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F氏のむりやりバーミヤン大学訪問記

福田俊弘

F氏はいま、軽い疲れと楽しかった思い出に、ひたっている。

2006年5月27日成田午後6時半、ドバイ経由翌日28日10時カーブル空港に到着。
タジキスタンから予定より3時間遅れて、サイドナビ君が到着。
2005年10月、F氏(ヤーデム)が講師資金、堀(KAEM)委員長が教科書を支援し、カーブル大学でエスペラント講座が開かれた。

この時ヤーデムが招聘した講師がサイドナビ君26歳だ。
空港で会ったとたん、旧知の兄弟(彼はF氏を兄貴と言っている)、定宿ムスタファホテルに直行。
さっそく、カーブル大学生のヌールーラ君がホテルにやってくる。
彼の報告で、カーブル大学エスペラントの中心的指導者、外国語学部ガザンファル学部長が、インドで交通事故にあい、リハビリを兼ねて故郷のマザリシャリフに帰っていることを知る。

大学でのエスペラント親善集会は、彼女がいないと実現不可能。
翌日カーブル大学を訪問、構内を歩いていると、サイドナビ君に声がかかってくる。
昨年のエスペラント講座の教え子達だ。彼の人柄に、みなが好感を持っている様子が伝わる。

なかには、しっかりエスペラントをしゃべる学生達もいる。エスペラントの実力がばれてしまいそうで、F氏はいささか緊張。
(昨年は楽だった、だれもエスペラントを知らなかったから、とF氏は語っている)
校舎に入ると、入口に「ESPERANTO」と書かれた部屋がある。

ロシア語学部の主任教授が、今後もエスペラント講座を、是非支援してほしいと、真剣な顔で迫ってくる。
学生達も、もう一度講座をやってほしいと熱心に訴えるが、そうそう資金が工面出来るわけでもないので、返事をしぶるF氏。

高校生のエスペランティストたちもいる。
彼らも熱心で、高校では自分で友達にエスペラントを教えているとか。

さて、イランに近い古都ヘラートへの飛行機は満席。
代わりに大仏遺跡バーミヤンとアフガンの摩周湖バンデアミールに行く。

しかしF氏、ただの観光旅行では、いささか気まずい思い。
アポなしでバーミヤン大学を訪ねてみるが学長は不在、学生達と写真をとるだけのアリバイ訪問だ。

デモ騒動後のカーブルに戻り、国内難民キャンプ小学校でマジックショーを開催。
初めて見るマジックに、たくさんの子供達は文字通り釘付け、歓声とすばらしい笑顔をもらう。

エスペラントは友好のきっかけとして、すばらしい道具だなとつくづく思うF氏であった。
(でも、このマジックショーはエスペラントのエの字もなかったけど、勝手にエスペラントに関連づけるF氏・・・・)

※F氏とは筆者です。


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