今日は日曜日だったけど、明日は学校がある事だし、早く寝なきゃ。そう思ったけど、 なかなか眠れないでいた。 そしたら、なんだか外が騒がしくなった。外で誰かが何かを言ってるようだ。 こんな夜遅くになんだろう。あれ、あの声はお向かいの佐藤さん。 「おい、消防に電話したか?」 遠くからサイレンの音が聞こえる。誰か急病で、救急車が来てるのかな。 あれ、違う、このサイレンは救急車じゃない。でも消防って。 それってつまり、火事? そこまで考えて窓の方を見たら、夜遅いのに妙に明るい。明るいというより赤い。 それがゆらゆら揺れている。 「あ、本当に火事だ!」 お隣の武田さんちから炎が出ている。えーと、どうしたらいいんだろう。 武田さんに知らせた方が。あ、佐藤さんが叫んでいたし消防車も来ているから、 それはいいのか。他にやる事は… 「清美!起きてる?お隣が火事よ!すぐに降りてきなさい!」 あ、そうだ。自分が逃げなきゃ。 外に出たら、確かに武田さんちから炎が上がっていた。うちにも火が移るんじゃ ないかと不安だった。私の部屋が面しているし。でも、すぐに消防車が来て消火を 始めていたから、周りには燃え移ることはなかった。武田さんちの2階はすごい事に なったけど。 その後もご近所さんが集まって話をしていて騒がしかったけれど、消火した事が 分かって安心したらすごく眠くなってきて、すぐに部屋に戻って眠ってしまった。 翌朝。小学校に登校するために制服に着替えようとしたら、制服が見当たらない。 そういえば、お母さんが洗濯するとか言ってたっけ。 「あ母さん。制服はどこ?」 「昨日洗濯して……あら、干しっぱなしにしてたわ」 「えー」 昨晩は別に雨は降ってないから、濡れているわけじゃないと思うけど。 ……あ、昨日はお隣さんが火事で、消防車が消火したんだ。濡れてるかも。 あわててベランダに出て、物干し竿を見ると、物干し竿とタオルが焦げていた。 手すりは金属製だから燃えてないけど、物干し竿を乗せている台はプラスチックで、 焦げてねじ曲がっていた。私のお気に入りのブラウスも焦げていた。 すごーくショック。でもとりあえず制服を探さなきゃ、そう思って物干し竿に 近づいたら、プラスチック製のハンガーと一緒に焦げて下に落ちていた。 制服が燃えた事をすぐに先生に電話したら、先生に 「仕方ありません。私服で登校してください」 と言われた。これってつまり、好きな服を着て行っていいって事なんだ。 一瞬嬉しかったけど、一番のお気に入りは焦げちゃったし、どれにしよう。 タンスの中を見る。あんまりかわいくないのを着て行くのも嫌だな。 タンスにある中では一番いいと思ったピンクのスカートと上着を選んで、 それを着て小学校に向かった。 一番お気に入りの服が燃えちゃったのがショックだなー。私って背が高いから、 気に入る服がなかなかなくて、そんな中での一番のお気に入りだったから、 すごく悲しい。制服も、6年生になる直前に買った時には『そのサイズは在庫が なくて』とかお店の人が言って、取り寄せるのに1週間くらいかかったし。 あれ?それじゃあ、一週間は私服で小学校に通う事になるのかな?それはちょっと いいかも知れない。でも燃えちゃった服もあるし、どれを着て行けばいいんだろう。 カッコ悪い服を着て行くのはやっぱり嫌だし。『着て行く服が足りないから買ってよ』 ってお母さんにおねだりをしようかな。でも制服も買わなきゃいけない。 制服って結構高かったような気がする。制服も買わなきゃいけない上に、 たった1週間くらいのために高いのは買ってはくれないだろう。私の身長だと 気に入る服を探すのも大変だし。そもそも、小学校を卒業するまであと半年も ないのに、わざわざ取り寄せて買うなんていうのも、なんだかもったいない気がする。 色々と考えたら面倒に思えて来た。 そんな事を思いながら歩いていたら、段々と他の子が目に入ってきた。私以外は みんな制服を着ている。周りの子がみんな制服の中、自分だけがお気に入りの服を 着ている、というのがちょっと嬉しく思っていたけど、人数が増えるにしたがって、 自分だけが目立っているような気もしてきた。ピンクの服は目立ち過ぎかな? 「清美ちゃん、だよね?」 後ろから、仲良しの文香ちゃんの声が聞こえた。 「あ、文香ちゃん、おはよう」 「おはよう。どうして制服を着てないの?」 紺色の制服の文香ちゃんと並んで歩いていると、自分の服がすごく目立っているような 気がする。 「もしかしてー、清美ちゃんはファッションに目覚めて、制服なんてかっこ悪い服は 着てられない、学校にもおしゃれな服を着て来るんだ!…とかいうの?」 なんかすごい事を言われちゃった。そんな事を言われると思ってなかったから、 ちょっとあわてた。 「ちがうちがうちがう。今着てるのだって、それほどおしゃれじゃないでしょ」 「清美ちゃんが着てたらおしゃれだと思うけど。私ってこんな服でもおしゃれに なるんだよーって」 ほめてもらったような気もするけど、そんな事よりも。 「そんなんじゃなくって。お隣さんが火事になって」 「あ、お母さんがそんな事を言ってた」 「制服を干しっぱなしにしてたら、その火事で制服が燃えちゃって」 「えー?確か洗濯物を干すのって、清美ちゃんの部屋のすぐ外でしょ?」 文香ちゃんは仲良しだから時々うちに遊びに来ていて、覚えていたようだ。 「うん。あそこに干してたら、お隣の火事の火で燃えたみたい」 「清美ちゃんの部屋は大丈夫だったの?」 「家は燃えなかったんだけど、物干し竿が焦げてて、物干し竿の台がグニャっと 曲がってて」 「えー、それって怖いよー」 「お気に入りのブラウスも焦げてた」 「えーと、確かあの、ひらひらがついてる服?」 「そう」 「あれが燃えちゃったの?」 そんな事を話していたら、小学校に着いた。 小学校の校舎の中に入ると、周りは制服を着た子しかいないから、余計に目立つような 気がする。 「あの人、制服じゃないよ」 「転校生?」 「違うよー。前からいる人だよー」 他のクラスの子にひそひそ話をされている。さっき文香ちゃんが言ったような事を 思ってるのかな。学校に制服を着てこない変な子だ、とか。あまりいい気分じゃない。 でも自分のクラスに行けば、ちょっとは静かになるかな?と思ったんだけど。 教室に入ってすぐに川森さんと鉢合わせ。この人、苦手なんだ。 「あら?白石さん、どうして制服を着てないの?制服を着てこなくていいと 思ってるの?先生に怒られるんじゃないの?」 なんだかトゲのある言い方をされて、ちょっと嫌な気分。 「あ、あの、隣の家で火事が起きて」 私がそういうと、近くにいた安東さんがこちらを向いた。 「あ、わたし今朝見たよ。武田さんちの2階の焼けてボロボロになってた」 「あなたの家にも燃え移ったの?」 「家のは燃え移らなかったけど、干しっぱなしにしていた洗濯物が燃えちゃって」 「それで制服も燃えちゃった?」 「うん、そう。それで先生に連絡したら、仕方ないから私服で登校しなさいって」 「そうなの。それじゃ仕方ないわね」 川森さんは納得してくれたみたいだけど、なんか不満そう。 どうにか自分の席に座ったけど、みんなにジロジロ見られているような。 『あの服、かわいいよね』と注目されてるのならいいんだけど、川森さんみたいな 感じでひそひそ話をされてるような気がしてきた。すごく居心地悪い。 しばらくして、担任の先生がやってきた。 「起立、気を付け、礼」 「おはようございます」 「はい、みなさんおはようございます。まずは、昨日の夜、白石さんの隣の家で火事が ありました。白石さんの家に燃え移る事はなかったそうですが、白石さんの制服が 燃えてしまったそうです。火事が起こると、大切なものも燃えてしまいます。 火の扱いには十分気を付けてくださいね」 居心地の悪いまま授業を受ける。かわいい服を着て授業を受けるのは楽しいかと 思ったけど、クラスの全員が紺色の制服の中で、自分だけピンクで目立ちまくって、 川森さんにあんな事を言われて、最悪の気分。早く制服を買えればいいんだけど、 背が高いせいですぐに買えないかも知れない。どうしよう。明日は祝日だから 休みだけど、明日買えなければ明後日も制服がないわけで、また今日みたいな気分に なるのかな。 トイレに行くために廊下に出るのも気が進まないけど、かと言って一日中我慢する わけにもいかない。廊下を歩くだけなのにドキドキしながら、なんとかトイレまで たどり着く。個室に入って、人目がなくなってちょっと落ち着いた。と思った時、 川森さんと安東さんの声が聞こえた。 「白石さんの隣の家が火事になったって本当なの?」 「うん。帰りに見に行く?」 「わざわざあっちまで行かない。でも本当に制服が燃えたのかしら?」 「それは知らない」 「あの服で登校してみたいから、制服が燃えたとか言っただけじゃないの?」 「えー?」 「だってさー。ピンクの服着て、すごく大人っぽくて」 「大人っぽいのは背が高くて胸があるからじゃないの?」 「でも、その上にあの服よ?」 「まあ、目立つ服だけど」 「なんていうか、なんていうか…」 「うらやましいの?」 「えっと、うらやましいっていうか、なんていうか、その……もう教室に戻る」 「待ってよー」 なんだか分からないけど、川森さんの声、すごく怒ってるような声だった。 さらに一週間も私服で登校したら、今朝みたいな事を毎朝言われそう。 火事のせいだっていうのは分かっているはずだから、言わないかも知れないけど、 でも何か言われそう。でもすぐには制服を買えないかもしれない。どうしよう。 給食の時間。 「お隣が火事だなんて、大変だったわね」 倉敷先生が隣に座り、一緒に給食を食べている。 「危ない目にあったりしなかった?」 「窓の外を見たら、火があがるのが見えました」 「あらまあ、そんなに近くで見たの?」 「ベランダの分だけ離れていたから、そこまでは近くなかったです」 「でも制服は燃えちゃったのね」 「はい…」 どうしようどうしようと悩んでたけど、やっぱり先生に相談しよう。 「あ、あの、先生、制服はすぐに買いたいんですけど…」 「出来ればその方がいいわね。急がなくてもいいんだけど」 先生がそう言っても、居心地が悪いまま1週間とか嫌だし。 「あの、私って、背が高いから、ちょうどいいサイズが…」 「ああ、確かにそうね。白石さんの身長だと、特注しないと制服がないかも」 「は、はい、それがちょっと心配で…」 「卒業まであと半年もないのに、今から特注で制服を頼むというのも、確かに 大変よね。うーん」 「どうしたらいいかな、って」 「そうねえ」 先生が真剣に考えてくれている。何かいい方法を思いついてくれないかな。 「そうね、もう中学校の制服を買って、残り半年はそれで登校すればいい んじゃないかしら。中学校の制服ならちょうどいいサイズがあるんじゃ」 それはいい方法だ、と思ったんだけど。 「ずっるーい!」 川森さんと安東さんと増田さんと、さらに文香ちゃんまで立ち上がってそう言った。 「白石さんだけ先に中学校の制服だなんてずるいですー」 「だってほら、白石さんは背が高いし、みんなと同じ制服がないから…」 「でもでもでも、白石さんだけなんてずるいですー」 一番仲良しの文香ちゃんにまでそんな事を言われるなんてショック。でも私たちが 3月に入学する貝松中学校は、何年か前に2つの中学校が統合してひとつになって、 その時に新しい制服になって、それがすごくかわいいと評判になった。だからみんな 『早く中学生になってあの制服を着たいね』と話していたのだ。それを私だけが 先に着て小学校に登校する、なんて事になったら、確かに文香ちゃんが怒っても 不思議じゃない。 「はいはいはい。とりあえず制服屋さんに、どのくらいの日数かかるか、尋ねてみて。 すごく日数がかかるようなら、また考えましょう」 「はい…」 明日は祝日だから明日でもいいんだけど、やっぱりすごく気になるって言うか、 あせってしまうっていうか。だから放課後になったらすぐに、隣町の商店街まで 30分かけて歩いて行った。制服屋さんは商店街の真ん中付近にあるはず。確か。 うん、あった。すぐにお店に入った。 「あの、すみません。ごめんください」 奥の方から『はーい』という声が小さく聞こえて、それから足音がして。 「はい、お待たせしました」 「あ、あの、制服って買うのに何日かかるものでしょうか?」 「普通のサイズだったら、すぐにありますよ。どこの中学生かしら?高校生?」 「貝松西小学校です」 「あら?小学生?大きいから中学生か高校生と思っちゃった。小学校はねぇ…」 お店の人が『試着用』と書かれた布が縫い付けられた制服を手に取って、私に渡した。 「これがうちにある一番大きなサイズなんだけど。着てみて」 上着を脱いで、渡された制服に袖を通してみたけど、ちょっときついような気がする。 両腕を肩まで入れると、肩がちょっときつい。 「ちょっときついけど、着れない事もない…ような…」 「小学6年生、かしら?」 「はい」 「という事は、あと半年なのよね?」 「そうです」 「うーん、それでも小さいのを無理して着るのはあまり良くないと思うけど。 試しにこれを着てみて」 中学校の制服だ。あの評判になった制服だ。ちょっとドキドキとしながら袖を通した。 上着だけだけど。 「うん、それでちょうどいいのよね。でも小学生でそのサイズはちょっとねぇ。 取引しているメーカーさんにも在庫があるかどうか」 「それを頼んだら、何日かかるんでしょうか?」 「明日が祝日だから、水曜日に連絡して、在庫があったら一週間か二週間か。 なかったら、他のメーカーさんまで探してもらうから、もっとかかると思うけど」 そんなに待ってたら、二学期の終わりになっちゃうそう。 「もう卒業も近くて、サイズもなさそうなのに、どうしてわざわざ買うの?」 お店の人は不思議そうな顔で尋ねてきた。 「昨日、お隣で火事があって」 「ああ、そういう話、聞いたわね……お隣って、あなたのうちにも燃え移ったの?」 「家には燃え移らなかったんですけど、干しっぱなしだった制服は焼けちゃって」 「あらまあ。でもそれなら、いっそ中学校の制服を買っちゃった方がいいんじゃない かしら?」 やっぱりそう言われちゃった。 「先生とお母さんに相談します…」 「今日注文しても明日注文しても同じだから、決まってから来てね」 「はい…」 がっかりしてお店を出た。 このままじゃ明後日どころか何週間も制服がない事になってしまう。どうしよう。 商店街から駅前まで歩き、駅の前でしばらく考え込んでいたら、駅の改札口から 高校生がぞろぞろ出て来た。さっきホームに電車が止まったから、それから降りた 高校生なんだ。いろんな制服があるなー。あ、あの制服、地元の貝松中学校の制服と 似ている。色が違うけど。うちの小学校の制服と似た制服が、どこかの中学校か 高校にあれば、きっと私にちょうどのサイズもあるだろうから、それを着て行ける のだけれど。さすがに小学校の制服に似た高校の制服なんてないだろうな。 それはさすがに……あった。今目の前を通ってる。高校生が、うちの小学校の制服と 割と似た感じの制服を着ている。色がちょっと微妙に違うようにも思うけど、 でもあれならば小学校に着て行けるかも。あの高校生は私よりも背が高そうだし、 私のサイズもあるはず。どこの高校なんだろう?分からない。あの人に聞けば。 見ず知らずの人に声をかけるのは気が引けるけど、でも今聞かないと、二度と 聞く機会なんてないだろう。ああ、横断歩道を渡っちゃう。どうしよう。どこかに 行っちゃう。あ、赤信号になって立ち止まった。今のうちに。 思い切って横断歩道まで走る。知らない高校生に声をかけるなんてドキドキする。 でも、思い切って。 「あ、あの、すいません」 「え?私ですか?」 キョトンとした顔をしている。 「はい、あの、お聞きしたいことがあるんですけど」 「なんでしょう?」 えっと、なんて聞けばいいんだろう。 「その制服、っていうか、その、どこの学校、っていうか、どこの高校、ですか?」 うまく話せずにあせってしまう。変な事を聞いて、変に思われてるだろうな。 「森塚東高校、ですけど」 目の前にいる高校生は、不思議そうな顔をしながらも答えてくれた。 「ありがとうございます!」 答えを聞いて、すぐに小学校に向かって走った。 歩いてきた道を、今度は走って小学校まで戻り、職員室に直行した。 授業が終わって1時間近く経っているから、先生全員が職員室にいるわけではない ようで、職員室の中はガランとしていたけど、倉敷先生は机に向かっていた。 「あ、あの、倉敷先生」 走ってきたから、息が切れて話づらい。 「そんなに慌ててどうしたの?運動場10周くらい走ってきたみたいにしてるけど」 そのくらい走ったかも。 「森塚東高校って、先生は知ってますか?」 「ええ。森塚寺町駅のすぐ近くにあるわね。ここからは電車を一回乗り換えなきゃ いけないから、ちょっと遠いかしら」 「森塚東高校の制服って、うちの小学校の制服と似ている、と思ったんですけど」 「うーん、そうねぇ。そうかも。うん。そうかも」 先生がうなづいた。 「小学校の制服はサイズがなくて何週間もかかるって言われたんですけど、 森塚東高校の制服なら、すぐに買えるんじゃないかって、思ったんです」 「なるほど。高校生なら、白石さんくらいの身長の人も割といるかもね」 先生は何度もうなづいた。 「だから、森塚東高校の制服なら、小学校に着て来てもいいかなって」 「なるほどなるほど。それがいいかしらね」 「ちょっと遠い高校だと、どこで買えばいいかはよく分からないんですけど」 「うーん、森塚の商店街の制服店にあるんじゃないかな?」 先生が頭をひねりながら言った。 「でも、よその学校の制服を勝手に買うのも悪いかもしれないし」 そう言われればそうかも。似ている制服があって、喜んで学校まで走って来ちゃった けど、あまり深くは考えてなかった。 「じゃあ、すぐには買えないんですか…」 いい方法だと思ったのに、ダメかも。落ち込んだ気分になってしまう。 「今から森塚東高校に電話して尋ねてみましょうか」 「え?今からですか?」 「まだそんなに遅い時間じゃないし」 先生はそう言って立ち上がり、座っていた椅子を引っ張り、電話のある所に移動した。 そして近くにある電話帳を開いた。 「えーと、ま、み、む、め、も、も。あ、学校は別に一覧があったんだ。県立、 県立高校、森塚市内の県立高校、森塚東高校、これだ」 先生は受話器を手に取って、番号を読み上げながら電話をかける。 「でも、こんな話、どこに相談すればいいのかしら、そうねえ」 そんな事をいいながら、すぐに相手が出たようだ。 「あ、えーと、生徒指導担当の先生はおられるでしょうか?はい、あ、お願いします」 ほんの数秒だけ間をおいて。 「わたくし、貝松西小学校の教諭をしております、倉敷と申します。…あ、いや、 そういう話ではなくて。いえいえ」 そういう話って、一体どういう話をしているんだろう? 「少々ややこしいお話なのですが。実は、私が担任をしておりますクラスの児童が ですね。6年生なんですけども」 そこから延々と説明し始めた。同じクラスの友達に説明するのだって長くて面倒な事 だったから、全然知らない高校の先生に説明するのも大変だなー。と思っていたけど、 先生は意外とすらすらと説明してしまった。 「はい。ありがとうございます。はい。はい」 あ、なんだか話がまとまったみたい。じゃあ大丈夫だって事かな? 「あ、ありがとうございます」 先生が受話器を顔から離した。 「あちらの先生が今日のうちに制服店に連絡をしておいてくださるそうだから、 サイズを教えてくれない?」 急に言われてびっくりした。 「服のサイズとかって、どこをどう測るのかさえ…」 「2学期はじめの身体測定の時の数字、覚えてる?身長体重胸囲」 そんなんでいいの? 「それなら覚えてます」 私の身長と体重と胸囲、それに名前を、倉敷先生からあちらの先生に伝えてもらう。 「ええ。そうなんですよ。そこまではいかないですけど。まあそのくらいで」 今は多分、身長を聞いて『小学生にしてはかなり大きいですね』とか話してるん だろうな、きっと。 「はい。ありがとうございます。はい、では失礼します」 先生は電話に向かって何度もお辞儀した後、受話器を置いた。 「うん、あちらの先生も許可してくださったわ。白石さんくらいの身長の人は それなりにいるし、今日のうちに制服店に連絡しておくから準備しておいてくれる だろうから、明日でも買えるって」 良かったー。 というわけで、森塚まで行って制服を買いに行きます。お母さんは、お隣さんの 火事の後片付けとか、町内会の話し合いとかあって、一緒に行けないんだって。 私も、昨日の夕方いきなり駅に行って、たまたま似た制服を見かけて、すぐに 先生の所にいって全部決めてきちゃって、そんな急な話だから、お母さんが 行けなくても仕方ないかな、とは思うけど。一人で行くのはちょっと不安だけど、 でも昨日は30分歩いて隣町の商店街の制服店までまで行ったし。今日は電車に 乗っていくんだから、楽ちんだよ! で、駅の自動券売機の前に立ったんだけど。実は一人で電車に乗るのは初めて。 もちろん切符くらい自分で買った事はあるよ。いつも誰かと一緒に乗っていた、 というだけ。うん。切符を買って、改札口を通って、電車に乗ればいいんだ。 でもなんだかドキドキしちゃう。森塚駅から1回乗り換えるんだったっけ。 それは森塚東高校の事か。制服店があるのは森塚駅のすぐ前の商店街。森塚駅までの 料金を確認して、その切符を買って。間違ってないよね。うん。 それで改札を通って、階段を登ってホームに行って。こっちのホームだよね。 森塚方面行。うん。あ、すぐに電車がやってきた。森塚行、これに乗ればいいんだ。 これでいいはず。これで。 「間もなく発車します」 ああ、すぐに乗らなきゃ。間違ってないよね? 「この電車は、森塚行、各駅に停まりますー」 これに最後まで乗っていればいいんだ。でも一人だから、間違ったらどうしようって 不安になってしまう。間違った駅で降りたら、また切符を買って乗らなきゃいけない のかな。お金は制服を買うためにたくさん持ってるんだけど、制服を買うための お金だし。というか、こんなたくさんのお金を持っている事の方が、むしろ不安に なっちゃう。制服ってこんなに高いのかな?6年生になる直前に小学校の制服を 買った時って、こんなに高かったかな?よく覚えてないけど。高校の制服だから 高いのかな。 電車に揺られているうちにちょっと眠くなってきた時に 「終点の森塚ですー」 と聞こえてあわてる。通り過ぎちゃう!……わけないか。終点だから。 森塚駅に着いて、電車を降りて。ホームから階段を上ったら、改札があった。 改札を出ると、右と左に出口があったので、どっちだろうって迷った。 恐る恐る右の方に進んで、階段を降りたら……広い駐車場だった。あわてて 階段を上って、反対方向の階段を降りたら、商店街っぽい雰囲気だ。こっちだ。 間違うところだった。大した距離じゃないけど。 横断歩道を渡り商店街に入り、右と左を交互に見ながら進んだら、『制服のタナタ』 と書かれた大きな看板があった。ここだ。 隣町の制服店よりもずっと大きくて、店頭にはいろんな制服が飾ってある。 かわいい制服や大人っぽい制服がたくさん並んでいる。貝松中学校の制服がかわいい と友達と何度も話したけど、それよりもずっと着てみたい制服がいくつもある。 これなんてすごくいい。久積高校?久積ってかなり遠いところだったような。 村西中学校?中学校でこの制服?いいなー。あ、森塚東高校の制服もあった。 あれ?リボンをついている。昨日見かけた人はリボンをつけてなかったけど。 リボンがついているとちょっと印象が違う気がする。私が小学校に着ていく時には リボンをつけないのだから、関係ないか。 でもこうして他の制服と並んでいる中で見ると、森塚東高校の制服って地味かも。 ちょっと残念。もっとも私は、小学校に着ていくために、小学校の制服に似ている 制服だから、森塚東高校の制服を買いにきたのであって、だからかわいくなくても 仕方ないのかな。こっちのかわいい制服を着たいとは思うけど、また川森さんに 何か言われそうだし。そうならないようにわざわざ買いに来たんだから。 とにかく、早く制服を買っちゃおう。お店の中に入る。 「いらっしゃいませ」 店の奥に座っていた店員さんが立ち上がった。 「あの、森塚東高校の制服が欲しいんですけど」 「はい」 「多分、昨日先生が電話で…」 「ああ、はい。聞いてます。お隣の火事で制服が焼けてしまって、急いで必要との お話でしたよね」 「はい」 そんな事もお店に連絡してたんだ。 「白石さん?」 「はい、白石、清美です」 「火事で焼けてしまうなんて大変でしたねー」 「あ、はい。すぐ隣だったからびっくりして。あ、でも、外に干していた服以外は 何もなかったんですけど」 「そうですか。でも制服って高いでしょ?」 「え、ええ」 「でも高校に通うには必要ですからね。自分だけ私服とか体操服とか、目立っちゃ いますし。春に買ったばかりでもう買わなきゃいけないなんて、ちょっと大変です けど、高校3年の秋とかだったら余計に嫌になっちゃうますよね」 あれ?私の事を高校生と思ってるのかな?森塚東高校の生徒だと思ってるのかな? 私が小学生だって事は話してないのかな? 「身長と体重と胸囲はお伺いしているので、多分大丈夫だと思いますが、念のため サイズを確認しますね」 「あ、はい」 いまさら話すのも面倒になってきたから、いいか。試着用のスカートを受け取り、 はいてみる。 「大丈夫ですね。ぴったりです。上着は……他の高校の制服ですけど、これを 着てみてください」 どこの高校の制服なのか分からないけど、試着してみた。 「ちょうどいいです。少し大きいくらい、かも」 「下から何かを重ねて着る事もあるでしょうから、これくらいがいいですよ」 高校の制服なら、私にも大きいくらいのサイズがあるんだ。意外っていうか、 ちょっと嬉しいかも。 「では用意していたサイズで問題ありません。すぐにお持ちします」 店員さんは店の奥に入り、しばらくしてから大きな箱を持って出てきた。 「こちらになります」 結構重たい箱を手渡された。お金を払って。 「ありがとうございました」 森塚東高校の制服が入った箱を持ってお店を出た。 大きな箱を持って駅まで歩く。小学生の私が高校の制服を買って、それを手に持って 歩いてるなんて、なんだか変な感じ。私の背が高すぎて、他にちょうどいいのが なくて仕方なく買ったんだけど、先生にも相談して森塚東高校の先生にも連絡した上で 買ったんだけど、それでも小学生の自分が高校生の制服を買って、それを着て高校生に なっちゃうような気持ちも、ちょっぴりあったり。小学生の私が高校の制服を着て 小学校に登校するって、私は小学生なのか高校生なのか、よく分からなくなる。 そんな気持ちにもなったり。なんだかドキドキしてきた。 そんな事を思いながら切符を買おうと券売機の上の料金表を見たら、森塚寺町駅という 文字が目に入った。森塚東高校のある場所だったはず。ここからたった2駅なのか。 たった百五十円だし、行ってみようかな。そんな気持ちになってきた。 百五十円の切符を買って、久積方面行のホームへ。この電車で乗り過ごしたら、 とんでもない所に連れて行かれるんだ。2駅だから眠っちゃう事はないと思うけど。 少し待ったら電車が来た。座ると眠ってしまいそうだし、座らずにドアの近くに 立つ。発車して、スピードを上げたかと思ったらすぐに停まり、すぐに発車して、 スピードを上げて、すぐに森塚寺町駅に停まった。 改札から出ると、すぐに大きな門があった。『森塚東高校』と大きく書いてある。 本当に駅のすぐ近くでびっくり。倉敷先生が昨日電話していた先がここなんだ。 そう思うと変な感じ。今日は祝日だから人がいなくて、運動場の方で何かスポーツを やってるような音がするけど、すごく静かだ。私はこの高校の制服を買ったんだ。 今手に持っている制服を着て、明日からこの高校に通うような気がしてきちゃう。 今は制服を着ている本物の高校生が見当たらないから、どんな感じなのかよく 分からないけど。そうだ。今すぐどこかで制服に着替えて、この高校の中に 入っちゃえば。いや、それはいくらなんでもダメだよ、私は本当は小学生なんだから。 でも今日は祝日で誰もいないから、こっそり入れば。 そんな事を考えていたら、森塚東高校の制服を着て、テニスのラケットを持った 高校生が私の横を通り過ぎた。ちらっと私の方を見て、車が全然通らない道路を まっすぐ渡って、高校の中に入っていった。あー、びっくりした。本物の森塚東高校の 生徒だった。森塚東高校の制服を手に持って、校門の前に立っている小学生を見て、 どう思っただろう?あ、この箱の中にここの制服が入ってるなんて分からないか。 でも変な子に思われたような気がして、ちょっとドキドキ。あ、またテニスラケット を持った制服姿のここの生徒が、別の方向からやってきた。私の方を見ている。 ちょっと恥ずかしくて下を向いてしまったけど、私は今、あの人が着ているのと 同じ制服を手に持っていて、明日から小学校に着ていくんだ。あの人と同じ制服を。 あの人はかなり大人っぽいし、リボンをちゃんとつけているから、小学校の制服と 似ているような感じはしないけれど、私が着れば小学生に見えちゃうんだろうけど、 でもあの人と同じ制服を着るんだ。ちょっとドキドキ、でもワクワクしてきた。 小学校じゃなくてこっちに来ちゃおうかなー。なんて思ったり。もちろんムリだけど。 でもちょっと想像しちゃう。 あ、次々とこの高校の生徒がやってくる。制服の入った箱を持ってここに立っている と恥ずかしくなるから、もう帰っちゃおう。 帰りは森塚寺町駅からうちの最寄り駅まで、1回乗り換え。隣町の駅で昨日見かけた 人は、こういう具合に電車を乗り継いで通ってるんだろうな。もし私が、明日から 森塚東高校に通うとすれば、この乗り継ぎなんだね。とか考えてみたりして。 うちの最寄り駅に到着して、改札を出て、ほっとする。これで明日から制服を着て 登校できる。一安心。後は家まで歩くだけ。 家の方向に歩いたら、券売機の上の運賃表が目に入った。あそこから、こう乗って、 ここまで乗って。結構乗ったんだ。ん?小児運賃?小学生以下半額?端数の5円は 切り上げ?券売機に近づくと、『小児』と書かれたボタンがあった。試しに押して みると、画面に表示されていた運賃が全部半額になった。もしかして私、小学生だから 小児運賃で良かったの?もしかして私、大人の料金で乗ってたの?