「えー、食事が終わった物は部屋に戻ってよろしい。まだ食べ終わってないものは、 少し急ぐように。この後、浴場が使えます。10時までに使うように」 先生がマイクでそう言った。さすがに女子中学生と一緒の風呂はまずいだろう。 今日は割と涼しかったし、別に入らなくても問題ない。 「うちの班、全員で入らない?」 バスで隣に座っていた女子が、そんな事を言い出した。僕と同じ班だ。なんで そんな余計な事を言い出すんだろう。 「うん、みんなで部屋に戻って、すぐに行こう」 「でも、すぐに全員で行ったら混みそう」 「私、食べ疲れた。後でいい」 そうだそうだ。 「木村さんは?」 わざわざ僕にまで尋ねてきた。一応同じ班だから尋ねるんだろうけど。 「わ、わたしも、疲れた、かな?後の方が、いい」 こう言っておいて、早く眠ってしまえばいい。 「あー、言い忘れた事が一つありました」 先生がまたマイクで話し始めた。 「今日は柿沢の生徒だけなので、男風呂も使っていいそうです」 みんなが爆笑した。手を叩く生徒もいた。 「面白そうじゃん。すぐ行こう」 「えー、男風呂といっても、お風呂そのものは同じじゃないの?」 「でもさ、なんか面白いじゃない。『男風呂に入ってきました』と言えるなんて」 「ねえねえ木村さん、男風呂に入ろうよー」 「え、えっと、ええ」 一瞬、『男風呂だからいいか』なんて思ってしまったけど、そんなわけない。 「男風呂じゃ恥ずかしいの?入ってるのは同い年の柿沢女子の生徒だけだよ」 だから困るんじゃないか。 みんなで部屋に戻った後、4人が着替えを持って出て行き、4人が残った。 「もうおなかいっぱい。くるしい」 ちっちゃい子が疲れた顔をして横になった。一人はその子の横に座っている。 「だったら全部食べなきゃいいのに」 「だってー。全部食べなきゃ悪いような気がして」 「いつもは出された物を全部食べてるの?」 「うん」 「それでよく太らないわね」 「だってうちじゃ、今日の半分くらいしか出ないから」 「そんなに少ないの?」 「そうだよ」 もう一人はカバンから紙きれを1枚取りだして、テレビの前に座り、リモコンと画面を 交互に見ていた。 「お母さんもそんなに食べないの?」 「うん」 「確かにユイちゃんのお母さんも小さいけどさー」 この様子なら僕が話しかけられる事はなさそうだ。適当に寝た振りして、そのまま 眠ってしまえばいい。あのちっちゃい子も疲れてるみたいだから寝てしまいそうだし、 それなら僕が寝ても問題ない。 ちょっと安心して周りを見回すと、女子中学生が3人。人数は減ったけど、それでも ジャージ姿の女子が3人もいて、その3人と同じジャージを僕も着ていて。 女子の制服が8人分ハンガーにかかっていて、そのうち一つが僕の着ていたもの。 僕の着ていた女子の制服が、他の女子の制服と一緒に並んでいるのを見ると、 僕が本当に柿沢女子の生徒になっちゃったような気持ちになる。他の女子と全く同じ 制服を僕が着ていたなんて。早く眠ってしまいたいのに、こんな事を考えてたら ドキドキして目が覚めてきた。それに正座をしてたら、足がしびれてきた。 でもあぐらをかくのも変だし。テレビにはりついてる背の高い子はあぐらだけど、 あの子は細くてきれいな顔だから、どう見たって女子にしか見えない。僕がやったら 男だとばれそうな気がする。だったら体育座りかな。 「お店では食べないの?お店は量が多いでしょ?」 「一食くらいならお菓子やケーキで十分だしー」 「パンが大き過ぎればケーキを食べるんかい!」 話し続ける二人を見ると、座ってる方の子は内股とお尻を床に付けるような座り方だ。 ああいう座り方をする女子を時々みかけたっけ。あれを真似してみようか。 なんか変な感じ。足の角度を変えて試してみる。 「ねえ、木村さん」 突然、テレビに向かっていた子が僕の方を向き、話しかけてきた。 「な、なに?」 女の子みたいな座り方を試しているのを見られてドキっとするけど、今は女の子 みたいな座り方をしてないといけないんだった。 「あのね、もうすぐ始まるテレビ番組を、どうしても見たいの。柳下冬子のホラー 漫画のドラマ化で、富山ではやってない番組で。1回だけでいいから、どうしても 見たいんだけど」 熱のこもったその言葉はどこかで聞いたようなセリフで、思わず『僕も大学に 入学するまでは田舎に住んでたので、その気持ちは分かります』と答えそうに なって慌てる。今はそれを言っちゃいけないんだ。 「ぼ、私は、別に、テレビは見ないから、テレビを独り占めしてもいいけど」 「うん、それもあるんだけど。そ、その…」 「なに?」 「ホラー漫画、が原作で」 「うん」 「恐いでしょ?」 「でも好きなんでしょ?」 「好きなんだけど、恐いでしょ?」 なんとなく分かるけど、肝心な所が分からない。 「だから隣で一緒に見て欲しいんだけど」 「え、えっと…」 別にそれは僕でなくても、と答えようと思い横を見たが。 「何食もお外で食べなきゃいけない時は…」 「どうするのよ」 「お弁当を買って、公園でお母さんやお姉ちゃんとはんぶんこにする」 「どこぞの感動話かい!」 あの二人に頼めばいい、とも言いにくい。 「まあ、テレビを見るだけなら…」 「恐い話だよ?」 自分で頼んでおいて、何をいまさら。 「ええ、まあ、ホラーは別に嫌いでもないので…」 何もしないで寝たふりをしたり、眠くなるのを待つのもつらい。テレビを見るくらい がちょうどいいだろう。 「じゃあここに座って」 テレビの前の女子は、すぐ隣に座布団を一枚置いた。ここに座れ、という意味だろう と思い、その座布団に座った。隣の子は座り直した後、僕の手を握ってきた。 「あ、今から始まるみたい」 タイトルこそホラーっぽいが、主題歌は恋愛物でもサスペンスでも使えそうな 普通の曲で、映像は白黒に原色を一色だけ入れた、ちょっと怖い雰囲気がある、 くらいのもので。それなのに隣の子は僕の手を握りしめてくる。ちらっと顔をみると ものすごく嬉しそう。すごく見たかった番組を見られるのが嬉しいから、こんなに 力が入っているのだろう、多分。 でもこの子の顔は、細くてきれいな顔だけど、日焼けで少し黒くて。ジャージを 着ているから筋肉は見えないけど、やっぱり何かスポーツをやってるんだろうか。 握りしめてくる手の力も結構あるようだし。かっこいい女子って感じ。木村さんは 男前だったけど、こっちはかっこいい女子。女子からモテるんだろうな。女子中だから 余計にモテてるかも。こんなかっこいい女子が一日中一緒だったら、僕だって。 僕だって?女の子に人気のありそうなかっこいい女子に惚れる?正しいような、 おかしいような。でも、こんなにきれいな顔の子を、こんな間近で見られるなんて 嬉しいかも。 主題歌が終わって、握りしめる手の力が少し弱まった時。 「おしゃべりしてたら目が覚めてきた。お風呂に行ってくる」 横になっていた子とその横に座っていた子が、いつの間にか部屋を出ようとしていた。 「はーい」 隣の子はテレビを見ながら適当に返事。 あれ、これだと二人だけになっちゃうのかな?かっこいい女子と二人きり? でも比率で言えば、女子3と男子1よりも、女子1と男子1の方が。いや、そういう 問題じゃなくて。 などと考えていたら、また手を握りしめられた。コマーシャルが終わって番組が 始まるのか。 「携帯電話。今の時代にはなくはならないもの」 19世紀紳士風の服を着た男性の足と赤じゅうたんが写り、段々と視線が上がって いく。今ひとつ話題と合ってない気もするが。 「しかし、ひとたび故障したり無くしたりすると、そこから非日常の世界へと 足を踏み入れる事になるのです」 あれ、この人、劇団キップの白上さんじゃないか。こんな仕事もしてたんだ。 変な所で驚いていると、すぐに場面が切り替わり、地方都市の外れの風景が 映し出され、古い建物に女性が入って行った。今度は女性の声で語りが入った。 「長崎にある人口3万の小さな市に転勤になったばかりの時、携帯電話が故障して しまいました。転勤してすぐだったため忙しく、一番近い販売店まで10kmも あったため、なかなか買いにいけませんでした」 隣の子がうなづいている。そこでうなづくような所に住んでるのか。 「不便でしたが、職場に固定電話があり、業務連絡はそれを使っていたので、 仕事に支障が出る事は特になく、仕事が落ち着くまで携帯電話なしで過ごす事に しました」 場面が切り替わったものの、さっきとさほど変わらない。 「そんな忙しい日々の中、弁当を準備する事を忘れ、昼になって昼食がない事に 気付きました。コンビニさえも車で行かないといけない場所で、職場のみんなが 車で出払っており、知人の電話番号を登録した携帯電話もなく、不案内な土地で 誰かに尋ねる事もできないので非常に困りました。そんな時、ふと固定電話の横を 見ると、黄ばんだ紙に『亀島食堂・配達いたします・ご注文はこちら』という文字 と電話番号が書いてありました」 話が進んで、隣に座ってる子はまた少し手に力を入れた。 「紙があまりに古いので、今でもやってるのか疑問に思いましたが、とりあえず その番号にかけてみました。辛うじて聞こえる弱々しい呼び出し音が2回鳴った後、 おばあさんの声が聞こえました」 『はい、亀島食堂です』 「随分と遠い声なので、電話に向かって大声で話しました」 『配達していただけるんですか?一人前なんですけど』 『はい。でも今は、稲荷寿司しかなかですけんね』 『なんでもいいです』 「職場の名前を言って電話を切り、しばらくかかるだろうと思いトイレに行って、 戻って来た所、既に机の上に稲荷寿司が置いてありました。あまりの速さに驚き ましたが、その時は、すぐ近い場所にあるのだと思いました。それよりも、 まだお金を払ってないのに帰るなんて、ずいぶんと忙しい食堂なんだ、そちらの方を 不思議に思いました」 隣の子がさらに力を入れて手を握ってくる。おどろおどろしく話しているけど、 今のところ別に恐い点は何もないような。 「翌日もみんなが出払ったため、お昼は一人になりました。昨日の分もまとめて 払おうと思い、再び電話をして注文をしました」 『あの、昨日注文をした』 「私の声をさえぎるように、すぐに返事が返ってきました」 『昨日の方ですね。すぐお持ちしますけん』 「その返事を聞いて電話を切り、自分の机を見ると、稲荷寿司がありました。 いくらなんでも早過ぎます。その翌日に三度目の電話をかけました。今度はドアを 見ながら電話をしました」 『すぐお持ちしますけん』 「その返事を聞いて電話を切った後、2分間ドアを見てましたが、誰も来ません。 昨日はぼーっとしてて知らないうちに時間が経ったのかな、と思いつつ机を見ると、 稲荷寿司がありました」 隣の子の手が震えている。そんなに恐い話か? 「帰って来た職場の人にその話をすると」 『亀島食堂は二十年前にばあさんが急に死なして、親戚が更地にして売りに出した けど、多分まだ売れとらんよ』 「と言うのです。小さく書かれた住所の場所に行ってみると、確かに雑草で覆われた 何もない土地でした。でも横に小さな祠があり、そこに電柱から電線が一本だけ 垂れ下がっていました。祠をよく見るために電線を払いのけたのですが、それ以降、 その番号にかけても電話がかかる事はありませんでした。私の食べた稲荷寿司は 一体なんだったのでしょうか?」 語りの雰囲気やBGMや画面の色調はおどろおどろしいけど、恐い話か?死んでも 稲荷寿司を出前してくれるお婆ちゃんっていい人じゃないか。何で出来た稲荷寿司か 分からないけど。と思いつつ隣の子の顔を見ると。 「こ、恐かったよね?」 と言いながら、目がキラキラしている。恐がることを楽しんでいるように見えて、 返事に困ってしまう。 「う、うん…」 隣の子は目をキラキラさせながら僕に近づき、体を押し付けるようにして座り直し、 手も握り直す。ジャージを着ているとはいえ、かっこいい女子と体がくっつけている なんて、ドキドキする。でも隣の子は、僕が女子だと思って気軽に体を近づけて、 手を握りしめているんだろうな。男だとばれたら、なんて言われるんだろう。 また赤じゅうたんの白上さんが表れて。 「携帯電話には様々な機能があり、非常に便利です。しかし使い慣れない機能を 使うと、意外な事が起こる事も、良くあります」 場面が電車の中に切り替わる。 「下校の途中、どこかの踏切で事故があったらしく、自宅の最寄り駅から3つ手前 の駅で降りる羽目になりました。バスの本数が少ない地域だったので、どうしようか と悩みましたが、3駅くらい歩けばいい、そう思って歩き出しました。 しかし歩いた事のない場所だったので、すぐに迷ってしまいました。親に電話して 迎えに来てもらおうと思い、携帯電話を取り出したのですが、ナビ機能がある事に 気付き、使ってみる事にしました。自宅の住所を入力したら、この辺りの地図が出て、 方向が示されました。ナビに従って歩くと、見た事のある風景がすぐに目に入って きたので安心しました。さらに見覚えのある風景を見つけました。携帯のナビ機能も そちらを示してます。そちらにどんどん歩いて行きました。そのうちに、私が卒業 した小学校が見えてきました。私が通っていた時と全く同じ建物、全く同じ遊具が ありました。私の家までもう少しです。その先にあるショッピングセンターの角を 曲がります。高校に入ってからは部活で忙しくて、このショッピングセンターには 最近あまり来てないのですが、昔のまま何も変わってないのですぐに分かりました。 角を曲がってしばらく歩いてから、そういえばあのショッピングセンターって、 他と合併して名前が変わったんじゃなかったかな?と思いましたが、看板を 掛け替えるのが面倒だったのかな、と思いました。そして公園を通り過ぎます。 公園では子供達が遊んでます。私も小さな頃にあそこで遊んだな、と思ったのですが、 あそこは公民館が建った、という話を去年聞いたような。さらに歩くと、 『佐々木』の表札がかかってました。うちまであと3軒です。でも、佐々木さんは どこかに引っ越したはず。そしてうちの隣の清水さんの家には、元気なワンちゃん が吠えてます。でもこのワンちゃんの鳴き声も、もう何年も聞いてません。 ちょっと不安な気持ちになってきました。そして私の家の前に立ちました。 確かに見覚えのある私の家です。表札もかかってます。でもどことなくきれいに 見えます。庭に干してある洗濯物も、見覚えがあるのに、違和感を感じます。 でもここは私の家なんだから。少し不安を覚えながらも玄関のドアに手を伸ばし、 そこを開けたら」 ドスンバタンガタン。突然大きな音がした。 「ひぃーっ」 隣の子が抱きついてきた。僕の胸に頭を埋めている。抱きしめる力がかなり強くて、 少し痛い。 「あー、痛い」 「足元を見ないから」 お風呂から2人が帰ってきて、一人が転んだだけだった。 「あれ、二人で抱き合って、何をしてたの?」 男女が抱き合っているのを見られてマズイと焦ったけど、そういえば女同士だって 事になってるんだ。 「テレビでホラーをやってて…」 テレビを指さして言った。 「ああ、そういう番組をやってる時に私がコケたんだ。ごめーん」 僕に抱きついてる子は、顔を上げた時にちょっと恨めしそうな顔をしていた。 「あ、あの、終わっちゃうよ、このお話」 話の山場で関係ない音が出て、見れなくなったんだから、ちょっとかわいそうかな、 と思ったが。 「今の話は雑誌で読んでたから、別にいい」 なんだ、事前に話を知ってたのか。だったらそんなに驚かなくても。 僕も『ハムレット』の話を知ってて見たんだから、人の事は言えないか。 人数が増えて、少しゆったりした雰囲気になって、手をあまり握りしめられる事無く 番組は終わった。 「ふー。終わったー。ありがとう、木村さん」 「いや、別に、テレビを見てただけだから…」 「じゃあ一緒にお風呂に行こう」 まずい。まだ手を握られたままの状況で、どう言い訳するか。 「今日は、疲れたからー。もう入らなくていいかなって」 「ええ?そう?疲れたから入るものだと思うけど」 「そ、そうかな?」 「あ、もしかして、胸がなくて恥ずかしい、とか?」 このジャージでどうして胸がないと分かるんだろう。あ、さっき抱きつかれたか。 「い、いや、その…」 「大丈夫、私もないから」 抱きつかれた時に、確かにそう感じだけど。 「大きな声じゃいえないけど、寝ぼけてるとブラジャーするの忘れるくらいだから。 それで1日過ごしても困らないくらい。今だってしてないし」 僕が女子だと思って慰めてくれてるんだろうか。どちらかというと、ブラジャーを してない女子の前で、男子大学生の僕がスポーツブラをつけている事の方が 恥ずかしいんですけど。 「おーい、まだ風呂に入ってないのはいるかー」 ドアの方から女の先生の声がした。 「この二人がテレビばかり見て、まだ入ってませーん」 他の子に指さされてしまった。 「だったら私と入れー」 「えー、また先生と入るんですかー?」 「何度でもいいじゃない」 何度も入ってるような言い方だ。部活の合宿とかだろうか?先生は楽しそうだが、 隣の子はちょっとうんざりしたような顔をしている。先生と入るのが嫌なのかな? それとも、胸を見られるのがイヤとか。 「時間がないから早くしろー、二人とも」 僕まで指名されてしまった。先生に言われたら言い逃れしにくい。お風呂に行く 振りをして、どこかでトイレに逃げればいいか。仕方なくカバンから下着を 取り出し、それを持って部屋から出た。女物の下着を着て、着替えとして女物の 下着を手に持ち、大きな風呂に向かう事になるなんて。 先生があちこちから連れてきたと思しき生徒は、背の高い子が多い。観劇の際に 右隣だった子もいた。どこかの部活の部員なんだろうか。先生も体育の先生のように 見えるから、顧問の先生だったりするんだろうか。きれいな女子もいるけど、 背が高い子ばかりで、しかも全員がジャージだから、男子に囲まれているような 気分になる。だから僕が男だというのがばれないのかも。このメンバーがバレー部か バスケ部として、もし僕がこのメンバーの中に加わったら、僕は一番背が低くて、 『小さな体でチームを支える』とか言われちゃうんだろうか。いや、それ以前に 補欠か。女子中学生のチームなのに。 そんな事を考えてたら、すぐに男風呂に着いてしまった。みんな迷うことなく 男風呂に入って行く。どうしよう。 「さあ、入ろう」 一緒にテレビを見た子が僕の背中を押す。僕の体に触る事に遠慮がなくなって しまったようだ。ますます男とばれる訳にはいかなくなった。つまりここで 風呂に入らずに逃げる訳にはいかなくなった。 でも『男風呂』の暖簾の向こうを見ると、かなり人が少ない。男風呂が混雑している という話が広まって避けられたんだろうか。それとも、ほとんどの生徒がもう入って しまったんだろうか。この少なさならどうにかなる、そう思って、ドキドキしながら 脱衣場に入った。男風呂でこんなにドキドキするなんて。 周りを見回すと、それぞれバラバラに脱ぎ始めている。僕は隠すためのタオルを 用意して、上から脱いでいった。ジャージとTシャツを脱いで、上半身がブラジャー だけになった時、一緒にテレビを見た子の後ろ姿が見えた。ジャージを脱いだ時に、 確かにブラジャーをしてないのが見えた。それなのに僕はブラジャーをしている。 恥ずかしいんだけど、でもここではしてない方が変であって。 そのブラジャーも外して、下半身も裸になって。タオルで下半身を隠したいけど、 下半身だけ隠すのもここではおかしいか。タオルを広げて、広く隠すとか。 一緒にテレビを見た子は胸を隠している。そこまで自信がないのか。じゃあ僕は 自信を持っていいのか? 風呂場の中も人が少なかった。それでも何人かが立ったり座ったりして、女子の 裸の背中が見える。僕は隅っこの椅子に座り、下半身を隠しながら体を洗っていく。 体を洗っただけで出ればいい。そう思ってさっさと体を流していると。 「おーい、おまえもこっちこーい」 先生に呼ばれてしまった。周りに人が少なくて、僕を呼んでいるのだとしっかり 分かる。ここで逃げ出したら怪しまれる。仕方ない。湯船に入っていれば 下半身は見えないだろう。そう思って、先生から少し離れた所で湯船に入り、 前かがみになって前に進み、窓に張り付いている先生のすぐ横に来た。 すぐ横ならば、下半身までは分かるまい。 「おまえ、体格いいな。スポーツやってるのか?」 僕の背中を叩いた後、肩を揉みながら言った。 「い、いえ、そういうわけでは」 「もったいないなー」 先生の裸を見てしまった。自分の母親くらいの年齢の人だから、大変なものを見て しまった、という気持ちにはならないけど。胸は決して小さくないけど、体育の 先生らしく肩幅が広くて、その広い胸にポコンと付いているおっぱいが奇妙だ。 「今日は何を見学してきたー?」 「えっと、演劇を見てきました」 「ふーん」 美術の先生とは違ってあまり興味はなさそうで、ほっとした。でも中学生らしい 話題でも言っておけば、普通の中学生と思われて、少しは安全になるだろう。 色々思い出してみる。 「あ、そういえば、舞台裏見学会というのがあって」 「そんなものがあったんだ」 「その案内係が、柿沢の卒業生だと言ってました。舞台にも出演してました」 「え、誰よ」 「西藤真知子って言ってましたけど。芸名かもしれませんが」 「10年くらい前にそういう名前の子がいたけど、体育大学に行ったような」 「体育大学を出て女優になったと」 「え、そうなの?へえ。そうかあ。そうなんだー」 先生は、何か感慨深げにそう言った。 「見学会の時に、背の高い3人を引っ張り出して『体格も良くて元気そうで女優向き』 って言われました」 「誰と誰と誰?」 「えっと…」 「私と、これと、それです」 観劇の際に右隣だった背の高い子が、全部説明してしまった。それでつい、 その声の方向に目を向けたら、なぜか一緒にテレビを見た子の胸が目に入って しまった。確かにない。その隣の大柄な子よりもない。あれはかわいそうかも。 でもここでは、僕もかわいそうな子になるんだ。そう考えたら、自分がかわいそう に思えてきた。 「ほう、あなたも言われたんだ」 「え、ええ」 「美人だから?」 「いえ、どうせ厚化粧するって」 「ははは。確かにダンスやる子は多いけど、女優ねえ」 先生はなんだか嬉しそうな顔で外を見ていた。 先生とこんなに話したら湯船から上がりづらい。下手に動くと下半身が見えそうだし。 でもしばらくしたら、先生が上がってしまった。人が少なくなるのを待って、 ようやく湯船から出て、脱衣場に戻って服を着た。今度も全部女物だけど。 急いで脱衣場から出ようとしたら。 「待って、木村さん。部屋への戻り方が分からないから、一緒に戻ろう」 一緒にテレビを見た子の声がした。つい振り返ったら、まだ何も着てなくて、 タオルで体を覆ってふいていた。僕が風呂から出るのを見て、あわてて上がった んだろうか。タオルで覆っているから、見ちゃけなそうな部分は見えないけど、 このままだと本当の全裸を見せられるような気がして、かと言って露骨に目をそらす のも逆に疑われそうで、目のやり場に困ってしまう。 「待たせてごめんね」 ジャージを着た後、なんだか嬉しそうに僕の所に来た。自分と同じくらい胸がない子 が他にいたと分かって嬉しいんだろうか。ますます男だとばれる訳にはいかない。 風呂に入ったら余計に疲れた、これならすぐに眠れる、と思いつつ部屋に戻ると。 「なに、二人とも、その髪」 「わははは」 部屋にいたみんなに指さされてしまった。濡れた髪がどうなっているかなんて 考えずに戻って来たけど、そんなに変なんだろうか。 「この部屋に二人も男がいる、みたい」 『男がいる』と言われてビクっとしたけど、二人という事は。 「ええ、私たち、男みたいに見える?」 私たち、と言われてしまった。 「乱雑なままの髪型が、男みたい。二人とも背が高いから余計に」 「こっちおいでよ、私がブローしてあげるから」 なんだか良く分からないけど、言われるままに二人で座ったら、ドライヤーと ブラシを持った二人が僕たちの髪をいじり始めた。 「二人とも、きれいな髪してるじゃん。いつもお手入れしてないの?」 「全然してない」 「もったいないよー」 「何もしてないからきれいなんじゃないの?毎日ドライヤーだと痛みそうだし」 何をされているのか分からなかったけど、隣に座ってる女子の髪の毛がサラサラに なったように見える。僕もあれをされてるんだろうか。他の女子も、自分の髪を いじったり、お肌のお手入れをしている。やっぱりここは女子部屋なんだ。 そんな事をやってるうちにいつの間にか寝てしまい、気が付くと朝になっていた。 僕は女子中学生と同じ部屋で寝てしまったんだ。いけない事をしたというよりも、 自分がますます女子中学生になったような気持ちになってくる。 このまま木村さんと会えずにいると、僕は富山まで連れて行かれて、木村さんの 代わりに女子中学生として学校に通う事になっちゃうんだろうか。女子中学生に されちゃうんだろうか。先生たちに見られ、同じジャージを着た女子と一緒に朝食を 食べていると、男子大学生だとばれる心配よりも、そっちの心配をするように なってきた。僕が男子だという証拠ならあるけど、男子大学生だという証拠は 僕の周りに何一つない。男子だとばれても中学生と思われるかもしれないし、 そもそも木村さんが男だった、という事になっちゃうかもしれない。木村さんは 男前だったし。 でも顔が違うから、少なくともクラス担任の先生にばれててもおかしくない はずだけど。クラス担任以外の先生だって知ってる人はいるはず。知っててわざと 気付かない振りをしてるんだろうか。今までは、先生に何か言われるんじゃないかと ビクビクしてたけど、今では担任の先生がずっと何も言わないんじゃないかと 不安になってきた。木村さんの身代わりになったのなら、本人が帰ってくるまで ちゃんと身代わりを務めろ、という事だろうか。だったら、どこかで木村さんと 会わないといけない。でもどこにいるんだろう。見当がつかない。 部屋に戻って制服に着替える。Tシャツを着ていたから、男だとばれる心配はない。 でも一緒の部屋で女子7人と同じ制服に着替えていると、ますます同級生になった ような気がしてくる。ジャージから制服に着替えるなんて、体育の後の着替え みたいだ。僕もこのクラスの一人になったような気がする。そして一晩を一緒に 同じ部屋で過ごしたら、本当に友達のような気持ちになる。昨晩は男だとばれないか とドキドキしながらも、今思うと結構楽しかったかも。先生も僕の話を聞いて、 喜んだ顔をしてくれて、嬉しかったかも。そんな友達や先生をほっぽり出して ここを逃げ出すのが悪い事のように思えてきた。女子の制服は恥ずかしいけど、 でもみんなと同じ制服なんだから仕方ないかな、という気持ちにもなる。 制服を見た自分を鏡を見て、ちょっとブラシをかけると、自分がちょっと不細工な 女子中学生に見えてくる。ちょっと恥ずかしい。でも、男子大学生の自分が 女子の制服を着ているのが恥ずかしいのか、自分が女子として美人じゃないから 恥ずかしいのか、よく分からなくなってきた。昨日一緒にお風呂に入った背の高い 女子達と比べたら、僕なんてごく普通の女子中学生なんだろうか。 大きなバッグを持ってバスに乗り込み、網棚に無理やり押し込む。 昨日隣に座った女子が、今日も僕の隣に座った。 「えっと、今日はどこに行くんだったかな?」 僕の方から隣に声をかけてみる。だって自分から全然話しかけないのも、同級生 として変かな、と思ったから。うん。 「えーと、空港の工場だったかな。工場って、空港で何を作ってるんだろう?」 空港って、もしかしてそのまま飛行機に乗ってしまうのだろうか? という事は、僕はこのまま富山まで連れて行かれる、という事だろうか。 バスが走り始めた。窓の外から道路標識などを見ると、空港からそう遠くない 場所らしい。木村さんが空港まで来てくれないと、もう会えそうにない。 困ったなー。 「何を見てるの?」 隣の子に尋ねられた。 「えっと、ここって、もう東京の外れでしょ?それでもこんなにビルがあるの かな、って思って」 とりあえず適当な事を言ってみる。 「そうだね。富山でこれだけ走れば田んぼしかないよね。山の中かも」 隣の子が僕の膝の上に寄りかかって窓の外を見た。僕がこんな事を言ったせい だから、文句を言えない。目の前に女子中学生の横顔がある。うなじがすぐ 目の前にある。直視している訳にもいかず、僕も窓の外を見る。 「あ、あれ」 目の前に地元の中学生と思しき制服姿の女子が五人ほどいた。 「あれって公立なのかな、私立なのかな。可愛い制服だよね」 「う、うん…」 僕は見てなかった、というとうなじを凝視していたように思われると考えて しまって、そう答えた。 「うちの学校って伝統校らしいけど、ああいう制服を見るとうらやましいかな」 「そう、かな?」 「あんな制服、着たくない?」 そんな事を聞かれても困る。自分があの制服を着たら、と想像してしまった。 「えっと、うーん、ぼ、私が着ても…似合わないかな、って」 「うーん、確かに美人じゃないと似合わないかも。片倉さんとか栗崎さんなら 似合いそうだけど、私みたいな丸顔じゃダメかな」 そんな事を言うから、ちょっと慌てた。 「いや、そういう意味じゃなくて、私みたいな男顔じゃ…」 自分で『男顔』と言ったら、自分が男顔の女子のように思えてきた。 「そんな事ないよー」 大きな建物のそばにバスが停まり、そこから列を作って歩いて行く。 建物があるから滑走路が見える訳じゃないけど、だだっ広いコンクリート舗装の 道を見ると、この先に空港があるのがなんとなく分かる。そんなところを、 初めて立ち入る場所を、女子中学生に混じって女子制服を着て歩くなんて、 やっぱり恥ずかしい。 整備場の建物の入口で、案内の女性の説明を受けた。 「それではみなさん、これから整備場の中に入ります。整備場の中では、ジェット機 に使われている大きな部品が落ちてくる危険性がありますので、整備場内では ヘルメットをかぶっていただきます」 と説明を受け、ヘルメットを手渡された。女子制服を着てこんなヘルメットを かぶるなんて、なんだか変な感じ。 見学は決まったコースを順番に見ていくもので、飛行機を解体して整備している 様子を見られるのは普通に面白かった。僕が女子制服を着て、女子中学生と一緒に 見学している以外は。 「ここではエンジンを分解して検査を行っています」 作業着を着た女性が説明を始めた。飛行機のエンジンの中ってこうなってるんだ。 あれ?そういえばここまで、説明していたのは全員女性だった。見学コースの 説明専門の人達ならば全員女性でも不思議ではないけど、全員が作業着を 着ていたし、実際に作業をやって見せる人が多かった。という事は、きっと全員が この整備場の整備士という事か。全体を見回すと、男性の整備士の方がずっと 多く見えるけど、やっぱり女子中の修学旅行の見学だから、女性整備士が 説明しているのだろうか。そう考えたら、今まで以上に自分が女子扱いされて いると感じ始めた。誰もが僕を女子中学生として扱っている。 整備場を出て、ほんの少しだけバスに乗って、そして空港の入口に着いた。 大きな荷物を持ってバスを降り、女子中学生の列の中に入ってエスカレータを 上り、搭乗フロアで荷物を預ける。 「それではここに並んで座ってください」 空港の搭乗フロアに一番端に列を作って座った。一番端と言っても、一般客用の 保安検査場入口も近くにあるので、他の乗客や客室乗務員や、周りにあるお店の 従業員が頻繁に行き来している。そんな人たちの視線の中、僕は女子中の制服を 着て、二百人くらいの女子中学生の中に座っている。周りの誰から見ても、 僕は女子中学生なんだ。そしてこのまま飛行機に乗ったら、本当に女子中に通う 事になるんだ。先生が気付いてないはずがないんだけど、やっぱり木村さんが 戻ってこない以上、僕が代わりをやらなきゃいけないんだろうな。周りを見回しても 木村さんらしき姿は見えない。僕が女子中に通う事になったらどうしよう。 どうなるんだろう。 「あ、いたいた。木村さん。あ、ごめん、ちょっと動いて」 菊井さんが座ったまま動いてきた。 「修学旅行、終わっちゃうね」 「う、うん…」 「疲れたけど、結構楽しかった。あ、牧村さんからもらった飴、あげる」 「ありがとう」 もらった飴を口に入れる。 「私にも一個ちょうだい」 一緒にテレビを見た子が声をかけてきた。 「はい」 菊井さんは、僕の目の前で飴を渡した。 「でも明日は、見学の感想とか書かされるんだよね?面倒だなー。木村さんは 書きたい事がたくさんありそうだね」 「そう、かな?」 『ハムレット』の感想は色々あるけど。でも美術の先生が聞きたそうにしてたっけ。 体育の先生にも、舞台の上の卒業生の様子を話したいかも。一緒に演劇を見て、 警察資料館を見た菊井さんと白吹きさんとも、もうちょっとお話がしたいかも。 同じ部屋に泊まったみんなとも仲良くなれたような気がする。もう会えないなんて 嫌だな、そういう気持ちになってきた。みんなに悪い、ではなくて、僕が嫌だ、 そう思った。みんなと、これから一緒の教室、一緒の校舎、一緒の制服で 過ごすんだ。そう思うと、そんなに悪い事じゃないような気がしてきた。 「それでは団体入口から、保安検査を行って、搭乗口に向かいます。1組の みなさん、立ち上がってください」 1組が立ち上がって、僕たちの列の前を通り、団体入口に入っていく。 ゆっくりだけど列が進んでいく。そして2組、3組と入って行く。 「じゃあまた後でね」 菊井さんが立ち上がって、前に進んだ。僕は明日から、ここにいるみんなや 菊井さん達と同じ女子中学校に通うんだ。明日からここにいるみんなと本当に 同級生になるんだ。いや、富山に着いたら。違う、飛行機に乗ったら。 この入口を通ったら、みんなと本当の同級生になるんだ。本当は男子大学生だと ばれるかも知れない、なんて心配をせずに、同級生のみんなと仲良くしよう。 今までそんな事でビクビクしていた事がバカバカしく、もったいなく思えてきた。 でもこれからは、いくらでも仲良くなれるんだから。