Al cxefa pagxo

シリア訪問記 

氏がまず始めにやったことは、イタリアにいるレナットコルセッティ氏へのメールである。シリアに誰かエスペランティストはいないか、またいれば紹介してくれと。

1昨年は、ヨルダンからメールの返事がなく、エスペラント抜きの活動になった(イラク難民キャンプ7ケ所訪問)。今回はしっかりと紹介をしてもらいたいと思っていたが、シリアにはエスペランティストはいないとの残念な回答。失意のF氏は、いそいで関西大学に連絡をとる。関西大学はUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)

とともに教育支援プロジェクトを進めているので、パレスチナ難民キャンプの紹介をお願いした。また、同時にダマスカス大学に連絡をとり、Eマジック親善活動の受け入れ要請をした。

ダマスカスに到着したのは、318日である。ダマスカス市内からタクシーで20分、ヤルムークという大きな町がある。この区域は広大で、住民も30万人いるという。実はこれがシリアで最大のパレスチナ難民キャンプである。1948年の第一次中東戦争の時に、難民としてシリアに逃れ、60年が経過した。この町には祖国を知らない23世のパレスチナ人達も多く暮らしている。

そしてこの町にはパレスチナ人のNGO組織PCCA( Palestine Center for Culture &Art) が活動している。このPCCA事務所のホールに、老若男女がたくさん集まってきた。娯楽の少ない彼らは、日本から来たマジシャンを見にきたのだ。F氏は大張りきりである。山高帽にカイゼルひげ、そして赤いジャケットに軽快なマジック音楽。会場は大いに盛り上がり、歓声や拍手や悲鳴などで大騒ぎ、大変楽しいマジックショーになった。終わった後も去りがたく、マジック道具をいたずらしたり、何回も記念写真を取り合ったりした。     

翌日はダマスカス大学文学部日本語学科の教室に、1年生から4年生までの男女学生が80名集合。まず冒頭はエスペラントの説明である。初めて知る世界語の存在に、大いに興味をもったようだ。そしてエスペラントとマジックを使った国際親善活動について、大きな写真を見せながら説明する。日本語を学んでいる彼らは、うなずきながら聞いており、良く理解しているのが分かる。ヤルムークでのマジックショーについても説明すると、学生たちの中から、ぼくはそのヤルムークのパレスチナ難民だよという声があがる。つづいて山高帽と口ひげでマジックショーを始めると、学生たちは大喜び。終わった後、学生たちは口々に「ありがとう、楽しかったです。」と日本語で挨拶をしてくれる。

日本語を学ぶことで一生懸命の彼らにとって、さらにエスペラントを学ぶ余裕はなさそうであるが、楽しかったマジックと一緒に、将来いつかはエスペラントを思い出してくれるだろう。

F氏とは、筆者福田俊弘のことです。

本文は、日本エスペラント学会の月刊誌レブーオオリエンタに掲載したものです。