内倉先生は 「10分くらい経ったら一旦外に出て、隣の教室棟にある下駄箱に靴を入れて、 1年1組の教室に入ってね」 と言って職員室から出て行った。僕の隣に座っていた舞たちは、家庭科の先生に 言われて自分たちの教室に向かった。また先生ばかりの職員室の中で、僕一人だけに なった。忙しそうにしている先生に囲まれて緊張する。でも、全然関係ない子では なくなった。正式な生徒ではないにしても、明日からこの学校に通う事になった のだから。さっき『私はいいですよ』と言った先生の方を見る。まだ書類を 見ている。あの先生に教えてもらうのか。よその学校の知らない先生ではなく、 僕に教えてくれる先生に囲まれている。そう思うと、さっきと違う緊張を感じる。 職員室はすごく居心地が悪いので、8分経ったところで立ち上がった。 ひいおばあちゃんがどうするのか分からないので、とりあえず声をかける。 「あ、あの、先生に1年1組の教室に入ってって言われたんだけど…」 「あら、じゃあついて行きましょうかね」 立ち上がろうとしたひいおばあちゃんを、元学園長が止めた。 「まだ時間があるから、もう少しここにいなさい」 「じゃあマサちゃんは、先に教室に行ってる?」 「う、うん、そうする」 そう言って教室を出た。人の少ない廊下に出て、ようやく緊張が解けた。 言われた通りに一旦外に出たら、新入生らしき制服姿の子とその保護者が何人か 見えた。友達や親と話しながら歩いている子もいるし、下の神社からここまで走って 来たんじゃないかと思えるほど元気な子もいるし、周りを見回して不安そうな子も いれば、ガチガチに緊張している子もいる。小学生にしか見えない小さな子もいる けど、制服のせいか、大部分はちゃんと中学生に見える。先月まで小学生だった はずなのに、中学生にしか見えない。先月まで高校生だった僕も、この制服のせいで 中学生にしか見えないんだろうか。 隣の建物の前に『中学・受付』という看板があった。すぐ横にクラス分けの表が 掲げられていた。1組の表の一番下に僕の名前が手書きで書き加えられていた。 目立っててすごく恥ずかしい。この表を見た新入生は、手書きで書き加えられた 僕をどう思うだろうか。でも他の子と同じように普通に名前が混じってたら、 普通に中学校の新入生扱いされてるみたいで、そっちの方が恥ずかしいかも。 その先に机が並んでいて、机には『1組』『2組』『3組』と書かれた紙が 貼ってある。一旦外に出て、と言われたから、この受付を通らないといけない んだろうな。1組の机の前には誰も並んでないけど、2組の机の前には新入生が 二人いる。すぐ隣に立っている本物の新入生を見てドキドキしながら、 1組の机の前に立つ。内倉先生が椅子に座っていた。 「えっと、あの、岸部、マサです…」 「はーい、岸部さん」 内倉先生は、名簿に丸を付けた。これって出席の丸なんだろうな。 「先生が来るまでに、これを読んでてね」 封筒をひとつ渡された。 「保護者の方は?」 「ひいおばあちゃんは、元学園長とまだ話しているみたいです」 「後で来られるのね。じゃあ下駄箱の位置を確認して、靴を入れて、矢印に沿って 進めば教室があるから」 「はい…」 「岸部さん」 「はい?」 「ご入学おめでとう。九輪女子学園で有意義な中学校生活を送ってね」 一瞬、なんのことか分からなかった。でも隣の机に並んでいた子も似たような事を 言われていたから、他の子にも同じ事を言うのだろう。でも、どんな返答をすれば いいのか分からない。 「あ、ありがとうございます。あ、あの、がんばります」 内倉先生が笑顔でうなづいた。なんだかすごく恥ずかしくて、急いで下駄箱に 向かった。 名簿の一番最後だから、下駄箱もすぐに見つかった。下駄箱に書かれた名前は、 他の子も手書きだから他の子と違いがなくて、なんだか自分が他の新入生と同じに 思える。でも他の子の名前を見ると、名簿はどうやら五十音順のようだ。 僕の前が『寄居』だから、僕が五十音順から外れているのはすぐに分かる。 やっぱり変に思われるだろうな。目立ちたいのか目立ちたくないのか、自分でも 良く分からなくなってきた。そんな変な気持で下駄箱に靴を入れて、上履きに はき替える。そして矢印に沿って進んだら、僕よりも先に職員室を出た舞たちが、 机や椅子を抱えて廊下にいた。 「あ、お兄ちゃん、もう来たの?」 「ごめん、すぐに机を教室に入れるから、ちょっとだけ待ってて」 『1年1組』の札が付けられた教室に、机を抱えた舞たちが入って行く。 自分が座る椅子と机を、高1の妹に中1の教室まで運んでもらっている、だなんて なんだかすごくミジメな状況なんじゃないかと思えてしまう。 「どこにおくの?」 「あいうえお順みたいだから、あの辺?」 「でも名簿では一番最後だから、机も一番最後じゃない?」 他の人に気付いてもらいたくない事を大声で話している。舞達がこれ以上変な事を 言わないかとドキドキしていたら、すぐに教室から出てきた。 「はい。これで完成。座っていいよ、お兄ちゃん」 まだ人が少ないとはいえ、こんな所で『お兄ちゃん』を連呼されるのは恥ずかしい。 でもこんな所で『やめて』というのも恥ずかしい。それに、本当ならこういう時では 『先輩、ありがとうございます』とか言うべきなんだろうけど、それを言うのも 恥ずかしい。かと言って何も言わないのも変に思われる。 「あ、ありがとう…」 「じゃあ私たちは自分の教室に戻るね。あ、そのカバン、持ってると大変でしょ?」 舞は、封筒とカバンを抱えている僕を見て言った。 「う、うん…でも舞も入学式なんだし…」 「深田先輩に渡しておくから。生徒会の仕事でずっと演壇の近くにいるみたいだし」 「えっと、うん、じゃあ、そうしてもらおうかな」 周りの目が気になっていつものようには話せない。かといって、上級生相手のような 丁寧な言葉づかいを舞に向かって使うのも恥ずかしい。でも、楽しそうな舞の顔を 見ると、黙っている訳にもいかない。どうしていいのか分からない。 「じゃあ後でね」 そう言って舞たちは階段を上って行った。舞たちがいなくなると、また知らない人 ばかりになった。舞がいると恥ずかしくて話せないのに、舞がいなくなると 不安になって緊張してしまう。さっき見た不安そうな新入生や緊張した新入生、 僕もそんな新入生の一人に見えるのだろうか。 周りに人が増えたような気がする。他のクラスを見ると、新入生は教室に入るけど、 保護者は教室のドアの前に止まって、そして廊下を通り抜けていく。入学式がある 体育館に行くんだろうか。 ここに立っていると保護者にジロジロ見られている気がする。ドキドキしながら 1年1組の教室をのぞくと、席に座っているのは3人しかいない。今なら教室に 入るのも少し気が楽かな、と思って教室の中に入る。一番後ろの一番窓際に行くと、 僕の名前が大きく書かれた紙が机に貼り付けてあって、ドキっとする。僕の名前が こんなに大きな字で書いてあるなんて、いつ以来だろう。いや、こんな大きな字で 書かれたのは初めてかも。そして僕の名前が貼り付けられた机のすぐ前の席には、 既に新入生が座っていた。声をかけられたらどうしよう、苗字が五十音順から 外れている事に気付かれたらどうしよう、と不安になるが、いまさらここを出る事 の方が目立ってしまう。前の席の人と目を合わせるのが恐くて、椅子の上を見つめ ながら座った。小学校1年から高校卒業までほとんど変化のなかった椅子に、 初めてスカートをはいて座った。すごく違和感を感じて、お尻の下に手を入れて しわを伸ばしてみたけど、あまり変わらないような。 「あ、あの」 前の方から声が聞こえた。前の席の子に声をかけられた。どうしよう。 「え、えっと、こん、おは、はじめ、まして?」 前の席の子も緊張しているみたいな声だ。そんな声を聞いたら僕の方もさらに 緊張してしまう。早く返事をしなきゃ。 「お、は、はじめ、まして」 しまった。言葉がうつってしまった。前を見ると、目の前の子は笑っていた。 すごく背の小さな子で、もちろん舞と比べるとすごく幼い顔で、それでも小学生 とは違う。この子は中学生なんだ、そう分かる顔だった。僕はこんな中学生の女子 と同級生になるんだ。いい事なのか悪い事なのか分からなくて、ドキマギする。 「マサちゃんって名前なの?」 名前を書いた紙が目の前に貼り付けてあるから、その話題になるのも当然だけど、 出来れば避けたい話題だった。 「マサって珍しいね、いまどき」 「や、やっぱり、そうかな…」 …いまどき? 「近所のおばあちゃんに同じ名前の人がいたから、なんだかおばあちゃんみたい だなって……いや、別にあなたがおばあちゃんみたいって意味じゃ」 「あ、あ、あの、自分でもそう思ってるんで、全然かまわないです」 ヤクザ映画の子分みたい、と言われなかっただけマシ。80年前に死んだマサちゃん の事だと思えば、おばあちゃんどころじゃないし。この中学校での同級生からは、 僕の名前は『おばあちゃんの名前みたい』という印象を持たれてるんだ。 今までとは違う、新しい友達が出来たような、新しい学校生活が始まるような、 ちょっとだけ嬉しい気持ちを感じた。 「私の名前はチワ。この字」 前の席の子は机に貼ってある紙を指さしたけど、座ったままでは前の机の上にある 紙は見づらい。少し立ち上がり、机の上の紙を見る。『寄居千和』と書いてある。 「えっと、その字なんだ、千和ちゃん」 ふと視線を下に向けると、女の子のつむじが目の前にあって、ドキっとする。 僕はこれから毎日、こんな距離で中学生の女子と話をするんだ。そんな事を 思っていたら、千和ちゃんが振り返って、上に顔を向けた。女の子のおでこが 目の前に現れて、またドキッとする。 「マサちゃん、背が高くていいなー」 急にそんな事を言われて、本当は高校を卒業した男子だ、というのがばれるんじゃ ないかと不安になってくる。なんて言い訳したらいいんだろう。 「えっと、その、あの」 「えーなに、背が高くてもいい事ない、とか?小学校でもそういう友達いたけど、 ぜいたくだよー」 目の前にいる子からまるで同じ歳同士のような話し方をされて、ドキっとした。 すごく小さくて幼い顔の子なのに、なんとなく同級生の女子から話しかけられて いるような気分だ。もちろんこの子は僕を同じ歳と思ってるから、そういう話し方に なるんだろう。でも先月はもっと大人の、高校3年の女子が同級生として僕に 話しかけてきたのに。なんだか目の前の子と同じ歳まで戻ったような気がしてくる。 本当に、自分が歳の割に背が高いような気がしてくる。 「いや、そうじゃなくて。うちの家族は背が高くて、だから、このくらいの背で 高いと言われた事が、あまりなくて。むしろ小さい扱いが多くて」 「そうなんだ。私は学校でも小さい方だから良く分からないけど。あ、もしかして、 さっき机を運んできた背の高い上級生って」 急に運び込まれた机の話題を出されて、またドキっとする。 「あの上級生とさっき仲良さそうに話してたけど、もしかしてお姉さん?」 さっき舞に『お兄ちゃん』を連呼されてたけど、ここで妹と答える訳にもいかない。 じゃあ姉というのが無難な所か。本当は嫌だけど、この中学校にいる間はそうする 以外になさそう。 「えと、うん、そう」 答えてしまってから、自分が本当に中学1年生の妹になったような気がして、 また恥ずかしくなる。 「いいなー。お姉さんがいるって。しかも同じ九輪女子で」 うらやましがられて、嬉しいのか恥ずかしいのか分からない。でも舞が同じ学校に いるっていうのは、少しだけ安心できるかな。一緒にいたら恥ずかしいけど。 「制服の色が私のと違うのは」 今度は制服の話題になった。後で全校生徒の前で紹介されちゃうんだけど、 それまでの間はどうしよう。全部説明すると長いし。 「もしかしてお姉ちゃんのお下がりなの?古くなったから色が違ってるとか」 これが舞のお下がりだったら……我慢できないくらいの恥ずかしさになりそう。 かと言って、ひいおばあちゃんの妹というのは唐突過ぎるし。 「お、お母さんのお下がりで、今とは生地が違うらしくて」 「ああ、お母さんも九輪女子だったんだ」 お母さんは本当は他の県出身だけど。 「そういうのってうらやましいなー。住んでるのはこの近所?」 「うん。駅の前から見ると反対方向に少し入った所」 「あ、近いんだ。歩いて来れるんだ」 「そう、本当にすぐ近く」 「小学校の時も、学校に近い子って遅刻しそうになっても走れば間に合いそうとか 思ってうらやましかったけど、その子のお母さんも良く学校に来てたんだよね。 別に悪い事したとかじゃないんだけど、そういうのってなんだかちょっとイヤかな。 それに鉄道で通学するのって大人になったみたいで、かっこいいし」 高校を卒業した僕が、電車通学が必要な予備校をやめて、歩いて来れる九輪女子で 先生に教えてもらう事になった、なんてとても言えない。『鉄道で通学って かっこいい』と言ってるのを聞くと、やっぱり子供なんだと思うけど、その子の 隣の席に座って『子供っぽい』とか思ってる僕も、なんだかマセてる子供のように 思えてしまう。 ふと前を見るとと、もう全ての席が埋まっていた。ここには本当に女子しかいない。 ここは女子中なんだ。身体検査などで男子がいない教室は時々見たことがあるけど、 ここは全ての席が女子だけで埋まっている。その中に僕が座っているんだ。 女子中学生ばかりの教室にいると、なんだか不安になってくる。千和ちゃんも 僕の視線の向きに気が付いて、前を見た。 「このクラス、こんなにいるんだ。うちの小学校って人数少なかったから、こんなに いるとちょっと不安かな。同じ小学校だった人は他のクラスにいるけど、このクラス はみんな違う小学校の子ばかりだし」 「う、うん…」 僕なんて先月は小学生じゃなかったんだし。 「でもマサちゃんと話してたら、友達が全然出来ない訳じゃなさそうだし、大丈夫 な気がしてきた」 「そ、そうだね…」 そう言われると、こんな風に話せる友達がいる事が楽しい事のように思えてきた。 僕はこのままこのクラスになじんでしまうんだろうか。大学生になっててもいい 年齢の僕が、中学1年の女子と仲良くなって、中学1年のクラスになじんじゃって いいんだろうか。でもちょっぴり楽しみにも思えてきた。 しばらくして、内倉先生が来た。 「このクラスの担任を務める内倉牧子です。まず皆さんには入学式に出席して 頂きます。入学式を持ってみなさんは正式に九輪女子学園の生徒となります」 僕も入学式に新入生として出席するのか。この制服を見せるための一時的な 通学だという話だったのに、入学式に出席してしまうと本当に女子中学生に なってしまう気がする。 「それでは廊下に、名簿順に並んでください」 教室の中のみんなが一斉に立ち上がった。千和ちゃんも立ち上がって、僕の方を 向いた。 「名簿順って、席の順なんでしょ?」 「う、うん…」 千和ちゃんの言葉につられて立ち上がり、廊下まで並んで歩いた。 「2列になって並んでください」 廊下に出て、なんとなく出来ている列の一番後ろに立つ。僕の隣が千和ちゃん。 僕の前にいるのも当然女子。斜め前にいるのも女子。その前にいるのも女子。 こんなに近くに女子ばかりがいるなんて落ち着かない。後ろを向いてみたけど、 少し離れた所に2組の女子が立っている。女子中なんだから当たり前か。 大して変わらないので前を向く。視線を下に向けると、前の女子のほっぺや首筋が 見えてドキドキする。真正面を見るとずらりと頭が見える。でもやっぱり女子の 頭ばかりだと分かる。後ろから見ると、所々に周りより飛び抜けた頭が見えるけど、 このクラスで一番背が高いのはやっぱり僕なのか。あまり目立ちたくないから、 早く他の子が大きくなってくれないかな。でも中1の女子に背を追い越されるのは ちょっとミジメかも。どっちがいいんだろう。 「それでは進んでください」 前の子が動いた。隣の千和ちゃんと一緒にその後ろをついて行く。 講堂の前で少し待たされる。この中はどのくらいの広さで、どのくらいの人がいる んだろう。今日は制服の紹介のためにちょっとだけ演壇に立つくらいのつもり だったのに、新入生と一緒に入るだなんて。これだけたくさん同じ制服の新入生が いるのだから、僕一人くらい目立たないのかも知れないけど、でもやっぱりたくさん の人に見られるのは恥ずかしい。 ブラスバンドの演奏が建物の中から漏れてきた。列が動き出す。先頭の子が中に 入ると、拍手が聞こえてきた。僕が前に進むにつれて拍手の音が大きくなって、 周りが明るくなると同時に耳が痛くなるほど大きな音になった。保護者席には 本当にたくさんの人がいる。若いお父さんお母さん、ちょっと歳のいったお父さん お母さん、それにおじいちゃんおばあちゃんも。もちろん知らない人ばかり。 僕のひいおばあちゃんはどこにいるんだろう。中学校に入学したばかりの女子の 列の中に、高校を卒業した男子が一人だけ混じっているのを、何百人もの大人に 囲まれて見られるなんて。他の子よりも体が大きくて目立ってるだろうし。 恥ずかしくて逃げ出したいけど、こんな所で逃げ出せるわけがない。 ビデオカメラで撮影している保護者もいるし。あれ?『取材』の腕章をしている 人もいる。新聞記者なのかな?九輪女子って有名校だから、新聞やテレビも取材に くるんだ。そんな中に僕なんかが混じってていいんだろうか。 ドキドキしながら保護者席を通り抜けた。在校生の席になると拍手もいくぶん静かに なる。でも、同じ制服なのに僕たちよりも大人っぽい人たちがこちらを見ていて、 やっぱりドキドキする。あれ?僕たちより大人っぽいって。自分がクラスの女子と 同じだという気持ちになってしまった。そもそも僕は男子だから、上級生の女子が 僕よりも大人っぽいかどうかなんてよく分からないし。 在校生の席も通り抜けて、まだ誰も座ってないがらんとした椅子の列までたどり 着いた。前から順に座っていき、一番最後の列は僕と千和ちゃんになった。 椅子に座って前を向くと、前に座っている女子の首筋が見える。教室と違って、 机無しにすぐ目の前にある。座ったままじっと首筋を見ていると、艶めかしく感じて しまう。前に座っているのも新入生のはずなのに。恥ずかしくなって下を向くと、 今度は千和ちゃんのスカートが見えた。教室では机をはさんで座っていたから よく分からなかったけど、今はすぐ隣に座っているので良く見える。千和ちゃんは 僕と同じスカートをはいている。いや逆だ、千和ちゃんがスカートをはいてるのは 当たり前なんだ。こんなちっちゃな女子と同じスカートを自分がはいている事が 奇妙に思える。 「寄居さん、岸部さん」 内倉先生が小さな声で話しかけてきた。先生から二人続けて名前を呼ばれると、 ますます同級生のように感じる。 「二人、座っている椅子を替わってくれる?」 寄居さんの方が壁際に座っているから、後で出やすいように僕に壁際に座るように 言ってるのだろう。 「あ、はい」 でも千和ちゃんはなんだか良く分からないという顔をしている。 「えと、じゃあ、ぼ…私が立つから」 僕は頭と腰を低くしたまま立ち上がって、椅子の後ろを回って壁際への動いた。 僕が座っていた席に千和ちゃんが移った。空いた席に僕が座る。スカートに慣れて なくて、スカートでこんな事をするのはなんだか変な感じ。お尻の下に手を入れて 直してみる。内倉先生はもうどこかに行ってしまった。 「なにかあるの?新入生代表で何かするの?」 「ち、ちがう。そんなんじゃなくって」 必死になって否定したけど、目立ち方では新入生代表とさほど変わらないか。 「なくって?」 「えっと、新入生代表ほど偉くないけど、ちょっと目立つ事…かな?」 「へえ。ちょっと楽しみ」 変な期待を持たれてしまったけど、僕が特別な事をする必要はなくて、単に制服を 見てもらうだけだから、まあいいか。 壁際の席に座ったら、壁際に並んでいる教職員の席が見渡せた。なんとなく 前から順番に見て行ったら、真ん中辺りに元学園長がいて、その後ろに ひいおばあちゃんがいた。こんな所にいたんだ。高校を卒業した僕が、小さな子に 混じって中学校の入学式の新入生席に座っているのをこんなに近くで見られる なんて、ひいおばあちゃんであってもさすがに恥ずかしい。でも今着ているのは マサちゃんの制服だから、ひいおばあちゃんにならマサちゃんの代わりだと思って 見てもらえるだろう、そう思っておこう。反対側を見ると、高校の新入生も 入場して着席し始めた。舞はどの辺りにいるんだろう、何組か聞いておけば よかった。 マイクのスイッチの入る音が聞こえて、場内が静かになった。 「これから入学式を執り行います。初めに校歌斉唱。全員起立してください」 ピアノの演奏が始まる。でも中学の新入生は校歌なんてしらない。歌声は割と 大きいのだけれど、遠くから聞こえてくる感じ。でも前にいる子は、楽譜の 書かれた紙を持って、なんとなく音程を合わせながら歌っている。楽譜はあの封筒 の中に入っていたんだろうか。すごく律儀な子だ。ずっと年上のはずなのに何も 考えなかった自分がちょっと情けなくなる。ふと壁際を見ると、元学園長、 それにひいおばあちゃんも歌ってる。校歌も80年前と同じなのか。伝統のある 学校だからそのくらい普通かも知れないけど、よく覚えてるなぁ。桜から始まって 花の名前がふんだんに出てくる歌詞を聞いて、やっぱりここって女子校なんだと 感じる。桜はすぐそこにあるけど、あの桜って80年前にもあったんだろうか? 校歌斉唱が終わって、学園長が演壇に立ち、お話を始めた。元学園長とは ひいおばあちゃんについて行って何度も会ってるけど、学園長はそれほどでない。 あまり会った事がない人だったけど、こうしてお話を聞くと、興味を持てそうな 話を噛み砕いて話してくれて、やっぱり九輪女子の学園長なんだな、と思った。 こういうお話を聞けて良かった。中学の新入生席で聞くはめになったのはちょっと 変に感じるけど。やっぱりここっていい学校なんだ。ひいおばあちゃんもマサちゃん もこの学校に通ったんだ。舞も通っている、じゃあ僕も、ちょっとだけ通っても いいかな。 その後に同窓会会長、今の生徒会長の祝辞があって。新入生代表の答辞があって。 九輪女子とはいえ、入学式はちょっと長くてだれるかな。僕は二度目の中学の 入学式だし。と思った自分がちょっと恥ずかしい。 入学式が終わって、教職員の紹介が始まった。先生が全員前に並んで、 まずは中1の担任の先生たちが自己紹介を交えながら紹介されていった。 内倉先生の自己紹介が終わった所で、次期生徒会長が近づいてきた。 「それじゃ、舞台の袖に行くよ」 「はい」 目立たないように頭を低くして席を立った。そんな僕に千和ちゃんが話しかけた。 「今から何かするんだ。がんばってね」 「う、うん」 笑顔の千和ちゃんに見送られながら、次期生徒会長の後をついていく。 近くの出入口から廊下に出てから、背中を伸ばして歩く。 「何か準備をする必要があるんですか?」 「カバンを持って、後は待っててくれればいいから。それ以外は、壇上にいる 司会の言葉に合わせて出て行って、真ん中に立てばいいから」 「はい」 「そういえば」 次期生徒会長は僕の方を見た。 「隣の子と仲良さそうだね」 「は、はい……前の席の人で…」 「友達が出来て良かったね」 次期生徒会長に連れられて、演壇の袖に着いた。舞は既に着ていた。 「お兄ちゃん、こっち」 ようやく舞に会えてほっとした。 「お兄ちゃん、そこで少しじっとしてて」 「え?なに?」 言われるままに立ち止った。 「靴下が少し下がってるから、引き上げて」 制服がちゃんとしているか見てたんだ。 「は、はい…」 急いで両足の靴下を引っ張り上げる。これでヨシ。 …あれ?僕はもしかして、舞を相手に『はい』って返事をしちゃったかも。 ちょっとあわててたし、舞に命令されたような気がして、さっきまで周りにいた子と 比べると、舞がすごく上級生に見えて、ついうっかり上級生相手のつもりで返事を してしまった。そういえば次期生徒会長にも。恥ずかしくなってきた。二人とも 気付いてないといいな。 「お兄ちゃん、後ろを向いて」 「はい…」 しまった、また言ってしまった。僕が後ろを向くと、舞はいきなり僕のお尻を なではじめた。スカートのしわを取ってるように思えたけど、いきなりだった から驚いた。 「これでよし。こっち向いて」 返事しちゃうと、また舞に向かって敬語を使ってしまいそう。出来るだけ話さない ようにしよう。 「はい、カバン。先生の紹介はまだかかりそうだから、待ってようね」 「う、うん…」 こんな返事をしたらしたで、なんだか失礼な事をした気持ちになってしまう。 妹なのに上級生に見えてしまって、ちゃんとした言葉遣いをしないと、自分が 悪い子のように思えてくる。どうしよう。 僕たちが待っている間、教職員の紹介が続いている。中学高校とあるから結構多い。 でも、中学1年と高校1年の担任の紹介が終わったら、他の先生は簡単な紹介で、 意外とどんどん進んで、僕たちの出番になってしまった。 「以上で教職員の紹介を終わります。ここで学園長から、特別な報告があります」 演壇の向こう側が少しざわざわした。前を見ると、演台が中央から少しずらして あって、そこに学園長が立っていた。 「九輪女子学園の前身である九輪高等女学校を77年前に卒業された岸部トミさん の実家にあります古い蔵を、先日町役場が『文化財に指定したい』との申し入れて きました。そこで一家で掃除をしましたところ、こんな物が出てきました」 学園長が手招きをしている。舞の方をちらっと見たら、舞が 「ほら」 と口を動かした。僕が着ている制服を見せるのが目的なんだから、当然ながら僕が 先に行く必要がある。ドキドキし過ぎて胸が痛いけど、思い切って学園長の方に 向かって歩いた。横の方にはたくさんの新入生、その向こうにはさらにたくさんの 在校生、そして保護者がいる。学園長が指さした場所まで行き、そこで立ち止まる。 演壇のちょうど中央だ。ドキドキしながら正面を向くと、講堂全体が見渡せた。 でも人が多過ぎて、ここに何人いるのか全然分からない。通路として確保されて いるスペースには、腕章をつけた人が腰をかがめてカメラを構えている。 もしかして、この制服の取材のために来たんだろうか。恥ずかしくなって下を 見たら、カバンが目に入った。このカバン、どう持てばいいんだろう。有名な 女子校の制服を着てるんだから、お行儀のいい持ち方とかありそう。でもそんなの 聞いてない。少し左右を見渡したら、少し離れた所に舞が立っていた。 そうだ、舞の持ち方を真似しよう。スカートの前で、両手で持って。 でも女の子っぽい持ち方に思えてきた。別にそれでいいんだけど、ますます自分が 女子中学生になったように思える。 「およそ80年前の我が校の制服です」 後ろの席から『おー』という歓声と拍手が聞こえてきた。一方で、前に座っている 新入生、特に中学の新入生はきょとんとしている。 「この制服は、岸部トミさんの妹さんで、やはり我が校に在籍していたのですが、 在学中に亡くなった外村マサさんが使っていたものです。今日は岸部さんの ひ孫さん、マサさんのお姉さんのひ孫さんに着てもらっています」 また後ろの方で拍手が起こった。何についての拍手だろう? 「それでは、現在の制服と並べて比較してみましょう」 舞が僕の隣まで来て、僕と並んで立った。隣に舞が立っているだけで恥ずかしい のに、ほとんど同じ女子制服まで着て、それをこれだけたくさんの人に見られて。 カメラマンが頑張って写真を撮っているので、かなり頻繁にフラッシュが光る。 あれって明日の新聞に載るのかな。 「一番大きな違いは、近くで見ないと分かりづらいですが、生地の違いです。 また、白線の入り方や胸ポケットの形状が少し違っています。二人とも、 後ろを向いて」 舞と一緒に背中を向ける。 「セーラーカラーも少し違いがあります。全体の形状も、それぞれの時代の ファッションの常識の影響を受けて、少し違いが見られます。直接目に見えない 部分ですが、現在はファスナーを使っている部分も、ボタンだったりカギホック だったりしています。二人とも前を向いて」 体の表も裏も見せるなんて変な気分。ファッションショーと似てると言えば似てる けど、僕たちの場合は立ってるだけ。 「大きな違いがありませんので、遠くから見ていると分かりにくいかも知れません。 生徒のみなさんには各クラスごとに間近に見る機会を設けます。他にも当時の教科書 などがありますので、それらも一緒に見られるようにいたします。保護者のみなさん には、今日の入学行事が終了した後、旧校舎などで見ていただきたいと思います。 以上、私からの報告でした」 保護者席はざわざわし始めた。在校生席でもみんな隣と話している。中学1年生は やっぱりきょとんとしている。 もう終わったんだから、僕たちはもう退場していいんだよな。でも誰かに許可を 取らないといけないような気もする。不安になって舞の方を見ると、うなづいて、 僕の手を握り、僕を舞台の袖の方に引っ張っていった。最初は舞に手を引っ張って もらって、ちょっと安心した。でもよく考えたら、こんなたくさんの人の前で 妹に手を引っ張られて退場だなんて、すごく恥ずかしい事じゃないのか、 と思えてきた。でももう幕の陰に隠れてしまったので手遅れだ。今日の僕は、 舞からさえもすっと年下の女子として扱われている。それをみんなに見られて。 誰の目にも中学生の妹に見えるだろう。自分でもそう思えてしまう。 演壇の袖から出たら、内倉先生と次期生徒会長がいた。 「早く席に戻りなさい」 席というのは入学式で座っていた席か。こんな目立った後にあんな所に戻るのは 辛い。でも入学式に出席してしまった上にあんなに目立ったんだから、戻らないと さらに目立ってしまう。次期生徒会長にカバンを預かってもらって、席に向かう。 席に戻ると、みんなから注目されていた。 「おかえり。マサちゃんすごいね」 千和ちゃんは興奮気味に僕に話しかけてくる。 「この制服ってお母さんのお下がりじゃなくて、ひいおばあちゃんのお下がり だったの?」 「ひいおばあちゃんじゃなくて、その妹」 「80年前なんだよね。80年前って何年前?」 何を言ってるのか分からない。 「違った。80年前って、明治とか?」 「そんな前じゃない。ひいおばあちゃんが生まれたのが大正何年か。入学したのは 昭和になってからじゃないかな?」 「でも女学校の制服なんだよね。そんなのを同級生が着てるなんて、なんだか自分も 大正時代の女学校に通ってるみたい」 千和ちゃんはすごく楽しそう。前の席の子も体をひねってこちらを見ている。 「新入生、退場」 アナウンスが聞こえて、前の人達が立ち上がった。僕の方を向いていた人達も あわてて立ち上がる。内倉先生が前に進むよう促した。そういえば僕が一番後ろ、 だからこの場合は僕が先頭になってしまうんだ。あわてて内倉先生の後を 追って歩き始めたけど、目立つ事をさせられた後にいきなり列の先頭だなんて、 動揺してしまう。在校生は拍手しながらこちらを見ているけど、今まで以上に 注目されている。拍手をしないで僕の方を指さしている在校生もいる。 でも保護者席まで来たらみんながはっきりと僕の方を向いている。出口近くでは カメラマンも大きなカメラを構えてこちらを見ている。みんなの視線が本当に痛い。 女子でも中学生でもないのにこんなに目立つなんて。ものすごく長い距離を歩いて いるような気分。それでもようやく出口にたどり着き、外に出ると静かになった。 「すごいね。みんな注目してたよ」 千和ちゃんが僕の横に来て話しかけてきた。 「お父さんお母さんよりも、おばあちゃん達が熱心に見てた」 「あ、そうだったんだ…」 みんなに注目されてドキドキして頭の中が真っ白になっていたから、そんな事まで 気付かなかった。 「何十年か前の自分たちの制服を見られて、やっぱり嬉しいんだね」 「うん。ひいおばあちゃん達もすごく喜んでたし」 千和ちゃんとおしゃべりしたら、少し気分が落ち着いてきた。 教室に戻って来た。列になっていたので、すぐに全員が席についた。 「保護者の方々が来られるまで少し待ちます」 内倉先生はそう言って、教室の前の隅にある椅子に座った。教室が少しザワザワし 始めた。千和ちゃんがすぐにこちらを向いて。 「ねえねえ、その制服を触っていい?」 「うん」 千和ちゃんが僕の腕を触った。制服を触られているというよりも、腕をつかまれた ような感じ。 「今の制服とは、触った感触が違うんだね」 今まで舞やひいおばあちゃんの友達や先生達に触られたけど、 中学校に入学したばかりの女子に服や体を触られるのは、変な感じ。 周りの女子も僕の方を見ているけど、なんだか話しかけるのを遠慮している感じ。 やっぱり僕が高校を卒業した男子だから、背が高かったりして、どことなく変に 見えるのかな。千和ちゃんはそんなの全然気にしてないようだけど。それとも 単に、初めて会う新入生同士で話しかけづらいだけか。それでも、中1の女子から ジロジロ見られているのは変な感じ。ずっと年下の女子から注目されるのは、 大人から注目されるのとちょっと違う。やっぱり僕がずっと年上の男子だから。 いや、今は単に制服で注目されているだけで。 「あ、あの」 横の席の子が僕に声をかけてきた。 「私も、触っていい?」 「ど、どうぞ」 隣の席の子が手を伸ばしてきた。遠慮しているような、どこを触ろうか迷っている ような、そんな手つきでゆっくりと手が近づいてきた。触りそうで触らない、 というのも、微妙にくすぐられているような感触。どこをつかむんだろうと 思ったら、肩をつかまれた。腕は千和ちゃんがつかんでいるし、セーラー服の 襟もあるし、肩を触りたいというのも分かるけど、中学生の女子に肩をつかまれる というのも変な感触で恥ずかしい。 「あ、本当だ」 自分の制服の同じところを触って比べている。 そんな事をしていると、保護者が数人入って来た。僕を指さして笑っている。 女子に囲まれて体を触られているのを、周りにいる女子のお母さん達に見られる なんて、どうしたらいいのか分からない。さらに保護者が入ってくる。 その中の一人、ひいおばあちゃんと同じくらいの歳に見える人が急ぎ足で近づいて きた。隣の席の子もそれに気づいた。 「あれ?ひいおばあちゃん?」 「あ、あなたが、外村マサちゃん?」 いきなりそんな事を尋ねてきた。 「あ、あの、外村マサの、姉のひ孫です」 「ああ、そうだったわね。姉っていうのは外村トミさんよね」 「はい」 旧姓でいえばそうなる。 「本当にそっくりで、マサちゃん本人が現れたのかと思っちゃった」 「細溝さんや、ここの前の学園長からもそう言われました」 「細溝さんって?」 「えっと、ひいおばあちゃんの友達で、細溝久枝という方で」 「久枝さん……菊池久枝さん?」 「あ、あの、旧姓までは…」 そんな事を話していたら、ひいおばあちゃんが教室に入って来た。 「あの、ひいおばあちゃんが来たので…」 そういうと、目の前の人はひいおばあちゃんの方を向いた。 「外村トミさん、ですか?」 「はい」 「あ、あの、私、内野タケです」 「タケ……ああ、マサちゃんと仲良くしてくれたタケさん?」 「はい、ひ孫さんがあまりにマサちゃんにそっくりだったので、びっくりして しまいました」 タケさん……マサちゃんの日記に時々書いてあったタケさんの事かな? 「あのタケさんがこんな所にいるなんて」 「私のひ孫もここに入学しまして。この子です」 「あら、マサちゃんの隣に座ってるの?」 タケさんがちょっとキョトンとした顔をした。僕の方をしばらく見て。 「えっと……あら、この子もマサちゃんという名前なんですか?」 机に貼り付けてある名前を見たのか。 「ええ。別にマサちゃんと同じ名前にしろと私が言った訳じゃないけど。 もちろん止めもしなかったけど」 「本当に昔のままのマサちゃんが、私のひ孫の隣に座っているみたいで」 「あなたのひ孫さんも、80年前のあなたとよく似てるわ。マサちゃんとタケさんが 並んでるみたい」 二人がすごく嬉しそうに僕たちの方を見てる。 「ひいおばあちゃん、もしかして、昔仲良しだったマサちゃんの話?」 隣の席の子が尋ねた。 「そうよ」 「そっくりなの?」 「ええ。また写真を見せてあげるわね」 隣の席の子は僕の方を向いた。 「そうか。ひいおばあちゃんのお友達なんだ。そのお姉さんのひ孫、なんだ」 「あ、あの、マサちゃんの日記に『タケさん』ってよく出て来て」 「本当にひいおばあちゃんと仲良しだったんだ」 隣の席の子がすごく嬉しそうな顔をした。そこに隣の席の子のひいおばあちゃんが 顔を近づけてきた。 「あら、私の名前がマサちゃんの日記に書いてあるの?」 「はい。熱を出して休んだ後、タケさんに学校での出来事を聞いた、とか」 「そう。それは嬉しいわ。なんだか昨日の事のよう」 僕と隣の席の子、それにひいおばあちゃん二人で話をしていたら、僕の制服の袖を 触っていた千和ちゃんが急に両手をあげて振り始めた。 「あ、お母さん」 ドアを方を見ると、入って来たばかりの人が千和ちゃんの方に手を振っていた。 千和ちゃんのお母さんなのだろう。嬉しそうな顔をしている。生徒3人が 向き合っているのを見て、『さっそく友達が出来たのね』みたいな事を思ってる んだろうか。そんな風に思われているなら嬉しいんだけど、でも僕みたいな友達で いいんだろうか。 その時、内倉先生が立ちあがった。 「保護者の皆様が来られたようなので、始めたいと思います」 「あら、ついつい嬉しくてはしゃいじゃいましたわ。年甲斐もなく」 ひいおばあちゃん二人が後ろの方に行った。と言っても、一番後ろの席の僕から 見ればすぐ近く。ひいおばあちゃんや、ひいおばあちゃんを良く知っている人が 近くにいると、すごく安心する。でも今日はそもそも舞の入学式で、本当なら ひいおばあちゃんは舞のクラスに行くはずなのに、僕のクラスに来てもらって、 なんだか舞からひいおばあちゃんを取り上げたような気分になってくる。 この机も舞に運んでもらったし、兄の僕が舞にそこまでしてもらうなんて、 なんだか申し訳ない。 内倉先生が改まったしゃべり方で話し始めた。 「新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。保護者の皆様方、娘さんや 孫娘さんが中学生になられて、お喜びの事と思います。これから6年間、ここに いる友達と一緒に成長して、立派な大人になれるよう、お互い励まし合いながら がんばりましょう」 先生に『ここにいる友達と一緒に成長して、立派な大人になれるよう』なんて 言われると、高校を卒業した事が取り消されて、もう1回中学1年生と一緒に 成長し直せ、と言われたように感じる。ここの先生たちが大学受験のための勉強を みてくれる事になってるんだから、今の言葉は僕に向かって言った訳ではない んだろうけど、先生は僕の方を見て言ったから、どうしてもそう思ってしまう。 それ僕は6年もいる予定じゃないんだから、周りにいる女子と一緒に立派な大人に なる訳じゃなくて。そう思ったら、その事もちょっと申し訳なく思った。 「えーと、まだ時間がありますので、保護者のみなさんの前で自己紹介をして もらいましょう」 教室の中が騒がしくなる。目の前にいる千和ちゃんも、僕の方を向いて 「急にそんな事を言われてもー」 と言っている。僕だってそう思う。いきなりそんな事を言われても困る。だって 僕は本当の中学生でも、女子でもないんだから、どう紹介していいのか分からない。 そうやって騒いでいる生徒を、先生は楽しそうにしばらく眺めて。 「でもそんなには時間がないので、その場で立って、みんなに顔を見せて、名前と、 好きな物をひとつだけ」 みんなのほっとした声が聞こえた。みんな小さな声で言ってるんだけど、何十人も いるとそれだけで結構な音に聞こえる。でも僕もほっとした。それくらいなら 僕でも言える。 「それじゃ名簿順に。はい」 一番前の女子がキョロキョロしながら立ち上がった。 「みんなの方を向いて」 先生に言われて、教室の中央の方を向いた。 「はい。えっと、浅賀久美、です。ピアノを弾くのが好きです」 「はい、次」 「飯田真子です。バレエを習ってます」 名前と一言だけなので、意外とどんどん進む。でも僕は一番最後だから、最後まで 緊張させられる。小学校から高校まで、こういうのを何度も経験したはずなのに、 周りの新入生を見ていると、中学1年の時と変わらないくらいに緊張する。 いや、女子ばかりの中学校なんて初めてだから、みんなにどう思われるのか、 僕には全然分からない。その点では周りの子と同じなんだ。 でも『好きな事』というのがバイオリンや日本舞踊という子がいて、ピアノや バレエが可愛らしく聞こえる。やっぱり九輪女子に入学する子ってそんな子 ばかりなんだ。先月まで普通の男子高校生だった僕はどうすればいいんだ。 普通の男子高校生だった事に劣等感を感じてしまう。 とうとう隣の席の子が立ち上がった。 「堀島桜子です。音楽鑑賞が趣味です」 あ、隣の席の子は音楽鑑賞だ。どんな音楽かは言わなかったけど、ビバルディや ベートーベンかも知れないけど、先生はそれを聞かないし。だったら読書でも いいんだ。他の人が言わなきゃいいな。 とうとう僕の列になって、前の席の子が立ちあがる。 「寄居千和です。マンガを読むのが好きです」 マンガが好き、というのがここでは意外に聞こえてしまう。でもマンガと読書は ちょっと似てるかもしれない。すぐ前の子が言った事だし、どうしよう。 でも考えている暇はない。 仕方なく立ち上がる。立ち上がった所からクラスを見渡すと、改めて女子ばかり だと分かる。僕はこんな所で自己紹介をするんだ。自己紹介をして、この中学1年 のクラスの一人になっちゃうんだ。でも、講堂と違って近くで注目されたら、 やっぱり男子だと分かる人もいるかも知れない。でもとにかく今は名前と趣味を。 「岸部さん、ちょっと待っててね」 名前を言おうとした時、先生に止められた。 「岸部マサさんは、本当は18歳の男の子なんですが、80年前に我が校の生徒 だった、ひいおばあさんの妹さん、外村マサさんにとても似ておられて、 そこで岸部さんに80年前の制服を着てもらって、生徒のみなさんに間近で 見てもらう事になりました」 先生が全部説明し始めた。クラスの女子みんなが、不思議そうな顔で先生と僕を 交互に見ている。すぐ近くに保護者も並んでいて、僕の方を見ている。 僕は既に立っていてすごく目立つのに、さらに注目されるような事を言われて、 すぐに逃げ出したいけど、保護者の目の前だから逃げる事も出来ない。 「入学して1年足らずで亡くなられた外村マサさんが1年1組だったので、 同じ1年1組の生徒としてみんなと一緒に学校生活を送ってもらいます。 他の学年の生徒にも見てもらうために、このクラスの授業の全てを一緒に受ける 訳ではありませんが、同じ1年1組の同級生として仲良くしてください」 先生が話し終わると、全ての女子が僕の方を向いた。僕が18歳の男子だって クラスのみんなに知られてしまった。すごく恥ずかしい。どうしたらいいんだろう。 僕が下を向いていると。 ぱちぱちぱちぱち。 拍手する音が聞こえた。ちょっと視線を上げると、千和ちゃんのお母さんと、 その隣のもう一人が拍手していた。すぐに他の保護者も拍手し始めた。 なんの拍手か良く分からない。 「良かったわね」 隣の席の桜子ちゃんのひいおばあちゃんが僕にそう言った。何が良かったのか よく分からない。 「それでは岸部さん、自己紹介、最後の一人です」 先生がそういうと保護者の拍手が止んだ。なんだか良く分からないけど、自己紹介 を終わらせなきゃ。 「岸部マサです。趣味は、読書です」 教室の向こうの端まで聞こえるように、と思って大きな声を出したけど、こんな 大きな声は出すのは久しぶり。こんな大きな声では、男子だってのが丸分かりかも。 もう先生が説明しちゃったけど。 ぱちぱちぱちぱち。 今度はクラスのみんなから拍手が起こった。なんの拍手だか分からない。 僕に対する拍手なのか、自己紹介が全部終わった事への拍手なのか。とにかく 終わったんだから、僕は椅子に座った。 「それでは、下駄箱の正面にある記念碑の前で記念撮影を行います。記念撮影の後、 今日は終了、解散です。明日は授業があります。時間割は今朝渡した封筒の中に あるので、ちゃんと準備してきてください。それでは表に出てください」 みんなが立ち上がった。お母さんの所に駆け寄る子もいるし、同じ小学校だった子 で集まっているように見えるグループもある。隣の子と仲良く立ち上がる子もいる。 前の席の千和ちゃんが、立ち上がってこちらを向いて。 「マサちゃん、一緒に行こう」 「う、うん」 千和ちゃんの言葉につられて立ち上がる。隣の席の桜子ちゃんも立ち上がった。 「じゃあ行こう」 桜子ちゃんは僕の方に手を伸ばして、僕の手を握った。桜子ちゃんにはさっき肩を 握られたんだけど、手を握られるのはまた違う感触がする。最近は舞とも手を つないだ事がないのに。すごくドキドキする。そのまま桜子ちゃんに引っ張られて 歩き出す。周りを見ると、まだ他の女子からジロジロ見られているような気がする。 やっぱり、ずっと年上の男子の僕がこんな所にいるのを変に思ってるんだろうか。 でも仲良くしてくれる女子が二人もいるから、明日もここに来ていいんだ、 そんな気持ちになった。 下駄箱までのほんの短い距離を、左手は桜子ちゃんに握られて、右手は千和ちゃんに 握られて、三人横になって歩く。 「マサちゃんという名前は一緒なんだ、ひいおばあちゃんの妹さんと」 「うん」 本当は漢字で書くかカタカナで書くかの違いがあるけど、名簿も机の上の紙も カタカナで書いてあったから、九輪女子ではカタカナでもいいか。 「おばあちゃんみたいって、さっき千和ちゃんに言われて」 「そんな事言ったの?」 「だってー」 「80年前の人と同じだもんね。でも私の名前も、ひいおばあちゃんは『梅子』が いいって言ってたらしいの。ひいおばあちゃんのさらにお母さんが『マツ』で、 松竹梅にしたかったらしくて。でもお母さんが『名前も理由も年寄りくさい』って。 だから桜子になったって」 「でも、九輪女子の前の桜は有名だから、そういう理由かも」 「うん、ひいおばあちゃんはそれで納得したのかも」 話す間、少し立ち止まって、それから角を曲がる。 「私ね、ひいおばあちゃんから何度もマサちゃんの話を聞かされてたから、すごく 昔からマサちゃんの事を知ってるような気持ちがするの」 一番目の『マサちゃん』はひいおばあちゃんの妹で、二番目の『マサちゃん』は 僕の事で。でも桜子ちゃんは同じように親しみを感じてくれてるみたいだから、 どっちでもいいような気もする。 「なんだか80年前から友達みたいな気がする」 「80年前からって…」 「なんかすごーい。マンガみたい」 マンガが好きな千和ちゃんが喜んでる。 下駄箱で靴とはき替えながら。 「苗字はあいうえお順じゃないね。マサちゃんだけは」 下駄箱の名前を見ながら、千和ちゃんがそう言った。 「今朝、先生たちにこの制服を見せたら、急に『毎日登校して』って話になって。 それから名簿に付け加えていたから」 「そんなに急な話だったんだ」 それを聞いた桜子ちゃんが、ちょっと不安そうな顔をして。 「それじゃあマサちゃんって、6年間ずっとこの学校に通う訳じゃないの?」 「う、うん…」 出来れば来年大学に合格して、大学生になりたいんだけど。九輪女子の先生達も 教えてくれる事になってるし。 「出来ればもっと、ずっと、一緒にいたいかな。ほら、マサちゃんってすぐに 亡くなったから。その分マサちゃんと一緒にいたいかなって」 そう言われて胸が痛くなった。マサちゃんは入学して1年足らずで死んじゃったから。 僕が1年でいなくなったら、ほとんどそれと一緒になっちゃう。なんだか悪い事を しちゃうような、申し訳ない気持ちになる。僕はもう高校は卒業してるんだから、 来年大学に合格できなくても、再来年とか、中学校だけここに通ってとか。 あれ、僕は何を考えてるんだ。 記念碑の前にはクラス写真を撮るための台が出来上がっていた。 「並ぶ順番は、必ずしも名簿順でなくていいです。背の低い人は前に、高い人は 後ろに立ってください」 クラス写真のカメラマンにそう言われて、 「えー、マサちゃんの隣に立とうと思ったのに。ぶー」 と千和ちゃんがふくれている。 僕は、本当の中学生でも女子でもないから、堂々と真ん中に立つのは気が引ける。 端っこに立とうか、でも端っこも目立ちそう。どうしようと迷っていたら。 「岸部さん。ほら、並んじゃって」 出席番号2番の子に背中を押されて、意外と真ん中に押し込まれた。真ん中から 少しずれてるけど、それが普通の生徒っぽくて、ちょっと恥ずかしい。 一番後ろの列だから、周りのみんなも割と背が高くて、僕が一番高いとはいえ、 それほど目立たないような気もして、それも普通の生徒みたいでちょっと。 僕は目立ちたいのか目立ちたくないのか。 写真撮影が終わって、1組の生徒が帰り始めた時。 「あ、いたいた」 次期生徒会長が手招きしている。 「あの、僕はこの後どうすれば」 「同窓生やら新聞記者やらがお待ちかねよ」 まだジロジロ見られるのか。でも、中学1年の女子からどう思われているのか 分からない中でジロジロ見られるのに比べたら、おばあちゃん達に喜んでもらい ながらジロジロ見られる方がまだマシか。 「はい、カバン」 次期生徒会長が預かってくれていたカバンを受け取る。 「僕はどこに行けばいいんでしょうか?」 「あそこにある階段、あれを上がった所に、旧校舎があるから。まずは旧校舎中央の 入口だね」 「私もついてっていい?」 千和ちゃんが次期生徒会長に尋ねた。 「いいけど、人が多いよ。後からゆっくり見た方が」 「マサちゃんがどんな事をするのか見たい」 千和ちゃんは後ろにいるお母さんの方を向いた。 「お母さん、別に急いで帰らなくてもいいでしょ?」 「ええ、お昼が遅くなって、おなかが空いてもいいなら」 「おなかが空くぐらい全然構わない」 千和ちゃんの頭の向こう側を見ると、桜子ちゃんとそのひいおばあちゃんが、 完全に一緒に行く気でいる。次期生徒会長の後について、ぞろぞろと旧校舎に 向かった。 木造の古そうな建物の前にたくさんの人が集まっている。僕が階段を登り切ったら 拍手が起きた。この拍手はさすがに分かる。この制服を見るためにみんなが 集まったんだから。 「まずはこの入口の前で」 大きなカメラを抱えた人たちが既に並んでいる。大きな板を持ってる人もいる。 「階段の前に立ってください」 言われた通りに、木製の階段の少し前に立つ。僕の周りにはたくさんの人が いるけど、その人達の列が作る数メートルの輪の中に、僕一人だけが立っている。 舞台の上での紹介と違って、遠くはないんだけど近くもなく、僕一人だけが みんなから注目されているのは、思ったよりも恥ずかしい。体の向きやカバンの 持ち方を、カメラマンの言う通りに変えながら撮影した後。 「今の制服の生徒も一緒にお願いします」 その声で、舞が僕の隣に来た。女子中学の入学式に出席しちゃった僕のすぐ横に、 高校生になった舞が並んで、高そうなカメラを持ったカメラマンに撮影される なんて、恥ずかしいんだけど、今日はひいおばあちゃんとマサちゃんの代わり だと思う事にして。それならちょっと嬉しい。背後にある建物はすごく古そうで、 そこに80年前の制服を着た僕がいて、本当にここが80年前のように思える。 舞が着ている制服は今の制服で、カメラマンは最新のカメラを抱えているのが、 なんだかちょっと変だけど。 「じゃあもう少し多くの人数で」 そう言われて、次期生徒会長がやってきた。 「中学生の子はいないの?きみ」 カメラマンの後ろにいた桜子ちゃんが指名されてしまった。 「え、何するんですか?隣に立つだけですか?」 「私もいいですかー?」 千和ちゃんが自ら志願した。 「じゃあ二人は、高校生2人とは反対側に並んで」 桜子ちゃんが僕の隣に来て、その隣に千和ちゃん。僕の左隣はひいおばあちゃんに そっくりの舞、右隣にはタケさんそっくりの桜子ちゃん。なんだかここだけ時間が 違っているような気がする。でもその外側の二人は、今の時代の知り合いで。 これもやっぱり変な感じ。 さらに学園長、元学園長、僕と桜子ちゃんのひいおばあちゃんまで加わって撮影。 それからぞろぞろと旧校舎の中へ。教室には『演劇部』『英語研究会』『写真部』 という札がかかっている。文科系の部活に使われているようだ。2階に上がる。 階段を上がってすぐの部屋の窓や戸が開いている。部屋の前の戸には 『文芸部』と書かれているが、後ろの戸には『歴史研究部』と書かれている。 でも窓から見ると、中は何もないように見える。 「どうぞどうぞこちらに」 生徒数人が、階段を上がってきた人たちを招き入れている。 「あれ、あなたは昨日の提灯ブルマーの子だ」 見覚えがある顔だと思ったら、蔵から出てきた雑誌を取りに来た人たちだ。 部屋を見渡すと、机が端に寄せられて、その下に古い雑誌の山があった。 「そうか、制服も提灯ブルマーも、靴まであったんだ」 「はい、他にも色々あります」 「先輩、こんな物もあったんですよー」 舞が自分のカバンから本を取り出した。古い国語の教科書だ。 「こんなものまで」 「ちょっとこっち来て」 高校生に手を引っ張られて、近くの木製の椅子に座る。 「これを持って」 教科書を渡された。 「あの、何をすれば」 「それを持って、眺めているだけでいいから」 急に言われて、なんだか良く分からないまま言われた通りにする。さっきまで 中学1年の子のクラスにて、中学1年の同級生と仲良くしていたから、高校生が 自分よりもずっと年上に見えてしまう。舞が先輩と呼ぶ人たちだし。年上の人から 言われた事だから、言われた通りにやらなきゃいけない、そんな気持ちになって しまう。でも僕の方が年上だと思い出して恥ずかしくなる。 「あらいいわね」 後から入ってきたおばあちゃん達が、僕を見て喜んでいる。ああ、そういう事か。 国語の教科書まで80年前の物だからか。次々とやってくるおばあちゃん達が 僕の周りを取り囲んだ。僕にこれをやらせた高校生も楽しんでるようだ。 文芸部と歴史研究部だからか。楽しんでいる様子を見ると、中学1年生扱いを されてもいいような気がしてくる。 「ねえ、最初の1ページだけでも読んでくれない?」 近くに立っていたおばあちゃんがそう言った。 「あ、はい」 「ほら立って」 高校生に言われて立ち上がる。教科書の表紙をめくり、目次をめくって、 文章のある最初のページを読む。 「桃。島崎藤村。菖蒲は男の子に、ふさわしいやう。やう?」 「ように」 隣にいる高校生に訂正されてドキっとする。年下の子に訂正されるなんて。 「ふさわしいように、桃の花はおのずから少女にふさわしい。長い花房をうなだれ、 か…」 「かべん」 「かべんの胸をひろげて、物思いに沈んだような、かい…かいどう?」 「そう」 「かいどうの姿は、到底少女のものではない」 たった1ページに何度も引っかかりながら、なんとか読み終えた。 「間違えながら読む辺りが、なんだか幸ちゃんを見てるようだわ」 「どうして私なのよ」 何度も間違えて、高校生に訂正されながら読む姿をたくさんのおばあちゃんの 前にさらしたのは恥ずかしいけど、喜んでくれているんだから、いいか。 たくさんのおばあちゃん達が満足して帰って行った後、学園長が用意したお昼を 食べて。千和ちゃんは少し家が遠いから帰る事になった。 「じゃあまた明日」 また明日、と言ってもらえて、嬉しくなった。 「うん、また明日」 千和ちゃんが帰った後、ひいおばあちゃんが桜子ちゃんのひいおばあちゃんと 話をしている。 「あら、それはいいわね」 僕は桜子ちゃんと国語の教科書を見ていたから、会話を全然聞いてなくて、 ひいおばあちゃん達が何の話をしているのか分からない。 「それなら私も行きたいわ」 元学園長も話に加わっている。 「それじゃあ細溝さんも呼んで、みんなで行きましょう」 僕と桜子ちゃんは、なんだか良く分からないまま、ひいおばあちゃん達の後に ついて行った。 九輪女子から神社まで坂道を下りて、細溝さんに声をかけた。 「あら、マサちゃんは今日入学式だったんだ。おめでとう」 僕は正式な入学じゃなくて。と言いたかったけど、入学式の行事に全部出席して、 本当に正式な入学じゃないのか分からなくて、自信を持って返事が出来ない。 『おめでとう』なんて言われると、ますます分からなくなる。 細溝さんが庭の花をいくつか摘んで、それを持って裏の山道を歩く。それほど 細い道ではないけど、丸い石が階段っぽく並べられているだけの坂道だ。 その坂道を登り終わると、お墓があった。みんなの後をついていくと、 『外村家之墓』と書かれた墓石があった。 「マサちゃんの墓なの?」 舞が尋ねた。 「そうね。外村家の墓だから、私の両親や兄が後から入ったけど」 マサちゃんは中学生の時に亡くなったから、確かに両親や兄の方が後だろう。 ひいおばあちゃんの両親よりも前って言われると、どうにも実感が湧かないけど。 「ほら、まずはマサちゃんがお参りしなさい」 ひいおばあちゃんにそう言われて、お墓の前に座った。このお墓の中にいる人の 制服を着て、同じ学校の入学式に出席した僕が、こうしてお墓に参っている。 この制服を着ていた人のお墓だと思うと、なんだか変な感じ。名前も同じだし、 自分自身のお墓を見ているような、そこまではないにしても、自分自身の何かに お参りしているような、そんな気持ちになる。マサちゃんが約80年前に1年ほど しか通えなかった九輪女子に、僕が同じ制服を着て登校して、たくさんの人に マサちゃんの制服を見てもらって、注目されて、喜んでもらって。お墓の中の マサちゃんは喜んでくれてるだろうか。もしかして、注目され過ぎて恥ずかし がっているかも。熱を出してよく休んでいたマサちゃんは、僕がこの制服で 登校した事を喜んでいるだろうか。今日1日だけでマサちゃん以上の経験をして、 妬まれているかもしれない。でも、マサちゃんの制服でみんな喜んでくれていた、 それだけはちゃんと分かってくれるといいな。 お墓参りの後、ひいおばあちゃんの実家に戻って、制服も脱がずに箱の中の 写真を取り出した。すぐにタケさんが写っている写真がいくつも見つかった。 僕と桜子ちゃんと舞が写っているような写真を見て、これがこれからの学校生活の 写真なのか、そんな期待がふくらんだ。今日は色々恥ずかしかったり緊張したり したけど、楽しい事もあった。だから明日からも。