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ガジェット ボックス GADGET BOX

ガジェット ボックス GADGET BOX ベルが鳴る

ベルが鳴る


 ひどく疲れていた。

 車両全体に、倦怠が重くよどんでいる。だれもが、のしかかる疲労を酒くさい息にのせて吐き出しているようだ。実際にそのとおりなのだろう。にじみ、またたき、いまにも消えてしまいそうな街の灯りのなかを、最終電車はよろばうように流されていく。
 まのぬけた音を立ててひらくドアをすりぬけ、タクシー乗り場へと殺到する一団。あとを追う気にもなれず、つかれた足取りでおれは重いステップをふむ。バスの運行は終了している時刻だ。タクシー乗り場へは足をむける気にもならない。長蛇の列を構成する一員になるなど、考えるだけでうんざりだ。
 ちょっと前までは駅前のそんなあさましい光景に嘲笑をおくりながら、酔った両手を愛車のハンドルにのせ軽快に深夜の街をかけぬけていた。いまのこの凋落ぶりが、ひどく非現実的なことのように思えてならない。
 街は、眠りこけているように暗くしずみこんでいた。はなばなしく明滅をくりかえすネオンの灯りが、自分とは無縁の別世界のように遠く、よそよそしく見える。
 明日からのことが、ふと頭のすみをよぎる。感情がそれを拒否した。泥酔の力を得て、奥におしこめる。なにもあてはない。考えたくもない。
 いまの、自分のおかれた状況も。
 路地の奥から、けたたましい笑い声がひびく。おしつけがましい声だ。世界にむけて自分の幸福をまくしたてていやがる。気をつけるがいい。世界は、敗残者には目もくれない。
 ひとけの失せた駅前でとほうにくれた。マンションまで歩いて十五分。とてつもなく遠い道のりだ。学生の頃は、六畳一間のアパートへ一時間かけて足を運ぶのも苦にはならなかった。いまでは、自分の部屋が現実のかなたにしりぞいてしまったような気さえする。遠からず、それも現実となるだろう。何ヵ月も家賃を滞納している。かといって、いまさら共同トイレの安アパートにひっこす気にもなれない。
 重い足を、しいてふみ出す。ほかに行き場所はない。都市は金のない三十男に安らげる場所を与えてくれるほど慈悲深くはない。路上で眠りこみ、朝をむかえることなく凍死するのもばかばかしい。
 大通りにむけて、おれはひきずるように足を運んだ。
 そのとき、電話のベルがなった。
 路地のわきの商店前に設置された、緑色の公衆電話だ。おれはびくりと背をふるわせる。
 いやらしい音だ。けたたましく、おしつけがましい。受話器をとりあげないかぎり、いつまでも人をせめつづけるだろう。とれ、とるんだ、受話器をあげろ、それがおまえの義務なんだ。
 周囲を見まわしてみた。人影はない。あたりの商店も、のきなみシャッターをかたくとざしている。とりあげる者もないまま、ベルはかたくなになりつづける。
 無論、その電話に出る義理などおれには一片だにありはしなかった。無視して通り過ぎてしまえばいい。だれだって自分の生活をもっているはずだ。他人の都合にふりまわされたくはあるまい。
 だがおれは、明日に絶望していた。
 世界から、絶縁状をたたきつけられていたのだ。
 なにかうしろめたいような気持ちで、おれはその受話器をとりあげた。
 とりあげた瞬間、後悔した。自分のことを、いったいどう説明すればいいのか。あるいは、なにかめんどうなことをたのまれはしないか。たとえば眠りこけている商店主をたたき起こしてくれとか、どこか近くにいるはずのNTTの作業員をさがしにいけとかいった、ひどく煩雑で、それでいて満足のいかない余計ごとをおしつけられはしないか、と。
 回線のつながるわずかなあいだに、頭蓋内部を逡巡が荒れ狂う。しかし、考えのまとまらないうちに電話はつながっていた。
 かすかな雑音が、耳をつく。沈黙と当惑をひそめた雑音。
 ひどくながいあいだ、相手が声を出すのを待っていたような気がする。だが、それも一瞬のことに過ぎなかったのかもしれない。
「もしもし」
 沈黙にたえきれず、おれはかすれた声を送話器におくりこんだ。
 相手は、だまりこんだままだった。当惑しているのかもしれない。当然だろう。おれはこの電話機の呼び出しに応ずるべき人間ではないのだ。
「もしもし」
 と口にしながら、自分のその姿がひどくこっけいに思えてきた。これで返事がなかったら、受話器をおろして退散するつもりだった。
 意に反して、こたえがかえってきた。
 女の声だった。
「はやくきて……」
 そういった。
 つかみどころのない声だ。深夜の街にはふさわしくないような、ひどくおさないひびきがある。それでいて、かかえてきた年月の重さにつかれはてたような、苦しげにさえ思えるような重い声でもある。
「は?」
 おれはまのぬけた返事をかえしていた。ほかにどう対応しようがあったのだろう。ただでさえ、酔いと絶望のむこうに思考力をとじこめられていたというのに。
「はやくきて……。その路地のむこうにいる……」
 女は、おれの当惑にはおかまいなしに、くりかえした。そして問いかえすまもなく、一方的に電話を切った。
 やけにやかましくひびく発信音を受話器のむこうにききながら、おれはぼうぜんと電話の言葉を反芻していた。
 はやくきて。それだけだ。おれが何者かを問いただそうとさえしなかった。気がつかなかったのかもしれない。受話器をとったのが目当ての人物ではなかったことに。
 だが、それにしても妙だ。
 脳内を疑問がうずまいた。いったい、あのメッセージはだれにあてて発せられたものだったのか。こんな時間帯にどこへ、なんのために人を呼び出すのか。そもそも、あの女はいったい何者なのか。
 どうでもいいことだった。いずれにせよ、おれにはまったく無関係だ。
 おれは踵をかえした。
 路地の方向へ。
 好奇心がそうさせていた。疑問はすでに具体的な形をとりはじめている。どんな顔をしているの女なのか。年齢は? 職業は? こんな夜の街でなにをしているのか。呼び出すつもりだった相手はだれなのか? その男と、どこで、何をするつもりだったのか。そもそも、あの電話は特定のだれかにあてたものだったのか。それとも……。
 不思議なことに、おれの足取りから重さが消えていた。好奇心はひとの身を軽くするのかもしれない。女の正体がわかるまでの、ほんのひとときの昂揚にしか過ぎないのだろうが。
 街の小さな一角に築かれただけの路地は、それでいて顔さえ見知らぬ女をさがすには充分なひろさだった。商店は今日にかぎってのきなみシャッターをかたくとざしており、行き交う人の姿も見あたらない。すえたへどのにおいばかりが、どこからかおれの鼻を不快に刺激する。
 おれはついに、ふたまたにわかれた分岐点でとほうにくれて立ちどまった。路地のむこうにいる……どうしようもなく貧弱な情報だ。もしかしたら、単にからかわれただけなのかもしれない。おれは舌うちをして周囲を見まわし──
 耳ざわりな呼び出し音におどろかされた。
 ふりかえってみると、やはりさきほどと同じように公衆電話だった。
 壁をうがってとりつけられたカード式の電話が二つ、切れかかった蛍光灯の下にならんでいる。そのうちのひとつが、明滅する光の下で癇にさわる音を高らかに反響させていた。
 おれは、なんとはなしに焦慮にかられて、あわただしく四囲をうかがった。が、せまくるしい小路には、顔をのぞかせるものさえいないようだ。電話の呼び出し音など、あまりにもありふれすぎていてだれの注意もひかないのか。
 おれは電話に歩みより、受話器をとった。
 雑音の奥に、かすかな息づかいをきいたような気がする。
「はやくきて……」
 言葉が耳をつく。声も口調も、まったくおなじだった。あきらめきったようなけだるいひびき。どこかせっぱつまったような、それでいて期待を狂おしくおしころしたような、ひどく投げやりな口調。
「……きみはだれだ?」
 当然の疑問を、おれは口にした。なぜか、こたえはかえってこないような気がした。
 案の定、女は同じ台詞をくりかえしただけだった。
「はやくきて……そのかどを右……」
「おい、いったいきみは──」
 言葉は途中でたちきられた。受話器を架台におろす音が暴虐になりわたり、しらじらしい間を一拍おいて発信音が単調にひびきはじめる。
 まるでなぐられでもしたように、おれはにぎりしめた受話器をぼうぜんと見つめていた。
 混乱が脳内をうずまく。女が、なにを意図しているのかがわからなかった。いまのやりとりで、おれがどこのだれともしれぬ通りすがりの人間だということは理解できたはずだ。にもかかわらず、女はくりかえした。はやくきて、と。
 狂女を連想した。頭のおかしい人間がふらつくには、適当な時間帯かもしれない。月光の照らし出す狂気のもとで、人は理性などというものに束縛されることなく、かぐろい心奥の闇をとき放つのだ。
 とまどいにしばしたたずみ、おれは意を決した。
 女の指示する方向に足をむける。
 女の狂気が、伝染していたのかもしれない。あるいは、真夜中の幻聴を耳にした時すでに、おかしくなっていたのかも。
 暗いショーウィンドーの奥にたたずむ無機質なマネキンに女の姿を重ねつつ、おれは小路の奥にわけ入った。千鳥足でねり歩いたかってしったる街なみのはずだったが、奇妙に記憶とずれている。あそこには、二十四時間営業のファーストフード店が、消えやらぬ灯で煌々と深夜の街を照らし出してはいなかったか。あの通りには、明け方まで酔客の哄笑のたえない赤ちょうちんが、明々と灯されてはいなかったのか。
 ふたたび交差路で立ちどまると、おれは公衆電話をさがした。
 飲み屋が軒をつらねるせまくるしい路地にはふさわしからぬ、まあたらしい電話ボックスが目についた。
 おれはゆっくりと歩みより、扉をあける。待っていたかのように、電話がけたたましくふるえた。
 今度はなんのためらいもなく、受話器をとりあげた。
「はやくきて……」
 女は、ふたたびくりかえした。
 おれはごくりとつばをのみこんだ。
 背筋に、怖気がふるったのだ。
 異界、という言葉が頭にうかんだ。
 女の声は、どこかこの世とはかけ離れた遠いところからひびいているのではないか。この声に導かれてたどりつく先には、二度とこの世に帰ることのできない呪われた異世界があるのではないか。
 おれは鼻先で笑い、ばかげた考えをうち消そうとした。だが、送話器にむけて発した声は、意に反してかすかにふるえを帯びていた。
「きみはだれだ……? なぜおれを呼び出すんだ……」
 女は一瞬、だまりこんだ。
 電話線のかなたで、じっと息をひそめる気配が伝わる。
 女のその当惑の気配に、おれはなんとはなしに安堵していた。
 これでおれは解放されるのかもしれない。さきほどの恐怖は、やはりただの幻想に過ぎなかったのだ。女はまちがいに気づき、電話を切るだろう。ちょっとしたかんちがいだったのだ。
 おれは、ほっと息をついた。悪夢からさめたような気分だった。
 まちがっていたのは、おれの方だった。
「あなたが呼んだのよ……」
 静かに、まるで淡々と告げられる呪咀のひびきのように、女の声がおれに宣告した。
「あなたが呼んだのよ……わたしを。この世の果ての、暗闇から……」
 二の句をうしない、おれは立ちつくした。心の奥にひそむ闇を、目の前にひきずり出されたような気がしていた。恐怖が心臓を狂おしくかきたて、両の足がたよりなくふるえ出した。悪夢はおわっていない。これからはじまるのだ。受話器をかたく耳におしあてて、恐怖におののきながらおれはただ女のつぎの言葉を待ちつづけるだけだった。
「はやくきて……その路地を左……」
 遠く、消え入るようなひびきを残して、電話は切れた。
 催眠術にかけられでもしたように機械的に受話器をおろすと、おれは夢遊病者のような足取りで路地の奥を目指した。
 いまや、街のりんかくさえさだかではなくなっていた。街灯は溶けて流れ出し、ぼやけた街区のたたずまいを毒々しく染めあげる。ビルの灰色の壁のむこうから、死者のあげる呪われた詠唱がひびきわたる。ふみ出す歩調にあわせてあとずさるいくつもの、人ならぬ者の妖しく光る双眸。
 すべて幻覚だ。おれは夢を見ているんだ。
 かきたてた思いはひどく遠く、目の前の悪夢の光景こそが圧倒的な現実と化しておれをうちのめした。そうしておれは、見知らぬ街を魅入られたようにふらふらと歩きつづけた。
 どれだけ、そうしていたのだろう。ふと気づくと、周囲に見覚えのある光景がひろがっていた。
 鉤型になった小路のなかに立ちならぶ商店には、たしかに見覚えがある。朝方まで飲み明かしたことのある酒場も、まちがいなくそこにあった。通りひとつへだてたむこうからは、行き交う車の音とかすかなざわめきがひびきわたってくる。そうだ、あのむこうは、駅前大通りにつながっているはずだ。
 安堵が、ゆっくりと胸にわきあがった。
 なんでもないことだったのだ。ただ単に、おれはどこかの小娘にからかわれていただけだったのだ。ぬけたと思っていた酔いがそれに拍車をかけていたのだろう。そして、考えてみればちょっとした不安にしか過ぎないものを絶望ととりちがえて、自暴自棄になりさがっていたために、奇妙な、悪夢のような幻想をかいま見ていただけのだ。
 おれはながいため息をつき、気のぬけた足取りで雑踏を目指して歩をふみ出した。
 そして、その時だった。
 背後からひびきわたるベルの音に、心臓をわしづかみにされたのは。
 おれは、ぼうぜんと立ちすくんだ。
 呼び出し音は、勝ちほこったように高らかに、おれの背中を叩きつづけた。
 ただのいたずらだ。ただのいたずらなんだ。
 呪文のようにつぶやいた。
 音は、容赦なくおれをせきたてた。
 目に見えぬ糸にひかれるようにしておれはふりかえり、闇の底に白々とたたずむ公衆電話の受話器を手にした。
 他人のもののように意に従わぬ手は、ゆっくりと、あらがうすべもなく受話器を耳におしあてた。
 雑音の奥にひろがる沈黙が、おれの頭蓋の内部を果てしなく侵食していく。
「……もしもし」
 かろうじて、おれの意志が声を発した。
 情けないほどふるえていた。
 そして──
「はやくきて……」
 女の声が、いった。
「そのさきをぬけるのよ……。そこがあなたの終点。はやくきて……」

(了)


			

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