僕は田川紀夫。森川市立森川西中学の1年です。1月に転校してきたばかりです。 11月末になって急に父の転勤が決まり、慌ただしく引っ越しをしました。 新年が明けて8日から転校、と慌ただしいので、少し早めに僕と妹の美幸の 転校先にご挨拶をしてこよう、という事になりました。 ところが美幸が風邪で熱を出してしまいました。そんなにひどくはないものの、 12月の寒い時期に長時間歩き回らせる訳にもいかず、美幸だけ留守番で、 母と僕だけで行くことにしました。 母と僕は電車に乗って、まず僕の転校先の中学校へと向かいました。 隣の県とは言え、2時間近くかかりました。着いた時は授業中らしく、 体育館から掛け声が聞こえてくる程度で、校庭には誰もおらず廊下で生徒と すれ違うことはありませんでした。 職員室に入り、転入予定の者と告げると奥から先生がやってきました。 「どうもお手数おかけします、今度こちらでお世話になります田川です」 「教頭の持田といいます。紀夫くんでしたね、1月からよろしく。本当なら クラス担任の鈴木先生とお会いして頂きたかったのですが、あいにくと出張中で、 私がお話を伺う事となりました。」  先生と母が、なんとか証明書がどうした、と難しい話をした後、 「それと、こちらの制服はどのようになっておりますんでしょうか?」 「うちの男子の制服は、詰襟の学生服です。今は制服を着てないけど、 今の中学の制服はどんなのです?もし今の中学の制服が詰襟でしたら、 ボタンを付け替えて、校章と学年組を付けるだけですね」 「それでは、新しく買わなくてよろしいんですね」 「体操服はこちらの店で売ってますが、慌てて買うこともありませんよ」 母がボタンと校章と学年組章を受取り、それを母のハンドバックにしまいこみ、 数十分で中学校を後にしました。 昼食をとった後、今度は美幸の転校先の小学校へと向かいました。割と 引っ越し先の近くでした。 学校に入ると、昼休みらしく、大勢の小学生が校庭で走り回ってました …ただ、みんな紺色の制服を着ていました。僕が以前通い、今美幸が通っている 小学校には制服なんてなかったので、ちょっとびっくりしました。 「あら、この小学校には制服があるの?紀夫のは買わなくて済んだと思ったのに、 美幸の分を買わないといけないのね」 職員室に入り、転入予定の者と告げると奥から先生がやってきました。 「どうもお手数おかけします、今度こちらでお世話になります田川です」 「美幸ちゃんが入る5年2組の担任をやっております橋本と申します。 あなたが美幸ちゃんね、1月からよろしく。」 えっ……僕を美幸と間違える、この先生。美幸がかかとの高い靴をはいた時に 弟と思われた事はあったけど、美幸と思われた事は初めて。母について来たのが 僕だけだからかな。そりゃあ背は低いけど、中1の僕が小学5年生の女の子に 間違われるなんて…制服着てくればよかったかなー。 「あっ、違います、これは中学生の兄です。美幸は今熱を出していて、 今日は連れて来られなかったんです。背丈や顔はこの兄によく似てますけど」 「あらそうでしたの、それは大事になさった方でよいですね。 間違ってごめんなさい、お兄ちゃん」 先生と母が、中学校でしたのとほとんど同じような話をした後、 「それと校庭を見たところ、こちらは制服があるようですね」 「はい、制服と体操服の販売店はこちらに書いてあります。 どちらも駅の近くですね。裏に、校則というほどではないですけど、 着用例が書いてあります」 「それでは帰りに買っていきましょう」 「それと、お急ぎでなければ、今休み時間でもありますし、 教室を少しのぞかれていきませんか?今年度はもう授業参観はありませんし、 お母さんも一度くらい美幸ちゃんの同級生の顔を見ていかれた方がよろしい と思いますよ。美幸ちゃんがご一緒でないのは残念ですけど」 「それもそうですね。ではすこし拝見させて頂きます」 僕は他に行く場所もないので、母と橋本先生についていきました。 教室に近づくと小さい子大きい子が走っています。 「ほら、廊下は走っちゃだめよ」 「あっ、橋本先生だ」 「別に何か用って訳じゃないわ、遊んでていいわよ」 「先生、この人誰ですかー」 「誰ですかーじゃなくて、ご挨拶しなさい」 「こんにちわー」 教室の中からは小さな話声が聞こえてきます。 「あの人、きっと転校生だよ」「えー、うちのクラスに?」 チャイムが鳴りました。 「ほら掃除の時間ですよ、みんな取りかかりなさい」 「あの子、女の子かな?」「男子だよ」 「後で先生に聞いてみようよ」 みんなが掃除に取りかかる様子を見てから、小学校を後にしました。 その後、駅の横の商店街に入りました。 「中学の体操服は…あらここからは遠いのね。また今度でいいわ。 小学校の制服を売ってるはこっちの方ね」 母と僕だけで出掛ける、と決まった時、ちょっと嫌な予感がしてました。 僕は割と背が低い方なのに、美幸は高い方。2歳差があるのに、身長の差は 数センチしかないのです。そのために、母と僕だけで出掛けている最中に 母が美幸の服を買おうと思ったら、僕を使ってサイズを確かめるのです。 単に背中に当てるだけですが、女の子用の服の売り場に連れ込まれ、 女の子用の服を体に当てられるのです。うちの近くの店でこれをやられると、 同級生に見られるんじゃないかとドキドキしてしまうのです。 でも今日は転校先の学校に行くだけだからと関係ないだろう、 と思ってたのに、予感の方が当たってしまいました。知ってる同級生が 近くに絶対いない、という事だけが救いです。 やがて商店街の制服店に着きました。 ウィンドウに様々な中学校や高校の制服、そして色々な小学校の制服が 展示されていました。 母が店員さんに、美幸が通うことになる小学校の名前を告げました。 もう一人の店員さんが、メジャーを取り出したので、 母は僕を前に引っ張りだしました。いつもの事だとあきらめ、 店員さんにサイズを測られました。 最初の店員さんがガラスケースからブラウスを取り出します。 その白いブラウスは丸い襟が大きく、子供っぽく感じました。 店員さんは綺麗に包装されたブラウスを、ナイロンから拡げて僕の背中に当てました。 なんだか自分がこれを着るような気分になってしまいます。 「このサイズはいかがでしょう?成長期でしょうから、ワンサイズ大きい方をお出ししていますが。」 母が答えます。 「ええ、そうね…もう一つ大きいサイズのブラウスが良いかしら。それを3枚頂ける?」 次に店員さんはスカートを手に持ってきました。 「お嬢ちゃん、あちらの試着室で、1度穿いてみて下さい。」 驚いて母の方を見ましたが、母は 「スボンの上からでいいから」 とささやき、早く済ませろとばかりにらみつけます。 僕はあきらめて、スカートを受け取り試着室に入りました。 ズボンをはいたまま、スカートの中に足を入れましたが、 何かが脚の指に当たって上手く穿けません。 おかしいと思いよく見れば、スカートの腰の部分に紐がついています。 その2本の紐を持ってスカートを上げると、やっと肩に掛ける吊り紐なのだと分かりました。 吊り紐は、前はまっすぐ肩に伸びていますが、後ろは交差しています。 前の部分に、紐の長さを調節する金具がついています。 僕は、幼稚園の女の子が穿いていたスカートみたいと思いました。 腰の部分はズボンのベルトよりずっと上にきました。 左腰のファスナーを上げ、ストッパーらしき金具を閉めました。 カーテン越しに店員さんの声が掛かりました。 「いかがですか。穿けましたか?」 「はい。」 カーテンを開き、サイズをチェックします。スボンの上からはき、 見ているのが全然知らない店員さんではあるものの、 スカートをはいた姿を人から見られ、恥ずかしくて顔が上げられません。 さらに店員さんは、肩の紐を引き上げたり腰の部分をずらしてたりと触ってくるのです。 「ウェストはこの位でしょう。ストッパーにも余裕がありますから、6年生になっても大丈夫ですよ。裾の長さはどうしますか?」 そう言って店員さんは物差しをスカートにあてました。 「もう少し短いほうが可愛いかしら。」 そんなこと僕の知ったことではありません。母の言う長さで決まりました。 そして店員さんは上着を持ってきました。 「お嬢ちゃん、これも着てみて下さい。」 スカートをはいてしまって、もう逃げようがありません。唇をかみしめながら、 僕は店員さんに言われるままに、上着の袖に腕を通しました。 その襟のない紺色の上着はダブルボタンで、左右にボタンを留める穴がありました。 どうも男女兼用のようです。 店員さんが左前にしてボタンをさっさと留めてしまいました。 鏡に写る自分の姿は、下のシャツこそ白いブラウスではありませんが、 さっき小学校で見た小学生の女の子達と同じ姿です。鏡が間近過ぎて 足元のズボンもよく見えません。 やや大き目のサイズなので自分が小さく思えて、おなさら自分があの小学生と 同じ恰好をしてるんだという気持ちになりした。知らず知らずのうちに、 あの丸い大きな襟が自分の首の周りにある姿を想像してしまいます。 「少し大きめですが、動き安さからいってこのサイズが良いと思いますよ。」 「そうね。じゃあ、上着とスカートはそのサイズで2着ずつ頂けるかしら。」 「他にベストや、セーターもありますが。校内では上着を脱いで、ベストやセーターを着ることが多いのですよ。」 「どうしよう?」 僕には関係ないのですが、こっち見ながら母が喋るので黙り込む訳にもいきません。 「これからもっと寒くなるし…」 「じゃあセーターは2着かな。ベストは…」 すると店員さんが、 「ベストは2種類ありますが。ちょうど上着の袖を取ったようなボタンで留めるタイプと、セーターと同じ被るタイプとです。いかがしましょう。」 「ああ、そうなの?それなら2着ずつにしましょう。」 「制帽やハイソックスもお揃えになられますか?」 「あら、じゃ、それも頂いて行くわ。帽子が2個にソックスは5足ね。」 さらに、女子用の赤色の体操服も頼みました。 そうして母は代金を支払い、店を出ました。買った制服は僕が持ちました。 ちょうどいい電車まで時間があったので近くの喫茶店に入っていると、 学期末に近いからか、もう小学生達が下校しています。 女の子達はさっき僕が試着して買ったのと同じ制服を着て、 さっき買ったのと同じ制帽をかぶり、ランドセルを背負って歩いてます。 外に出ると、道路の反対側をさっき5年2組の教室で見かけた子達が歩いていきます。 こちらに気付いたのか、女の子達が手を振ってます。 「新学期からよろしくねー」 男の子は指差してこっちを見てるだけです。 「いい子がたくさんいるみたいで良かったわ」 母は呑気にそんな事をいいます。 僕の手には、さっき買った、あの女の子達と同じ制服を持っているので、 何も出来ません。もちろん道の反対側だから、僕が小学校に転入する美幸ではないと 言うこともできません。あの5年2組のみんなは僕が1月から転入してくると 思っているのでしょう。あの子達と二度と会わないのなら「どうでもいいや」 とも思えるのですが、美幸の同級生になるのです。きっと顔を合わせるでしょう。 どんな顔をすればいいのでしょう。 それに、僕はあの女の子達と同じ制服に袖を通してしまった…。 さっき鏡で見た自分の姿を思い出し、あの女の子達と同じ格好でこれから一緒に 歩くような気分になってしまいました。 帰り道、僕の手には、僕が試着し、僕のサイズに合わせて買った女子小学生の制服。 電車の中はもちろん、駅からうちまではさらに恥ずかしい思いをしました。 同級生にこそ会わなかったものの、知ってる人とすれ違うのです。 自分に合わせた女子小学生の制服を持って帰っているところを見られたのです。 袋の中に入っているので、何の袋かは分からなかったでしょう。 でもとても恥ずかしい思いをしました。 家に着いて、制服を美幸の部屋に置いた時は本当にほっとしました。 でも、美幸のために買ったとはいえ、僕が女子小学生の制服を試着し、 僕のサイズに合わせて買った、という事実には変わりありません。 早く美幸が着てくれれば、と思ったのですが、引っ越し作業で忙しくなって なかなか着ません。いつまで経っても「僕の制服」のような気になります。 それに、自分の同級生になるはずの中学生も担任の先生も全然見ていないのに、 美幸の同級生になるはずの小学生と担任の先生と教室は覚えているのです。 美幸さえ全然知らない事なのに。引っ越し後の生活で思い浮かべる事が出来るのは、 小学校の5年2組の教室で、あの制服を着て、 あの女の子達に囲まれて過ごす姿だけです。 1月から自分があの小学校に通うような気がしてならないのです。 元の中学校の終業式が終わり新しいうちに移ると、 冬休み中なので制服姿の中学生は全然見かけず、中学校の印象がますます薄くなり、 少し歩くと目に入る小学校の印象が強くなります。 引っ越しの片付けが終わって落ちつき、 ようやく美幸も小学校の制服を広げたみたのですが、 「なんかガキっぽくってやだー」 と言って着てみようとしません。 「こんなの着て学校に行くの?恥ずかしいよー」 5年生にしてはかなり背の高い方の美幸は、なおさら子供っぽい服を 着たくないようでした。前が私服の小学校だから、自分だけ着ていく ような気持ちになるんでしょうか。 「でも新しい小学校ではみんな着てたわよね、紀夫」 「うん」 「そんなの私見てないもん」 「わざわざお兄ちゃんに試着してもらって買ってきたんだから」 …いきなりそんなこと言うなんて… 「じゃあお兄ちゃんが着ていけばいいじゃない」 母は、しょうがないわね、といった顔で台所に行ってしまいました。 「ほら、お兄ちゃんの部屋にかけておくからね」 夜寝る時、壁にかかっている制服が気になってしょうがありませんでした。 夢の中にまで現れました。5年2組のみんなと、制服を着て過ごす夢です。 翌朝早く目が覚めて、壁に掛けてある女子小学生を眺めていて、 ふと着てしまいました。鏡の中には、夢や想像ではなく、 実際に丸い大きな襟があります。大きな襟のせいか、本当に幼く見えます。 その襟を手で触ってみたりしました。 スボンをはいてないので、スカートの感触を直接肌に感じます。 5年2組の教室が頭に浮かびました。 30分くらい鏡を眺めて、制服を脱ぎました。 始業式の前日、犬の散歩に出掛け小学校の前を通る時、 明日あの制服を着てこの道を通り、あの建物の中に入る自分の姿を 思い浮かべてしまいました。そんなことを考えながら小学校の前で 立ち止まっていると、あの5年2組で見かけた女の子二人がやってきました。 「あ、今度転校してくるって子だ」 「名前なんだったっけ…田川みゆきちゃん?」 「ん…うん」 「背が高いね」「吉沢さんほどじゃないけど」 「私、後藤美香」「私は中尾佳代、よろしくね」 「犬飼ってるんだ、いいなー。よしよし」 「おうち近いの?」 「うん…そこの角を曲がってすぐ」 「学校に近くていいなー」 「登校班一緒だね」 「こんど遊びに行くね」 「それじゃまたあしたー」 明日どうしよう。部屋の壁にかかった制服を眺めながら考えました。 明日朝、またこれを着て小学校に行く…んじゃなくて、実際は美幸が着る。 でも試着したのも、もう何度も着たのも、教室にまで行ったのも、 後藤さんと中尾さんに「またあした」って言ってもらったのも、 美幸じゃなくて僕の方なのに。 明日は全然知らない中学校に違う制服を着て行かなきゃいけないのかな。 なんだか嘘みたい…うん、明日朝これを着てあの小学校に行って、橋本先生や みんなと会うのは僕の方なんだ。美幸なんかにこの制服や友達を渡すもんか。