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La 14-a Japanio,Cxinio, Koreio Junulara Kongreso en Teijin Cxinio

第14回日中韓青年エスペラント大会

1995年8月11日〜

中国天津市



天津エスペラント青年大会

旅行1 週間のうち、2日間は天津エスペラント青年大会,3日間はシルクロードでした。成田から北京までは中国国際航空、なかなかいい感じの航空機でした。機内食も良かったし、ビールもしっかり飲めたし、スチュワーデスもてきぱきしていました。4 時間の飛行で北京、時差が1 時間あり、会場到着が遅くなりそうなのでこれだけでもすこし得した感じ。

北京空港で、入国早々中国元紙幣への交換は、少なめと思い6万円依頼したが、いや中国元紐幣の多い事・主要紙幣が50元札(約600円)であり100枚、まさに札束を貰ったという感じでビッックリした。ならんで交換している他の人達は1〜3万円程度であり初めは少ないナーと思ったが、実はこの後中国紙幣の価値が判明する。

成田から北京までは飛行機で約4 時問、北京から天津市までタクシーで約2時間。

天津市の南開大学経済学院培訓中心が会場との事で、日本にいる時に天津市出身の人と知り合い、彼に書いてもらった行き先を書いたメモをタクシー運転に手渡して後はお任せでただ乗っているだけ。

しかし、漢宇はありがたい。どこに行っても漠字で大体意味が分かる。 これで意志が伝達できるとは、昨年の韓国のハングル文字ではどうしようもなかったが。 天津までは高速道路が整備されているが、タクシーはおんぼろでスピードが70Km/h 程度しか出ず、イライラ。

真っ暗になりやっと到着した天津の夜9時は、遅くまで人のエネルギーを感じさせる。

道路一杯に人々が散歩や、夕涼みにボラブラ歩いている。道端では、座り込んで将棋みたいのを楽しんだり、ビールを片手に話に興じたり、人の群れの中をタクシーや、自転車、オートバイが警笛を鳴らしながら走り回る、すごい喧騒、中国のエネルギーを感じる。おもしろい、おもしろい。

南開大学の会場に到着したのはもう夜の9時半週ぎで、宴もたけなわといったところ。
天津エス人形劇をやっている最中に会場に入る。

若者一杯の会場で、皆の注視を浴びいささか怯む。
が、和やかな雰囲気で、いよいよエスペラントの世界に入るって事で嬉しさを感じる。
しかし見渡しても、だれが日本人・中国人・韓国人だか分からない、でも皆アジア人だ。
さて、今回のエスペラント大会のメニューを示すと

8月11日(金) 午前:受付、中国語会話クラス

午後:中国語会話クラス、3 ケ国青年エス会代表会議

夜 :Interkona Vespero

8月12 日(土)   午前: 開会式 講演

午後:遠足−古伝統的中国街路

夜 :天津の夜(Tianjin-a vespero )

8月13 日(日) 午前:遠足一天津水上公園

午 後=天津市エスペラント連盟10 周年記念

夜 :Internacia vespero

8月14 日(月) 午前: 閉会式

この人形劇が終わった後は、中国の女性によるエスペラント語の歌や、席取りゲームやで盛り上がりました。
今夜の宿泊場は、学生寮。3 ベッドのいかにも学生寮といいった部屋。クーラは無いし、シャワーもトイレも半分壊れている。

同室は韓国の呉さん、公務員との事。今回は韓国からのエスペランティスト達が非常に多く参加している。全部で36 名、そのうち女性が半数以上との事で,韓国パワーを感じさせる。部屋には、彼の友達連中が多く訪ねてくるが、皆韓国語で喋っているのでこちらは置いてきぼりの様手。エスで来ているのなら、またエスペランティスト(自分の事)が側に居るときは、エスで話してもらいたいと、つくづく思う。これは、中国のエスペランティスト達も同じで、中国語で声高に話している。その言葉が分からない外国人にとって、不安だしつまらない。ところで、我が日本でも、日本大会などでは日本語が氾濫しているが、これは参加している外国人にとってみれば、まったく同じ立場で不愉快なはずだ。

今年の秋の日本大会では、すべてをエスペラントで運営するとのことだが、これは大賛成である。日曜日の朝早く、同室の呉氏や彼の友人達と天津市テレビタワーまで散歩。

早い時間にもうおびただしい人々が、おもいおもいに体操したり、太極拳、気功など。自転車、オートバイ、自動車が賑やかに行き交っている。元気一杯の中国を感じる。

寮の食堂で朝食、肉まんスープ、揚げパン、潰物等 エス会話しながら楽しく食べる。
本日のスケジュールは、水上公園への遠足だ。
3班に分かれ、おのおの歩いて公園まで、道々エス会話を楽しみながら三々五々歩く。

道端では、色々なものを売る売店がたちならぶ。日曜日、公園は天津の人々ですごい混雑、エス達は迷子になりそう。カメラが大活躍、皆で写真を撮り合い、仲を深めて会話が弾む。去年の世界大会で知ったエスペランティスト達。広州から、36 時問かけて列車で参加した中国のエスペランティスト達。

また、ウルムチに家族をおいて1 人でタンペレの世界大会、モしてサンクトペテルブルグの世界青年大会に参加して、更にこの青年大会にも参加した中国入エス。いるんだよな自分と同じ様に家族をおいて1 人旅行のエスペランティストならぬエゴイスト?も。

さて、日本からはJ E J 代表の田井氏以下青年8名、私こと中年1名の計9 名、田井・村松・泉・藤原・世古・工藤・大信田・松岡・福田でした。

公園内で、お弁当を皆で食べる、焼肉弁当であった。結構美味かった。また、大きなアルミ鍋いっぱいのスープも準備してもらい感謝。大学に帰る途中に、外観がキレイな公衆便所があり、覗いたらいささかビックリ。話で聞くあの中国式の衝立の無い、床に穴が明いているだけの便所。皆平気な顔して、下半身丸出しで用を足している。また、入口では順番を待っている人達が排便している人をジロジロ見ながら並んでいたが、なるほど排便とは恥する行為ではなく、ただ必要な用を足しているだけなのだ。これは一種のカルチャーショックであった。

午後3 時から、天津市エスペラント連盟の10周年記念大会に参加。南開大学構内の教室を利用した会場である。来費の挨拶には、エスの通訳がついた。中国語でながながと挨拶しているので、一体どんな挨拶なのかと期待したら、エス語通訳ではあっさりした挨拶にすぎない。中国語での挨拶はおそらく美辞麗句を並べた、例の白髭三千丈的な大げさなものなのだろう、と勝手に解釈したが。 祝辞の手紙の紹介などがあり、最後に全員で写真を撮って閉会。

校舎の中を見てみると、便所は汚いし、教室は古めかしいし、良く言えば伝統が息づいている。正面玄関に出ると、周恩来元首相の彫像が堂々と正面を圧倒していた。黄色タクシー(ダイハツの軽自動車ワゴンタイプ)で同室の呉氏と、古伝統通りに行く。彼は、その並びの店で印鑑を作ってもらっているので、これを取りにゆく必要があった。

いわゆる、町並保存地区とでもいうような、昔ながらの中国の雰囲気を残したエリァである。日曜日は午後6 時には閉店との事(日曜日なのに早くて鷲く)二人で店まで吹っ飛んでいった。7 時過ぎに療に帰って夕食をとる。ビールで盛り上がっている最中でさっそく仲間入り。9時からは、寮の食堂でなく、全学の大食堂に集まり、2 階にあるカラオケルームで今夜のメインイベントである、1nernacia Kunsido が開始された。

雰囲気が盛り上がり、歌や踊りや指人形劇やハーモニカやダンス等橦々な催しがあり、本当に楽しい時間を過ごした。終了してから、寮に帰る道すがら、韓国の社会人になっている女性とエスについて話しながら帰る。やはり、会話はエスの有効性から始まって、エスの今後になってしまうが、でもここでは皆はエスペラント語でコミュニケーションが図れる事に十分満足し、楽しい時間を持てることに喜びを感じている。

部屋では、韓国の仲間達がうろうろしていた。相変わらずハングル語で喋りまくっており、エスで話せと言いたくなる。明日からの、ウルムチヘの旅行をエスで説明してあげると、一同興昧を示す。6 時起きで例の黄色タクシーで天津市の中心に行く。大食堂街の巨大な建物の広場では、大勢の人達が集まり、太極拳・社交ダンス・気功などモれぞれ賑やかに活動している。

少し大通りを外れた小路に入ってみると、人々の生の生活の匂いが溢れかえっていた。街角では、野菜を売ったりパン生地みたいのものを油鍋で揚げて売っており、手銅を下げた人が買いに来ている。揚げパンもどきが、どうも中国の人達の朝食の定番の様だ。

居住建物は、レンガ造りのいかにも古い、歴史が滲み出るような中国の風景を奏でている。この風情が、天津市の歴史を見せており、天津市に来て良かった思わせる点でもある。写真をとりたかったが、余りに生活臭が如実で、結局1 枚も撮れなかった。

雨が降ってきた。この早い朝にもう街中はすごい混雑になっており、例の如く自転車・バイク・三輸車・タクシー・荷車等々が通行人ともどもあふれかえっている。それぞれが、独特の秩序で事故もなくうまい具合に流れている。や一すごいエネルギー。寮に帰り、朝食にする。

9 時に出発、エルポポラチニーオの職員であるPANG 氏のジープに乗せてもらい、北京に向かう。同行者は、エルポポラチニー才の編集長と昨日の会合1nternacia Kunsidoの司会をしたエルポポラチニーオの女性職員ともう一人の中学教師の女性。

このジープは中国製で外見はとても良いが、馬カは無いし騒音振動が大きく、スピードもせいぜい70Km/ h 程度。車中では、例の如く中国語の会話ばかり、こちらの存在は完全に無視(?!)されている感じで、エスペラントで喋れと内心怒っていた。日本でも、私たちが外人を招待した場合など本当に自戒すべき事。北京空港に着いて、早速搭乗手続きを始めたがやはりすごい混雑であった。

帰りの成田への中国国際航空のリコンファームをしようとしたが、電話を何回掛けてもなかなか通じない。しかし、中国人は順番を待つ習慣が無いのか、平気で割り込みをする。電話の台数が少なく焦っているのに、後ろから手を延ばして受話器を掴もうとする。まったく腹立たしい。いわゆる秩序については、これは国民性と価値観の相違であると思う。

ひる返ってみて、わが日本ではこの秩序は非常に良いと感じているが、実は自分達の認識とルールが都合良く合致しているというだけで、これが逆に中国人にとってみれば気に入らない秩序かもしれないし、また西洋人にとっても、日本の現在秩序は相容れない部分も相当あるだろう。 そうだ、結局は郷に入っては郷に従えとは、この秩序あるいはルールの相違を飲み込めということだ、怒ってはいけない


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