年 | 月日 | 略歴(作成=1999.2.6) |
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1937年 | 1月27日 | 渋川町(市)上郷に高橋養太郎・なかの長男として生れる。 |
幼年時代は、父の仕事(建設業)の都合で東京、秋田に住む。 父養太郎は、秋田県湯沢町(市)出身。 | ||
1942年 | 頃 | 戦時色の強くなった東京(田園調布)より、渋川の祖母の家に預けられる。 |
1943年 | 3月 | 渋川国民小学校入学 |
1950年 | みずえ(520号)でパウル・クレーの作品「陽気な食卓」に出会い感動する。 | |
1952年 | 頃 | 推理作家渡辺啓助先生主催のB文学会に入会、版画や試作に没頭する。 |
1957年 | 3月 | 渋川高等学校卒業後上京、印刷会社に就職、版画の基本的な知識を吸収する。 渡辺啓助先生の私淑して深い影響を受ける。 |
1958年 | 日本アンデパンダン展に出品 | |
1961年 | 読売アンデパンダン展(第13〜15回)に出品。 | |
1962年 | 日本版画家協会展、自由美術家協会展に出品 | |
1963年 | 4月 | 春陽会40回展に「雨期の花・・」初入選する。 |
1964年 | 4月 | 春陽会41回展に「山の上に古き沼あり」を出品。 |
1965年 | 4月 | 春陽会42回展に「光る枝」「飛行術入門」を出品 |
12月 | 家業のため帰郷する。 | |
1965年 | 9月 | 東京都・銀座・夢土画廊で個展 創作活動は中断する。 |
1966年 | 10月 | 高坂澄子と結婚 |
1972年 | 頃月 | 仕事の余暇を見てデッサンをこころみる。 |
1974年 | 頃月 | 再び版画をこころみる。 |
1975年 | 4月21日 | 父養太郎死去。高橋特殊土木株式会社の代表取締役に就任 |
1977年 | 4月 | 春陽会54回展に「メタフィジカルな植物群」を出品、入選 この頃より、渋川駅前純喫茶ルナで絵画グループ木曜会と常設展を始める。 |
1978年 | 11月 | 東京都・田園調布・土楽画廊で個展を開く。 この頃、群馬厚生年金会館版画講座、群馬銀行版画教室などで講師を勤める。 |
1980年 | 4月 | 春陽会57回展「フレームの中のファンタジー・」会友に推挙される。 |
1985年 | 群馬版画家協会設立に参加、以後毎年出品する。 | |
1986年 | 4月 | 春陽会63回展「ジオットにささぐ」準会員に推挙される。 |
1987年 | 12月 | 渋川市立図書館、高橋房雄版画展を開催。 |
1990年 | 3月9日 | 母なか死去 |
1991年 | 4月 | 春陽会68回展「歳月の椅子-コラムニストN氏にささぐ」「流離のうた」を出 品、会員に推挙される。 |
1992年 | 4月 | 春陽会69回展に「F(古川功)氏のテーブル」「マダムSの旅行鞄」を出品 春陽65号表紙担当「メランコリックな日・・」 |
1994年 | 10月 | 渋川市、画廊あ・と個展を開催。 |
1995年 | 春陽会群馬研究会に参加する。 | |
1997年 | 9月 | チェコ・リトアニア・日本の現代版画交流展(桐生)に参加する。 |
1998年 | 6月 | ギャラリー・オキュルスで個展を開く。 |
1998年 | 10月 | 群馬版画家協会による現代日本版画展・ニューオリンズ大学(米国)に参加。 |
1999年 | 4月 | ホームページ、版画の家を高橋由美の努力で公開準備中。 |