朝起きると、舞が新聞を広げていた。 「お兄ちゃん、昨日撮った写真が載ってるよ」 恐る恐る見ると、一番人数が多かった写真が載っていた。写真自体は大きいものの、 一人の大きさはそれほどではなく、新聞の印刷では顔まで分からない。多分。 それでも、昨日の夜に探し出したひいおばあちゃんとマサちゃんとタケさんが写って いる写真と確かに似ている。後ろの建物は別の建物だけど木造だし。 違いがあると言えば、カラー写真である事と、90歳を過ぎたひいおばあちゃんと タケさんが後ろにいる事。そう思って見ると変な写真かも。 でもこの写真は県内中に配達されてるんだ。分かってはいるけど、ちょっと実感が 湧かない。 制服に着替えた後。 九輪女子に通う事は昨日いきなり決まったから、教科書はない。そもそも普通の 生徒じゃないんだから、必要な物が他の子と同じかどうかも分からない。 「ねえ舞、学校には何を持っていけばいいと思う?」 時間割を見ながら舞に尋ねる。『学校に何を持っていけばいい?』なんて事を 舞に尋ねるなんて、自分の方が下級生で、本当に中学校に入学したてのように 思えるけど、他に尋ねる人もいないし。 「そうねぇ。ノートと筆箱はカバンに入れておくとして。他には……箱の中には 何があるのかな?」 舞は時間割を見ながら箱の中をのぞきこんで、いくつか選び出してカバンの中に 入れて行った。 「ここにある教科書は使うかどうか分からないけど、使いそうな物はとりあえず」 自分のための準備を舞に全部してもらってるなんて、舞に頼り切りの甘えん坊の ように思えてしまう。 意外と重くなったカバンを持って、舞と一緒に登校する。 舞と並んで歩くのは、やっぱり恥ずかしくてドキドキする。昨日は入学式の檀上で、 全校生徒に加えて保護者にまで見られたけど、普通の道を歩くのはそれと違った 恥ずかしさがある。やっぱり、なんというか。 「おはよう。今朝の新聞、見たわよ」 3軒先の羽栗さんから声をかけられた。 「お、おはようございます」 ひいおばあちゃんの実家のすぐ近くだから何度も会っていて、そんな人に女子制服を 来ている姿を見られるのはやっぱり恥ずかしい。しかもすぐ隣に舞がいて。 「ほんと、何十年か前の生徒さんを見てるような気持ちになるわね。この辺の家って 昔からあまり変わってないから、子供の頃に戻っちゃったのかと思ってしまうわ。 私はおばあちゃんのままだけど」 嬉しそうに僕が着ている制服を見ている。恥ずかしいけど、羽栗さんの嬉しそうな 顔を見ていると、自分も嬉しくなる。僕がマサちゃんに似ているという事は、 僕がこの制服を着ていると余計に当時の雰囲気が出ているのだろう。 だとしたら、恥ずかしくても僕が着た方がいいんだろうな。 「トミさんの事は、トミさんが二十歳くらいの頃からしか知らないけど、 改めて見ると舞ちゃんってトミさんにそっくりね。トミさんが女学校に通って いた時はこんな感じだったのかしらって。私が生まれる前だけど」 そうか。ひいおばあちゃんが女学校に通って、マサちゃんが亡くなったのは、羽栗さん が生まれる前になるのか。ひいおばあちゃんや細溝さん達が楽しそうに話している のを見ているとそんなに昔とは思わなかったけど、このおばあちゃんが生まれる前 と言われるとすごく昔の事だと感じてしまう。 「じゃあ二人とも、いってらっしゃい」 「いってきます」 羽栗さんに制服姿を見られるのはやっぱり恥ずかしく感じるけど、まだ入学した ばかりで、中学生になった自分の姿を見られる事に慣れてないから、そんな気がして きた。高校に入学して、中学校の時と全然違う制服を着ているのを見られるのが。 あれ?それは違うかな。 「おはよう、マサちゃん、マイちゃん。いってらっしゃい」 徳田さんも声をかけてきた。昨日も声をかけてきたから、今日は挨拶だけだったけど。 「いってきます」 さらに歩いて神社の近くまで来ると。 「あらま、新聞に載ってたのはあなた達だったのね」 和菓子屋さんの柴井さんが店先の掃除をしながら声をかけてきた。 「近くで見ると、確かに今の制服と少し違って、古風な感じ」 柴井さんはおばあちゃん達に比べればずっと若いから、おばあちゃん達みたいに 『その制服を見ていると昔を思い出す』みたいな事は言わないけど、昔の制服を 面白そうに見ている。 「でも、マサちゃんがマイちゃんとほとんど同じ制服を着て、そうして並んで 登校していると、ほんと姉妹みたいね」 やっぱり僕が妹に見えるんだろうな。僕の方が背が低くて子供っぽいというだけ じゃなく、僕は昨日からこの制服を着て登校を始めたばかりなんだから。 ちらっと舞の顔を見ると、いつもの妹の顔が見えて、自分を妹だと言われた直後 だけにドキっとするけど、でもひいおばあちゃんの若い頃に似てて。そんな舞の 妹と思ってもらえるのなら、それでもいいかな。なんて思った。 あ、舞も僕の方に目を向けた。あわてて柴井さんの方を見る。 「マイちゃんは時々お友達とうちに来てくれているから、マサちゃんもお友達を 連れて買いに来てね」 お友達、と言われて、千和ちゃんや桜子ちゃんの顔が浮かんだ。 「はい、同級生と一緒にお団子を食べに来ます」 この和菓子屋は神社が出来た頃からあって、ひいおばあちゃんや細溝さんも子供の 時から食べていたと言ってたから、もしかしたらマサちゃんやタケさんも食べた かもしれない。桜子ちゃんと一緒に食べるのも楽しいかも。 「じゃあいってらっしゃい」 「いってきます」 神社の敷地に入ると、いつもお散歩をしている坂口さんが向こうから歩いてきた。 「あら、今日はマイちゃんと一緒?」 「はい」 坂口さんと会うのはひいおばあちゃんと一緒に歩いている時だから、今日は隣に ひいおばあちゃんの若い時にそっくりの舞がいて、ちょっと妙な感じ。 でもちょっと嬉しくて。 「その制服を見てると、若い時に戻ったみたいな気持ちになるわ。その制服を着て 毎日登校するの?」 「そうです」 「じゃあこれから毎日、若い時の気持ちでいられるわね。じゃあいってらっしゃい」 「いってきます」 坂口さんと分かれて、学校へと続く坂を登る。 「お兄ちゃん、この辺りの人みんなに知られてるんだね」 「ひいおばあちゃんといつも歩いてるから。でも舞の事だってみんな知ってるよ」 「ひいおばあちゃんとお兄ちゃんのオマケだよ」 「でも柴井さんは舞の方を良く知ってるんじゃないの?」 「あそこは帰りにみんなとよく寄るから」 二人でそんな事を話していたら、後ろから声がした。 「何を話してるのかな?ご近所さんに次々と話しかけられている有名な姉妹さん」 舞の友達の清水さんだ。 「お兄ちゃんの方がご近所で有名だって話」 「新聞に載ったから?」 「ずっと前から有名だよ」 一緒に坂を登っている他の生徒も、僕たちの方を見ている。僕たちの方を見ながら 何か話したり、僕たちの方を指さしたりしている。やっぱり僕の事を話している んだろうな。そんな注目の視線がちょっと痛い。 「舞の事だってみんな知ってるよ」 「すぐそこに住んでるからね。お兄ちゃんはいつもひいおばあちゃんと一緒に そこの神社を歩いてるし」 「ご近所でも評判の美人姉妹?」 姉妹って言われるたびに胸がドキっとする。やっぱり僕が妹なのかなって。 「別に私は評判でも美人でもないよー」 舞はひいおばあちゃんに似て美人だ、と言いたいけど、妹の事を美人だなんて、 本人の前で言うのも恥ずかしい。 「ご近所のおばあちゃん達の間では、お兄ちゃんの方がずっと評判だよ」 「マサちゃんはおばあちゃんのアイドル?」 「べ、べつに、僕が評判なわけじゃ。新聞に載ったのは制服の事なんだし」 「マサちゃんがその制服を着ているから、みんな喜んでマサちゃんに声をかけて くるんじゃないの?」 「えっと、うん、でも、それは僕じゃなくってマサちゃんが…」 「うん、マサちゃんが」 あれ?舞は分かっていると思うけど、清水さんは分かってるんだろうか。どっちの マサちゃんの事を言ってるのか。 「でもさ、マサちゃんをお兄ちゃんお兄ちゃんって呼ぶのは、変じゃない?」 「え?だってお兄ちゃんはお兄ちゃんだし」 「でもほら、この制服を着てたらマサちゃんが妹に見えるし、中学1年の教室に 通ってるんだし。同級生も中学1年なんだよね?マサちゃん」 「う、うん…」 「マサちゃんのお友達の中学生の前で、高校生のマイちゃんが『お兄ちゃん』と 言うのも変でしょ?」 「うーん。昨日お兄ちゃんと一緒にいた子だよね。マサちゃんの同級生だった人の ひ孫とか。その隣にいたちっちゃな子とか。そう言われればそうかも」 昨日はおばあちゃん達に制服をみてもらうので忙しくて気にしなかったけど、 僕があの子達と同級生として仲良くしてるのを見られていたんだ、と思うと、 恥かしくなってきた。1年1組の教室に入る前に舞から『お兄ちゃん』と呼ばれて 恥かしく思った事も思い出した。 「じゃあ、学校ではマサちゃんって呼んであげようか?」 舞が嬉しそうにそう言った。舞から人前でちゃん付けで呼ばれるのは変な感じが するけど、中学生の同級生からもそう呼ばれているし、別にいいかな。 「それでいい…」 「マサちゃんはマイちゃんの事をなんて呼ぶの?」 「え、えっと…」 そう言われれば、確かに僕が舞の事を呼び捨てするのも変かも。 「お姉ちゃんとか?」 「それはちょっと…」 「お兄ちゃんにそれ言われたら恥かしいよー。舞でいいよー」 「えー。姉ちゃんとか姉貴とかでも。女の子でそれも変か。せめてマイちゃんとか」 「それもちょっと恥ずかしいよ」 「みんなにマイちゃんって呼ばれてるのに?」 「他の人に言われるのと、お兄ちゃんに言われるのとでは違うよ」 僕だってそんな呼び方をするのは恥ずかしいけど、でも呼び捨てにするのも、 確かに変に思われそう。何かいい呼び方はないのかな。 「ひいおばちゃんは妹さんからなんて呼ばれてたの?」 「姉さま、だったような」 「それでいいんじゃない?」 「姉さま?」 『お姉ちゃん』と何が違うのか、という気もするけど、でもマサちゃんの真似をして ひいおばあちゃんを呼んでいるような気もするから、悪くないかも。 「…姉さま?」 「ん?」 舞がこっちを見たから、ドキっとして下を向いた。やっぱり恥ずかしい。でも、 若い時のひいおばあちゃんがこっちを向いたような気もして、悪くないかも。 高校生とは下駄箱の場所が違うから、校舎の前で二人と別れた。校舎への入り口が 違うだけでも、自分が中学生扱いなんだって感じてしまう。大人っぽい高校生は 先の方に進んで、ちょっと幼い顔の中学生と同じ下駄箱を使うってだけでも。 下駄箱で上履きをはいていると、すぐに千和ちゃんがやってきた。 「おはよう、マサちゃん」 なぜかハアハアと息を切らしている。 「おはよう、千和ちゃん。どうしたの?走って来た?」 「神社の前で、マサちゃんとマサちゃんのお姉さんがお年寄りと話しているのを 見かけて、一生懸命追いかけたんだけど」 「千和ちゃんもあれ見てたんだ」 「二人とも坂道をすごい速さで登っていくから」 「え?そんなに速かった?」 千和ちゃんも上履きをはいて、二人で教室に向かう。 「高校生の人が私の横を走るように登っていって、二人に声をかけて、さらに 速くなったから、追いつけなかった」 確かに清水さんは走るというか、弾むような勢いのいい歩き方をしてたけど。 「やっぱり背が高いと歩幅があるのかなぁ。なんか私だけ置いて行かれたような 気がして」 なんだかすねたような顔をしているから、ちょっとあわてる。 「えっと、声をかけてくれたら、千和ちゃんを待って、千和ちゃんに合わせて 歩いたのに」 「うん、今度からそうする。マサちゃんのお姉さんともお話したいし。でもさっきは 何を話してたの?」 舞が『お兄ちゃん』と連呼するのをやめる話だった、なんて言えない。 「えっと、新聞に写真が載ったから、近所のおばあちゃん達に声をかけられた、 っていう話」 「ああ、それでお年寄りとお話してたんだ。あれ、私も写ってたしね」 「うん、みんなが写ってる写真だった」 1年1組の教室に入ると、桜子ちゃんが既に座っていた。 「おはよう、ふたりとも」 「おはよう、桜子ちゃん」 自分の席に座って、ちょっとほっとした。この制服を着て、この席に座って、 千和ちゃんと桜子ちゃんの顔を見られて、なんだか嬉しい。1日仲良くしただけで、 こうして会えるのが嬉しい。 「昨日撮った写真、新聞に載ってたね」 「それでマサちゃん、神社でお年寄りに声をかけられていて」 「え?なに?知らないおばあさんから声をかけられたの?それってナンパ?」 なんでナンパなんて言葉を思いついたんだろう。 「違うって。知ってるおばあちゃんだから」 「なんだ。近くに住んでるから、知ってる人が多いんだ」 「うん。駅から見たら神社の先にある和菓子屋さんからも声をかけられて、今度 お友達を連れて買いに来てねって」 「神社の先の和菓子屋さんって、ひいおばあちゃんから聞いた事がある。マサちゃん と時々寄り道して、お団子を食べたって」 やっぱりそうだったんだ。 「今日でも明日でも、時間があったら行こう」 80年前のマサちゃんと同じ事をするんだ、と思うと、ちょっと楽しくなる。 「私も連れてってよ」 また千和ちゃんがすねたような顔をした。 「もちろん」 3人でそんな話をしていたら、教室の中の人数が増えてかなり騒がしくなってきた。 昨日は全員揃っても静かだったのに。人の事は言えないか。でも、こんなにたくさん 小さな女子が教室にいると、やっぱりここはずっと年下の女子だけのクラスなんだ と感じてしまう。千和ちゃんと桜子ちゃんだけならそんなに感じないけど、 これだけいると、自分だけが大きい子なんだと思う。やっぱりちょっと恥ずかしい。 でも、みんなに顔を覚えられて、仲良くおしゃべりする友達も出来て、いまさら 『ここにはもう来ない』なんて言えないし。前から二番目の席の飯田さんは、 背は僕と同じくらいなんだけど、横幅がないから、近くで見ると小さく見える。 早く僕よりも大きくなってくれないかな。でも中1の女子に追い越されるって いうのも恥ずかしいかも。どっちがいいのか、よく分からなくなってきた。 朝のホームルームで内倉先生が今日の予定と明日からの予定について説明した。 今日は生徒手帳のための写真を撮るらしい。僕の生徒手帳も作るんだろうか。 明日からは健康診断や部活紹介があるとか、そんな話が終わった後。 「岸部さん、この後職員室に来てください」 いきなり職員室に呼び出された。 「なになに?いきなり職員室に呼び出されて。何かしたの?」 先生が教室から出た後、桜子ちゃんが楽しそうに話しかけてきた。 「違うって。昨日いきなりこのクラスに通う事が決まったから、教科書もなくて」 「そうか。じゃあ私もついて行こうか?」 「私もいくー!」 呼び出されたのは僕だけなのに、3人で連れだって職員室へ。職員室には昨日も 入っているけど、先生ばかりの部屋はやっぱり緊張する。 「岸部さん、こっちに来て」 内倉先生の所まで、先生たちの机の間を通って歩く。周りの先生たちは何も 言わないけど、先生たちは僕を見て楽しそうな顔をしている。先生達ばかりと いうのは緊張するけど、喜んでくれているのなら嬉しい。 マサちゃんに申し訳ないような気も。80年前だけど。 内倉先生の所に着くと 「あら、どうして二人も一緒に来たの?」 と言われてしまった。 「教科書とか渡されるっていうから、ついてきました」 「確かにそうなんだけど。もうこんな仲良しが出来たなんて、良かったわね、 3人とも」 「はい」 分厚い本があるとはいえ10冊ほど、一人で持つには少し重い量を三人で分けて。 「えーと、制服を他のクラスのみんなにも見せるというのは、木原先生が今予定表を 作っているから、もう数日したら予定表を渡してもらえるはずです。高校の補講は、 科目の選択の仕方にもよるから、一応予定表だけ渡しておきます。どれを受けるか 考えておいてください。そんなところ」 「ありがとうございます」 話が終わって職員室から出る。学園長の前を通ると、学園長も嬉しそうな顔を していた。 「教室まで持ってくるのはすぐだったけど、家まで持って帰るのはやっぱり大変 じゃない?」 机の上に積んだ教科書を見て、桜子ちゃんが言った。 「うん。どうしよう」 「お姉ちゃんがいるんでしょ?高校に」 「う、うん…」 舞の話題がまた出た。別に嫌じゃないけど、『姉さま』って呼ばなきゃいけない のかな。このクラスのみんなの前では呼び捨ても出来ないし。 「放課後、呼んできたら?」 「え、でも、高校の教室に行くのはちょっと…」 「やっぱり高校生ばかりの所に行くのは緊張する?」 「うん…」 「だよねー」 本物の中学1年生が緊張する理由とはちょっと違うけど。いや、本当は年下の はずの高校生が大人に見えるという事で、つまり大人っぽい人たちに囲まれる から緊張する。何も違わないか。自分が中学1年生と同じだと分かって、 ちょっとショック。 「それに、ま…」 いや、呼び捨てにしないって事にしたんだから。 「姉さまも、放課後には何か用事があるかも。中学校からの持ち上がりだから、 友達も知ってる先輩も多いようだし」 「かも」 「あ、マサちゃんって『姉さま』って呼ぶんだ。お姉ちゃんの事」 「う、うん…」 「ちょっと古風で、その制服に合ってて、いいね」 マサちゃんの真似をしたんだから、古風なのは当然かな。でも二人の前で『姉さま』 と呼んじゃったから、もう他の呼び方は出来ない気がしてきた。今までみたいに 『舞』と呼ぶ事が、今度は恥ずかしい事のように思えてきた。家に帰ってから何と 呼べばいいんだろう。 そんな事を考えながら、カバンから筆記用具を出そうとしたら、なぜか風呂敷が 出てきた。 「風呂敷?」 「ね、姉さまが入れたんだ…」 「じゃあ教科書は、風呂敷で包んで帰る?なんだか似合いそう」 「そうかも、そうしようかな」 1時間目は数学。先生の 「算数と数学は違います」 みたいな話の後は、実力テストだった。小学校の範囲だというのは分かるけど、 問題の言い回しが分かりにくかったり、変な図形の問題があったり。 周りを見るとスラスラ解いてるように見えて、高校を卒業している僕があまり 解けてないような気がして、あせってしまう。僕が18歳だってみんな知ってる んだから、恥ずかしい点数だったらどう言われるだろう。隣の桜子ちゃん、 もう最後辺りの問題を解いてるように見える。桜子ちゃんに馬鹿にされちゃう んだろうか。 テストが終わった後、桜子ちゃんは 「全然できなかった、入試よりも難しかったんじゃない?」 なんて言ってたけど、どうなんだろう。 2時間目は英語。 中学校に入学したばかりで英語の実力テストなんてない。アルファベットから 始める授業だった。さすがに中学1年生の授業だ、と思い知らされた。 そうは言っても小学校でもローマ字を習っているし、九輪女子に入学するような 子がアルファベットを知らない訳がないし、先生の方も『やるのが決まりだから とりあえずやってます』みたいな感じ。一応みんな真剣にアルファベットを何度も 書いているけど、サラサラと書いている。『ローマ字をちゃんと覚えなかった子にも アルファベットをしっかり覚えてもらいますからね』という公立中学校とは雰囲気が 違う。中学校に入学したと言っても、全然違う世界の中学校のように感じる。 高校を卒業した僕が通っててもおかしくない中学校に思えた。 そして3時間目は体育。中学1年の女子に混じって一緒に着替えていいのか、 という気もするけど、下着や体操服を見えるのが役目のような気もする。 他の女子が僕の事を気にして着替えるのをためらっているようにも見えるから、 早く着替えた方がいいのかな。そんな事を考えていたら、僕の事なんか全然 気にせずに着替え始めた子もいる。それはそれで問題だ。早く着替えてしまって、 教室から出よう。セーラー服の脇を開いて、裾を持ちあがて、セーラー服を脱ぐ。 家でゆっくり脱ぐのと違って急いでいるから、余計にこんがらがりそう。 頭をセーラー服から抜ける程度に、少しだけ腕を袖から抜きたいんだけど、 それがうまくいかない。どうにか頭を抜いて、腕を下げて。そして周りを見たら、 千和ちゃん、桜子ちゃん以外に、さらに三人が僕の周りに集まっていた。 僕の体をジロジロ見ている。 「へえ。下にはそんなのを着てたんだ」 千和ちゃんが珍しそうに見ている。 「それってどうなってるの?」 千和ちゃんの前の席の矢谷さんが僕の下着に手を伸ばし、腰の辺りを引っ張り 上げて、どんな作りになっているのか真剣に見ている。でもスカートをまだ 脱いでないから、まだ途中までしか見えない。 「スカート……脱いでくれる?」 ちょっと言いづらそうに、でも早く見たくて我慢できない、そういう顔をして 矢谷さんが言った。 「うん…」 体操服に着替えないといけないんだから、僕も脱ぐつもりではあるんだけど、 教室の一番後ろの隅で人に囲まれているとちょっと、ちょっと変な雰囲気になる。 みんなの視線が集まる中で、肩ひもを外して、腰のホックを外して。 そしてちょっともじもじしながらスカートを脱ぐ。僕よりもずっと年下の 女子に注目されながらこんな事をするなんて、変な気分。 スカートから足を抜いて、スカートを机の上に置いて視線を上げると、 さらに人数が増えていた。まだ着替えの途中の子もいる。下着姿の女子を 見てドキっとするけど、自分だってあの子に下着姿を凝視されているんだと気付き、 今度はそれでドキっとする。 「へえ」 千和ちゃんと矢谷さんが僕の下着を触って、面白がっている。着替え途中だった 槙田さんは体操服を急いで着て、また僕の方を見ている。 「でもこれって、体操服を着るときは脱ぐんでしょ?」 スカート状になった下着を引っ張りながら、矢谷さんが尋ねてきた。 「うん」 僕も体操服を着ないといけないから、一番上に着ているのを脱ぐ。脱ぎ終わって 前を向いたら、また着替え途中で下着姿の女子が来て、背伸びしてまで僕を 見ている。 「これって上とつながってるの?」 矢谷さんはしゃがみ込んで、僕のお腰辺りの布を引っ張っている。 「これって…おトイレ…しにくくない?」 言いにくそうに、ちょっと困ったように、でも真剣そうな目で尋ねてくる。 僕が答えようとしたら、何かに気付いたようにお尻の辺りを触り始めた。 「あ、ここにボタンがある。これを外すと後ろが開くんだ」 そう言って腰のボタンの辺りを触り始めた。 「お尻の方が開くんだ。へえ。だからおトイレの時は」 そう言って、ボタンを2つほど開けてしまったようだ。矢谷さんにお尻を直接 触られてしまった。 「あ、下ははいてないんだ。ごめんなさい」 これってつまり、中学1年の女子にパンツを半分脱がされてお尻を触られた、 という事に。今のパンツとは作りが全く違うから、ちょっと違うような気も するけど、でもやっぱりそうなる訳で。下着だけじゃなく裸を見られた ような気がしてきて、恥ずかしい。 「そうか。へえ。そうなってるんだ。なるほど」 矢谷さんはすごく感心したような顔をして立ち上がった。昔の下着を見てもらう のも僕の役目なのかも知れないから、仕方ないか。納得している矢谷さんを 見てそう思った。それに同級生なんだから、こういう事があっても。うん。 「あの、体操服を、着てもいい?」 「え、うん、面白いものを見せてくれてありがとう」 嬉しそうな顔の矢谷さんは、男子のパンツを半分脱がせた後という感じではない。 やっぱり昔の下着ではそう思えないんだろう。それに、昔の制服とはいえ、 僕も女子の制服を着てるんだし。同級生の女子のお尻を見た、くらいの気持ち なのかな。そう考えながら体操服を手に取って、まずブルマーを履いた。 「カボチャパンツ!」 千和ちゃんが声を上げた。マンガ好きの千和ちゃんは、そういう言葉を知ってる んだろう。でも他の子も楽しそうに笑っている。笑われていると言っても、 ひいおばあちゃんがこの学校に通っていた頃の体操服なんだから、みんなが 面白がってくれるのは嬉しいかも。そしてシャツを着る。 「それって体操服?あんまり汗を吸わなそうだけど」 今度は森下さんが手を伸ばして僕の体操服に触り、自分の体操服と比べている。 「う、うん。80年前だから、そんな高機能な布がなかったのかな?」 「へえ」 「あ、体育の授業が始まっちゃう」 千和ちゃんが時計を見てそう言った。 「あ、本当だ。ヤバ。最初の体育の授業で遅れちゃう」 千和ちゃんは僕のすぐ目の前で制服を脱ぎ始めた。桜子ちゃんはいつの間にか 着替え終わてて、体操服の裾を引っ張っている最中だった。着替え終わった子が 次々と教室から出て行く。僕と桜子ちゃんは、千和ちゃんが着替え終わるのを 待って、それから教室を出て運動場に向かった。 「おっそいぞー」 先生の声が聞こえる。やっぱり遅れてしまった。 「着替えるのにそんなに時間がかかるなんてー」 ちょっと怒っているような先生の声を聞いて、びくびくしながら先生のいる方向に 走る。 「何をしていたん……ちょっとこっち来なさい」 先生に手招きされた。多分怒られる訳じゃないんだ、そう分かってても、やっぱり 先生に呼び止められるのは恐い。特に体育の先生は。 「制服だけじゃなくて体操服もあったんだ」 元の顔が恐いけど、それでも楽しそうな先生の顔を見てほっとする。 「はい…」 「他のクラスにも、制服を見せるって話があったわよね?」 「木原先生が、多分家庭科の時間に見せるように、予定表を作っているそうです」 「じゃあ体育でも同じ事をやってもいい?」 「えっと、ぼく…私は全然かまいません。予定がきちんと立ててあれば…」 「じゃあ木原先生と相談するから。うん」 先生にジロジロ見られると、服装検査で校則違反とか言われそうな恐怖感もあったり するけど、自分よりも年下の女子にジロジロ見られる時に比べれば、先生に見られる のは全然恥ずかしくない。あれ、昨日は職員室で恥ずかしかったのに。慣れてきた のかな。 「じゃあ座って」 そう言われたので、とりあえず先生の足元に近い所で座る。 「それでは体育の授業を始めます。まずは服装の話。体操服はもちろんですが、 運動をすると汗をかくので、下着も決して無視できません。小学生の時はあまり 気にしなかったかも知れませんが、これから成長していくと、様々な種類の下着を 使います。下着にはそれぞれ目的があって、運動に適した下着がありますので…」 さらに髪型の話や、日焼け止めについての話や。体育の先生からこんな話を聞く なんて、やっぱり九輪女子ってお嬢様学校だったんだ。僕がお嬢様学校に通って、 体育の授業でこんな話を聞かされるなんて。しかも高校を卒業した僕が聞いた事が ない話ばかりだし。男子だからだろうけど。中学1年の女子と一緒にこんな話を 聞いていると、内倉先生が言ってた『ここにいる友達と一緒に成長して』という 言葉を思い出してしまう。僕もこれからみんなと一緒に、新しい事を学んで 成長していくんだろうか。 体育が終わり、教室に戻って制服に着替える。さっきとは違う人たちに囲まれて、 見られたり触られたりしながら着替える。もっとも、さっきは僕たちが遅れていく だけだったけど、次の授業では先生が教室に来てしまうから、それまでに着替えて しまわないといけない。ちょっとあわただしく着替える。 4時間目も終わって、お昼休み。 「さ、お弁当を食べよう」 千和ちゃんが椅子を僕の方に向けて、お弁当を机の上に置いた。マンガが描かれた プラスチックのお弁当箱。フタを開けると、唐揚げと卵焼きが見えた。 僕もカバンからお弁当箱を取り出す。桜子ちゃんは机をこちらに向けた。 「マサちゃんと桜子ちゃんはどんなお弁当箱?」 千和ちゃんは興味津々で見ている前で、机の上に置く。 「えっと、私のは……木のお弁当箱なんだけど」 「あ、なんだかお宝っぽい。高いんじゃない?」 「そんな事ないと思う。ひいおばあちゃんのお父さんが使っていたのをマサちゃんが もらったとか」 「すごく古そう。桜子ちゃんは?」 桜子ちゃんが机の上に置いたのは、アルミのお弁当箱だった。しかも古そうな マンガの絵が描かれていた。 「なんか、それ、すごい!」 「おばあちゃんが使ってたのが、物置の奥にあって。意外ときれいだったから」 「それで中身はどうなの?」 僕と桜子ちゃんがフタを開けて千和ちゃんに見せた。どっちもおにぎりとお魚と お漬物。 「二人には似合ってる中身だけど……お魚って食べにくくない?」 「うーん、これは骨が取ってあるから、食べにくくないと思うけど」 お魚を一口食べながら答える。 「そう?じゃあ一口食べさせて」 「はい」 僕がお魚を差し出すと、千和ちゃんが一口食べた。 「うん、意外と柔らかいかも。じゃあマサちゃんには唐揚げをあげよう」 「ありがとう」 千和ちゃんが差し出した唐揚げを一口食べた。 お昼休みが終わって、お掃除をして。午後の授業が始まる前に、生徒手帳の 写真撮影。僕は名簿順で一番最後だから、クラスでは一番最後になる。 こうして列を作って並んで待っていると、中学1年生と同じ扱いなんだって 感じてしまう。単に同じ教室で授業を受けているだけの時よりも、 こうして待たされている時の方が、周りの小さな女子と同じ扱いなんだって 感じる。あるいは掃除のように、みんなに混じって同じ事をしている時とか。 体育の時には体操服が違い過ぎて、そんなには思わなかったけど。 同じクラスの女子が順番に椅子に座って、『あごを引いて』みたいな指示を 受けて、フラッシュをたいて撮影する。それを何十人も見る。 「こういう写真って緊張するよね。変な顔になってなきゃいいけど」 撮影が終わった千和ちゃんが立ち上がって、僕にそう言った。最後に僕の番。 みんなと同じようにカメラの前の椅子に座る。この制服を着て撮った写真が 生徒手帳に貼られるのか。本当の女子中学生になっちゃうような気がしてくる。 「もう少し右を向いて。もうちょっと上を見て。はい」 フラッシュで目を閉じてしまうのが恐くて緊張してきた。意外と待たされている ような気がした後にフラッシュが光った。変な顔になってなきゃいいけど。 結局、今日は普通に中学1年のみんなと授業を受けるだけだった。 体育の着替えで注目された以外、2日目にしては普通だった。 「今日はこのまま帰るよね?」 桜子ちゃんがそう尋ねてきた。 「うん」 「じゃあお団子食べに行かない?」 「そうだね。そのうち部活に入ったり、色々あって、一緒に帰られなくなるかも 知れないし」 「私もいくー」 僕は教科書が入った風呂敷を抱えて、3人で神社まで坂を下りる。上級生は 部活や補習があるせいか、今の時間に帰っているのは中学1年生ばかりのようだ。 知っている同級生だけでなく知らない1年生に囲まれていると、自分が中学1年 に放り込まれた事をすごく感じるけど、知らない上級生に囲まれている時に比べれば 気が楽かも。 神社まで下りて、和菓子屋さんの方向に向かう。新入生ばかりの中、こっちに 向かう生徒は他にいない。お店の前にいるのは僕と千和ちゃんと桜子ちゃんだけで、 やっぱり気が楽。 「あん団子くださーい」 桜子ちゃんがさっそく注文している。 「あらマサちゃん、さっそく連れてきたの?」 「はい。こちらの桜子ちゃんのひいおばあちゃんも、このお店に来てたそうです」 「あら、あなたのひいおばあちゃんも九輪の卒業生なの」 「あん団子をよく食べたって言ってたので、まずはそれから」 「はい」 「じゃあ、僕…私も、あん団子を」 神社は学校のすぐ下で九輪女子の生徒も多くて、今も同級生が二人も一緒だけど、 ひいおばあちゃんと一緒に歩く場所でもあるから、学校の中なのか外なのか、 よく分からなくなる。 「私は大福がいい」 「はーい、ちょっと待ってね」 柴井さんが横を向いている時、もう一人お店の前に来た。 「あら?岸部さん達も来てたの?」 矢谷さんだった。 「大福くださーい」 「はーい、ちょっと待ってね」 4人それぞれ受け取って、お代を払って、神社の横にある大きな石に座った。 「あのお店、知ってたんだ」 矢谷さんが大福を食べながら尋ねてきた。 「近くに住んでるから。時々ひいおばあちゃんや、ま…姉さまとも来てるし」 「私もひいおばあちゃんから話に聞いてた」 桜子ちゃんも答えた。 「私はお母さんに聞いたから、来てみた」 「私は初めてー。おいしい。学校の近くでこんなにおいしいなら、みんな来るよね」 「今日は上級生がまだ来てないから、人が少ないけど」 お団子を食べながら話す。 「岸部さん、今日はごめんね」 矢谷さんに急に謝られて、びっくりする。 「え?なに?なにかあったっけ?」 「体育の前に着替える時、下着を引っ張ったり、脱ぐのを急かしたり、お尻の ボタンを外しちゃったり、ジロジロ見たり」 矢谷さん、あれを気にしてたのか。 「えっと、別に気にしてない。家庭科の先生に『みんなに近くで見てもらいなさい』 って言われてるから。昔の服を実際に着ているのを見てもらいなさいって」 「家庭科の先生が言ったんだ。家庭科の先生ならそう言うかも」 「それに、私も、あまり下着だって感じがしてなくて、良く分からないから」 「私もよく分からなかった。だからごめんね。大福、一口あげる」 「あ、ありがとう」 食べかけの大福を一口食べる。 「全然気にしてないから。入学式の前には先生達にたくさん触られたし」 「え、先生に?」 「その前には、ひいおばあちゃんのお友達にも触られたし」 「やっぱ触ってみたいよねー。今の制服とほとんど同じなのにちょっと違う。 何が違うんだろうって」 クラスで一番触っている千和ちゃんがそう言った。 「やっぱりみんなそう思うんだ」 「お団子一口あげるね」 僕のお団子を矢谷さんの前に差し出した。 「ありがとう」 矢谷さんが一口食べた。 「私もお団子一口ほしい」 千和ちゃんが急に立ち上がる。 「急に立ち上がると落とすわよ。ほら、私のをあげるから」 桜子ちゃんが千和ちゃんにお団子を一口食べさせた。 帰ってから、マサちゃんの日記を開いたら。 「柴井さんのお店に寄り、タケさんフミさんとあん団子。おいしいけど、私には やはり多い。フミさんに食べてもらう」 80年前と同じ事が出来て、なんだか嬉しい。