一枚のカード
今回はこの男の体験のひとつを語りたいと思う。
話は十五年も前にさかのぼる。アフリカはコンゴの奥地、モカ国のとなりのマカ国というところでジョヴァンニは現地の人とたむろしていた。
この国では観光客よせに芝居じみた儀式や祭りをしょっちゅうおこなっているが、意外と文明国ということらしく、住民は外国人の見ていないところでは西洋風の自堕落な文化的生活を楽しんでいるという。うわさでは核爆弾も保有しているらしく、ジョヴァンニがこの国におとずれたのもそのうわさの真偽をたしかめるためであったのだが、もって生まれた享楽的な性格がわざわいしたのか当初の目的はすっかり忘れ果て、顔料などをぬりたくっては住民にまじって、でっちあげのエスニック踊りを楽しんでいたりした。
そんなある日、原住民に信用を得たためかジョヴァンニは観光客むけの野蛮でエスニックな「仮宿」ではなく村の奥にひそかに密集する文化的な住宅地に案内された。そこにはまずヘリコプタが三台、鎮座ましましており、これで百キロ離れた都市まで出かけてものを買いこんでくるらしい。
銀行や証券会社などもたっていたそうで、いずれもロビーにたむろしているのは漆黒の肌の現地民。この事実からするとマカ国の住人は腰蓑でわけのわからないエスニック踊りを開陳しながら、われわれ一般的な文明国の人間などより、よほどゆたかで安楽な生活を享受しているようだ。
と、ここまでは私もこのまゆつばなアメリカ人の話をふんふんなるほど、へえ、そういうこともあるのかなどと感心しながらきいていたのだが、どうもここから話が妙になってくる。
ジョヴァンニによると、その場所には銀行や証券会社はあっても電気が通っていないということだった。自家発電の設備は普及しているようだが電話線もないから、グローバルな情報は無線で得ているのだという。それだけならまだいいが、ジョヴァンニは、どうもこの国には十六世紀中盤にフィリップス・アウレオルス・テオフラスツス・ボンバスツス・フォン・ホーエンハイム(舌かみそうだ)がおとずれた形跡があるというのだ。すなわち、パラケルススである。
パラケルススといえば理科の教科書などにも記載されている有名人でスイスの医学者であるが、その一方でホムンクルス――フラスコのなかの小人を創造したともいわれる、それこそうさんくささのぷんぷんただよう錬金術師なる人種でもあったらしい。
まあフラスコのなかの精子から人工の小人をうみだしたという、いわば現代の試験管ベビーのはしりのようなうそくさい実験を実際に成功させていたのかどうかはともかくとして、このパラケルススなる人物はたしかにドイツ、フランスをはじめとして世界中の国を遍歴していた形跡があることはある。ただし、ジョヴァンニのいうようにアフリカの、それもモカ国のとなりのマカ国などというわけのわからない地にまでほんとうに足をのばしていたかというと、すくなくとも私の調べた範囲内では疑問であるとしか結論づけられない。
だがジョヴァンニはこの奇説の論拠としてその村の一角で見かけた石碑をあげるのである。その碑文には現地語で「すべて善なるものは神より来たり、悪しきものは悪魔より来たる」と刻まれていたのだそうだ。これはヒルシュフォーゲルとかいうひとの描いた肖像画にも刻まれている、パラケルススの金言といわれるものなのだそうだ。
だからといって、私がその石碑を見たわけではない上、ジョヴァンニは写真すら残していないのでこんなことなどなんの証明にもならないのだが、彼は私の疑惑を無視して話をさらにむちゃくちゃな方向に進めていく。
ジョヴァンニがなぜそんな疑問、すなわちパラケルススがマカ国をおとずれたかもしれぬ、という疑惑をもちはじめたかというと、それは現地の銀行で、ある奇怪なものを見せられたからだという。
ほんとうにそんなものが実在するのなら奇妙だとか奇怪だとかいう前に生物学界、ひいては全世界にパニックをともなった一大センセーションをまきおこせそうなものだが、そのことを指摘するとジョヴァンニはあわてて話題を変えてうやむやにしてしまう。
とにかく、ジョヴァンニは株にはまるで興味はないので証券会社は一度のぞいただけだが、銀行には毎日のように足をむけていた。現地の裏側をのぞいてしまったとはいえジョヴァンニはあくまで外国人であるので、そこで生活をつづけるにはなにかと金がいるらしく、銀行に日参しては小金をひき出していたのだそうである。
銀行は平屋建ての長大な建物のなかに数十種類のオフィスが乱立していた。なぜビルではないかというと、ジャングルの中に忽然と近代的なビルが出現してしまっては観光客の足が遠のき、現地のひとびとが生活にこまるからであるという。
ジョヴァンニの取引している銀行の出店はそこにはなかったらしいが、提携しているべつの銀行のオフィスがあり、そこでは当時の彼のたったひとつの財産であるキャッシュカードが使用できたので、もっぱらそれを利用していた。
ところがある日、ふと疑問に思った。自家発電でこの建物の中のすべての電気をまかなえるものなのだろうか、と。
そこで彼は滞在中に個人的に親しくなっていた銀行の出向社員になにげなくこの疑問を問いただしてみたところ、なぜかその銀行員はおびえたように口をとざしてしまったのである。
つまらないところで勘のするどいジョヴァンニは、核兵器探索の主旨も忘れて朝から晩までその銀行員にまとわりついては解答を強要した。このジョヴァンニという男はピラニアのように貪欲かつ執拗で、私も幾度となく喰らいつかれては困惑した経験があるので、この銀行員にも同情の念を禁じ得ない。
案の定、ついに銀行員はジョヴァンニのしつこさに音をあげ、おどろくべき秘密をジョヴァンニに開陳することとなった。
その男はまず、深夜にジョヴァンニをともなってこっそりと銀行ビルに潜入した。二人とも上下黒の服、ごていねいに顔まで黒のマスクですっぽりとおおい、その姿はまるでニンジャのようだった、とジョヴァンニは語る(余談だがジョヴァンニはニンジャが大好きで、日本にもニンジャをさがしにおとずれているのだそうだ)。
夜警の目をかいくぐってATMの前にたどりつくと、出向社員はやにわにドライバーをとり出して機械を解体しはじめた。ふたがとりのぞかれ、光輪をしぼった懐中電灯の光が内部を照らし出したとき、ジョヴァンニはおどろきのあまり叫び声をあげてしまった。
てっきり日本製の複雑な機械装置でうめられていると思っていたATMの内部には、こともあろうに小人のむれがうようよとうごめいていたのだ。
かけつける警備員の目を逃れてほうほうのていで脱出を果たした二人は、ジョヴァンニの宿泊している無人の現地小屋でやっとのことで一息ついた。そしてその場で銀行員は、おどろくべき事実を口にしたのである。
この出向社員は、ジョヴァンニと同様に電気も通っていないようなこの僻地で、近代的な銀行のオフィスが正常に業務を遂行していられるのはなぜかという疑問をもった。
さらには、機械類のメンテナンスもいっさい行なわれることがなかったそうなのである。
そしてある日、くだんの銀行員が調子のわるくなったATMを見てやろうとパネルをひらきかけると、現地民の行員がはげしく罵声をわめき立てながらただごとならぬ、といったようすですっ飛んできたのである。その男の言によると、メンテナンスは専門の技術者以外の者には許されていないということで、もしこの禁を破った場合はジャングル奥地の脱出不可能の収容所に終身禁固されてしまうという。
その現地民の説明のあまりのばかばかしさに、出向社員はくわしい説明をもとめたのだが、当然のごとく答えは得られなかった。
そしてそれ以後、この出向社員に対する現地民の視線が微妙にかわったらしい。それとなく見はられているような気がする、というのだ。
しかしこの男はどうにも奇妙に思えてしかたがない事実があったので、それをたしかめるために人目をしのんで深夜、オフィスに潜入したのであった。
どうにも奇妙な事実とは、ATMの調子を見ようとパネルをひらきかけたとき、なかからなにか小さな話し声のようなものがきこえたような気がした、ということなのである。
そして深夜のオフィスで目撃した事実は、やはりこの行員にも恐怖の叫び声をあげさせた。機械の内部はまるでホテルのように何段にも仕切られており、ミニチュアの家具が整然と配置されているなか、ソファに腰かけてこれもやはりミニチュア版の「ニューズウィーク」を読んでいた数十人の小人が、いっせいに男をにらみつけたというのである。
ちなみに小人は全員白人だったそうで、ジョヴァンニはあわてていたためにそこまでこまかいことを確認できなかったとしきりにくやしがってみせた。
さて、さいわいにして男は警備員に見つかることなく脱出を果たし、収容所送りになることだけは免れたが、このとき以来ながいあいだ、昼となく夜となく有形無形の監視の目がはりつくようになり、それがゆるみはじめたのはやっと最近になってからのことなのだという。
ジョヴァンニはこの銀行員の告白にふるえあがり、なぜアメリカ本社に帰国を打電しないのかと問うたところ、申請はその夜以来何度もしているのだという返事がかえってきた。本社からの解答はいつも判でおしたようにおなじもので、代行が決まらないのでもう少し待つように、という文面だった。が、無電を操作するのは現地民と決まっているので、それが本当に本社からの返事なのかどうかは怪しい、とその男はなかばあきらめたような口調で述懐した。
今夜は泊まっていけというジョヴァンニのすすめを、監視員が巡回してくるからと男はことわり、自分の宿舎に帰っていった。その時の、うちのめされたようなうしろ姿を見て以来、ジョヴァンニはこの銀行員には会っていないという。同じ銀行の出向社員にきいてみると本社に復帰したのだという答えがかえってきたが、ジョヴァンニは収容所送りにされたにちがいないと背筋をふるわせたそうである。
以来、ATMで金をひきおろすたびにジョヴァンニは、人目をしのんで機械装置にきき耳を立ててみるのだが、話し声のようなものはきこえないかわりに、機械の作動音らしき音もきこえず、銀行業務の騒音にかき消されてさだかではないがなにか小動物のようなものが動きまわる、かさこそという音がおぼろげにひびいたような気がしたそうだ。パラケルススの石碑を見つけたのも、このことがあった後のことだという。
さいわいにしてジョヴァンニは収容所送りになることもなくぶじにマカ国を脱出できたのだが(核兵器探索という目的はついに果たされなかった)、それ以来彼はATMを見るたびにきき耳を立てずにはいられなくなったらしい。
ニホンの機械はいまのとこ大丈夫ネ、とジョヴァンニはこの話をしめくくったのだが、その際本当に大丈夫かとでもいいたげに眉をぐりぐりと上下させたのには閉口した。
一枚のカード ― 了