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Pakistan " The News " May 1.2005
2005年5月1日 パキスタン全国誌“The News “
“ユニークな方法でエスペラントを教える”
日本のフクダトシヒロ−エスペラント(平和と友好の言葉)のエキスパート−はユニークで非常に有効なテクニックで、エスペラントを紹介している。
マジシャンになってからは、世界中の教え子にエスペラントを教えるために、マジックを活用している。
エスペラントは、ルドヴィコザメンホフにより1887年に世界語として公表されたものである。
1905年にザメンホフはエスペラントの原則の本を出した。それは言語構造の基本原理を定めたものである。
200万人を超えると想定されるエスペランティストの存在でわかるように、人造の世界語としてエスペラントはもっとも成功したものであると言って良い。
1908年に創設された世界エスペラント協会には、83カ国が参加し、この言葉を使う50のエスペラントの協会がメンバになっている。
毎年の世界エスペラント大会をはじめ、100以上の定期刊行物や、30,000以上のエスペラントの本が出版されている。
2004年の9月以来3回アフガニスタンを訪れたフクダトシヒロは次のように語った。
昨年頭初、イランマシャド市のアフガン難民を訪問した。
“100人以上のアフガン難民がエスペラントを学び、アフガニスタンエスペラント協会を設立していた。”
“エスペラントは平和と友好の言葉です。
人々はそれに惹かれ、エスペラントを学び始めるのです。”
フクダは“The News”土曜日のインタビューでこう語った。
マシャドアフガン難民訪問の後、母国アフガニスタンでエスペラントを普及させようと決意した。
“アフガニスタンは災難と不幸におそわれた国です。人々は本当に平和と友好を必要としている。”
イランに住むアフガン難民に、平和と平穏の新しい希望を与えるエスペラントを通して、アフガニスタンと世界の架け橋を作ろうと願った。
イラクの現状が世界の目を、疲弊荒廃したアフガニスタンから、目を逸らせてしまっている。
彼はエスペラントを通して、世界のアフガンへの焦点を奪い返す普及活動を計画した。
“それはアフガンを忘れないという世界を実現することなのです。”
アフガニスタンを訪れる前は、世界のエスペランティスト達はアフガンについてほとんどまったく知らなかった。
“そうです、私のアフガン訪問により、アフガニスタンについて世界のエスペランティスト達に、新しい窓が開かれたのです。”
フクダはカーブル大学とマザーリシャリフ大学を訪れた。
そこでは、学生達がマジックショーを見るために集まった。
ショーのあとに、フクダはエスペラントについて説明したのである。
マザリシャリフ大学では、300人の学生たちがマジックを楽しみに集まり、エスペラントを勉強したいという意欲を引き出した。
本年中に五カ国、イラン、タジキスタン、パキスタン、韓国、日本からアフガニスタンに集まり、平和と友好のメッセージを送るエスペラント集会を行う計画である。
以上