韓国プサン市 エスペラント手品訪問記
金賀
一郎
F氏は性懲りもなく、エスペラント手品を押し売りしている。
2000年3月16日、博多港から高速ジェットフェリで約3時間、プサン港からタクシーで
直行。
プサン市内にある智山看護学校 cisan asist-flegistino
lernejoを訪問した。
学生数は250名、私立各種学校 privata lernejoである。
この4階にプサンエスペラントセンタ esperanto
centro de pusanがある。
プサンには、Kyung Song大学とDong−A大学にエスペラントクラブがある。
理事長 administratoro ( direktoro )は李さん、お兄さんが前UEA会長の
Chong-Young。
彼が李さんに、エスペラントを教科に取り入れるように勧めた
rekomendi.
昨年の3月からエスペラントの授業が始まった。
学生の必須科目 devigaj lecionojとして以下規定
reguligitajされている。
1. エスペラント 2.手話manparolo 3.韓国漢方療法korea
tradicia medicino
2. 4.歯科学dent-medicino
一学期( semestro)が3月〜7月、二学期が9月から12月まで。
その後は4ヶ月のインターンInternulo インターン生で病院で実習
praktiki, havi trejnadonする。その後の2ヶ月で国家試験
nacia ekzamenoの準備。
エスペラントの教科書 lernoligoroは、スポメンカやセケリが作ったザグレブ方式
zaglebo metodoのテキストをombro(プサンエスペラントセンターの事務局長
cxefoficisto?41歳)が校正 したもの。
実際の中身は、初心者向きには難しいと感じられる構成である。
17日(金)午後2時半学校に到着して、さっそく教室に案内された。
教室には40名くらいが既にエスペラントの授業を受けていた。
数名の男子学生もいるが、ほとんどは女子学生。
すぐさま、エスペラントで挨拶し自己紹介から手品を披露。
通訳はombro氏、すぐさま韓国語で口上を訳してくれる。
みな目を輝かして、注目している。
拍手 aplauxdo aplauxdiでまず第一回目の授業は終了。
しかし、エスペラントを使いながら手品を演じるとエスペラントの勉強にもなり、一石二鳥
trafi du celojn per unu sxtono。
例えば、トランプ手品では数字の勉強、色付きハンカチの手品では赤や青などエスペラントでの色の表現の勉強など、皆の興味をひきつけながら言葉の勉強が出来る。
なるほど、これはいいやり方だ、口上に工夫をすれば手品を教材にできる。
つづいて2つ目のクラスに連れて行かれる。
ここでも、大好評 favora kritiko bona reputacioで手品を披露。
じつは、学生達はエスペラントの授業を受けるのは先週に続き、まだ2回目とのことで、ほとんどエスペラントを知らない、初心者ばかりだそうだ。
エスペラントを知らなかった学生達は、はじめての外国人のスペランティストと、実際にエスペラントが通用する事実を目の当たりにして驚いたことだろう。
このエスペラント手品を通じておおいにエスペラントを認識したはずだ。
そして、最後のクラスは6時から。
このクラスは、昼間働いている人達や、学生達が三々五々集合してきた。
なんとなく、疲れた感じで気分が乗らない雰囲気であったが、手品を始めると全員が注目をする。やはり、手品の魔力は凄いもの。
ombroは言う、彼らにとってこの出会いはとてもいいチャンスになった。エスペラントをこれから勉強する彼らのきっかけになるだろう。
授業により、エスペラントを覚えてもらうには時間が少なすぎるが、エスペラントの存在を認識してもらうだけでいいと考えている。
その晩に皆で焼肉屋で歓迎会をしてもらう。
食後、またもや手品のサービスをして喜んでもらう。
その後遅く、ombroと軍関係のoficiro、そしてエス暦20年の李玉子の4人で、プサンから自動車で約1時間離れた通度寺(トンドサ)に連れていってもらう。
そのまま、近くに住んでいるエスペランティストOki-sukさん宅に4人で訪問し、お茶をごちそうになる。通度寺のそばの高層アパート14階に住んでいる。
通度寺の門前にあるホテルのオンドルバンに宿泊。
翌日土曜日朝、grandaに通度寺を案内してもらい、博物館や歴史ある古い寺などを見学した。
彼女は身体は小さいがエス名Granda、御主人は通度寺の博物館に勤務している。
東亜大学時代にエスペラントを始め、日本にも1ヶ月ばかり滞在している。
その時、北川夫妻と出会い知り合いとなった。
北島郁子さんを良く覚えており、お土産を託された。
最近は1年間もエスペラントとは遠ざかっており、久しぶりのエスペラントらしいがとても良くエスペラントを使っていた。
3年前の慶州の韓国大会には参加しており、どうもアレクサンドラ綿貫さんの会話クラスで一緒だったようだ。
F氏が手品師(!?)であることがわかると、彼女は近所中にふれまわり手品大会を開く用意を整えてしまった。
午後、近所の子供達が母親達と集合、子供達は17名お母さん達が5名。
手品が始まる前からおおにぎわい、手品がはじまるともう大変、かわいい芋虫のマリオネットが大評判、特にピカチュウの手品は大騒ぎ。
皆は大満足して閉会となるが、ombroはあらかじめF氏が手品師であることが分かっているなら、息子の小学校に連れて行きたかったと残念がる。
高速バスで約1時間、センターに戻った。
ombroが待っており、17歳の高校生の初心者が迎えてくれる。
少し遅れてHirundoという、F氏と同じ管工事技術者が顔を出す。
初めに、日本のエスペラント事情や各種エスペラント大会の写真等を見せる。
その後さまざまな手品を見せる、目の前で繰り広げたミステリにHirundo達は、まったく驚いている。
晩御飯をセンター近くの饂飩屋で、Hirundoと一緒に食べる。
彼「エスペラントおたく」は主張する、エスペラントを第二外国語にすべきである。このまま、英語に席捲されると200年後には確実に、韓国語も日本語も滅びてしまう。
是非ともエスペラントを普及するべきである。彼にとってエスペラントはceloである。
それに対し、F氏はエスペラントは単に趣味の一つに過ぎない。手品も趣味の一つであり、エスペラント普及のためにやっているのではない。ただ面白いからやっているだけ。
Hirundoの主張する件は理解が出来るが、自分はそこまでの熱情はないとやんわりと牽制。
彼は、仕事でもエスペラントをなるべく使用するようにしており、また自宅でもなるべくエスペラントを使うように心がけ、奥さんや2人の息子さんはエスペラントをまだ勉強していないが、あえてエスペラントで話し掛けているということだ。
地下鉄の1号線と2号線の交叉駅「両面」で別れ、チャガルチ市場すぐ近くのホテルへ。
明日は日本、あっという間の手品行脚だ。