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Proverboj kaj vort-ludoj

以下から盗んだものです。勝手に使ってスイマセン!!
1.漢字おもしろ辞典 杉本つとむ  緒方出版   
2.四字熟語の雑学  黒須重彦  永岡書店
3.漢字・ことわざ四字熟語      現代国語研究会
4.vortaro japana-esperanto     宮本正男 japana esperanto instituto

その1             

良く知っている漢字 「蛇 足 」だそく 
楚の国で、神に仕える下僕たちに大杯に一杯の酒が与えられた。
ところがみんなで飲むにはたりない。そこで地面に蛇の絵をかいて、一番早くできあがったものが一人で飲むことに
して競争した。一人の男ができあがって、みんながまだかけないのを見て足を付け足していると、他の一人ができ
あがって足のある蛇はいないといって酒を飲んでしまったことから、無用なもののこと、あるよりむしろない方がよい
ことのたとえに使われるようになったわけです。   
さて、これをエスでは troaj^o もしくは superfluaj^o〔余計なこと〕・・・んー。
けっして serpentpiedojとはいいません。   
蛇足ながら・・・ 

これを知っていますか?  鶏 肋  けいろく 
肋とは、あばら骨のことで、ニワトリのあばら骨は少しは肉が付いているので、そのまま捨てるには勿体ないという
ことから、たいして役にはたたないけれども、ただ捨てるには惜しいもののことをいいます。
後漢書に「夫( それ) 鶏肋の、これを食すればすなわち得ることなく、棄つればすなわち惜しむべきがごとし。」とあ
ることから出ているようです。
この言葉は使えますね・・・エスペラントは鶏肋だ〜 なんて!                
和エス辞典にありました。
domag^enda rubo〔捨てるに惜しいがらくた〕・・成る程!

墨 守  ぼくしゅ 
「墨」は中国の春秋時代に博愛・反戦を説いた墨子のことで、「墨滴( てき )の守り」ともいう。
この墨子がよく城を守って、楚の軍を退けたことから、かたく守り通すこと。
また自説をかたく守って変えようとしないことをいう・・・とのことですよ。
さて、エスでは   
strikte gardi ( obserbi)  〔厳格にガードする〕
あまり面白くない表現ですね。 
ま、しょうがないな。

磊 落   らいらく 
読めるけど意外に書けない漢字。
心が広く、こまかいことにこだわらないこと。すなわち磊は石を三つあわせて、石が重なり合う意から、石がごろごろ
していること。  エスでは 
malbagatelema   malkas^ema   〔率直な、あけすけな〕

猫 糞   ねこばば  ( 知らないと猫グソと読みそう )
猫は、糞をしたあとで、足で土をかけて隠してしまうことから、悪いことをしてしらんふりをきめこむことをいうように
なったという。
一説には江戸時代に本所に住んでいた猫好きの老婆が強欲で、頼まれた届け物をそのまま着服してしまったこと
からいうようになったという俗説もあるそうな。( 本当かな )
今日の意味は、拾った物などをそのまま自分のものにしてしまうこと。
また悪事をかくして素知らぬ顔をすることですね。                
エスでは
proprigi al si trovaj^on    〔拾得物を自分のものにする〕これはまさに説明的表現。
ところで猫にまつわる表現が多いですね、猫なでごえ、猫舌、猫背、猫またぎ等々この猫については次号で。              
           
その2                   

 
きょうのテーマです。
前回の猫ババから、猫についてのコトバ遊びが今回のテーマです。
知っていてしらぬふりを言う 猫かぶり という言葉がありますが、これは偽善と同意語として・・・hiopkriteco

猫をなでるように、当たりをやわらかく発する声や、相手をなつかせようとする時の声を 
猫なで声 ・・・kaj^ola vo^co
この kaj^ola は、おもねるまたはおべっかを使う意味。 

また猫をかわいがるようなあまやかした愛し方を 猫かわいがり ・・・ tro dorloti  このdorloti は甘やかす
あるいはちやほやするという意味。                   
土地などがきわめて狭いことを 猫の額 ・・・ pos^granda ポケットに入るようなという表現になっています。 
これは猫の額が狭いことからきていますが、ネコの身体からいろいろな言い回しがされています、

姿勢が悪いと猫にたとえて、猫背 といわれます・・・ ronda dorso
ネコのひとみが明暗によって形が変わることから、常に変化しやすいことの形容語に 猫の目のように変わる 
・・・sang^ig^i en c^iu momento
ネコが熱いものをきらうことから、熱いものを飲み食い出来ないことを 猫舌 ・・・ varmaj^evita
しかし猫舌であるとして ne povi mang^i(trinki) varmaj^on. とあるが、正にこれは猫舌の説明でしかない。

猫いらず ・・・ratmortigilo ネズミ殺しとはあまりに直接的
さて、窮鼠猫を噛む ・・・これは和エス辞典には見当たらない!!
「弱くて力の無い者でも、絶対絶命でどうすることも出来なくなった時には、強い者に反撃することがある」という
訳で、これをエスで表現すれば ・・・enanguligata rato mordi ec^ katon. かな?
でもこれはむしろ鼠系統のことわざか。                        

猫も杓子も ・・・だれも彼もということで c^iu senescepte 例外なしに誰もがということであまり面白くない。
しかしこういう顔わかります?
猫面  
あの馬面に対抗して「猫の顔に似て短い顔」
和エスにでていませんが、馬面は longega vizag^o とあることから mallonga vizag^o ですか!!!
では、猫に小判は・・・ j^eti perlojn antau^ la porkojn
これは豚に真珠そのもの。
「貴重なものを与えても何の反応もないこと」これに対してまったく反対の 猫にかつお節 
は「好物を近くに置いては油断のならないこと」さて、かつお節なんて日本的なものをエスでは
・・・ al lupo konfidi gardi s^afinon 「狼にヒツジを預ける」 
なーる程!

でもさすがこれはないでしょう、
猫にまたたび、お女郎に小判 
「効果の著しいこと」を云うようですが( お女郎とはあまり聞いたことはないな )では、マタタビは aktinido 小判は
金貨ということで ormonero お女郎はさてどうしよう、あまり良くない表現だが c^iesulino ということで こういう
エス表現はどうですか・・・aktinidon kontrau^ kato, ormoneron kontrau^ c^iesulino
実はこれは okulon kontrau^ okulo, denton kontrau^ dento 「目には目を、歯には歯を」の応用。
これにあるように、身体に類した諺も多いですね、次回は身体 だー。      

その3                  

今回は身 体 だー
頭隠して尻隠さず! これは Kapo kas^ite,sed sadvangoj rivelite.
ところで、酒を飲みに行きお勘定の段になって、割り勘することがありますが、これを頭割りにするといいますね。
これは、 dividi koston lau^kape  まさにその通りという感じ。
優しい丁寧な人のことを頭の低い人などと、また態度のでかい人を頭が高いといいます。
これは、 modesta そして tro fiera とありますが、頭には関係ない表現ですな。

しかし、喋ることもすることも達者なことを手八丁口八丁といいますが、これは eminenta tiel en parolo, kiel en ago.
なかには、お喋り女で口から先に生まれてきたようなともいいますが、これは virino(viro) naskita nur por babili. ・・・
お喋りだけのためにうまれた女( 男 )なーるほど!
また、あきれて物が言えないことを「開いた口が塞がらない」といいますが、 resti kun bus^o malfermita.   
文字通りのエス表現です。
そして、口はわざわいのもとともいいます。うっかり吐いた言葉からわざわいを招くことがあるから、言葉も慎むべ
きであるという事ですが、 Ju pli da babilado, des pli da pekado. (pekado はpek-ado で過ち、罪 )
に注意するときに口が酸っぱくなるほどに云う、すなわち同じ言葉を幾度も繰り返す様をいうわけですが、これは
ripeti kaj ripeti g^is tedig^o.  ( tedig^o はうんざりする、退屈するです) うんざりするまで繰り返し繰り返しです、
まさにその通り。

ところで、口先でうまく言いくるめてだますことで、口三味線に乗せるといいますね、これは口三味線と
voc^imito de s^amiseno とありますが、外国人にはなんだか判らないでしょう。
しかし、口三味線に乗せるは、単純に kaj^oli とあります、しかしこれの意味はおべっかを使うあるいはおもねると
いうことからは、少し違うかなとも。
でも( 女を )たらしこむともあるので、この意味では当たっているかも。 

ところで、生まれてからすぐにお世話になるあの乳 まず乳離れが順番として来ますが、これは比喩的に一人前の
人間になる事もさします。この読み方は正確には「ちばなれ」であり「ちちばなれ」ではないようです。
エスでは demanig^o とありますが、これは単に離乳することですが、一人前になるという時に使えるのかな? 

これに対し、幼稚なことを乳臭いと言いますが、これをエスでは flavbeka という。
bekoは鳥のくちばしでflava は黄色いです。くちばしの黄色い奴というわで flavbekulo になるわけ。
さて、すこしなま臭い表現で乳繰りあう、これは男女が密会してたわむれあうことです見なさん (知ってるよな!) 
初めてこの表現を知った時すごい直接的な感じでエッチな表現と思ったものですが、上方では「ちゃちゃくりあう」や
「ちゃちゃくる」とも、これの方がもっと露骨ですネ。
エスでは、interflirti お互いにたわむれるとありますが・・・これは少し迫力がたりないなんて、乳迷ってきたところで、
おっとこれは血迷うの方だ! 次回にしよう。                                        

その4                  

次のエスを日本語の表現では、何と云うでしょう
〔 esti malsimilaj kiel tago kaj nokto ( au^ blanko kaj nigro )〕即ち、昼と夜のように正反対のこと( 或いは白と黒 )
実はこれは、「月とスッポン」をエス和辞典で引いてみた結果です。
スッポンのことを関西では、「丸魚」と書いたことから、月の丸さと比べられるようになったとのこと。
同じ丸でも、その実、非常に違いがあってまるで釣り合わないことをいうわけで、エスのそれは少しインパクトが
少ないですね。

〔 esti nur guteto el granda maro 〕大海のたった一雫実はこれは、「九牛の一毛」に該当します。
「九牛」は九頭の牛のことから転じて、たくさんの牛のこと。
したがって「九牛の一毛」は、多くの牛の中の一本の毛の意味で、多数の中のきわめて少ない一部分のことを
言います。エスとしては十分な表現ですね。                         
〔 pro la disciplino puni gravulon kun elkora domag^o 〕
規律( disciplino )のためには、心底遺憾ながらも、重要人物を罰すること。これでは余りに直訳風でピンときません。
面白くも何ともない。でもこれは、実は「泣いて馬謖を斬る」なんです。

あの三国誌のなかで、馬謖という武将が、孔明の命令に背き勝手な布陣を敷いたため惨敗した。
その為、孔明は他の武将の説得にも耳をかさず、馬謖に斬罪を申し渡した。
しかしながら、孔明自身が床に伏して泣き、また全軍が涙したという。法や規律を守るために、私情を殺して、
愛するものをも斬らなければならないこと、たまに政治家が使ったりして、新聞にこの諺が登場する場合があります。 

さて、「三下り半」という言葉を知っていますね。
江戸時代、夫から妻に与えた離縁状のことで、三行半に書く習慣があったことから、離縁するこというようになった
わけで、字のかけない場合は三行半のただ棒線を引いたものでも通用したとのことです。      
〔 eksedzinig^a atesto ( letero ) 〕エスの場合は表現のしようがないのでしょう、ただ離婚証明書( 通知 )とあります。
これは解説的訳です。

昔から良く使う諺で「弘法も筆の誤り」があります。 
〔 Ec kiu plej bone pafas, tamen iam maltrafas. 〕弘法も筆の誤り
・・・・猿も木から落ちる・・・河童の川流れ・・・上手の手から水がもる
・・・・みんな良く知っている諺ですがエス和辞典では全て同じ表現になっています。

また、「弘法筆を選ばず」がありますが〔Por majstro la iloj malgravas. 〕名人にとって道具はささいな事。  
これはなかなか良い言い回しです。これらをみていると、まさにピタリとした表現と、ただ説明的な表現とがある
ことがわかります。  
和エス辞典編集宮本さんの苦労が偲ばれますねー、では次回。                              

    表 現 遊 び   その5 

身体の大事な血液にまつわる言葉の多い事!
血は sango あの奇麗な赤い珊瑚を思わせるエス語しかし又、一面生臭い言葉に使われることも多い言葉です。
頭の良いことや、頭の悪いことを血のめぐりの良し悪しといいますが、これは簡単で
akrakapo 或いは sag^a その反対で malakrakapo malsag^a エスの表現では血に関係する言葉ではありません。

人間味に欠ける冷酷である人の事を血も涙もないと言いますが、これをエスでは
malhumana 無情な・血も涙もない・残忍なと言う訳だが、これも血に関係しない表現でもある。
しかし、これから以降は概ね sangoをからめた言葉です。
さて Mia koro sangas. これは、私は血を吐く思いである、と大変な苦労を言ったものです。 
sangi は出血するで、意は心が血ににじむですね。

似たような表現で大変な苦労をよく、血のでるような思いと言いますが、これは単純に sanga doloro 血の苦労
・・・さて同様に、苦労を示す言葉が種々ありますが
血のにじむようなを sangos^vita  血で汗まみれですかさらに、辛い様を血の涙を流すと言います、
これは文字通り sangaj larmoj 戦時中などに、ガソリンが不足したりした場合に、ガソリンの一滴は血の一滴などと
言ったものですがこれはただ sangero 活劇映画など、血わき肉おどる といういかにも楽しさがあふれる表現が、
エスでは eksc^ita historio  興奮する物語か! ・・・ちょっと物足りないナ。
懐かしい青春の歌などに使われる、若さと元気を示すピッタリの言葉で若い血潮エスでこれは文字通り、
あっさりと juna sango ななんだ若い血かー!

血は争えないものと言いますが、このエス表現は面白い Sango ne silentas, sian sangon gi sentas.  
血は沈黙せず、血は現れる成る程
・・・まずいことがばれたりした場合やゾッとする時に 血の気が引く ということがあります、これは
La sango defluas.( de la kapo )  血が( 頭から )引いていく

・・うん なにかに夢中になることを血道をあげる本当は「異性や道楽などにのぼせること」が真意らしいですが、
これは単純に freneze しかしこの意味は、夢中の・我を忘れたであり、全然インパクトがないなー。 
血で血を洗う、これは悪事にたいし悪事で対処する、あるいは血族が相争うことを云うわけで、 vers^i sangon
inter si ; vundi unu la alian これこそまさに文字通りのエス表現です。

昔中国で、出陣の際、いけにえを殺し、その血をもって軍神をまつったことから、戦場などで、最初に敵を討ち取る
ことを血祭りにあげるいうようになったとのこと oferbuc^i al Milita Dio. 
これは直訳すれば、軍神にいけにえを捧げるこれもまさに文字通りのエス表現ですねー。
さて、次は何にしよう・・・すこし趣向を変えて色といこうか                                        

その6             

 
今回のテーマです。
信号では、赤 ・ 青 ・ 黄 色。
最近私が良く体験する、赤っ恥 ですが、これは granda honto なんだただ大恥ですか。 
赤の他人といいますが、この赤とは「まったくの」と言う意味でカラーの赤では無い。
では、エスでは tute ne konata persono これはまったくその通り。でもついでに parenco per Adamo とある。
この Adamoとは「アダムとイブ」のアダモ、と言うことは人間の祖先であるアダモからの血縁ということかナ?

ついでに「遠くの親戚より近くの他人」というが、これは Pli bona amiko intima, ol parenco malproksima.  
文字通りのフラーゾです。
垢抜ける 、おっとこれは赤ではないが、ついでにエスでは esti eleganta あまり面白くない表現。
さて、自分はぎっちょですが、思想的にもすこし左的なところが( 酒飲みの左党 ) 左翼これも通称「」といいますが
、文字通り persono kun maldekstra ideo でも rug^ulo で一発ですネ。

には「若い」或いは「初めて」という意味があるようで、青臭い意見  多少若者をバカにした表現で、これはエス
では infana opinio ガキの考えか?ちょっときついかナ。
黄色にも青と同じ様な意味合いがあるようで、嘴が黄色い若造 を flavbekulo この beko はクチバシのこと。 
青二才とも。

歌の桃色吐息ではないが青色吐息とは、agonio これは「末期の苦しみ、臨終」
就職協定では青田買いは禁止されていますが、これは ac^eti grajnojn antau^ rikolto 収穫前に穀粒を買う
説明的表現。

白と黒で代表的な白を黒と言いくるめるは renversi la veron 真実をひっくり返す
・・・・これは戴けない 自戒・自戒 ( sin kontroli )です。

色といえば、英雄色を好むで、好色のことで、出歯亀 ! といこう。
だれでも潜在的にもっている欲望ですなんて( 俺だけか!! ) すなわち女湯などを覗くなど、変態的な事をする男の
蔑姓ですよネ。さて、なぜ出歯亀か明治41年、女湯のぞきの常習者で、出っ歯であった植木職人池田亀太郎と
いう男が女性殺人事件をおこしたところからでているそうです。
この時、弁護士が「出歯亀」と呼び、また新聞もそれを取り上げて報道したので、できたというわけです。
なんか嘘みたいな話ですねー。
じゃ、和エス辞典にあるか調べました。ありましたよ perversulo
perverso とは「性的倒錯、腐敗、堕落」となると、結構きつい意味あいです。
単によく云う「助平」とは格が違いそう。「好き兵衛→助兵衛→助平」好きもの、好色な人
エスでは amoristo (女たらし、色事師)でーす。                                     

その7                

一 水 四 見  
これは、人間が水と見るものを、天人は瑠璃で出来た大地、魚は住家、地獄の人は膿で充満した河と見るという
意味。つまり、見る人が違えば同じ物が違ってくるという仏教語で、普通の辞書には出ていない熟語ですが、
知っていました
かーこれは、白状すると週刊文春にでていた熟語です。

もう一つ、一 月 三 舟   
これは同じ一つの月が三つの見え方をするという意味。
すなわち、北に向かう舟に乗っていると、月は北に向かうように見える。南に行く舟からは、月も南に進むように見
えるし、停まっている舟からは、月も止まっているように見える。これも、見る人が違えば同じ物が違ってくる、受け
止める人の気持ちによっていろいろと解釈が違ってくるという仏教語。
ということは、同じ物でも見方によれば色々に考えられるといえるわけで、今回は、少し見方を変えて、
花 草 について ( 関係ないかー )

   よりそえばほころびそめぬ月 見 草               池内友次郎
7,8月頃、四弁の白い花が咲き、翌朝しぼんで淡紅色になる・・・
この月見草は、
エスでは enotero

   咲きすすむ力にゆれて女 王 花                 下村非文 
夏の夜、純白大輪の香り高い花が咲き、数時間でしぼむ・・・
この花は月下美人、
エスでは epifilo

   女 郎 花 そも茎ながら花ながら                 蕪村 
茎も花の一部と思えるほどあえかで美しい・・・
御存知おみなえし、
エスでは patrinio

   女郎花少しはなれて男 郎 花                  星野立子 
男郎花もあります、知ってますか・・・
おみなえしにあわせて、おとこえしとよみます。
エスにあるわけないと思ったら、ありましたvila patrinio ネ!

   鬼 灯 や花のさかりの花三つ                  水原秋桜子 
鬼灯、夏に淡黄白色のつつましい合花弁をひらく・・・
ほおずき ですな、
エスでは fizalido

   十 薬 や石五つ積み湯女の墓                  本田一杉 
緩下剤、利尿剤など十種の薬効があるといわれ「十薬」の名もある・・・
これは毒だみ、
エスでは hotujnio

   あるじ振り先ず千本の葉 鶏 頭                 中村汀女 
斑紋をもつ紅、紫、黄色の葉の美しさが愛される。漢名「雁来紅」、古名「かまつか」、学名「アマランサス」 
エスではamaranto

   朝 顔 や藁屋根古び人睦び                   星野立子 
平安時代に中国から渡来、白、紅、紫、藍など色・形とも多様・・・
万葉時代は桔梗が朝顔で、後に入ってきたむくげがその名を奪い、更に薬草として平安時代に日本に入れ
られた現朝顔に名をとられたという。
エスでは farbito




これで、表現遊びは終わりです。            おわり


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