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ガジェット ボックス GADGET BOX

ガジェット ボックス GADGET BOX ただいま禁煙中

ただいま禁煙中


 桜並木のペーヴメントを選んだのに理由はない。風はぬるんではいたが花見の時機にはまだ間がある。だいいち、咲きはじめの桜などおれは好きじゃない。でもたぶん、散りしだく花吹雪の下を歩くときも今年はひとりのままだろう。

 だからサイドウォークに立ちならぶ商店の一軒を選んで入ったのも、たいした理由があったわけじゃない。
 だいたい世間が軒並み不況の風にあおられている折も折、高度経済成長期の亡霊に憑かれたようにモーレツ社員をきどってみたところで、エンジンがぶち切れるまで幾許もないことは最初からわかっていた。ただ生来のひねくれの虫がむずむずと首をもたげていただけだ。それもいまじゃおとなしくなり、こうして仕事をさぼって愚にもつかないヒマつぶし。
 スポーツ用品店にはめずらしい、ほどよく薄暗い感じの店内を入口から一瞥し、客らしき姿の見当たらないことを確認しつつ歩を踏みこんだ。いつきても繁盛していた記憶がないにもかかわらず、売上は開店以来順調にのびつづけているらしい。秘密の地下室で密輸兵器でもあつかっているにちがいない。
 リングシューズの棚からダンベルのコーナーへと視線を移動し、視界のかたすみにうごめくものを見つけて首を横にむけた。店奥の一角にうずくまってなにやらごそごそと整理だかヒマつぶしだかをしていた小麦色の影が、いらっしゃいと呼びかけながらふりむき、
「史郎ちゃん!」
 わっと手をひろげてのびあがりつつ叫んで、そのまま数歩を踏みだした。
「元気そうだなあ葛城」
 とおれも満面に笑みたたえつつ歩みよる。バリ島で仕入れた簡素な夏服がこの季節でも寒そうに見えないのは、その肌の色より娘の全身からはちきれる鋭角の夏のオーラのせいだろう。
 元気そうだもくそもないわよ、またとつぜん現れて、元気だった? と矢つぎばやに言葉を重ね、葛城なおみはメンソールの煙草をくわえて火をつけた。いったいこの娘、どこに煙草をもっているんだろうといつもくわえた後に疑問に思う。口に出して質問したことはない。黙したままの疑問なら、ほかにもいくつもある。
「楓ちゃん、元気?」
 多少からかいまじりの明るい問いかけに、せいいっぱいのニヒルにひとふりの寂しさをまぶしておれは笑った。
「知らねえ。わかれた」
「……うっそー、いつ?」
 疑問と不審は、おれには咎めだての詰問に響く。
「三ヶ月前かな。会わなくなってからは、半年くらい経ってる」
「なんで?」
 肩をすくめてみせる。自分にだってよくわからない。つきあおうといったのは彼女だったが、惚れているのはおれのほうだった。別れようといったのはおれだったが、いまでもなぜなのかはよくわからない。ともに過ごす時間が苦痛になりつつあったのは事実だが、その時点では気持ちはピークに登りつつもあった。
 なんで? なんで? なんで? と五回たてつづけにくりかえしながら葛城はおれにつめより、おれは笑いながら首を左右にふるだけ。知りたいのはおれのほうだ。
 電話口での彼女の反応――うん、そのほうがいいかもね。それから数刻、いつもどおりの愚にもつかない世間話をくりかえし、そして電話を切った。それで別離の完了だ。以来、顔をあわせることもない。
「あんなに仲よかったのにねえ」
 レジ横の店員休憩所に移動しながら葛城は、二本めの煙草に火をつける。「ほれ、お客さんがすわれ」と一脚しかないプラスチック製の丸椅子をずずずとさしだし、自分はカウンターに張りのいい腰をすえると、ふたりのあいだの空間に床置きの灰皿を移動させた。
「ほらあ、この前ここにきたときは、いっしょだったじゃん。まさか別れるなんて、夢にも思わなかったよあたしゃ。なに、その目は」
 と葛城は、惚けた目つきで顔を見つめるおれの目を正面からのぞきこみつつ不審もあらわにつけ加える。
「煙草か」ぽん、と手をうち、「なんだあ、珍しいじゃん史郎ちゃんが煙草きらしちゃってるなんてさー。しようがないなあ。ほれ」
 と差し出されたヴァージニアスリムをおれはやんわりとおしもどし、
「じつは禁煙中なんだ」
 言った。
「またムダなことを」葛城は鼻で笑いつつ煙をふかす。「何時間?」
「一週間。今日で二週間目に突入してる」
 顎のはった愛敬たっぷりの顔が狐につままれたように目を見開いた。
「うっそー。マジぃ? すごいじゃん。どーしたのよいったい。失恋のショック?」
「んなわけあるかい。三ヶ月も前のこったぜ」
「じゃーいったいどうしたんだよ。あれほどの超ヘヴィスモーカーがさあ」
 一日の消費量がセブンスター三箱に迫りつつあったおれだからこの質問は無理もない。ただし残念ながらこれに対する解答もおれの内部には明確には存在しなかった。
「売上、どうだい?」
「またそーやって話をそらそうとする」
「おれの会社なんか、バブル崩壊の波、まともに喰らっちまってんけど」
「あ、る、よーそれ、確かに」と煙草をもみ消しながら葛城は何度もうなずいてみせた。「ほら、去年まではさー、大もうけとはいわないけど順調にのびてたわけよね売上。それがさあ、今年の一月後半あたりからまるでさっぱり」
「ボーナスん時はどうだったんだよ?」
「あ、それは来たけどねー、波が。でもやっぱ去年のシーズンと比べたらどっと落ちてるなあ。ツアーの申込み客も極端に減ったし。板とかさー売れ残っちゃって。買わない? 買ってよ二、三セット」
「冗談じゃねえ。そんな金ァねえよ。だいいちこちとらここ五、六年、スキーになんざいくヒマひとつありゃしねえ」
「あいかわらずだねー。楓ちゃんも忙しい人だし。いいカップルだ――って、別れたのか」
「三ヶ月も前にね」
「なんで?」
 堂々めぐりだ。
「バブルがはじけたから、だ」
「んなバカな」
「時期的にはちょうどつじつまがあうな。いま気づいたんだが」
「まーさーかー」
「そりゃそーだ」
 といいつつ、ふと思った。もしかしたら、ほんとうにそうなのかもしれない。
 惚れたのはれたの、結局そんなもんなのかもしれない。とは、楓の得意のせりふでもあった。
 まー、いーや。
「昼飯、食ったか?」
「んーん、一時半にバイトの子がくるから。んもー、腹へっちゃって腹へっちゃって。背なかとお腹がくっつきそうだよあたしゃ。史郎ちゃん、なんか買ってきてよー」
「やだ。交代がきたらいっしょに食いにいこう」
「いー? 我慢できそうにないなー」
「我慢しなさい」
「やだ」
「わがままいわない。ほれ、客だぞ」
「あん? あ、いらっしゃーいグローブかあ?」
 ぱんぱんとはんぶんむきだしの太腿をたたきながら葛城は、野球用品コーナーの前で所在なげにこちらを見つめる小学生二人組にむけて快活に歩みよる。
 おれは灰皿のなかで燃えのこった吸いさしからひとすじの紫煙がたちのぼるのへ鼻頭にしわをよせつつ、ヴァージニアスリムライトの残骸をつまみあげてもういちど念入りに消火すべく灰皿の底におしつけた。
 へいへいへーいエースに安もののグローブは似合わないぜーと調子よく小学生相手に売り込みをかける葛城をしりめに、おれは店外に出て缶飲料の自販機の前に立った。オレンジエード。葛城にはウーロン茶。
 毎度お、と威勢のいいかけ声を背に店を出るガキ二人組と入れちがいにレジへとむかい、ひきだしを閉じて顔をあげる葛城にむけて缶をほうり投げる。
「おう、びっくりした。ありがとう、気前いーじゃん」
「ウーロン茶でよかったっけか?」
「上等上等、いただきまーす」
 いいつつ、すでにプルタブはゴミ箱にむけて落下しつつある。両手でささげ持つようにしてぐいと缶をかたむけ、
「ぶはー、生きかえるぜ」
 ふたたび煙草に火をつける。
「……アイスクリームが好きだったんだよな」
「おう。よく覚えてるじゃん」
「よく買いにいかされたからな。あと、モスバーガーの木苺シェイク。わざわざ冷凍庫で凍らせてからばりばり食うの」
「はははは。あれ、史郎ちゃん缶コーヒーじゃないじゃん。珍しい」
「ちょっと嗜好がかわってな。さいきん、こういうのも飲むようになった」
「んー失恋の影響かー?」
「ちがうっての。禁煙の影響だよ。コーヒー飲むとき、煙草がないとなんか寂しくてなー」
「あ、それいえる。ふーん、でもほんとに禁煙しちゃってるんだあ。あんなに喫いまくってたのにさ。すごいねえ」
「まーかーせといて」
「なーにが。わかった。よし、禁煙してんなら金がそのぶんあまってんだろ。なんか買ってきなよ。新しいトランクスが欲しいだろう? シューズでもいいよ。グラブは? もってるやつ、何オンスだっけ」
「十六オンス。ぜんぜん使ってやしねえよ。ジムにもいってねえ」
「なんでえ。また始めろよう。禁煙もしたことだしさあ」
「もう三十だからなあ。どうがんばったって、プロになれる歳じゃない」
「うーん、そんなことないよー」
「あるよ。まあプロになれたって、試合がないだろ。だいたいスタミナがなあ。さいきん駅の階段のぼるだけで息ぎれが」
「史郎ちゃん爺いみたい」
「ははは」
 力なく笑いながら葛城に背をむけ、ボクシングコーナーに歩みよった。
 テーピングのやりかたから、忘れちまってるよ。
 そのまま通り過ぎ、のんびりとした足どりで店内をひとめぐり。
 春の陽光に通りがさざめく。行き交う車のむれ。歩道をゆく人の姿はまばらだ。咲きはじめた桜並木が、白く揺れる。自動ドアをくぐってみたび店の外に立ち、堀ばたにむけて下る坂道の彼方へ目をやる。
 以前なら、背広の内ポケットから煙草をとりだすタイミングだった。
「おい、いくぞ」
 ぼんやりしていたおれの背を、声がとんとおした。
「あ?」
「飯」
 いって葛城は、浅黒い顔ににんまりと笑みを浮かべる。いつのまに交替がきたんだろう。
「なに食う?」
 問いに、答えは即座にかえる。
「んーチャーハン。なんか今日はずうっとチャーハン食いたくってさあ。朝からチャーハンチャーハンてずうっと頭んなかチャーハン一色だったのよ」
「うし。うまい店あんのか?」
「おう、まかしとき。案内したげる。ついてきな」
 とんとんと軽いステップで飛び跳ね、先にたって小ぢんまりとした中華料理屋に先導する。くるっくー、くるっくー、都会の電線上で愛を語る山バトのカップルを眺めあげながら、おれたちは赤い暖簾をくぐる。
「約束、覚えてる?」
 ジャッ、ジャッと小気味よくくりかえされる中華鍋の振幅をBGMに、葛城は唐突に口を開いた。
「……焼き肉?」
「おー覚えててくれたか。こんどぜったい食べにいこうね」
「うん。おたがいヒマないが」
「ホントだよねえ。もーあたしなんかさあ、今年の冬日本に釘づけで泳ぎにもいけなかったしさあ」
 眉をよせながらいかにも嬉しげな表情をして愚痴をたれる葛城に適当にうなずきつつ、水の容器を何度となく口もとに運んだ。
 飯を食っているときは落ちついていられるが、食い終わったあとにもうひとつ、大きな違和感がくる。おれの軽い苛立ちには頓着することなく、葛城は細身の煙草に火をつけた。気がつくと、ライターと箱が彼女の右手もとにならんでいる。
「いつもそうやって置いてるのか、煙草?」
 あ、うん、と目を見開きながらうなずき、たいてい手のとどく場所に置いてるよねえと実例をまじえて説明した後、「なんで?」と訊きかえす。
「なんとなくね。今まで、いったいどこから煙草とりだしてんだろうってさ。疑問に思ってたから。ほら、いつも南国風の、ポケットのほとんどついてない服ばっか着てるじゃん?」
「ああ、うんうんそうそう。だから煙草ってけっこう持ち歩くのに不便でさあ。ウエストポーチ使ってんだけど、やっぱなんか変なんだよね。あたしも禁煙しようかなあ」
「おう」
「でもなあ。たぶん無理だよなあ。史郎ちゃんはどうなの? きつい? きつかったでしょーそこまで我慢するだけで」
 おれは苦笑しながら、首を左右にふってみせた。
 ええ? うっそだあ、と妖怪でも目撃したような顔で見返す葛城に重ねて苦笑をおくり、手もちぶさたにごきごきと鳴らしながら首を左右にふるう。
「この十年間、なんども禁煙しようとしてさ。たいがい一日もたたないうちに我慢しきれなくなって喫っちまった。そのたんびに本数が増えてさ。禁煙なんざしたってムダだって思うようになってた」
「でしょ? でしょでしょでしょ? 喫えないとなるとよけい喫いたくなるもんねえ。ねえ? ねえねえ、そもそもなんで禁煙しようって気になったの突然?」
 おれは腕をくみ、しばし考えた。煙草やめた宣言をするたびに山ほどくりかえされてきた質問だ。適当に受けこたえていたのだが、それは確たる理由が見当たらないからでもある。
「前からやめようとは思ってたんだ。心あたり、あるだろ? できればやめよう、そのうちやめよう、てな」
「うん。ホントにそのとおりだよねえ」
「で、ちかごろ咳とまんなくてさ、おれ。正直、煙草喫うの苦痛に思う瞬間がふえてたわけだ」
「いやーそれでもやめられないんだよなあ。煙草ってのあ」
 と江戸っこぶった発音で腕を組みつつしかつめらしくうなずく葛城に、おれはうんにゃと否定してみせた。
「それが簡単にやめられた」
「いー?」
「ほんとだってば」
「ホントかなあ」
「まちがいないっての。おれもまあ、喉苦しかったし、何時間かでも煙草やめて痛みがなくなりゃめっけもんだ、くらいの気持ちではじめたんだけどさ。三時間我慢できたからあと二時間我慢してみようか、朝起きても喫わずにすんだからもう一日ためしてみようかって、タイムトライアルしてるうちに、こりゃやめられるなって。実感してよ」
「で、一週間たっちゃったわけだ」
「そう。酒の席にはまだ用心して出ないようにしてるからわからんけど、これで呑んだときも喫わずにいられたら、まあ完全にやめられたとみてまちがいないだろうな」
「すごいなあ。信じられない」
「事実だってば」
「うん。さっきからあたしがすぱすぱ喫ってんのに、まったく動じてないもんね」
「じつは多少、うっとおしい」
「へん。あたしゃなんと言われようと喫煙権を遵守するよ」
 などといいつつ灰皿をおれから遠ざけるあたりに、この葛城の性格の一端がよく出ている。
「ねえねえ、もうさ、ぜんぜん、喫いたいって思わないわけ?」
「とんでもねえ」おれは猛然と首を左右にふってみせる。「煙草ってのは句読点だからな。飯くったあと、電車降りた瞬間、ひと仕事終えたとき。喫いてえって思うときなんざ山ほどあるさ。気がつきゃカラッポの胸ポケットんなか、一所懸命煙草とライターさがしてることがあるんだ」
「あー無意識に」
「まあここんとこはなくなったけどね、それも。でも、煙草ないと手持ち無沙汰だなあって時間は、ホント、キリがないほどあるねえ」
「ふうん」と葛城は紫煙を天井にむけてふうと吹きだし、「でもやめられたんだ」いいつつ、灰皿に火口を丹念におしつける。「あたしも、やってみようかな、禁煙」
 そのセリフを機に、
「ワリカンでいこうや」
 伝票を手にして立ちあがりながら葛城に釘をさした。わかってらいと葛城も小銭いれを開いて中身を数え、チャーハンの分だけジャラ銭をわたしてよこす。
「少し散歩、してこうぜ」
 おれがいうと渋ってみせるのはいつものことだ。彼女の店とは反対方向に誘導しながら事後承諾させ、坂をおりて堀ばたの土手道へ、ゆっくりと歩をすすめる。
 風。
 さざ波はたたない程度。木枠をくんだ足場に腰かけて、釣り人が竿をおろしている。緑に薄紅の対岸。ビルと、春の陽ざし。
「この堀ばたさあ」
 と、おれは背後にすこし離れて歩く葛城に呼びかける。
「うーん?」
「楓と二人で、歩こうと思ってたんだよなあ。ちょうどいまごろの季節にさあ」
「ああ。だろうねえ。去年の今ごろはまだつきあってなかったんだっけ?」
「ああ。ふたりきりで歩くようなことはなかったなあ」
「うん。でー?」
「うん。でさー」
 とおれは立ちどまる。
 そのまま無言に沈みこんだおれをしげしげとしばし眺めまわしたあげく、とん、とん、とん、と軽快に飛び跳ねながら葛城はおれのわきに立つ。
「で?」
 真正面から見つめる一重の黒い瞳は、楓とちがってまぶしくはないが魅力がないわけじゃない。
「で、さ。ほかにもいろいろ、あそこいこうねとか、どこそこいきたいねとか、そういう話を山ほどしてたんだ」
「もったいねーよなあ。なんで別れちゃったの」
「わがんね」
 と肩をすくめる。そして立ちどまったまま、ぼんやりと堀の水面を眺めおろす。
「こういう時に、煙草喫いたくなるんだろ?」
 からかいまじりに葛城はいい、ヴァージニアスリムを口にくわえた。
 そう、とおれは葛城のほうに目をやらないままうなずき、足もとを軽く蹴とばした。
 煙を肺にすいこんで思いきり吐き出す音を三度耳にしてから、おれはふたたび口を開く。
「あいつといっしょだと、なんでもできたんだよな」
「なにが?」
 能天気にきき返す葛城をふりかえって苦笑をおくる。
「なんでもさ。ひとりじゃいく気になれそうにもない場所とか、食いもんとか、いろいろ。たとえばさ」
「うん」
「禁煙なんかも、やるんだったらあいつと一緒に、励ましあったりとかしながらやるんだろうなとか、おぼろげに思ってたわけだ」
「はーん。楓ちゃんもヘヴィスモーカーだったからねえ」
「うん。で、ひとりじゃとてもムリだろうけど、ふたりでやればどうにかなるかもしんないな、とか」
「ふふん」わかった、とでも言いたげに葛城は鼻で笑う。「それができちゃったわけだ。ひとりで」
「それも、いとも簡単に、さ」
「なるほどね」
 言って、ふうと煙を吹きあげる。春風に追われて煙はおれの鼻先に流れ、土手ぞいに坂巻いていった。
「ま、そんなもんさ」
 いって葛城は褐色の微笑をにっと浮かべる。
「そんなもんかね」
 ため息とともにおれも吐きだし、小石をひとつ、足もとからひろいあげて堀の真ん中へと投げつけた。
 なんともありがちな仕種だ。
 葛城はそんなおれの様子を見ながらはは、はは、と声をたてて笑う。
「史郎ちゃんてホント、そういう仕種が似合ってるよねえ」
「そうかい?」
 にやりと笑ってみせてやる。
 葛城は笑いながら煙草の吸いさしを堀にむけて弾きとばした。
「あ、環境破壊」
「ちょっと自分が煙草やめたと思って」
「ふん、これが楽しみで断煙したんだ。へん、肺ガンは苦しいんだぞう」
「うるさーい。肺ガンなんかにならなくても、人間いつかは死ぬんだーい」
 言いながら葛城はファイティングポーズをとっておれの肩をぽんぽんと叩いた。
「また始めなったら」
「ん。気がむいたら、そのうちな」
 生返事をかえすおれに「きっとだぞ」と脅迫的なジャブをさらに数発、やにわにくるりと踵をかえし、
「じゃあ、あたしゃ店に帰るよ。またおいでよ」
「おお」
「ぜったいに、焼き肉食いにいこうな」
 へ、とおれは肩をすくめつつ、遠ざかる背なかに叫びかけた。
「焼き肉ってのあよ、相当親密な男女で食いにいくもんだぜ」
「あ、そういうよねえ。なにさ、史郎ちゃんらしくない。既成概念は敵なんだろー?」
 最後のほうはふりかえりふりかえり、かろうじて届くだけの遠い声になっていた。
「またな!」
 腹の底からしぼり出した声に、またね、と声がかえり、葛城の後ろ姿が桜並木のむこうに隠れる。
 おれはため息をひとつつき、胸ポケットに意識をとばして苦笑にいき当たる。
「ま、こんなもんだな」
 つぶやき、堀ばたに沿って駅を目ざした。
 山バトが電柱のうえで、鳴いていた。

(了)


			

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