今日はひいおばあちゃんの実家からじゃなくて、自分ちから出かける。 まずは自分の部屋で制服に着替える事から。ついこないだまで男子の高校制服に 着替えていた部屋に女子中学の制服がかけられていて、それに着替えるなんて、 女子として中学1年からやり直しているんだという気分が十倍増しになる。 舞の制服を間違って僕の部屋に持ってきたように見えるけど、これを僕が着て 行くんだ。もう何度も着て行ってるんだから今更な感じはするけど、自分が高校を 卒業している事を今更思い出して恥ずかしくなりながら、今日も九輪に登校するから 制服を着てしまって、また恥ずかしくなる。 そしてお母さんにも制服姿を見られてしまう。ひいおばあちゃんやそのお友達、 ご近所のおばあちゃん達は、懐かしい制服を着た僕を見て喜んでくれているけど、 全然別の県出身のお母さんは九輪女子の80年前の事なんて分からないだろうから、 僕が近所の女子中の制服を着ているとしか思わないだろう。いや、喜ぶ喜ばない 以前に、ついこないだまで男子の制服を着て高校に行く僕を毎朝見ていたお母さんに、 女子中の制服を着ているところを見られてしまう。セーラー服にスカートという姿を 見られてしまう。恥ずかしい。どうしよう。 恥ずかしくて食卓のある部屋に入るのを躊躇していたら。 「そんなところで立ってたら、遅刻しちゃうよ。マサちゃん」 後から来た舞にそんな事を言われてしまった。家の中で舞に『マサちゃん』と呼ばれる なんて、余計に恥ずかしい。 「で、でも、ほら、あの」 振り返って舞の制服姿を見たら、同じ九輪の制服を着ている1年1組のみんなや次期 生徒会長や、今までに知り合った九輪女子のみんなを頭に浮かんで、今日もみんなと 会いたいと思うんだけど、自分は舞よりも年上で、高校も卒業している、そういう 気持ちと混じって、訳が分からなくなる。どうしたらいんだろう。 「ほら、一緒に朝ごはん食べて学校に行こう」 舞に背中を押されて、部屋に押し込まれた。お母さんに気付かれないように静かに 椅子に座る。気付かれないように静かに朝ごはんを食べて。 「おかあさーん、お味噌汁まだ?」 舞が大声を上げた。どうしてこんな時に大声を上げたんだろう。むっとしたけど、 確かに味噌汁がない。という事は。 「はいはい。温め直してたの。ほら」 お母さんがこちらを向いた、というのは分かるけど、恐くて顔を上げられないから、 どこを見ているのかまでは分からない。テーブルに味噌汁の入った鍋が置かれた。 「あら、やっぱりその制服を着ていくの?本当にマサが落第して九輪女子の中学校に 入り直して、舞よりも妹になっちゃったみたいに見えるわね」 きっと僕の事をジロジロ見ながらそう言ってるんだろうな。自分でも思っている事を お母さんにも言われて、みじめな気分になる。 「でも、いくら舞の背が高いと言っても、マサの方が幼く見える理由にはならないわ よね。舞の同級生にはマサよりも小さい子がいくらでもいるのに」 自分が思っている以上の事を言われてしまった。次に何を言われるのか、ちょっと ビクビクする。 「はーい、マサちゃん、お味噌汁ね」 舞が注いでくれた味噌汁が僕の前に置かれた。 「あ、ありがとう…」 お母さんの目の前で、舞からマサちゃんと呼ばれた。ひいおばあちゃんからいつも マサちゃんと呼ばれているから、女子の制服ほど恥ずかしい事じゃないけど、 舞から年下みたいな呼び方をされているのを見て、お母さんはどう思ってるんだろう。 下を向いたまま味噌汁を一口すすってワカメをかむ。 「そんな風に、何も言わずに食べてるだけだから、人見知りするちっちゃい子みたい に見えるのかしら」 僕がちっちゃい子みたいな行動をするからちっちゃい子みたいに見える、と言いたい んだろうか。 「でもマサちゃんには、もうお友達が何人も出来てるんだよ。これでも」 舞に助け舟を出してもらったような気もするけど、『これでも』ってなんだ。 「そうなの?」 「それに、ご近所のおばあちゃん達には、もう大人気で」 「それは分かる。ご近所のおばあちゃん達に若い頃の写真を見せてもらったけど、 確かにマサがこの制服を着ていると、その当時の女学校の生徒に見えるわよね。 今の女子高校生って発育がいいから、昔の生徒と比べてると大人っぽくて、その分 だけマサが幼く見えるのかしら」 それって結局、今の女子高生と比べると僕の発育が遅れていて、昔の人と同じ程度、 と聞こえるんだけど。 「それに、マサが写真の中の女学校生になって写真から飛び出したような。いや、 マンガの中の女学校から来た生徒のように思えるのよ。今の制服とほとんど同じ だけど違う色合いで、マンガの中の女学校の生徒のように思えて」 なんだか似たような事を昨日言われたような記憶が。『テレビドラマの中の人みたい』 って野洲さんに。割烹着だったけど。 「だから発育のいい本物の女子高生と並べると、ちょっと子供っぽい感じがするって 言うか、年齢が良く分からないっていうか。ま、そもそも男子だけどね」 何を言われているのか良く分からなくなった。 「とにかく、九輪女子の先生達に特別に勉強を教えてもらえるんだから、先生の言う 事を聞いて、みんなと元気に仲良く一日を過ごして、ご近所のおばあちゃん達も 喜ばせないとね」 「う、うん……そうしようと思ってる…」 その後は特に何も言われず、舞と一緒に玄関を出る時に『いってらっしゃい』と 言われたくらいだけど、お母さんに見られているのはやっぱり恥ずかしい。 外に出てほっとするけど、駅前には小中学校の時の同級生がいるかもしれないから、 見つかったらどうしようとドキドキする。でも新聞に載ってるのを見たんだろうな。 高校の時の同級生も。考えただけで恥ずかしい。 駅前まで来ると、学校に向かう九輪女子の生徒がぞろぞろ歩いている。この中に 混じってしまえば目立たなくなるから、もう恥ずかしくない。いや、九輪女子の生徒 の中に溶け込んでいるのが恥ずかしいのか。でも学校に着いてしまえば、九輪女子の 生徒しかいないんだから安心。教室の中には同級生しかいないし。 あれ?入学式の時はあんなに緊張してたのに、1年1組の教室に入る時にあんなに ドキドキしてたのに、九輪女子にいる事にもう慣れちゃったんだろうか。 「ねえ、どっちを通って行く?」 舞が、ひいおばあちゃんの実家のある方向と、階段とを交互に指さした。 「ご近所のみなさんに朝のご挨拶をしていく?」 「う、うん。その方がいいかな…」 学校に向かう生徒の列を離れようとした時。 「あれ?マサちゃん、どこにいくの?」 後ろから桜子ちゃんの声が聞こえた。 「あ、桜子ちゃん、おはよう」 桜子ちゃんに会ったら、お母さんに見られた時のドキドキが吹き飛んでしまった。 「えと、こっちによく知っているご近所さんが多いから、挨拶していこうかな、と」 「あ、それなら私も一緒していい?」 「うん、もちろん」 桜子ちゃんも横の道に入った。 「お姉ちゃんと一緒なんだ。おはようございます」 「おはよう。桜子ちゃんね。マサちゃんと仲良くしてくれて、ありがとう」 「いえ、マサちゃんこそ私と仲良くしてくれて、すごく嬉しいです」 中学1年の同級生と一緒に歩くのを舞に見られるのは少し恥ずかしい。中学1年生が 仲良しだなんて、自分が舞よりもずっと幼いように感じてしまう。でも80年前に ひいおばあちゃんとマサちゃんとタケさんが一緒に歩いているのと同じ事をしている と思うと、やっぱり嬉しい。恥ずかしくても、舞と一緒なのが嬉しい。 「あら、マサちゃん、今日はお友達と一緒?」 羽栗さんの声がした。 「おはようございます。同じクラスのお友達です」 「仲良しと一緒に登校っていいわね。じゃあいってらっしゃい」 少し歩いたら、徳田さんの顔が見えた。 「マイちゃん、マサちゃん、おはよう」 「おはようございます」 この調子で、和菓子屋さんまで5人とあいさつをした。 「こないだ一緒に来てくれたお友達ね。おはよう」 「おはようございます」 ようやく神社まできた。 「ここのご近所さんって、みんな和服なの?」 「うーん。お年寄りが多いから、そうかも」 「なんだか本当に80年前の九輪女子に通ってるみたい。風景はカラーなのに、 白黒写真の中にいるみたいな気分。マサちゃんやマサちゃんのお姉ちゃんも一緒だし」 「桜子ちゃん、面白い事を言うわね。でも確かにそうかも」 舞が感心したように言った。僕もそう思ってはいたけど、桜子ちゃんが言うと なおさら80年前の町を歩いているような気持ちになる。ちょうど神社の前だし。 そして3人で登校の列の中に入る。 「マサちゃんって、いつもお姉ちゃんと一緒に登校してるの?」 「そうじゃないけど…」 そういえば昨日、舞は何の用事で早く出かけたんだろう。同じような用事がこれから 続いたら、舞と一緒に登校できない。すごく気になる。舞に聞きたい。すぐそばに いるのだから聞けばいいんだけど、でも隣に桜子ちゃんがいるから、舞を呼び捨てに 出来ない。なんと言って聞こうか。やっぱりここは… 「あ、あの、姉さま…」 言ってしまってから恥ずかしくなる。 「なに?マサちゃん」 舞がすぐに返事をして、さらに恥ずかしくなる。恥ずかしくて続きを言いづらくなる けど、でもここで話すのをやめたら、『姉さま』と言うためだけに話しかけたみたいで 余計に変に思われる。 「あの、姉さまは…昨日…どうしてあんな朝早くから出かけた……んです…か?」 『姉さま』という言葉に合うように、と思って話していたら、変に丁寧な言葉づかいに なってしまった。舞にこんな言葉づかいをするなんて、本当に自分が妹になった みたいに思えてくる。でもこれは、マサちゃんがひいおばあちゃんに話しかける時の 真似をしているだけであって。若い時のひいおばあちゃんに話しかけていると思えば、 そんなに恥ずかしくない。うん。 「深田さんに呼ばれて生徒会室に朝早くから行ってたの」 次期生徒会長に呼ばれたんだ。 「あ、あの、姉さまは、生徒会の役員とかになったりするんですか?」 そうなると、舞も忙しくなって、一緒に登校できなくなるのかな。こうして舞と一緒に 登校するのが楽しいのに。なんだか不安になって聞いてしまう。 「そうつもりはないんだけど。ほら、マサちゃんが入学したでしょ?」 入学というかなんというか。 「80年前の制服を着たマサちゃんがいるんだから、体育祭や文化祭で何かできる事は ないかって、話してるの」 「あ、だから、姉さまが…」 「マサちゃん本人が話に加わっても、いいんだよ?」 舞にそんな事を言われてびっくりした。 「あの、ぼ、私は、その、生徒会室なんて、だって、高校生ばっかりの、部屋なんて」 あれ、僕は何をあわててるんだろう。だって、僕よりもずっと年上の高校生だけの 部屋なんて。いや、僕よりも年下の高校生だけの部屋だから。あれ? 「じゃあ桜子ちゃんも一緒に来る?」 「え、私もですか?私も高校生ばかりの部屋は緊張しちゃうかな。でもマサちゃんと、 マサちゃんの姉さまが一緒にいるのなら、それほどでもないかも」 意外と楽しそうに桜子ちゃんが答えた。 「うん、そのうち、生徒会室でお話しましょ」 「はい」 舞と桜子ちゃんが一緒にいるのなら、いいかな。……あれ、そういえば、知らない 間に何度も『姉さま』って言ってしまってたような。後で気づいて恥ずかしくなる。 でも聞いていたのは舞と桜子ちゃんだけだし。桜子ちゃんはなんだか嬉しそうだし。 僕が舞を『姉さま』と呼んでいるのを聞いて楽しんでたみたいだった。ちらっと 桜子ちゃんの顔を見たら、嬉しそうな顔をしてる。桜子ちゃんが喜んでくれている のなら、いいかな。恥ずかしいけど。 舞が高校の方の建物に向かうのを見送ってから、桜子ちゃんと一緒に中学校の下駄箱 に向かう。 「岸部さん、おはよう」 浅賀さんが先に下駄箱にいた。 「おはよう、浅賀さん」 なんとなく3人で並んで教室まで歩く。そして、昨日と同じ教室に教室に入って、 同級生の顔を見て、ちょっと安心する。千和ちゃんは既に席に座っていた。 「今日は桜子ちゃんと一緒だったの?」 「うん」 「マサちゃんの姉さまも一緒だったよ」 楽しそうに桜子ちゃんが話す。 「えー、いいなー」 千和ちゃんがまたすねてる。 「同じ学校にいるから、すぐ会えるよ」 「うん。そういえば、マサちゃんって、他のクラスの授業を受けるんでしょ? 昨日のお昼に先生がそんな事を言ってたよね」 「うん」 「その時間はこの教室にいないんだ」 ちょっと寂しそうな千和ちゃんを見ると、ちょっと申し訳ない気分になる。 「なんの授業を受けるの?」 「今日は、2時間目に……体育。1年2組で」 「え?体育の授業を余分に受けるの?」 「うん……多分、体操服があるから、じゃないかな…」 「ああ、あのカボチャパンツをみんなに見てもらうんだ。それなら分かる」 あの体操服を思い出したのか、千和ちゃんが喜んでいる。 「でも体育ばかりたくさん受けるなんて大変そう」 「だよねー。疲れちゃうし、日焼けもしちゃうんじゃないの?」 「そうかも」 他のクラスの授業に出席するのはいいけど、体育が多かったら確かにきついかも。 「そうだ」 桜子ちゃんがカバンを開いて、中から何かを取り出した。 「私の日焼け止め、あげる」 桜子ちゃんが化粧品っぽいチューブを僕に差し出した。 「桜子ちゃん、日焼け止めを使ってるの?4月から?」 千和ちゃんが不思議そうに見ている。僕もちょっとびっくりした。こないだの 体育の時間にそういう話があったけど、桜子ちゃんも使ってたんだ。 「私、肌が弱いから。今の時期でも日差しが強いと、ちょっと赤くなっちゃう」 「それは大変」 「小学生の時から使ってるんだけど、小学校の時は、ほら、男子がいるでしょ? こんなのを使ってると男子から変な事を言われたりしたけど、女子中に入って、 ちょっと安心かな。体育の先生も最初の授業でそういう話をしてくれたし。 マサちゃんもこれを使うといいよ。あげるから」 桜子ちゃんが僕に渡そうとする。 「え、あの、ぼ、私、そういうの使った事ないから、良く分からない…肌はそんなに 弱くないし、少しくらいの日焼けなら…」 「でも私たちよりたくさん体育を受けるんでしょ?今から用心してた方がいいよ」 「う、うん。でも高いんでしょ?」 「高くない。一番安いのだから。数百円の」 なんだか押し切られて、受け取ってしまった。 「でも使い方、よく分からないし…」 「えーと、一緒に着替えるのなら、私が塗ってあげるんだけど…」 桜子ちゃんが困っていると、千和ちゃんが何か思いついたようだ。 「1年2組なんだよね?」 「そうだけど」 「じゃあ尾井川さんがいる。尾井川さん、そういうの詳しそうだから、ちょっと 頼んでくる」 千和ちゃんはそう言って教室から飛び出して、3分で帰って来た。 「尾井川さんが教えてくれるって。尾井川さんは『ただ塗るだけなのに』と言ってた けど。うん、大丈夫」 なんだか良く分からない。大丈夫なんだろうか。 普通に中学1年の英語の授業を受けた後。 「じゃあ体育、頑張ってきてね」 「ちゃんと日焼け止め、塗ってね」 二人に見送られながら教室を出る。すぐ隣の教室に行くんだけど。それでも、今まで 1年1組のみんなと一緒に授業を受けてきたのに、僕一人だけ違うクラスに授業を 受けに行くのが、寂しいというか心細いというか。中学1年の他のクラスに知ってる 人なんて全然いないから。今まで中学1年生と一緒の事をやってるのが恥ずかしいと 思ってたけど、いざみんなと違う事をやらされるとなると、なんだか寂しい。 一人だけ別扱いって悲しい。やっぱりみんなと一緒がいいな。でも1年1組のみんな と一緒というのは、6年間ずっと一緒、中学と高校を丸々やり直すって事で。 それはさすがにみじめに思えるけど、それでも僕一人だけが途中でいなくなるのも 寂しい。 そんな心細い気持ちになりながら、隣の教室のドアから中をのぞきこむ。 次は体育なんだから、もう着替えている人がいるかもしれない。そこに入るのは やっぱりいけない事なんじゃないか、とビクビクしながら、開けっ放しのドアの 中を見ると。 「あ、来た来た」 「早く入って」 そんな声を聞いて、教室の中に入ってしまう。既に着替えてしまっている子もいた。 着替えている途中の子が手を止めて、そのままこちらに駆け寄る子もいた。 すぐに周りを取り囲まれた。幼い中学1年生の顔に囲まれた。1年1組のみんなは 顔を覚えてしまったので、あまりそういう事を思わなくなったけど、知らない顔だと 幼い顔が目立ってしまう。僕はこの子達と同じ学年なんだ、しかも別のクラス。 「あ、あの、今日は、よろしくお願いします」 中学1年生相手にこんな言葉づかいは変だろうか、と思いながらも、他にどう言ったら いいのか思いつかない。 「よろしくー」 「あまり時間がないから、早く着替えちゃおう」 中学1年生の子にこんな口調で話しかけられるなんて、僕ってやっぱり中学1年生 なのかな。そういう事になってるから当たり前か。ちょっとみじめな気持だけど、 でも千和ちゃんや桜子ちゃんと同じ学年だと思われてるって事だから、もっと 喜ばないといけないんだ。うん。 「それじゃ、あの、失礼します」 制服の脇を開けて、裾に手をかけた。教室の前の方、黒板がすぐ近くにある場所で、 みんなに見られながら脱ぐなんて、こないだの家庭科の授業みたい。ここは普通の 教室だから余計に変に思える。でも着替え途中の子が他にもいるから、そこまで 変じゃないか。ドアは開けっ放しだけど。 セーラー服を脱いで、近くにある教卓にとりあえず置いた。僕の方を見ている子と、 僕が脱いだセーラー服を見ている子と。 「ねえねえ、触っていい?」 教卓の近くにいる子が、セーラー服を指さして言った。 「はい」 既に着替え終わっているその子は、僕の制服と他の子の制服と触り比べた。 僕はスカートを脱いで、それもとりあえず教卓に置いた。その下に着ているスカート みたいな下着も脱ぐ。これで僕は下着だけの姿になった。多分。みんなが顔を近づけて 見ている。 「これが、後ろに開くパンツ、なの?」 「はい…」 「開けていい?」 そんな事を言われて驚く。 「あの、お尻が見えちゃうから、あまり…」 「そうだった。ごめんね、無理を言って」 知らないうちに開けられたりせずに良かった。でも、1年1組で体育の授業を受けた 時に着替えた時の事を、2組のみんなも知ってるようだ。みんな知ってると分かって いると、少しはドキドキが少なくなるかも。でも下着姿を見られているというのは 変わらないか。 「あ、あの、体操服を着てしまっていいですか?」 「ちょっと待って!」 少し後ろの方から大きな声がした。 「日焼け止め塗るんでしょ?」 「あ、はい、そのつもりで」 桜子ちゃんにもらった日焼け止めを手に持った。 「体操服を着る前に塗れば?」 「そ、そうですね。でも良く分からなくて…」 「塗るだけだから。べたべたしないくらいにうすーく。でも日に当たりそうなところは 隙間なく」 この人が、千和ちゃんの言っていた尾井川さんなんだろう。 「こんな具合に」 僕の隣に来て、教壇の角に座って足を伸ばして、その足に日焼け止めを塗り始めた。 ほんの少しだけ手に取って、それを足全体にすり込んでいる。ショートパンツの ふとももの部分をめくってその下にも塗った。 「ほら、あなたも早く」 僕は下着のままで教壇の角に座り、尾井川さんの真似をして足に塗った。僕の場合は 後からブルマーをはくから、服をめくって塗る必要はない。その後、尾井川さんの 真似をして腕にも塗って。僕が腕に塗っている途中、尾井川さんは顔に塗り始めた。 「顔にも塗るんですか?」 「もちろん。顔の肌が一番弱いんだから。首も、あごの下も、日に当たりそうな所は 全部」 言われるままに、顔にも首にも、耳の裏まで塗ってしまった。 塗り終わってしまえば、後は体操服を着るだけ。これは割と簡単。 「わー、ほんと、映画の中の女学校みたい」 「私も着てみたいかな」 「えー、なんだか古臭くて恥ずかしいよー」 「でも体育の時だけだし」 「運動会の時にみんなに見られるんじゃない?」 「えー」 1年1組の時に比べたら、みんな楽しそうに見ててくれた。今も楽しそうに話して いる。1組の時は、やっぱり僕が18歳の男子だから、ちょっと警戒してたのか、 遠慮していたのか。矢谷さん、後で謝ってたし。今は警戒も遠慮もされてないって 事で、いい事なのかな?よく分からないけど、みんな楽しそうだし。 また少し遅くなりそうになって、みんなであわてて運動場に向かう。やっぱり先生が 先に来ていた。 「急ぎなさーい。はい、並んで」 きれいな列ではないけど、なんとなく背の高い子が後ろにいるような気がして、 僕も後ろの方に向かっていたら。 「岸部さんは一番前に来なさい」 怒られたり、何かさせられたりするために呼ばれてるんじゃないんだ。多分。 それでも先生に呼ばれて前に行くのは、やっぱり慣れない。みんなの視線も集まるし。 「そこに座って」 先生のすぐ前に座らされる。先生のすぐ後ろには、高校生が二人立っていた。なんで こんな所に高校生がいるんだろう? 「早く来なさーい」 先生は生徒をぐるっと見回した後、僕の隣にいる一番小さな子に話しかけた。 「岸部さんの体操服、ちゃんと見た?」 「はい。着替えるところからしっかり見ました」 先生にそんな事を話されるのも、なんだか恥ずかしい。みんなに囲まれて見られながら 着替えた。しかも先生がいない教室で。それを先生に報告されるなんて、悪い事を 先生に報告されたような気分になる。 「私が中学生だった時はねー。……これじゃないわよ」 「これじゃないんですか?」 「私が中学生だったのはまだ30年くらい前よ。80年前は生まれてないから。白黒の 映画で見たとか、そのくらい」 「え、先生もなんですか?」 「私のおばあちゃんが着てたような体操服を着ている生徒に教えるなんて、なんか 変な感じ」 そう言われると、僕も変な感じがする。 「じゃあ先生はどんな体操服だったんですか?」 「んー、なんて言ったらいいんだろう。私の頃の卒業アルバムなら、もうカラー写真 なんだけど。誰かのタンスの奥にあったら、岸部さんに着てもらうのに」 30年前のも僕が着るのか。 「それでは授業を始めます。これからしばらくの間は、5月の運動会に向けて、 約一か月半の間、いくつかのプログラムのための練習を行います。1年生が参加する ものはいくつかありますが、全員が参加するものとして『九輪踊り』があります。 昨年の運動会で九輪踊りを見た人もいるかもしれませんが、日本舞踊を少し体操風に アレンジしたものです。……ものでした」 先生はなぜか言い直した。 「元々はちょっとだけ体操風にしたものだったんですが、段々と体操みたいな感じが 強くなっていったそうです。最近は日本舞踊風の体操みたいな感じになっていたの ですが、岸部さんのひいおばあさんの蔵から出てきたノートの中から、当時の振付を 詳しく説明した冊子が出てきました。そこでみなさんには、80年前の九輪踊りを やってもらいます」 周りから一斉に『えー』という声が上がった。 「日本舞踊をやるの?難しくない?」 「踊りなんでしょ?体操より良さそうに思うけど」 周りの女子が小さな声で話している。 「ですから、去年までのものとはちょっと違います。そこで舞踊部部員の3年生に、 お手本として踊ってもらいます」 高校生2人が扇子を持ち、少し前に進んで、姿勢を正した。先生は近くに置いてある スピーカーを触り始めた。すぐにの三味線の音が聞こえてきた。 『よーっおー』 高校生二人が扇子を開いて、踊り始めた。九輪女子の運動会は、舞が中学校に入学 してから見た事はあるけど、九輪舞はよく覚えてない。でも舞が扇子を持って練習 しているのは見た事がある。確かにこれよりも体操っぽかったかも。というか、 目の前でやっているのが、どう見ても日本舞踊にしか見えない。どこの辺りが 『少し体操風』なのか分からない。周りから小さな話し声がまた聞こえた。 「えー、あれやるの?」 「あれはなんか、難しいっていうか…」 「ちょっと恥ずかしいかな…」 僕のせいでとんでもない事になってるようで、中学1年のみんなに申し訳ないような 気持ちになってくる。僕のせいじゃないかもしれないけど、80年前のマサちゃんが 持っていた冊子のせいだから、やっぱり僕のせいのように感じてしまう。 2分ほどで音楽が終わって、踊りも終わった。 「えー、ちょっと難しそうに見えますが、80年前でも小学校を卒業してすぐの生徒 が踊ったもので、見た目ほど難しくありません。これから1か月半、しっかりと 練習すれば今のように踊れます。がんばりましょう」 また周りから『えー』という小さな声が聞こえた。それを聞いて、また申し訳ない 気持ちになる。でも僕もみんなと一緒に踊るんだ。本当にとんでもない事になった。 「本番では制服、夏服を着て踊ってもらいますが、練習はしばらくの間、体操服で 行います。そして、最初に練習するのは」 後ろにいた高校生が、大きな箱を運んできた。 「扇子の扱い方です。一人ひとつづつ受け取ってください」 高校生二人が箱を持って、みんなに扇子を配り始めた。僕も一つ受け取った。 そういえば、舞も中学校に入学してすぐの頃に、こういう扇子を持って、開いたり 閉じたりの練習をしてたっけ。僕もそれをこれからやるんだ。こんな扇子、初めて 持ったから、使い方なんて全然知らない。だからこれから練習しなきゃいけない。 舞が3年前にやった事を、僕はこれから練習するんだ。自分が本当に舞よりも年下の ように思えてきた。 体育の授業が終わって、制服に着替えてから1年1組の教室に戻る。 「あ、扇子なんか持ってる!」 千和ちゃんに指さされてしまった。 「そうか、九輪踊りをやるんだ」 桜子ちゃんは九輪女子の運動会を見に来た事があるのか、知っているようだ。 「ということは、体育の授業は九輪踊りの練習?」 「そう。今日は扇子の扱い方だけだったけど」 さっき教えてもらった扇子の開き方をやってみようとしたけど、うまく出来ない。 3年前に舞がやってるのを見た時は、さっと開いているように思えたけど。 僕は全然出来ない。家で練習すると舞に見られて、笑われちゃうような気がした。 どうしよう。 「じゃあ体育の授業は、しばらくは九輪踊り?」 「そうみたい」 「へえ。じゃあマサちゃんは、体育の授業をたくさん受ける分、たくさん踊りの練習を するんだ」 「まあ、そういう事になるかな…」 「他の授業に出ないで踊りの練習だなんて、お嬢様みたい」 千和ちゃんがそう言って笑った。そう言われてみれば確かにそう思えなくもないけど、 僕がお嬢様って。僕って、踊りのお稽古を受けるお嬢様に見えるんだろうか? 4時間目は美術の時間。1年1組の教室を出て、美術室に向かう。家庭科室に向かう 時と違って、2年生3年生も多い廊下を歩くから、なんだかちょっと緊張する。 すれ違う他の学年の人達にちらちらと見られているような気もする。みんなの前で 紹介されたから、やっぱり顔を覚えられてるのかな。でも同じ制服を着た子が こんなにたくさんいるから、すぐに分かるはずはないと思うけど。やっぱり制服が ちょっと違うから目立っているのか、周りよりも背が高くて目立ってるのか、 やっぱり男だと分かるからなのか。制服が目立ってるだけならいいんだけど。 「美術って何やるんだろう?」 階段を昇りながら、千和ちゃんが尋ねてきた。 「図画工作と一緒じゃないの?絵の具とか買ったし。今日は使わないみたいだけど」 僕は高校を卒業したんだから、美術の授業なんてもう受けないと思っていたのに。 絵はうまくないし、それ以上に手間がかかるし、ちょっと憂鬱かも。 「ねえねえマサちゃんは、絵を描くは好き?」 「うーん、絵はあんまりうまくないから、好きじゃない…」 「え−、私もうまくないけどー、楽しいよ?お絵かき」 「お絵かきなんて、なんだか幼稚園児みたい」 桜子ちゃんが笑った。 「幼稚園児でも楽しいんだよー。だから幼稚園児みたいな絵でもいいんだよー。 ね、マサちゃん」 「う、うん…」 中学生になっても楽しそうにこんな事が言える千和ちゃんがちょっとうらやましく なった。でも千和ちゃんと一緒にいたら、僕も少しは千和ちゃんの真似できるかも。 これからずっと一緒にいたら。……あれ、これからずっと千和ちゃんと一緒にいる ようなつもりになっていた。 美術室は長く大きい机に3人座るようになっていた。僕が美術室に入った時には 後ろの机は既に埋まっていた。家庭科と違って、席は決まってないようだ。 前から2列目に桜子ちゃん千和ちゃんと一緒に座る。教室では一番後ろの隅っこの 席だから、こういう席は緊張する。教卓に近いというのもあるけど、それよりも、 前も後ろも周りをぐるっと女子に取り囲まれている事に違和感を感じる。もちろん 周りのみんな、もう知ってる顔だけど、それでも中学1年の女子の真ん中に、 一人だけ18歳の男子の僕がいていいのかな、という気分がまだ残っている。 隣に座った千和ちゃんは、美術室にある彫像や絵画をキョロキョロ見回している。 僕の前に座っている立科さんも同じように教室を見回しているけど、僕の方に顔を 向けたのでドキっとした。僕の後ろにある物を見ているだけなんだろうけど、 千和ちゃん桜子ちゃん以外の子に顔をまっすぐ向けられるのはまだ慣れない。 立科さんはクラスで一番大人びた顔をしているから、その顔をまっすぐ僕の方に 向けられるとドキドキする。舞に比べたらまだ子供だと思うけど、舞と違って 同じクラスの女子だから。同じ教室に立科さんみたいな人がいると、なんだか。 あれ、そういえば舞も僕よりも年下だったんだ。とにかく恥ずかしいから、 自分も教室を見回す振りをして後ろを見ようかと思ったけど、後ろにも女子が いるわけで。 そんな事をしていたら先生が美術室に入ってきた。 「それでは授業を始めます。えーと、最初は何の話をするんだったっけ。 美術に使う道具ですね。美術の授業では、教科書の他に絵の具などを使います。 絵の具は買いましたね?来週から使います。彫刻刀などは必要な時に用意するよう 指示します。小学校の時に使った物が使えるのならそれでかまいません。ポスター カラーなど使い切るものは、学校で用意します。画材の他に必要な物として、 スモックがあります。冬服は色が黒いので気付きにくいかも知れませんが、 鉛筆画でもかなり汚れます。スモックを着用してください」 そういえば小学校の時は、鉛筆画での汚れなんて気にした事がない。絵の具でも 気にしなかった。油性の落ちにくそうなペンキはさすがに気にしたけど。男子だった から、かも知れないけど。1回目の中学生の時もそうだったような気が。 ……1回目の中学生の時?別に今は2回目という訳じゃ。頭の中で思っただけの事 なのに、なぜか言い訳を考え始めてしまった。 「それでは、今日は最初の授業なので、お話でもしましょう」 先生がプリントを配り始めた。 「これは岸部さんのひいおばあさんの蔵にあった、昭和10年頃と昭和30年頃の 雑誌に載っていた広告です。カラーの物もありますし、白黒の物もありますが、 ほとんどが手書きの絵ですね。当時写真がなかったわけではありません。 雑誌の記事には写真がふんだんに使われていました。しかし今と比べると、やはり 画質が悪くて、広告として使うのは問題点もありました。さらに新聞雑誌は大量に 刷って安く売る必要があるので、特殊な印刷技術は使えません。安い印刷だけど、 きれいに見栄えがする。そういう限られた中で、手書きの絵が選ばれたのです」 また僕の名前が挙げられて、話に入った。何度経験してもやっぱり恥ずかしい。 今度のはマサちゃんとは関係ない物、ひいおばあちゃんのお兄さんの物もあるけど、 それでもこの制服と一緒にあの蔵にあった物だから、やっぱり自分の事のように 思ってしまう。もしかして、この美術の授業、あるいは地理の授業でやったような お話を、他のクラス、他の学年でもしてるんだろうか。そうならば、九輪女子の 全てのクラスで、何度も僕の名前が出てきている事になる。それなら確かに 注目されちゃうのも当然か。とんでもなく恥ずかしい事のように思えてしまう。 ちらっと横を見たら、昔の雑誌の広告を食い入るように見ている。マンガやお絵かき が好きな千和ちゃんなら、確かにこういう絵は好きかもしれない。千和ちゃんが興味 を持ってくれているのなら、良かった。どの学年の授業でも僕の名前が出ているのは やっぱり恥ずかしいけど、それでも千和ちゃんみたいに喜んでくれてる人がいる のなら、そのくらい我慢しよう。 美術の授業が終わって、千和ちゃん桜子ちゃんと一緒に美術室を出て教室に向かって いると、飯田さんが僕たちの横に来て、話しかけてきた。 「ねえねえ」 バレエを習っているという飯田さんは、すごく細くてスタイルが良くて、遠くから 見ているとあまり大きくないように思ってたけど、近くでじっくり見ると意外と 大きい。もしかして僕よりも背が高いかも。横幅は僕より細いのに、僕よりも背が 高いように見える。なんだか良く分からなくなってきた。でも僕より背が高い女子が いてくれると、僕が目立たない地味な普通の女子に。あれ?それっていいことなのか? 「あの雑誌って、マサちゃんの?」 千和ちゃんと桜子ちゃん以外にマサちゃんと呼ばれた。ひいおばあちゃんから マサちゃんと呼ばれるのは元々嬉しかったけど、舞にも呼ばれて、同級生にも 呼ばれて、ちょっと慣れてきた。女の子の名前に多かったと知って、それはちょっと 恥ずかしくもあるけど、ヤクザの下っ端よりはいい。80年前のマサちゃんと同じ 名前だし。それでいいかな、という気持ちになる。 「えっと、ひいおばあちゃんの、お兄さんの物、がほとんど」 「あ、ひいおばあちゃんやマサちゃんの物じゃないんだ」 同じ目線の高さで制服もほとんど同じ女子を目の前にすると、安心感と、みじめさと、 両方を感じる。同じくらいの背の子がいてくれて安心したけど、こんな子の隣に いたら、僕なんて全然大人っぽくない見えないだろうな。 「少しはひいおばあちゃんの物もあるかも知れないけど、ほとんどはひいおばあちゃん のお兄さんの物で。それで、ひいおばあちゃんが『いらないから捨てちゃって』と」 「えー?捨てちゃうの?」 飯田さんが顔を近づけてきたので、余計に大きく見える。自分がなんだか、飯田さん よりずっとおチビのように思えてくる。舞に見下ろされるのはもおう慣れたけど、 1年生のみんなが成長したら、いつもこんな気持ちになるのかな。 「他の人が『もったいない』って言って、それで九輪の歴史研究部と、文芸部だった かな?に引き取ってもらって」 「じゃあ歴史研究部か文芸部にいけば、見せてもらえるの?」 「うん。山積みにしてあったよ」 「じゃあ、歴史研究部がどこにあるのか調べて、行ってみる」 千和ちゃんと同じくらいに興味を持ってそう。そんな飯田さんの顔を見ると、やっぱり 嬉しくなる。 「旧校舎だよ。あっちの階段を上った所にある旧校舎」 「あそこなんだ。あそこで昔の雑誌を読むって楽しそう」 「私もそう思う」 今日の授業が全部終わって、終礼の時間。 「こないだ撮影した写真で生徒手帳が出来ましたので、これから配ります。これは 九輪女子中の生徒であるみなさんの身分証明書となるものです。制服の胸ポケットに 入れて、常に携帯してください。受け取った後、記載内容に誤りがないか確認して ください。一緒に入学式の際の記念写真も配ります。それでは出席番号順に取りに 来てきださい」 教室の反対側の席の浅賀さんから順に立ち上がって、内倉先生の所に生徒手帳を 受け取りに向かう。先生は特に何も言わなかったし、写真も撮ったし、やっぱり僕 にも生徒手帳があるんだろうな。いまさら中学1年の生徒手帳なんて変な気分だけど、 桜子ちゃんも千和ちゃんも持ってるのに僕だけ生徒手帳がないというのもイヤな 感じだし。やっぱりあった方がいい、のかな。 受け取るだけだから、あっという間に僕の順番が来てしまう。桜子ちゃんはすでに 先生の所に行って、今受け取っている。そして千和ちゃんが立ち上がった。 「そろそろ行こう」 「うん」 僕も立ち上がり、千和ちゃんの後ろをついていく。横を見ると、生徒手帳の中を 見ながら席に戻る桜子ちゃん。既に席に座ってる人も生徒手帳を見ている。 座っている女子も生徒手帳を見ている。そんなみんなを見ながら、机の間を歩いて 教室の一番前まで来た。まだ僕の前に4人いるから、教室の一番前でしばらく待つ。 前から見ると、やっぱりここは女子ばかりだ。僕とほとんど同じ制服を着た女子だけ。 まだ違和感があるけど、でも顔と名前を憶えてきたから、僕の同級生はここにいる 人達だけだっていうのは分かっている。僕の同級生は中学1年の女子だけ。だから 女子だけなのは当たり前。少し納得しかけている。 そんな事を考えながら教室を見てたら、僕が受け取る番になっていた。もしかしたら 『あなたの生徒手帳はありません』とか言われるんじゃないかと急に不安になって しまう。 「はい、岸部さん」 普通に生徒手帳を手渡されてほっとする。 「記載内容を確認してね」 「はい」 生徒手帳を見ながら机の間を歩こうとしたけど、つまづきそうだから、急いで席に 戻る事にした。前から歩くとみんなの顔が見えて、僕の方を見ているのが分かる。 みんなに散々見られているはずなのに、こういう普通の時間のみんなの視線の方が 気になってしまう。普通の女子中学生に見えているかどうか。こうして生徒手帳は もらったけど。 席に座って、ようやく生徒手帳の中をちゃんと見る事が出来た。セーラー服を着た 僕の写真が貼ってあって、写真の上にデコボコの型がハンコのようについていた。 女子の制服を着た写真が貼ってある生徒手帳。僕が女子中学生になったと事を 正式な書類で証明されたみたいで、なんか妙な感じがする。 「名前の字体など、いつもはこの字体で書いてるけど戸籍の字体はこっちですとか、 気付いた点、問題のある点があれば、早く申し出てください」 僕の名前は別に難しい字体で書くわけでもないし、と思いつつ名前を見ると、 『岸部政』になっていた。カタカナじゃないんだ。マサちゃんの名前になってるのか とも思ったけど、僕の名前なのか。生年月日も僕の生年月日だった。マサちゃんの 生年月日じゃない。そりゃそうか。僕がマサちゃんの代わりに通うのだとしても、 大正何年生まれの生徒手帳はありえないか。でも、僕の生年月日が書かれていると いう事は、これを見れば僕が18歳だというのがすぐに分かってしまう。すぐ上に 『九輪女子中学校1年1組』と書いてあるのに。『中学1年、18歳』とでかでかと 書いてあるのと同じだ。なんだか人に見せるのが恥ずかしい物のように思えてきた。 「それでは、今日はこれで終わります」 内倉先生が教室から出て行くと、教室の中が騒がしくなった。すぐに帰る子もいる けど、生徒手帳を見せあったり。 「マサちゃん、写真はきれいに撮れてた?見せて見せて」 千和ちゃんがそういうので、恥ずかしいけど、生徒手帳を広げる。でも生年月日の 辺りは指で隠す。 「ああ、割とよく撮れてるよー。いいなー」 女子の制服を着てこんな写真を撮るのは初めてだから、きれいなのかそうじゃないのか よく分からない。 「私のはなんだか変なんだよー」 千和ちゃんはなんだか不満そうに自分の生徒手帳を見せた。 「……そんなに変かな。可愛く撮れてると思うけど」 「なんかー。太って見える」 やっぱり不満そう。 「この写真って」 桜子ちゃんが、大きな写真を指さした。生徒手帳と一緒に受け取った袋の中に入って いた写真だ。 「ひいおばあちゃんの入学の記念写真と背景が似てるような気がするんだけど、 もしかして同じなのかな?」 そう言われて、僕も記念写真を見た。 「後ろの記念碑は似てるかも……でも建物が写ってたような」 桜子ちゃんが立ち上がった。 「気になっちゃう。早く帰って確認しよう」 そう言われると、僕も確認したくなってきた。 「えっと、じゃあ、私も確認しようかな…」 「えー、二人ばっかりずるいー」 また千和ちゃんがすねた。 「わたしも見たいー」 千和ちゃんを仲間外れにするみたいで気が引けて、どうにか出来ないか考えた。 「えっと、私のうち、じゃなくてひいおばあちゃんの実家に写真があるから、 すぐそばだから、私のところで見る?」 僕のうちだったら、男子みたいな僕の部屋、じゃなくて本当に男子の部屋を見られる のが恥ずかしいけど、ひいおばあちゃんの実家なら、その心配もないし。 「見る見るー」 千和ちゃんが喜んでくれた。 「同じ写真だから、私もマサちゃんのところで見ようかな?」 「うん、いいよ」 校舎から出て、写真撮影をした場所にある記念碑を見たら、百年近く前の日付だった。 「ひいおばあちゃん達もこの記念碑の前だったのかな」 「そうかも」 3人で坂を下りて、神社を通って。 「あら、マサちゃん、今帰りなの?」 いつもは植木の向こう側で顔が見えない細溝さんの顔が見えた。何か台の上に乗って いるようだ。 「はい」 「こんにちわー」 「マサちゃんのお友達ね」 細溝さんは、この制服を着ている僕を見て腰を抜かしたんだった。あの時の事で 申し訳ない気持ちがちょっとある。だから何か。 「あ、あの、入学式の時の写真が出来て、今日もらって」 記念写真を見てもらうと、細溝さんに背伸びして写真を渡す。 「あら。私たちやマサちゃんの時と本当に一緒ね。私たちはカラーじゃなかったけど。 マサちゃん達がカラー写真で写ってるみたいで面白いわ」 「あの、記念写真の後ろに写っている記念碑なんですけど」 桜子ちゃんが細溝さんに質問した。 「ひいおばあちゃん達の時も、この記念碑の前で写真を撮ったんですか?」 「記念碑?記念碑……ああ、あれね」 細溝さんは少し考えて、どこの事か分かったようだ。 「ええ、私の時もあの前で撮ったわ」 「やっぱりそうなんですか?」 桜子ちゃん、すごく嬉しそう。 「でも、今の校舎を建てる時に少し動かしたから、全く同じ場所じゃないけど。 昔は建物がもう少し小さくて、中庭があって、そこに置いてあったから」 「ああ、だからちょっと違うんですか」 「いい写真を見せてくれてありがとう。そういえば、今の九輪は5月に運動会だった わよね」 「はい。あ、あの、扇子をもらいました」 あわててカバンから扇子を取り出す。急いで広げようとしたけど、まだ慣れてないから 時間がかかってしまう。 「あの、ほら」 「やっぱりみんなやるのね、九輪踊り」 「はい。マサちゃんの本の中に、九輪踊りについて書かれたものがあって、それを 元にして昔の九輪踊りでやる、と体育の先生が言ってました」 「あら、それは楽しみね。見に行かなきゃ」 「ぜひ見に来てください」 「マサちゃんは病気がちだったから、あんまり練習できずにちょっと不満そうだった けど、その分あなたがたくさん練習してね」 「はい。がんばります」 「いいもの見せてくれてありがとう」 細溝さんの家を後にして、ひいおばあちゃんの実家に着く。僕のうちじゃないから、 誰もいないのに上がりこんだら悪いかな、と思って中をのぞいたら、ひいおばあちゃん が蔵の前を掃除していた。 「あ、ひいおばあちゃん」 「あら、マサちゃん。お友達を連れてきたの?」 「あの、入学式の時の記念写真を今日もらって、それで昔の写真と比べてみたいな、 って」 「ああ、なるほど。それは私も見たいわ」 急いで80年前の入学写真を持ってきて、4人で写真を見比べた。 「写真は白黒で昔のって感じするけど、でもあまり変わらないね」 「先生は昔の人って感じだけど」 「後ろの記念碑は一緒だけど、確かに中庭みたいなところで撮ってる感じがする」 「マサちゃん、こっちもこっちも同じ所に立ってる!」 80年前の写真の中のマサちゃんの位置と、こないだ撮った写真の中の僕の位置と、 確かに同じだった。 「あ、桜子ちゃんも同じ所だ!」 「べ、べつに意識してそこに立ったんじゃないけど…」 「身長が同じくらいだったんじゃないの?マサちゃんもマサちゃんと同じくらいの 身長だったから。それで同じような場所に立っちゃったのよ」 「そうかも」 あれ、今なんか変な事を言われたような。みんな意味を理解しているからいいけど。 「私の立ってる所には……あれ、最前列は私よりずっとおチビさんばかりみたい」 「そうね。あの頃はちいっちゃい子も多かったわね。小学校を卒業してすぐ…… 今の小学生は成長が早いから、中学1年生でも結構大人っぽいけど、あの時はまだ 子供っぽい子が多かったかも」 「へえ。でも、この写真を『ついこないだ撮った写真』とか言われたら信じちゃう かも」 「そう?私はこの3年前に入学してるんだけど」 「えー」 「入学してすぐに、踊りを練習させられたけど」 「九輪踊りですか?」 「そう。その名前は後から付いたんだけど。ずっとやってるみたいだけど、あなた達も やるの?」 「今日、扇子をもらって」 またあわてて扇子を取り出した。 「マサちゃんの本の中に、九輪踊りについての冊子があったから、昔の振付でやる、 みたいな事を先生が言ってて」 「ああ、春江さんがそんな事を言ってたわね」 ひいおばあちゃんはそう言いながら、僕が渡した扇子を器用に開いたり閉じたり。 「すごーい」 「マサちゃん、ひいおばあちゃんに教えてもらえばいいじゃない」 「手は動くけど、体はもうそんなに動かないわよ」 そういいながら、扇子を開いたり閉じたり。 「他にどんな事を教わってるのかしら?マサちゃん」 ひいおばあちゃんにそんな事を聞かれてしまった。普通の中学校の勉強、なんて答える のは恥ずかしいし、どう答えよう。そうだ、補習の話なら。 「えと、枕草子とか」 「あら、いいわね」 「先生が『一家に一冊あってもいいですね』とか言ってたけど」 「枕草子くらいあるわよ」 ひいおばあちゃんは扇子を床に置いて立ち上がって、部屋を出た。 そしてすぐに戻って来た。 「二冊あったわ」 表紙にしっかりと『枕草子』と書かれた本が2冊。 「こっちは兄が買ったけどほとんど私が読んでたような」 かなり古くて、下手に触ると壊れそうな本に見える。でも触ってみると意外と紙が 厚くて、壊れそうというほどではないけど。 「こっちは義男くんが買ったのかしら」 敏男さんの長男の名前を言いながら指さした方は、かなり新しく見える。 普通ならこっちの、小さくて新しい方を使って補習を受けるべきなんだろうけど。 「あの、この本、授業を受ける時に使っていい?」 古い方の本を指さした。 「あら、こっちの方が新しくて、紙も薄くて上等で、読みやすいと思うけど」 「でも……ひいおばあちゃんが読んだんでしょ?」 「ええ。でも中身は一緒よ?」 ひいおばあちゃんは、そう言いながらも嬉しそうだった。