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狂気の三島由紀夫1時間30分
Freneza Misima por unu kaj duonhoroj.



1970年11月25日、作家三島由紀夫は、彼の組織した盾の会の会員
4名と市谷の自衛隊に入った。
En la dudek kvia de novembro 1970 verkisto Misima Jukio kaj kvar membroj de societo-sxildo kiu estis organizita de Misima eniris en defendkorpuson Icigaja.
午前11時ごろ、益田総監の部屋に、三島と4名の会員が面会に入った。
三島は真剣の日本刀を携帯していた。
三島は日本刀を引き抜いた。
Je la dek unu-a horo antauxtagmeze, Misima kaj liaj kamaradoj intervidis
Masida-n kiu estis cxefinspektoro de tera defendkorpuso
Misima portis veran japanan glavon.
Li tuj malingis gxin.

彼らは益田総監を脅し、彼を人質に取った。
Li minacis cxefinspektoron Masida kaj prenis lin kiel garantiulo.
かれらは、益田を椅子にかけたまま、ヒモで堅く椅子に縛り付けた。
さらに、手ぬぐいのサルグツワをかまされた。
Ili sxunuris firme Masida-n sur segxo.
Ankaux li estis sxtopita la busxon per visxtuko.
三島は、彼に隊員全員を前の広場に集めるように命じた。
Misima ordonis lin kolekti tutajn membrojn en la antauxan placon.

前の広場には、自衛隊員が約千人近く集まった。
カーキ色の楯の会の制服を着た三島が二階のバルコニーに立った。
日の丸のハチマキをしめていた。
Antaux la unua konstruajxo estas granda placo.
En la placo pli ol mil soldatoj amasigxis.
Sur la balkono starigxis Misima kiu vestis kakian uniformon de societo-sxildo.
Kaj li strecxis kapon per tuko de standardo de levigxanta suno

彼はアジ演説を始めた(檄を飛ばした)。
憲法改正と天皇制護持を訴えた。
Li komencis dissendi lian manifeston.
Apelaciis(apeli) li amendon de konstitucio kaj gardi tennoismon
「このヤロー」
「英雄気取りは止めろ」 
隊員達は興奮し、野次を飛ばした。
[ Fi, ulacxo. Viracxo ]
[ Hej cxsu heroajxon ]
Auskultantoj soldatoj ek-ekscitigxis kaj interkriis.

"諸君は武士だろう。ならば自分を否定する憲法をなぜ守るのだ。
なぜ立ち上がらない ? おれは自衛隊が立ち上げるのを四年間待ったんだ。
 なぜ、ぺこぺこするのか。"
" Vi estas samurajoj ?
Do kial vi gardas la konstitucion kiu neas vin? "
"Kial vi soldatoj ne levigxu?, mi atendadis vin dum kvar jaroj. "
" Kial vi flatas ? "

「チンピラ」
大声のヤジがとぶ。
[ Bubacxo ]
Multe da interkrioj flugis.
"静かにせい、静聴せい"
"われわれは、心から自衛隊を愛してきたんだ!"
" Silentu! Auxskultu! "
"Elkore ni amadis vin defendkopuson."
「引っ込め」
"オレについてくるヤツは1人もいないのか!"
と三島が問うたときに、ヤジは最高潮に達した。
[ For, for ]
" Cxu sekvas al mi ne nur unu soldato ? "
La interkrio atingis la verton ( zenito kulmino )

二時間の予定のはずだった演説が五分と続かなかった。
Antauxe Misima intencis apeli por du horoj, tamen devis fini nur post kvin minutoj.
"よし、諸君は憲法改正のために立ち上がらないという見通しがついた。
 それでは、ここで天皇陛下万歳を三唱して演説を終わる。"
それが最後だった。
" Jen mi eksciis ke vi ne levigxas por amendo de konstitucio.
Ja mi finu mian manifeston post krii tri vivuojn de tenno.
Li kaj Morita kriis " Vivu tenno "
Gxi estis fino.

三島が、バルコニーから足早に部屋へ戻ってきた。
三島が制服を脱ぎ、上半身裸になった。
座ったと同時に短刀を握った。
ときに、午後零時十五分。
Misima revenis la cxambron de la balkono rapide.
Li malvestis uniformon, kaj nudigxis supra korpoparto.
Kauxrigxis li kaj malingis mallongan glavon.
Nu,je la tagmezo kaj dekkvin minutoj,

「やああー」という気合とともに三島(45才)は切腹、森田必勝(25才)
が日本刀で介錯した。
続いておよそ二分後に森田が切腹し、古賀が介錯した。
首が床にゴロッと転がった。
Kun granda kriio " Jaa a " Misima harakiriis, kaj Morita asistis harakirion
per japana glavo.
Tuj poste preskaux post du minutoj Morita harakiriis kaj Koga asistis
harakirion.
La kapo falis sur la planko.

三人の会員(古賀浩靖23才、小川正洋22才、小賀正義22才)は二人の首を絨毯の上に並べて合掌した。
Tri anoj arangxis du kapojn en vicoj sur tapisxo.
Interplektis manojn kaj pregxis al ili.
十分後には、三島、森田の自決の報が広場に伝わってきた。
自衛隊員たちは三々五々散っていった。
Post dek minutoj la informo de iliaj sinmortigoj disvastigxis en la placon.
Soldatoj ekdisigxis duope kaj tirope.

広場に近いバレーコートでは、運動着の隊員たちのバレーボールが始まった。
三島の死をきいてから二十分後には、もういつもの日のようにスポーツをはじめた。
En la korto de volebalo ( retpilko ) proksime de la placo, soldatoj kiu vestis sportvestajxon ekludis retpilkon.
Nur post dudek minutoj de tumulto kiel kutimatago ili ekludis sporton.
自衛隊にとってこの騒動はあまりたいしたことではなかった、ただ煩わしいだけだった。
Por defendkorpuso tiu cix tumulto estis ne tre grava afero, nur gxena afero.

自衛隊には迷惑だった「楯の会」
三島は3年前に民間防衛軍を組織した。楯の会と称し、熱心に自衛隊を支持していた。
Antaux tri jaroj Misima organizis sian privatan defend-societon.
Gxi nomigxis [ tatenokai ].
Ili entuziasme subtenis japanan defendkorpuson
楯の会は毎年、五十人ほどが陸上自衛隊に入隊し、銃をもっての戦闘訓練をやっていた。
La societo-sxildo cxiu jare sendis kvindek membrojn al tera defendkorpuso.
Kaj ili faris batalekzercon portante pafilon.

三島は皮肉的に語る。「私が組織した楯の会は、会員が百人にも満たない。そして武器も
持たない、世界で一番小さな軍隊である。
人々はわれわれを玩具の兵隊さんと呼んで、わらっている」
しかし、三島は大真面目であった。
Misima cinike diris " Mia organizo societo-sxildo havas nur malpli ol cent soldatoj kaj ne havas batalilon.
Estas la plej malgranda armeo en la mondo.
Oni mokis nin tiel ke ni estas soldatoj por infano."
Tamen Misima estis tre serioza.

中曽根防衛庁長官は、外人記者クラブの会合で「楯の会をどう思う」と聞かれて、
「宝塚少女歌劇を思い出す」と答えて満場を爆笑させた。
Tamen la societo-sxildo estis gxena organizo por defendkorpuso.
La sekretario por Nacia Defendo Nakasone estis demandita de fremdlanda jxurnalisto,kiel
vi opinias pri societo-sxildo ?
Li respondis " mi rememoras takarazukan knabinan operon."
Auxskultante lian respondon cxiuj cxeestantoj ridegis.

「この事件は、三島先生が自衛隊を片思いして、自衛隊がちょっと大事にしたから、ますますのぼせ上がった。
ところが最近冷たくされ出したので、無理心中を企てた、というところですな。」
ある自衛隊の幹部は冷たく言い放った。
Iu estraro de defendkorpuso diris (malvarme) flegme.
S-ro Misima amis unuflanke defendkorpuson, kaj ni defendkorpuso iom bone traktis ilin,
do ili estas memkontentaj pri si mem.
Tamen lastatempe ni ektraktis ilin malvarme.
Do Misima intencis kunsinmortigi kune kun defendkorpuso, mi opinias.

「ぼくにとって、戦後いちばん不愉快な事件です。悪夢というか、白日夢というか1日も早く忘れてしまいたい
事件ですよ。ぼくら、防大生だからといって彼の死に特殊な見解を持っているなんて思われたら,困りますよ。」
Iu studento de defenduniversitato diris " Por mi tiu cxi tumulto estas la
plej malafabla afero post milito.
Mi elkore volas forgesi tiun cxi malbonsongxon laux eble plej rapide."
Ni tute ne havas konsenton pri la opinio de Misima."

切腹ハラキリ
三島の切腹は、真一文字で腸が飛び出すほど深かったが、介錯は一刀では切りきれず、首と肩に4ヶ所の傷。
Harakiro
La trancxivundo estis rektalinie kaj tiel profunda kiel lia intesto aperis.
Tamen li ne povis morti per unu glavbato.
Por morti li bezonis kvar asistajn glavbatojn.
Liaj kvar vundoj estis je kolo kaj sxultro.
森田は十センチの浅い傷、かすり傷程度であったが、首は一刀のもとに切られていた。
Morita havis malprofudan vundeton,tamen lia kapo estis trancxita per nur unu glavbato

1910年9月13日明治天皇崩御を追って、乃木将軍が自決した。
Post la morto de Meiji tenno la generala Nogi sekvis lin.
Generalo Nogi harakiriis.en la dektria tago de septembro en 1910
単独で腹を切ったが死にきれず、悶え苦しんだ。
Nur sola li harakiriis.
Li ne havis asistanton.
Do li ne tuj povis morti, kaj sintordis pro severa doloro longan tempon.

つまり切腹は単なる傷つけに過ぎない。
切腹でだけでは死ぬことが出来ず、他人の手でばっさり首を切ってもらう必要がある。
Tio signifas ke harakiro estas nur vundi.
Oni ne povas morti nur per harakiro, nepre oni bezonas asistanton kiu faras
glavbaton.

切腹は野蛮で残酷な儀式である。
Harakiro estas sovagxa kaj kruela ceremonio.
だが、ハラキリは新渡戸博士によって"サムライの最高のエチケット"として外国に紹介された。
Tamen doktoro Mitobe prezentis al eksterlandoj ke harakiro estas la plej
altnivera etiketo de samurajo

無駄な死
憲法改正を訴えた三島は、壮烈な死で終えた。
彼の行動は無駄となった。
Vana morto
Mortis heroe Misima kiu apelis amendon de konstitucio.
Lia sintenado farigxis vane.

しかし、自衛隊は成長した。
憲法の改正なしに、軍隊として海外に派遣されるほどに成長した。
Tamen japana defendkorpuso kreskis.
Sen amendo de konstitucio la defendkorpuso povas iri
eksterlandon same kiel armeo.

国歌も国旗も制定され、三島が望んでいる方向に進んでいる。
三島は、死ななくても良かった。
Plue japana nacia himno kaj standardo estis reguligitaj.
Do nun japanio marsxas al direkto kiun Misima volis.
Misima ne bezonis morti.


・・・・・・・・・・・・・・・・・ 以下はクロコへ掲載した原稿だ!!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Saluton karaj gesamideanoj T.Fukuda 2000.02.26  
                               金賀 一郎
押し入れの中から以下の古い新聞と週刊誌を見付けた金賀氏は、昭和45年11月25日を思い出した。
昭和45年11月25日朝日新聞、昭和45年11月26日読売新聞、日中日新聞、毎日新聞、日本経済新聞、
昭和45年12月14日週刊サンケイ、昭和45年12月11日週刊ポスト、昭和45年12月6日週刊朝日ジャーナル、
昭和45年12月12日週刊女性自身、昭和45年12月11日週刊ポスト、昭和45年12月13日サンデー毎日、
昭和45年12月11日週刊読売

その日、新婚旅行先の飛騨高山の旅館で、テレビから突然臨時ニュースが流れた。
三島由紀夫が自衛隊に乱入した、というニュースである。
切腹と日本刀による介錯で、三島由紀夫が死んだことを知り、驚愕した。
ナルシスト金賀氏は偏見と趣味で、新聞と週刊誌の面白いところだけをパクリ、
以下にドキュメント風に書きあげた。

狂気のナルシスト三島由紀夫   

毎日新聞記者徳岡孝夫
24日午後2時頃電話「明日朝十一時に、あるところに来て頂きたい」
そして「毎日新聞社の腕章と、カメラを持ってくるように」
翌日11時頃、市谷会館で、楯の会会員田中から封書を受け取る。
三島からのメッセージであった。

「もみ消しされないように、あらかじめ檄を同封する、事件後にノーカットで公表してほしい。
写真も同封している」
それは一月前に「自衛隊に決起を訴えよう」と五人で撮った記念写真。
午前11時ごろ、陸上自衛隊実戦部隊最高指揮官益田総監の部屋に、
三島と4名の会員が面会に入った。

三島は日本刀関孫六を引き抜いた。
自衛隊市谷駐屯地1号館前に、全員召集をかけられた自衛隊員の数は千人近く。
日の丸のハチマキをしめ、カーキ色の楯の会の制服を着た三島が二階のバルコニーから演
説を始めた。

"自衛隊にのみ真の武士道が残っていることを私はユメ見た・・・
 自衛隊を名誉ある国軍とするために・・・
 しかるに昨年の十月二十一日には・・・"


檄と落胆
「このヤロー」
「英雄気取りは止めろ」 
"おれは自衛隊が立ち上げるのを四年間待ったんだ。
 諸君は武士だろう。ならば自分を否定する憲法をなぜ守るのだ。
 なぜ、ぺこぺこするのか。"
「チンピラ」
大声のヤジがとぶ。

三島は"静聴せい"
"われわれは、心から自衛隊を愛してきたんだ!"
それもヤジリ倒される。
「引っ込め」
"オレについてくるヤツは1人もいないのか!"
と三島が問うたときに、ヤジは最高潮に達した。

二時間の予定のはずだった演説が五分と続かなかった。
"よし、諸君は憲法改正のために立ち上がらないという見通しがついた。
 それでは、ここで天皇陛下万歳を三唱して演説を終わる。"
それが最後だった。

十分後には、三島、森田の自決の報が広場に伝わってきた。
自衛隊員たちは三々五々散っていった。
広場に近いバレーコートでは、運動着の隊員たちのバレーボールが始まった。
三島の死をきいてから二十分後には、もう嬉々としてボールを追いかけているのであった。

覚 悟
陸上自衛隊東部方面総監益田(ましだ)兼利陸将は、まったくからだの自由を失っていた。
椅子にかけたまま、ヒモで堅く椅子に縛り付けられていた。
手ぬぐいのサルグツワもかまされていた。
三島が、背後のバルコニーから足早に部屋へ戻ってきた。
三島が制服を脱ぎ、上半身裸になった。

ときに、十一月二十五日午後零時十五分。
「やああー」という気合とともに三島は切腹、森田が日本刀で介錯した。

続いておよそ二分後に森田必勝(25才)が切腹し、古賀が介錯した。
首が床にゴロッと転がった。
三人の会員(古賀浩靖23才、小川正洋22才、小賀正義22才)は二人の首を絨毯の上に並べて合掌した。

切腹ハラキリ
三島の切腹は、文字通り真一文字で腸が飛び出すほど深かったが、日本刀での介錯は一刀では切りきれず、
首と肩に4ヶ所の傷。
森田は腹に長さ十センチの浅い傷で、かすり傷程度であったが、首は一刀のもとに切られていた。
三島の割腹の傷は十三センチ、「相当な精神力だ」と検視医がいった。
法医学のデータでは、短刀を下腹部に突き立てたとき、八十三例中八十例が、喪神、失神状態となる。
だから介錯するのだ。

記録では、元禄十六年から慶応参年まで二百年間に公式の切腹は二十人にすぎない。
大正元年九月十三日乃木将軍が自決した。
「痛かったらしい乃木大将」噂が巷間伝わる。
居間から乃木将軍の苦しがって叫んでいる唸り声が漏れてきた。
単独で腹を切ったが死にきれず、悶え苦しんだ。
覚悟の切腹なら、そんな取り乱すことはないだろう、そこで他殺と疑われた。

いわゆる[切腹作法]の[左から右へ浅く一文字]の切り方では、咽喉をつくとか首を切断せぬ限り、
晒し木綿でも巻いて置けばくっついてしまう。
では深く突き立てたらどうなるかと言えば、そこは大腸小腸十二指腸のあるところだから、盛り蕎麦
のかたまりへ箸を差し込んだみたいに絡み付いてしまう。
二センチや三センチ切断しても、直ぐつながってしまう器官ゆえただの腸切りでは死ねはしない。
腹一文字に切っても、出血多量で死ぬためには、動脈の通っている個所を更に切るか、心臓肺臓の
穴をあけたら機能を停止する部分を突くしか死にようがない。

つまり切腹は単なる穴あけに過ぎず、他人の手でばっさり首を切ってもらわねば死ねない。
介錯人の介錯を必要とする。
乃木将軍は単独では不可能に近いことをやり、そのために結果的に悶え苦しみあえぎ続け、
他殺]と誤り伝えられた。
長州人乃木の長州では、「腹の切り方」の作法を教育されていたが、
「腹に刃を当てても、首切りが居なくては死ねるもではない。苦しむものだ。

だから卑怯なことをしてそんな羽目に陥るより死ぬ気で敵に当たれ」という教えだが、
乃木は本当に切腹してしまった。
だが、ハラキリは新渡戸博士によって"サムライの最高のエチケット"として外国に紹介された。

情死心中疑惑
「森田との間に恋愛感情があったとは考えられない、三島にはかつてそんなこともあったようだが。」
「十八年ものつきあいなんです。世間から私たちの仲をとやかくいわれましたが、おたがい、そんなもんじゃない。
アーティスト同士の友情、いや、もっと人間的な愛情で結ばれていたんです。」 丸山明宏

「ぼくは、あくまでも三島という作家の個人的な事件とみます。いわば森田必勝を道連れにした死ですね。
だいたい楯の会のそのものに、僕はあの人の個人的趣味、わりと体格のいい、りりしい好男子を集めた
性的なものを感じるな。」脚本家白坂依志夫

「あれは、一言で言えば知性的なオカマのヒステリーだ。
檄文をみても、わが愛する自衛隊なんて、まったくチャチな事を書いて、期待はずれだよ。
あの人の後半、自衛隊にべったりのところなんか,男の体臭にあこがれた、ホモ・セクシャルな
モノマニアみたいだった。
知性、感情、肉体、これはまったく違ったもので,相互に矛盾するものだと言うこと。
それをつくづく感じましたよ。」青島幸男

太宰治への嫌悪
「三島は太宰を非常に嫌っていたが、これは二人の人間性が似ているから、かえって嫌悪した。
二人ともロマンチストで、人生にあり得ぬものを求める傾向が強く、死に誘惑されやすい。それから、
太宰や三島は天倫の才能で書いた作家だ。
つまり、青春の才能で書いたといえるわけで、この種の作家は中年になると危機が訪れる。
成熟期にさしかかると書くものがなくなり、作品に自信を失う。
三島はこの危機を乗り切れなかったのだ。」作家真継伸彦

「文学者の自殺は多いが、その中でも三島が最も嫌っていた太宰治の情死とまったく同じこと、
一枚のコインの裏表ですよ。自分が太宰とよく似ているだけに嫌っていたのでしょうが、
自殺の仕方も情死に対して切腹、結局、ともに日本人の伝統的な死に方でしたね。
ただ、情死は女が1人と適当な場所があれば十分なんだが、切腹は大変だ
。ローテーションが難しく、あの人も"場面"を作るのにずいぶん苦心したと思われる。
楯の会も自衛隊も"場面造り"に必要だったんだろう。」評論家赤塚行雄


自衛隊には迷惑だった「楯の会」
中曽根防衛庁長官は、外人記者クラブの会合で「楯の会をどう思う」と聞かれて、「宝塚少女歌劇を思い出す」
と答えて満場を爆笑させた。
楯の会は毎年、五十人ほどが陸上自衛隊に入隊し、銃をもっての戦闘訓練をやっていた。
「私が組織した楯の会は、会員が百人にも満たない。そして武器も持たない、世界で一番小さな軍隊である。
それは武器なき、鍛え上げた筋肉を持った、世界最小の怠け者の精神的な軍隊である。人々はわれわれを
玩具の兵隊さんと呼んで、わらっている」

ある若手幹部「楯の会のメンバーと会ったが、しっかりしていたのは森田だけで、あとは目のすわったのはいなかった。
冗談に、三島先生、なんかおやりなら、もっとしっかりしたのをそろえんとダメですよ、といったら、三島先生も、
いや俺もそう思ってるんだ、とおっしゃっていた。」

「この事件は、三島先生が自衛隊を片思いして、自衛隊がちょっと大事にしたから、ますますのぼせ上がった。
ところが最近冷たくされ出したので、無理心中を企てた、というところですな。」
ある自衛隊の幹部は冷たく言い放った。

「自分だけが愛国者のような顔をして・・・・ぼくにとって、戦後いちばん不愉快な事件です。
悪夢というか、白日夢というか1日も早く忘れてしまいたい事件ですよ。ぼくら、防大生だからといって
彼の死に特殊な見解を持っているなんて思われたら,困りますよ。」


三島のカッコ良さ
三島は「日本の皇室の精神は、無私の精神である。国民もその天皇に無私で尽くそう。
それが忠義である。天皇と国民の無私の精神が相交わるところに本当の日本が成立する。それが正義である。
その正義を世の中に打ち立てるにはパワーがいる。それが武である。
言論だけでは空しい」と言った。

三島由紀夫の行動は、すべて一言でいえる。つまり「カッコイイ」。
いつも彼は「カッコ良さ」を自己暗示し、演出していた。
たとえば、楯の会、ナチスに似た制服を作り、しかもそのメンバーは大学生から選んでいた。
ボディビル、剣道、空手、フェンシング、乗馬、自作自演の映画、俳優、シャンソン
歌手・・・・ノーベル賞候補になるほどの文学者でありながら、他の文学者が弱々しきインテリゆえに、
直接行動、肉体行動を好んだ。
そこからすでに死語になっている武士道を説き、暴力是認を叫んだ。


本名平岡公威
「三島にインタビューしたときのこと、意外に小男なのに気づいた。身長をたずねたら、百六十七センチだという。
百六十七センチといえば、私と同じだ。私より背が低いのに,そんな見え透いたハッタリをいう・・・・」
週刊誌記者

三島は見合いで結婚した。
見合いに際して、あまりに俗っぽいことを条件とした。
@作家三島と結婚するのでなく、平岡公威を夫としてきてもらいたい。
A丸顔で、かわいい顔をしていること。
Bハイヒールをはいても、自分より背が低いこと。
C家事の才能に長け、両親を大切にしてほしい。
D妻を主張し、小説制作のペースを乱さざること。


ナルシスト三島由紀夫
いつもカバンに自分のヌード写真集を入れておき、人に見せていた。
三島は「あなたはセクシーだ」といわれるのを何より喜んでいた。
三島が防衛大学で演壇に立ったときは、薄化粧していた。なぜ化粧をしているかと三島に質問すると、
故事を引いて「もっとも尊敬する人に会う時、化粧するのが武士のならわしだ」と答えたと言う。
ある雑誌が幼稚園特集号を作った。

三島から電話があり、幼稚園に詳しい記者を紹介して欲しい。
「子供を東大に入れるには,どんなコースがあるのか。幼稚園の選び方から教えて欲しい。」
ゴシップ欄に、三島の上半身裸の写真が掲載された。
「その写真は数ケ月前のもので、今は筋肉リュウリュウ、たくましくなっている」
週刊読売を告訴したい、まじめで真剣な声で訴える。
以後、その写真を絶対に使わないこと、そして筋肉リュウリュウの写真を即座に写させると言う事で、納得した。


無駄な死
憲法改正を訴えた三島は、壮烈な死で終えた。彼の行動は無駄となった。
しかし、自衛隊は成長した。憲法の改正なしに、自衛隊は海外に派遣されるほどに成長した。
国歌も国旗も制定され、三島が望んでいる方向に進んでいる。
三島は死ななくても良かったのに、同志ナルシスト金賀氏はつぶやいた。              
「 おわり 」                     


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