版画家のつぶやき
『渋川市立図書館 高橋房雄版画展 によせて 1987.12』より
版画を自己の表現手段と考えて30年余、いつの間にか木目に美しさに魅せられて、イメージを育んで来ました。
版木に使用する材料は、朴の板ですが、淡い生緑の波紋にも似た木目の流れは、大河の様相を呈しているかと思えば、春の野辺ののどかさもあります。そして、刀を走らせる時の手応えや耳に響く軽い切削音------。木目の中の一つひとつの細胞が語りかけてくる言葉に思えてくるのです。
光の集積、樹液の流れ、億年の彼方からの生命のメッセージが板の輝きとなっていると感じた時、そこから生まれる画想が、私の版画ではないかと気がついたのです。
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絵描きには、必ず、どうしても描きたい、一本の線がある。
私にとっては、原始のもののように強靱で、柔軟で、無垢な線。はじめて存在するもののみが持つことのできる、空間を呼び込んでくる線、生命の痕跡となる線。
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思惟は深く、技術は高く。
そんな木版画を作りたいと思った。しかし、どう見ても私の作品は、カリカチュアだ。道化た部分があるのだ。果たして真に普遍的な芸術表現、技術と思想が一体となる「創造の時」が、私の未来形の時間の中に存在するのであろうか。解らない。ただ解るのは、、唯今現在の仕事のノミの先に、こうも彫ってみたい、ああも彫ってみたいと言うかげろうのような幻影が見えることだ。
甘さは、極力排除したい、装飾的で饒舌な部分は彫り取ってしまった版面に、光を見失う時が一番恐い。私の光が欲しい。 「春陽 53」より
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版木を彫っていると、ふと我々人間の眼では感知できない光が存在するのではないかと思える時がある。植物だけに見える崇高で荘厳な光、ふとそんな光を彫りあてて見たくなる。
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素材への理解が創造を可能にする。
画家が素材を駆使するのではなく、素材が画家を揺り動かして創造が始まると考える。画家の趣向が強すぎて素材が隷属している作品には、香りがない。
画家と素材が共鳴しあう時、作品は精気が満ちて、芸術が誕生する。
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少年時代の感動は、人生における奇跡、真実の魔法である。
パウル・クレーとの出会いが中学生の私を変身させた。ほんの数刻の感動の呪縛が、私の価値観を一変させたのだ。少し早すぎた出会いであったが、私にとってパウル・クレーは、人生の魔術師だ。
あらゆる苦しみを喜びに変えてくれる------------。
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版画への憧れ。
いつの頃から始めたのか、確かな記憶はない。複製ではない本物のメッセージが数多く伝達できる喜びが、孤独な少年時代の私を駆りたてた。もちろん授業よりも夢があった。
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