○福田俊弘氏:みなさん、こんにちは。今、紹介に与かりました福田俊弘といいます。

池袋に本社がある日立プラントテクノロジーっていう会社に勤務しているサラリーマンです。今、ちょっと鬼丸さんはNGOの立場でもって企業のことをお話ししましたけれども、私はどっちかというと企業側の立場でのお話になるのかもしれませんね。

本日のテーマは、エスペラントとマジックを使った国際親善活動、副題としてサラリーマンの国際親善ボランティア活動、そういうお話をしてみたいと思います。

私は現在、日立プラントテクノロジーのCSR推進本部におりますけれども、もともとは専門が機械系のエンジニア。空調設備の設計をずっと永年やってまいりました。そういうふうな設計をずっとやっている間に、いろんな活動をやってきたわけですけれども、ここで、活動概略として四つばかりお話しします。

1987年ですから今から20年前ぐらいです。ある時エスペラントに出会いまして、エスペラントに惹かれて勉強を始めたんですね。そして、今から12年前ですけれども、今度はマジックを始めました。そして、翌年からエスペラントマジックで国際親善活動を個人的に始めたんです。そして、2003年にエスペラントマジック友好協会という組織をつくりました。会員は60名ですけれども、翌年からエスペラントマジック国際親善の、今度はボランティア活動という形で本格的に活動を始めました。

私の会社の宣伝をちょっとさせてもらいます。名前は株式会社日立プラントテクノロジー。環境と省エネ技術で社会に貢献するというスローガンのもとに、発電所の建設や大型ポンプや圧縮機、それから水処理装置とかビルの空調設備とかプラント設備ですね。それから液晶の製造設備とかクレーン設備とか、いろんなことをやっている会社です。

エスペラントのお話をしたいと思います。エスペラントは、民族間の平和と友好のためにつくられた国際語、国際補助語、国際共通語。言葉です。そして、今から130年前、1887年ですけれども、ポーランドに住んでいたルドヴィコ・ザメンホフという人が発明した人工語です。世界共通語ということですから、非常にやさしくつくられているんですね。全然不規則変化がないんです。全部規則的な変化です。ですから非常に学びやすい言語です。

ここにエスペラントが書いてありますので、ちょっと読んでみます。

これ、どういう意味かと言いますとですね、Saluton.、みなさん、こんにちは。エスペラントは世界共通語です。そして、エスペラントは平和と友好のためにつくられています。こういうふうな意味なんです。

はい。それから、左の上に掲げているのは、これはエスペラントの旗です。エスペラントは緑の星がシンボルです。こういうような旗も持っています。

で、マジックですが、これは、エスペラントを学んでから、エスペラントの集まりで、マジックでみんなに楽しんでもらいたいなと思い始めまして、今から12年前にマジックを始めたました。マジックは、本屋ビデオを見ながら独学で学びました。この写真にあるように、口髭と山高帽と赤い服、これが私の定番の衣装です。この写真はですね、今年の春、ラオス大使館で頼まれましてマジックショーをやった写真です。

えっと、マジックってどんなものかみなさんご存じだと思うんですけれども、一つだけちょっと持ってきたんでやってみたいと思いますね。簡単なものです。見えますかこれ?

これ、チェーンですね。普通のチェーン。全然引っ掛かりないですね。それからこれは普通の輪っかです。金属の輪っか。これがウケるンですよね、実はね。ウケてくださいね。ひとつよろしくお願いしたいんですが、こうやって離すと、ひっかかりがないないですからおっこっちゃうんですが、実は、これでおまじないをかけるとですね、これがひっかかるというあれでね…、ワン、トゥー、スリー…。こういう形で…。

(拍手)

これがすごいんですよ。世界各国でこれをやるとみんな大ウケということでね…。まあ、マジックばかりやっているわけにいかないんですけが、ちょっと次、お願いしたいと思います。

エスペラントは、人口が世界で約100万人と言われています。そして、日本では1万人。決して多い数ではありませんね。全世界で60億人くらいいるんですから。非常に少ない数ではあります、確かに。しかしながら、なんと、世界100カ国以上の国にエスペラントをしゃべる人がいるんです。そして、ネットワークができてるんですよ、この強力なネットワークがすごいんですね。世界、どこに行ってもエスペラントをしゃべる人がいるということです。

私はこのネットワークを使って1997年、今から11前です、国際親善活動というのをスタートしています。この時は、サラリーマン生活をやっている中ですから、一生懸命休暇をなんとか絞り出して、休暇を取りながら個人的な感じで、海外旅行に行ってきますってな感じでもって個人活動を始めました。

これは、エスペラントネットワークを通じてマジックによって国際親善活動をやった国々ですね。2003年までの間に活動したところなんですが、ベトナム、中国、パキスタン、韓国、モンゴル、グルジア、アルメニア、ウクライナ、イラン、フランス。こんな国をずっと回りましてですね、エスペラントとマジックによる親善集会。ですから、もちろんエスペラントを話す人だけではありません。その地元のいろんな人も集まってもらって、そういうような集会をずっとやってきたんですね。2003年まで。

そして、それをやっている間に、すごく喜んでくれたんです、マジックをあちこちで。もちろんエスペラントも喜んでくれましたけども、こういう楽しいことを、難民の人にも見てもらいたいなあと思い始めました。それが2003年なんです。

そして、2003年に団体をつくりました。それが、日本エスペラントマジック友好協会って、こういう大げさな名前なんですけども、名前を付けました。これは、社員など仲間を募って60名ぐらいの賛同会員を集めてですね、こういう会をつくったんです。で、会の愛称、略称は、ヤーデムと言います。ヤーデムというのは、エスペラントの頭文字をとっているんですけども、ヤパナ・アミーカ・アソチーオ・デ・エスペラント・マギーオで、この頭文字を集めますとヤーデムというんですね。そして、この協会は民族間の親善と友好そして相互理解を図る国際ボランティアだというふうに決めました。そして、エスペラントを媒介としたマジックや木笛アルバソーノと、これはちっちゃな笛なんですけれども、それらを使って親善活動をやっていこうということでスタートしました。

これから、ヤーデムの活動記録を皆さんに紹介していきたいと思います。

2003年の末に会ができてから、翌年2月ですね、2004年に私はイランのマシャドに行きました。イランのマシャドというのは、非常に大きな町ですけども、アフガニスタンの国境に近い町なんですね。隣ですね、どっちかと言うと国境のすぐそばです。なんとそこに、50万人以上のアフガンの難民の人たちが住んでいるんです。私はその難民キャンプに行きましてマジックをやるということで、親善集会を持とうとしたんですね。

それのきっかけは、アフガンの難民の若者たちの中で、エスペラントの勉強を始めたという話を聞きました。それを聞いたもんですから、これは行かないわけにはいけないということで、すっ飛んでったわけです。たくさんの人に集まってもらって、マジックをやったんですね。もちろんエスペラントを使いながらですけども、そしてマジックをやることによって、とっても喜ばれました。

その時に、難民の人たちがなんと言ったかというと、自分たちは夢も希望もこの先もわからない暗い生活を、今しているんだよと。その中で、マジックみたいな娯楽って、とっても嬉しかった、楽しかったって言ってくれたんですね。そしてさらに言うには、こういう楽しさっていうのは、ずっと心の中に残っているんだよ、というような話もしてくれました。

その時思ったのは、国際人道支援っていうのは、物をあげたり、お金を寄付したりすること以外にも楽しさを寄付する、いわゆる心の支援というのがあるんだなと、また大事なんだなということを痛切に感じたんです。それで、マジックというのは単なる娯楽であるけれども、やはりみんなの心に響く、そういうもんだなという事を、特にこの時感じました。

その年の9月ですね。今度はアフガニスタンに行きました。アフガニスタンのカブール大学に行ったんです。そして、カブール大学で学生を集めてエスペラントマジック集会をやりました。もちろん、マジックをやるということでみんなを集めたわけですけども、マジックをやって、みんなにマジックで楽しんでもらった後ですね、エスペラントは国際共通語だという話をしたんですね。とてもいい言葉だよと。平和のためにつくられた言葉だと話をしました。そうすることによって、学生たちがエスペラントのクラブをつくって勉強しようということになりまして、11名がエスペラントのグループをつくることができたんです。

この時は、大学のポパル学長にも直談判ではないですけれども、話しに言って、エスペラントで話をしました。ポパル学長は目を白黒していましてですね、こちらが英語でしゃべらないでエスペラントで話したもんですから、こっちの方がかえって優勢になりまして、非常に話はうまくいきまた。そして、この集会にも学長に来てもらったんです。で、非常にうまい具合に話がいきました。

ということで会ができたわけです。カブール大学は2004年の段階で1万4000人の学生たちが勉強しています。

ところが、その中には難民がいるんです。自分の家族はパキスタンかイランのマシャドとか、そういうところに難民として避難している。だけど、自分だけは勉強したいから大学に来ているという人がいるんです。なぜか、すべて国がお金を出してくれるから、授業費はただ。それから学生寮のお金もただ、食事もただという形ができるもんだから、難民の学生たちが来ているんですね。

それで、休みになったらひょこひょこって国に戻るんです。イランとかパキスタンに戻る。そういう人たちもいるんです。全部じゃありませんよ、もちろん。ただ、私が仲間になった11名の学生たちの半分ぐらいはパキスタンかイランのマシャドに、難民として家族が住んでいるんですね。そういうような状況がありました。

さて、この年の11月にも私は行きました。これの写真はありませんけども、その時はエスペラントの教材を持ってまた行ったんですけども、次の年…、2005年、またカブール大学に行って、エスペラントマジック集会をやりました。

カブールから車で8時間ぐらいかかる、えらい遠いとこなんですが、マジャリシャリフという場所があるんですね。マジャリャリフはウズベキスタンに近いところ。そこへ行きました。そこに大学があるんです。そこの大学にいきまして、大学の大講堂で300人ぐらいの学生を集めて、エスペラントマジック集会をやりました。この時にはイランからエスペランティストを呼びまして、一緒にやろうよということで、彼と一緒に行って大学でやりました。それから、その時は、農村でもちょっと子どもたちにマジックを見せたりしています。

そして、この年の9月にも、もう一度行っています。9月のカブール大学、この時はですね、エスペラント大会をやりました。カブール大学にでっかい講堂があります。そのでっかい講堂で400名以上の学生が集まって、これはアフガニスタン歴史上初めてですよね、エスペラント大会をやることができました。この時は、パキスタンからもエスペランティストを呼んで、大エスペラント大会をやることができました。

そして、その後に皆さんご存じのバーミアン。バーミアンというのは大仏が破壊されたことで皆さんよく知っていると思いますね。これもカブールから車で8時間から9時間ぐらいかかる、えらい遠いところなんですけども、そこに行きました。

ここには、6年前にアメリカの援助で大学ができています。そこにも行きましてね、カブール大学じゃなくてバーミアン大学に行って、学生をみんな集めて。なんとこの時は全校学生が全部来たんですね。ただし、全校学生と言っても240名ぐらいしかいないんですけども、みんな集まってエスペラントとマジックの話をしました。非常に喜んでくれました。

これは、テレビの映像です。なぜか映像かと言うと、先ほどカブール大学でいろいろやりましたね。マスコミが取材に来まして、テレビでそれが放映されたんです。私がマジックをやっているところとか、エスペラントの説明をしているところがテレビに写ったんです。まさにこれは、アフガニスタンの歴史上初めてですね、テレビでマジックとエスペラントが放映されたということで、ちょっと自慢なものですから皆さんに紹介しているですけども。

2005年の9月ですね。ジャララバード、これはパキスタンに近いカブールから東部の町です。カイバル峠がすぐそばですけども、ジャララバードの児童図書館と小学校へ行っています。この児童図書館は、日本のシャンティ国際ボランティア会が経営しているところですから、そこと一緒になって子どもたちにマジックを見てもらいました。とても喜んでもらっています。

そして、2006年4月ですけども、またアフガニスタンのカブールに行っています。鬼丸さんがさっき、ちょっとお話があったように、国内難民、これはまさにアフガニスタンでもあるんですね。パキスタンとかイランで、難民でいる人たちが、アフガニスタンに戻ってきても住むとこがないという人たちが実際にいるんですね。で、カブールに住んでいるんです。その難民の人たちの小学校を訪問して、マジックを見てもらいました。もちろん、とてもうれしそうでした。

2006年、これは11月なんですが、山の学校とそれから孤児院の両方に行っています。

山の学校というのは、3,000メートルぐらいの山の上に小学校があるんですね。カブールから車で5時間ぐらいかかります。その山の上に行きました。その小学校でマジックを見せました。で、もちろん山の上ですから何もないところですね。彼らは何も持ってないし、何もないところですから、生まれて初めてのマジックというのは非常に大ウケでした。とっても楽しかったです、私の方もね。

それから、カブールにも戦争で両親が亡くなった子どもたちが収容されている孤児院があるんですね。その孤児院にも行きまして、楽しんでもらいました。両方共にですね、カブール大学の学生たちと一緒に行ったんです。このときにはもう彼らは、エスペラントを理解出来るようになっていました。彼らが、僕がエスペラントをしゃべることを通訳しながら、マジックショーができたということで、非常に僕自身もうれしかったです。これが2006年11月です。

2007年、ということは去年ですが、去年の5月。またイランのマシャドに行きまた。この時は小学校とか孤児院、6カ所を回ってきました。

で、アフガンの難民でエスペラントを勉強しているという人がいたんです。先ほど言いましたね。その人たちが今回一緒になって小学校とか孤児院を回りました。で、彼らがエスペラントを通訳してくれて、私がエスペラントをしゃべる形でもってマジックを楽しんでもらったということで、とっても私自身もうれしかったし、楽しかったですね。

そして12月、去年の12月ですが、今度はアフリカのエチオピアに行きました。エチオピアの孤児院2カ所を回りました。そして、アジスアベバ大学、非常に大きい大学があるんですが、大学の学生たちを集めてエスペラントマジック集会、マジックで釣って、エスペラントを話すという形で、そういう集会を持つこともできました。

感じたのは、イランとかアフガニスタンでマジックをやってきたわけですが、アフリカに行っても子どもたち、マジックをめちゃくちゃ喜びますし、同じようなところでもってすごく喜ぶんですね。子どもって世界中みんな同じような気持ちでもって楽しんでくれるんだなあというのをとても感じましたね。

それから2008年、今年6月ということは先月ですね。実は私自身が一週間前に戻ってきたばかりです。ヨルダンに行っていました。

ヨルダン、今、イラクの難民が50万人とも言われています。難民がいるんですね。避難しているんです。また、実はシリアの方には100万人のイラク難民がいるということで、これが現実ですね。それで、イラクの難民50万人に対して、私自身は今回7カ所、難民の人たちが住んでいるところを訪問しました。そして、子どもたちにマジックをもちろん見てもらってですね、非常に喜ばれましたけれども、反応は同じですね。アフガンの難民の人たちと同じようにイラクの難民の人も、この先どうなるかわからないというふうな、そういう状態の中でマジックを見るというのは、とてもうれしいということをやはり言っていました。今回の活動は4つのNGOと共同で、マジックショーをやりました。

以上、活動報告をしましたけども、ここで、私自身、先ほどから言っているように、会社のサラリーマンですね。社会人が仕事をやりながら、こういうような活動をするということに対して、私自身が活動を上手く、ずっとなんとか継続できた。それの大事なことは何かなと思い返してみますとですね、何といっても、会社がとってもよく支援してくれたということですね。

会社が私の活動を理解して、そして支援してくれたということ、これはとても大きいことです。それともちろん、もっと大事なのは、自分の身の回り、職場の人たちがよく私の活動を理解してくれた。そして応援してくれた。これはとてもありがたかったし、これがあるからこそ私が会社に戻っても仕事ができると、そんな形になると思いますけども、やはり、そういう形で理解と応援をしてもらうためには、今まで、2003年以前ですね、個人的な形でもって、どっちかというと、こそこそと活動していたような形ではまずい。やっぱ団体という形でもって、グループでもって、社員が応援してくれる、そういうふうな団体が必要だろうということでつくったのがヤーデムなんです。

もう一つ、やはりこの活動自身で大事なことは、当たり前なんですが、まともに仕事をやれということなんですね。

で、先ほどちょっとお話ししましたように、たくさんのお話しをしますとね、皆さんね、えー、ほとんど毎日ボランティアばかりやってんじゃないかな、あいつは仕事してないんじゃないかって思われちゃうんですが、実は、活動は年間大体平均2回なんですね。それも春と秋というのが大体のパターンです。で、それ以外は一生懸命仕事をやっています。そこをよく強調しておかなきゃいけないんですけども、いずれにしろ活動そのものはすぐにはできないんですね。いずれにしろ、半年ぐらい準備期間がかかりますので、大体年に2回ぐらいのパターンでずっときているんですね。

で、その間にスケジュール的には、仕事のスケジュールと、このボランティア活動のスケジュールはよく調整しながら、仕事はしっかりやって、そして10日間だけボランティアをやると、そういうパターンでずっときたということです。くれぐれもしっかり仕事をやっておりますので、そこらのところは誤解のないようにしてもらいたいと思いますけども、この写真は活動報告会の様子です。

それから、ボランティア活動に対して会社ってどんな支援をしてくれるんだろうか、皆さん気になっていることかと思います。私の会社ではこんな制度があります。私自身がこの制度の恩恵を受けて活動してきたわけですけども、ボランティアの休暇制度というのがあります。このボランティアをやりたい、ということで会社に申し入れて、よければ取りなさいということになるんですね。年間に4日間です。決して多い日にちじゃないんですね、4日間。私自身もそれじゃあ足りませんから、これを取った上に足りない分は年休を取って行っているんですけども、ただ、ボランティア休暇を申請して会社に認めてもらうということは、会社がこのボランティア活動を公認する、認めてあげるよというふうな意味合いがとても強いんです。ということは、会社が応援する、職場もそれを納得するという形になるんで、このボランティア休暇制度は、実は非常にありがたい制度なんです。

それと、マッチング・ギフト制度というのがあります。これは、社員の募金額に対してマッチングする額を、会社が上乗せして支給してくれるそういうシステムなんですね。

例えば私の例でいきますと、仲間がカンパをしてくれます。例えば10万円を頑張れよということでカンパをしてくれますと、その10万円と同じ額を会社が上乗せしてトータル20万円の活動資金を応援してくれるという制度があるんですね。これは、私は3回ばかり恩恵を受けまして活動をしたわけですけども、それ以外に日立製作所のグループ全体として支援プログラム大きくなる木、というプログラムがありまして、これは団体が有意義なプロジェクトを提案して、それはすばらしいねということで認めてもらうと、年間30万円の活動資金をもらうことができるんです。

私も先ほど紹介しましたが2006年度の活動はこれに合格しまして、日立制作所の方から28万円ばかり活動資金をいただきまして活動をしてまいりました。ただ、残念なことにこれは一回こっきりなんです。だから、二回、三回もらおうと思ってもそれはできないというところはあるんでけども。

あともう一つ、会社がそういう形でボランティア活動を認めてもらえるということで、会社の社内報とCSR報告書に活動報告を載せてくれます。そして、一般の人たちに情報公開をしてくれるというふうな非常にありがたいことをやってくれるんですね。

ここに掲げているのはCSR報告書です。ここに書いてありますね。アフガニスタン国際友好親善活動継続中、私の写真が出ています。私の会、ヤーデムが頑張っているよということをちゃんと書いてくれています。ということで、会社の社会貢献活動の一部としても評価をしてもらうこともできます。

こんな形で、いろいろ応援をもらいながら活動してまいったわけなんですが、これだけではなくて、大事なことは、私が海外に行くときは一人でいく形になります。団体で行くわけではないわけですので、また、実際に仕事をやりながらこういうような計画をしている中でいちばん大事なことは、もちろんエスペラントのネットワークも充分活用しますけども、やはり、国際人道支援をやっているほかのNGOとの協力連携というのがとても大事で、またありがたいことでもあったんです。ここに掲げているのは、私自身が協力をいただきながら活動できたNGOなんですけども、例えばアフガニスタンの場合にはシャンティ国際ボランティア会、それからラーラー会、山の学校支援の会です。イランとヨルダンは日本国際民間協力会、ヨルダンはジャパンプラットホーム、国境なき子どもたち、ケアインターナシャナルジャパン、セイブ・ザ・チルドレン・ジャパン、そしてエチオピアでは武蔵野クラブ。このような方々の応援もいただきながら成功裏に…成功と私は思っているんですが、みんなに喜んでもらえる活動ができてきたのかなあと思っております。

最後になりますけども、ボランティア活動ってなんだろうなあって思います。

私は始めたころ…、始めたころっていうと、例えば国内で老人ホームとか行ってマジックを見てもらって、うん、マジックを見てもらったぞ、よかったよかったと自己満足をしていたんですが、ある時先輩に言われたのは、「お前ね、ボランティアって言うけどね、お前がボランティアされてんだよ」って言われたんです。「老人がね、お前を喜ばせてやるために一生懸命見てくれてんだよ」と。ボランティアされてんだよって言われたんですね。

あれっ、そうかな…?すごくそのときは舞い上がってうれしかったんです。うまくいって嬉しくて、俺はボランティアしてやってんだっていう気持ちが強かったんですが、そうじゃないよと。お前が喜ばせてもらったんじゃないかと。ボランティアされたんだよって言われたのが、すごく印象に残っていますね。

  たしかに、活動をやっている中で、やっぱり大事なのは、ボランティアはさせてもらうということなんじゃないかなって、すごく思います。してあげるという気持ちだと、相手も喜んでくれないですね。僕自身もしてあげるっていう気持ちだと続かなかったなあと思います。

じゃなくて、ボランティアっていうのはやらせてもらう。やらせてもらうことで、相手もしてもらうっていう気持ちになるんじゃないかなっていうのは、すごく感じています。

それですから、使命感や義務感、そういう形でボランティアをやったって、マジックの場合は特に楽しくないですよね。多分、見ている方だって、「義務感とか使命感でやってんだろう」というように見えちゃうと、喜んでくれないなと思いますね。

  僕は大事なのは、自分も楽しい、相手も楽しい。やっぱりこれじゃないかなと。自分も楽しい、相手も楽しい、こういう気持ちでやってきたから続けてこられたのかなあと思いますし、またこれからもやっていけるなあと思います。

ですから私のキーワードは、自分も楽しい、相手も楽しいじゃないかなと思っております。以上、私の経験をお話しさせていただきました。

○香山洋人氏:ありがとうございました。

 

(拍手)

 

○香山洋人氏:福田さん、ありがとうございます。サラリーマンの活動というところがとても一つのキーワードで、今、CSRっていうか、企業による社会貢献ということがはやって、また一般化して広がって、立教の学生さんの中にもこのテーマに関心がある方が多いと思いますし、大学院でそういうことを研究している学生もいらっしゃるかと思うのですけれども、例えばボランティアというキーワードだったり、難民キャンプとかですね、世界的な活動とかそういうことで、鬼丸さんの関心を重なる部分もあるし、あるいは明らかにフィールドが違うような部分もあるかと思うのですが、今の福田さんのを伺いながら、鬼丸さんはどんなことを感じていらっしゃったのかをちょっと聞かせていただいていいですか?

○鬼丸昌也氏:はい。私がよく研修なんかでお話しをさせていただくことがあるんですけれども、国際協力…、まあ先生、先輩たちがたくさんいらっしゃる中で何とも言えないんですが、国際協力や国際支援で二つあって、一つは想像するに富士山を思い浮かべていただくとありがたいと思うんですね。

頂上は一つだけでも、登山口はバラバラだと。その登山道を一つ一つをリスペクトをしない限り、頂上でみんなで出会うという喜びはない。だからどんな道があってもいいんだと。ただお互いを尊敬し合う事が必要だって事が一つ。

もう一つ、国際協力や国際支援は、僕は円のようだと思っています。円ってこういう丸い円ですね。どういう事かって言うと、僕らも一緒ですし、先程の例えばマジックの話もそうだと思うんですけど、こちら側から支援をさせていただくっていう流れと、支援を受けていただく方々から我々が学んで、我々が変化をするって、そこまでいかない限り、たぶん国際協力活動って完結しないんだと思うんですね。

だってなぜならば、例えばこういう戦争の問題にしろ、例えば難民が発生するメカニズムとか、僕らがやっている子ども兵が何で出てくるのかと考えたら、ほとんどが資源とか利権をめぐる争いなわけですよね。じゃあその資源なんかは誰が使っているのかって、そんな途上国の人じゃなくて我々、私たち豊かな国に生きている者ですから、私たちが変らないと本質的に問題解決しないと。

だから、単に「してあげている」だけではじゃなくて、我々自身がまた謙虚に支援を受けて下さる方々から学んで、どのように変化をして、またそのボランティアとして、もしくは専従の職員として関わっていくのかっていう、この循環をちゃんと考えながらやるのが大事だなぁって思ってて。

さっきのお話聞かせていただいて、いやー素晴らしいなと思いました。すごくメモってしまいまして、立教大学の地図の上にメモったので、今メモがよくわからない状態になってしまっているんですが、ちゃんと継続する事を本当に思って考えていらっしゃって、それを実践されていらっしゃる姿と、もう一つ僕が感動したのが、福田さんが…、自分だけでやる人って多いと思うんですよ。

一人だけでこういう活動をやっている人って多いと思うんです。それもいいんですけど、うまく会社の仲間とか同僚の方に声をかけたり、報告をしたりして巻き込む。エンロールの姿がすごく大事だし、もっともっと僕も勉強したいなと思いました。

○香山洋人氏:はい。あの、さっきずっと写真をたくさん続けて拝見すると、それこそ福田さんも毎日会社なんか行かないでアフガンを飛び回ってマジックをやっているんじゃないかって、日立ってすごい余裕ある会社だなあと…

○鬼丸昌也氏:気になる木ですからねー(笑)

○福田俊弘氏:(笑)

○香山洋人氏:ねえー、ちょっとそういう誤解はたしかにあるかもしれないですけれども、それは伺うと、実際に例えばマジックで年間活動している日数って何日ですか?例えば海外で?

○福田俊弘氏:ですから春と秋の10日間ですから、両方で20日間ですか。大体そんな感じじゃないかなと思います。

○香山洋人氏:そうですか。

○福田俊弘氏:たったですよ。年間365日のうちの20日間だけが活動だということをよく理解しておいてください(笑)

○香山洋人氏:その、ある意味では例えば鬼丸さんの場合はね、NGOっていう名前ではあるけれども専門家じゃないですか。言ってみれば。

○鬼丸昌也氏:ええ…、はい。

○香山洋人氏:まあ、言い方はあれですけれども、本当にそのことで実際現地に飛んだり、こういう講演活動をしたり仲間を広げたりということを中心に日々送っていらっしゃるわけなんだけども…、

○鬼丸昌也氏:まあ、それで飯を食っているわけですよね。

○香山洋人氏:そうですよね。例えば福田さんの場合そうではなくて、いわゆるサラリーマンとしてのメーンの日常があり業務があって、そうじゃない部分でわずか20日間でね、これだけ充実した活動をなさっているというところが、ある意味では日にちの時間の使い方がお二人全然違う感じがするんだけれども、とっても同じ質のことをね、それぞれの切り口でやっていらっしゃるというのが僕はおもしろいな、すごいなって思ってお話を伺っていました。

例えば福田さんが、もうこういう今のようなスタイルじゃなくて、もう日立もやめちゃて、ずっとエスペラントマジックで専門的にやるかとそういうお考えはないですか?

○福田俊弘氏:いやー、それは続かないでしょうねー。うん。やっぱ、僕も思うんですけども、忙しい仕事をやっている中でやりくりしながら、時間を見っけて、またみんなに協力してもらいながら行くというのが、やっぱ、こたえらんないとこなんでしょうねー、恐らく、嬉しいんですよね。それが年がら年中だったら、続かないでしょうね。そんな気はしますね。うん。

○香山洋人氏:多分それが福田さんにとってのちょうどいい楽しみであり、手応えがありっていう、この充実した時間の配分っていうか、スタイルなのかもしれないですよね。

○福田俊弘氏:そうですね。あともう一つね、行っているだけじゃなくて、行く前の準備段階において、やはりいろんな調整をしなきゃいけない、あるじゃないですか。

○香山洋人氏:はい。

○福田俊弘氏:それもやっぱ、楽しいことは楽しいんですよね。

○香山洋人氏:うんうん、なるほど。

○福田俊弘氏:うん。だから、気持ちの中では365日の何日か知らないですけれども、長い間普段の日でも、絶えず心の中に引っかかったりなんかしているということもあるかもしれませんね。

ただ、もう一つは、国際貢献活動をしている途中でですね、例えば日本の中でどっか訪問してやるとかマジックを見せるとか、そんな活動もちょっとやってはいますけどね、いずれにしろ、絶えず年がら年中心の中にはそういう気持ちはなんかいろいろある形でもって、まあ楽しみながらという形はありますね。

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立教大学 トークセッション 「人とのふれあいが、世界を変える」  国際ボランティア論 2008年7月5日

                   立教大学池袋キャンパス 8号館 

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