
 こんな際にさえ嘲笑的な問いかけに答える余裕もなく、ユンカイはぼうぜんと四方を見まわす。どこにもいない。
 ウォン・メイウもまた、兄弟を見失ったらしい。
 目を閉じ、虚空にむけて耳を傾けてでもいるかのように、うつむき加減にじっとたたずんでいた。
 くそ、と小さく毒づきながらユンカイはふところに手をやると、最期に残った“鳴蛇”のトリガーをひねり、そして呼びかけた。
「いいや、つづけてくれ」
 あきれたような笑い声が短くひびき、リン・ティェンロンはさきをつづける。
『さっきの代価じゃ、売れる情報はさほど残っちゃいないがね。五体のうち、ウォン姓を与えられたのは三体。ウォン・メイウは実戦経験は皆無らしいな。てこた、初陣でルインに増幅されたオリジナルを相手させられてるってことになるか。ずいぶんと残酷なしうちだよなあ』
 フン、とうなりながらユンカイは、目を閉じて消えた兄弟の気配を必死にまさぐるメイウをじっと見つめた。
 能面に隠された苦悩を見出して、残酷なしうちはそれだけじゃなさそうだがな、とひとりちた。
『売れる情報はこんなところだ』
 宣言して回線を切ろうとするリンに、ユンカイはあわててもうひとつ、と呼びかけた。
「奴がこんなんになっちまった理由だ。カウナス・マドゥの軍をやめてから今日までタイムラグが三十年、てのはこっちでもつかんでる。知りたいのは、そのあいだ、何があったかだ」
『出血大サービスになっちまうな。残念ながらその期間のことはあまりくわしい情報は入ってない。ただ五体のクローンが作成されたのはこの時期だ、てのはまちがいないな。むろん、連中の教官はシェン・ルンツだったんだろうさ』
「ありがとうよ。また頼むぜ」
『またがあればな』
 憎まれ口とともに音声はとぎれ、静寂が回復した。
 ――否。
 完全な静寂、とはいかなかった。
 おしころした息づかいに、ユンカイはふりむく気分にもなれなかった。
 じゃり、と地が鳴り――同時に、正対したメイウが、カッと目を見ひらいた。
 銃をぬく動作さえ見えなかった。ポイントされた銃口の射線上に自分が乗っていることに気づき、考えるより速く身体が反応していた。
 危険をかぎわける鼻のききには自信ないでもなかったが、背後に立ったもと傭兵教官のほうが、反応は数倍速かったようだ。
 あやうくかすめ過ぎた銃撃をはるかにおきざりにして、シェン・ルンツは身をひねりざま立ちあがり、ぶざまに地べたにはいつくばったユンカイがようようのことで顔をあげた時にはもう、裂けるほどひらききった口を脂ぎった肥満体に照準し終えていた。
 その反応速度なら、ユンカイを蒸発させてなお、背後にしたメイウの二撃を避けて攻撃に移ることさえ容易だったかもしれない。
 それほどの相手を前にして、なお間の悪いことに――“鳴蛇”がその瞬間、凶悪犯の背後、ユンカイと、そしてウォン・メイウの視線上で派手はでしく音を立てながら明滅を開始したのだ。
 認識―反応のタイムラグはどれだけ訓練しようとゼロにできるものではない。それを逆手にとっての、敵の注意を引きつけてその動きを停めさせるための道具が“鳴蛇”だ。が、今の場合は仕掛けた本人とその救助者たり得る人物の視界内で作動している。完全に逆効果だった。
 跳ねまわる明滅に瞬時目を奪われ、ハッとして硬直から解放された時、すくなくともチャン・ユンカイはまちがいなくシェン・ルンツに殺されているはずだった。
 それが、われにかえったとき、都市破壊魔はなおも惚けたように焦点のさだまらぬ目を、虚空にさまよわせていた。
 共鳴か――と納得するより速く、ほとんど反射的にユンカイは銃をあげ、トリガーをしぼっていた。
 黒焦げの穴が、瞬時のぼうぜんに老人の容貌を垣間見せた凶悪犯の腹部にうがたれた。
 がぼ、と血を吐きながら、薬に侵された都市破壊魔は憎悪の双眸をとり戻してユンカイをねめあげつつ、爪をふりたて突進してきた。
 分子振動器を作動させるべく叫ぼうとするのだが、血玉が口腔内からあふれ出るだけだった。それでも、ルインに増幅されたスピードと力とは、ユンカイの太鼓腹などたやすく引き裂けるだろう。
 やみくもにトリガーを引きまくったが、エネルギー切れで反応はなかった。
 ふりかえる余裕もないままうしろむきに後退し、すぐにつまずいて倒れこんだ。
 それに命を救われた。
 ど、と、何やら内容物をまき散らしながら野獣の凶相は額に穴をうがたれ、倒れこんだユンカイをいきおいだけで踏みつけながらなおも突進し、そしてばたりと崩れ落ちる。
 それきり、ぴくりとも動かなくなった。
 ぐえ、と耳ざわりな声を立てて半身を起こしたユンカイは、奇跡を信用しきれず疑わしげに倒れこんだシェン・ルンツの屍体をながめやり――そしてゆっくりと、ふりむいた。
 頬にわずかに紅潮の気配が残っているほかは、メイウは殺戮の名残を一切とどめぬ無表情で銃をおろし、ふところ内部にしまいこんだ。
 ユンカイとちがって、指先もふるえてはいない。
 ちらり、と肥満漢に一瞥を投げかけ、くるりと踵を返す。
 その背へ、
「よお」
 とユンカイは声をかけた。
 背中が立ちどまり、しばしの逡巡を演じた後に、ついとふりむいた。
「何があったんだよ。その――あんたの、知り合いに、よ」
 しばらくのあいだメイウは、無言のまま無表情にユンカイをながめおろしていたが、やがて静かに口をひらいた。
「ジャングルに帰りたがっていたわ。たぶん、人の間にいることが苦痛だったのね。でも――帰る場所さえ、喪失していったのよ。ゆっくりと、ね」
 口をつぐみ、そして見つめる。
 まぶたを細めて見かえし、そして静かに、視線をはずした。
「時間か? 都市か? やつを殺したのは」
 愁眉をひらき、メイウは一瞬、おどろいたように目を見はる。
 そして二重のまぶたを、あきらめたように細めながら口をひらいて何かをいいかけ――かすかに笑いながら、力なく首を左右にふってみせた。
「最悪に、似合わないセリフだわ。刑事さん」
 瞬時、チャン・ユンカイの愛嬌のある肥満顔が、いかにも哀しげに崩れた。が、すぐに憎々しげに口をゆがめて「フン」と鼻をならす。
「きかせてやるよ。もっと似合わないセリフを、今晩いくらでも、よ」
 晴れはじめた霧の底で炎の街を背にして二人は、どちらからともなく笑いあった。


(了)


			

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