今日は舞の高校の入学式。この入学式の後で、蔵から出てきた制服を紹介する事に なっている。入学式はそれほど早い時刻でもないけど、学園長が早く来いというので、 早起きをした。僕の方としても、女子の制服を着て人の多い時間帯に九輪女子まで 歩くのが恥ずかしいから、出来るだけ早い時間に行きたいのだけど。80年前の 九輪女子の制服を着て、舞と一緒に朝ごはん。ほとんど同じ制服を着て舞と並んで 朝ごはんを食べるなんて、本当に舞と一緒に女子高に通うような気分で、 やっぱり恥ずかしい。でも80年前にはひいおばあちゃんとマサちゃんはこんな朝を 迎えてたんだろうな、そう思うと楽しいかも。 僕と舞はカバンを持ち、玄関で靴をはいた。カバンに教科書を入れて持っていく わけではない。僕の持っているカバンも箱の中に入ってた80年前のもので、 舞は今のカバンを比較のために持っていく。 「ひいおばあちゃん、行くよ」 学校まではひいおばあちゃんもついて来てくれる。ひいおばあちゃんが立派な着物を 着ているのを見ると、舞の入学式のためではあるんだけど、なんだか僕も九輪女子に 入学するような、それをひいおばあちゃんに見てもらうような、嬉しいのか 恥ずかしいのか良く変わらない気分。 ひいおばあちゃんの実家を出て住宅地の中の道を歩いていると、徳田さんちの おばあちゃんが玄関から顔を出していた。 「おはようございます」 「あらまあ、樋口さんに聞いた話は本当だったのね。本当に昔の制服そのまま。 私もその制服を着たのよ。あなたを見てると、私が女学校の時の下級生を見てる みたい」 樋口さんから聞いたのか。もう町中の人が知ってそうで恥ずかしいけど、 徳田さんもすごく喜んでるし、まあ今日くらいはいいか。 そしてアスファルト道路から神社の敷地に入る。 「その制服を着たお兄ちゃんを隣に連れてここを歩いてると、なんだか本当に 80年前に来たような気分になるよね。お兄ちゃんもそうでしょ?」 「う、うん…」 僕の場合は、80年前の若いひいおばあちゃんと並んで歩いているみたいで嬉しい んだけど、舞にそれを言ったらどう思うだろうか。僕がひいおばあちゃんっ子だって 舞も知ってるんだから、ひいおばあちゃんの代わりに舞に甘えたがっているみたいに 受け取られそうで、ちょっと言いづらい。実際にそうしてみたい気持ちが、 ほんの少しだけあるし。そんな事を考えてドキドキする。 神社の中を通り、九輪女子へと向かう坂を登り始める。ここの先には九輪女子学園 しかない。桜を見に来たり、ひいおばあちゃんが元学園長と会いに行くのに付いて 行ったりして、何度か来た事はあるけど、こんな朝早くに登るのは初めてだし、 この制服を着て登るのも初めて。新入生が初めて学校までの道を歩く時のような 気分だ。高校を既に卒業した僕が、別の目的とはいえ女子高の入学式に制服を着て 向かうなんて、やっぱり変な気分。 「あれー。マイちゃん早いね」 後ろから声が聞こえたので振り返ると、見覚えのある顔が2つと、おととい見た顔が あった。 「そっちだって早いじゃない。美香ちゃんと真子ちゃん」 舞の友達だから見覚えがあるのか。 「私はお姉ちゃんと一緒に来ただけだから」 という後ろには、おととい見た次期生徒会長がいた。 「あれ、マイちゃん、ちっちゃい子を連れてるね。おはよう」 舞の友達に挨拶された。ちっちゃい子って言われた。やっぱり中学生と思われてる んだろうか。 「お、おはようございます…」 舞の兄だとばれたくないから、年下っぽく挨拶しておこう。 「お姉ちゃん、こないだ言ってた子ってこの子?80年前の写真に写ってたって」 「80年前に写ってたのは、その制服ね。この子とそっくりの子が写ってたけど」 「へえ。そうか。それでこの子、今年中学に入学する子なの?従妹?マイちゃんに 妹はいなかったよね?」 『中学に入学する子』って言われてしまった。いくら舞の背が高いからって、 僕が小学校を卒業したばかりというのはいくらなんでもひど過ぎる。かと言って 本当の事をいうのも嫌だし。 「違うよ。マイちゃんのお兄さんだよ」 もう一人の友達がさっさと本当の事をしゃべってしまった。舞の友達なら知ってても 当然ではあるけど、こんなあっさりと言われてしまうなんて。 「あのお兄さん?身長はマイちゃんに全然似てないお兄さん?ほんとに?」 みんなに注目されて恥ずかしいけど、ここで答えない訳にはいかない。 「え、えと、はい…」 「確かにそう言われれば」 「ああ、だから『お兄ちゃん』と言ってるのが聞こえたんだ」 高校をとっくに卒業した男子がこんな服装をしていると知られて、恥ずかしい。 「でも意外と似合ってるよ。ほんと、お兄さんだと気付かなかった。ちょっと男の子 みたいな顔が、まだ中学生になりたてって感じで。なんでマイちゃんが中学の新入生 を連れて歩いてるんだろう?としか思わなかった。でもお兄さんって、こんなに ちっちゃくて可愛かったかな?もうちょっと普通の男子と思ってたけど」 そんな事を言われたら、普通の男子だった僕が小さな中1の女子になったみたいに 聞こえる。 「でもこうして並んで歩いてみると、意外と大きいよ」 いまさらそんな事を言われても、恥ずかしい気持ちは変わらない。兄だとばれた後 でも年下のように話しかけられるし。 「そうか。マイちゃんと比べるから小さく見えるんだ。お兄さんは変わってないけど マイちゃんが大きくなったから」 それを言われるとさらにミジメになる。 「でも、なんでお兄さんが80年前の九輪の制服を着て、マイちゃんと一緒に九輪に 登校してるの?しかも入学式の日に。もしかして、お兄さんも九輪に入学するの?」 「い、いや、その…」 僕の事を知っている人でも、事情を知らないならば変に思うのが当然だ。 妹やひいおばあちゃんまで一緒なんだから、本当に入学すると思われても不思議 じゃないかも。このままだと、高校を卒業した男子の僕が、本当に女子高に入学する ためにここに来た、と思われてしまう。『中学に入学する子』とか言われたから、 女子高じゃなくて女子中に入学すると思われるかも。何か言い訳しないと。 難しい話ではないんだけど、でも何から説明しよう。 「この制服は、ひいおばあちゃんの妹が着ていた制服で、お兄ちゃんがその人に 似ているから、やっぱり元の持ち主とそっくりな人が着るのがいいなって、 深田先輩が」 僕が悩んでいるうちに、舞が説明してしまった。 「マイちゃんのお兄さんとは知らなかったけど、でも確かにその人とはそっくり だった。マイちゃんも、そこにおられるひいおばあさんの若い時の写真とそっくり だったし」 「あ、初めまして。確かに若い時はマイちゃんみたいな顔だったんだなって感じ しますね」 舞の友達の二人がひいおばあちゃんに挨拶した。 「そうだね、やっぱり顔が似ている親戚の方がいいよね。マイちゃんが大き過ぎて 着れないから、お兄さんが着る訳か」 事情を知ってもらえた後でも、やっぱり恥ずかしい。でも、僕の背が低かった おかげで、マサちゃんが大好きだった姉のひ孫がこの制服を着る事が出来て、 顔も身長もひいおばあちゃんにそっくりの舞と並んで歩いてるわけだから、 それはそれで良かったのかもしれない。 「ほんと、80年前の写真とそっくりで、80年前の九輪女子の生徒がここにいる みたい」 次期生徒会長がそう言った。そう言ってもらえると、ちょっと嬉しいかな。 「それでマイちゃんのお兄さんは、80年前の制服を着て、中学に入学する事に なったんだ」 あれ?事情を説明したはずなのに。 「そうじゃなくて…昔の制服を紹介するために…」 本当の事を説明しているんだけど、僕が女子の制服を着ている事の説明だから、 やっぱり自分で言うのは恥ずかしい。 「そしてそのまま入学するんでしょ?」 「そ、そんな無茶な…」 「それもいいね。どうする?お兄ちゃん」 舞も面白がっている。 「い、いくらなんでも、それは、学園長がダメって言うでしょ…」 「ははは、そうか」 そんな事を話していたら、九輪女子の校門まで来た。この門も何度か通った事が あるけど、まさか制服を着て、他の生徒と一緒に入るなんて。門の横には 『入学式』と大きく書かれた看板まで立っている。よりにもよってこんな日に 制服を着て入るなんて、本当に入学しちゃうような気持ちになる。でも今日は単に、 学園長に会って。いや、学園長に会うって、よくよく考えると重大な事のような。 でも、入学式の後に全校生徒に。全校生徒って。でも、この制服を見てもらうだけ。 全校生徒の前で九輪女子の制服を着ているのを見られるって。でも80年前の 制服だから。それも重大な事に思えるけど、今の制服じゃないから。うん。 と思いながら舞と並んで歩いていたら、あっという間に門を通り過ぎて、敷地に 入ってしまった。人数は少ないけど、入学式の準備をしている生徒が見える。 遠くにいるから、自分が着ている制服との違いが分からない。みんなと同じ制服を 着ているような気がする。 一番手前の建物の前まで来て。 「私たち、上履きがあるから一旦下駄箱に行ってくるね」 「お兄ちゃんはどうするの?来客用のスリッパ?」 みんな気になるのか、僕の方を見ている。これ以上注目されたくはないんだけど、 今日は注目されるために来たんだから仕方ない。カバンから上履きを取り出して、 廊下に置き、それをはく。 「わ、上履きも80年前の物?」 「形は今のと似てるけど、全然違って見えるね」 「これが80年前の九輪女子の生徒なんだ」 みんな身を乗り出して顔を近づけてくる。本当に頭からつま先までジロジロと 見られている。なめまわすように、というのはこういう事なのか。高校を卒業した 男子がこんな服を着ている姿を、こんなにじっくりと見られるなんて。 「そうだ、私も上履きをはいてこないと」 「すぐに学園長室に行くから」 ようやく舞たちは玄関を離れて下駄箱の方に行った。 「マサちゃん、やっぱり恥ずかしい?無理な事を言ってごめんね」 「は、はずかしいけど、でも、ひいおばあちゃんの妹に似ている方が、やっぱり いいのかな、って僕も思うし」 「ありがとう」 ひいおばあちゃんと一緒に階段を上がって、学園長室の前に立つ。ひいおばあちゃん がドアをノックするが、返事がこない。学園長が早く来いと言ったのに。 「あら、岸部さん。学園長とその母上は職員室におられます」 ひいおばあちゃんは九輪女子の職員にも顔を覚えられている。さすがに僕まで 覚えられてはいないよな。覚えられていたら、かなり恥ずかしい。 「学園長、岸部さんが来られました」 「あら、ちょうどいいわ。入ってもらって」 学園長の声が聞こえた。ひいおばあちゃんが職員室の方へと僕の背中を押した。 「マサちゃん、ほら入って」 僕が今着ている制服を見てもらうためにここに来たんだから、僕が入るのが 当然なんだけど、それが恥ずかしくて、すごく緊張する。ドキドキしながらも、 勇気を出して職員室の中に入る。学園長が手招きをしている。 「マサちゃん、こっちに来て。ほら、真ん中に立って」 30人ほどが職員室にいて、僕の方を見ている。僕が学園長の方に向かって歩くと、 それに合わせて顔や視線が動いている。ここにいるのは全員が九輪女子の先生だ。 九輪女子の先生たちの前で、男子の僕が九輪女子の制服を着ているなんて、 本当にこんな事をしていいのかとドキドキする。でもこれは80年前の制服 なんだから、次期生徒会長や学園長に頼まれて着たんだから。頭の中でそう言い訳 しても、恥ずかしいものは恥ずかしい。 学園長の隣に立って、正面を向く。恥ずかしくて顔が火照ってしまう。 でも前に立っている先生たちは『あれ?』という顔をしている。若い先生は 80年も前の制服なんて分からないのか。50歳くらいの先生でもわかってない ようだ。今の制服と全く同じじゃないから、次期生徒会長のように、他の女子高の 制服と思っているのかも。だったらそんなに恥ずかしくないか。いや、女子の制服 だというのは見れば分かるから、やっぱり恥ずかしい。 「もっと近くで見たいわ、そこを通して」 職員室の端にいた先生2人が前に出て来て、僕に近づいてきた。どちらもかなり 年配の先生で、一人は老眼鏡を外して、僕の着ている制服に触れそうなくらいに 顔を近づけてきた。 「ちょっと触らせてね」 「は、はい…」 二人とも、まずは袖を触って。そしておなか、スカート、背中、二人同時にあちこち 触られて、人前でこんな事をされて本当に恥ずかしい。 「私の姉が着ていたものと全く同じです。一体こんなもの、どこから?」 学園長が声を張り上げた。 「そこにおられる岸部さん、私の母の親友ですが、岸部さんの実家の蔵から 約80年前の九輪女子学園の制服や教科書が出てきました。ご覧の通り、非常に きれいに保存されていました。岸部さんも九輪女子の卒業生ですが、その妹さんも 九輪女子の生徒で、在学中に亡くなられて、その時の制服や教科書がそのまま 保管されておりました」 近くにいた先生が、手を挙げた。 「私も近くで見てよろしいですか?」 「どうぞどうぞ」 学園長がそう言うと、かなり年配の先生2人が下がって、少し年配の先生4人が 僕の周りを取り囲んだ。おばあちゃんと言ってもいいような先生2人と違って、 一番恐く見える年代の先生4人に囲まれて、恥ずかしいというよりも正直恐い。 高校生でもない男子が九輪女子の制服を着てるのを見て、先生たちはなんと言う だろう。 「あ、本当だ。叔母の制服と同じ」 「お母さんが、私のお下がりだから着なさいって言ってたのと同じ」 「私もそう言われた。あの時はもう今の制服みたいになってて、違うからダメ、 イヤだ、と言ったんだけど」 4人で押し合うように僕の制服を触ってくるから、スカートを触る時には僕の お尻やふとももまで触っている。叱られるのとは別の意味で恐いけど、楽しそうな 先生たちを見てほっとする。 「今この制服を着ているのは、岸部さんのひ孫さんで、亡くなった妹さんに背丈だけ でなく顔も似ているので、彼に着せてみました」 学園長が『彼』というのを聞いて、周りの4人の先生がきょとんとしたけど、 僕を触る手は全然止まってない。 「約80年前に亡くなった生徒の姉のひ孫さんですので、彼に着てもらって、 今日の入学式の後に全校生徒や保護者の方々に見ていただきたいと思います」 僕を触っていた先生4人が手を離した。女子高の制服を着ている男子だと分かって、 変に思われたのかな。と思ったら、先生たちは拍手を始めた。 「それは良いですね。在学中に亡くなった80年前の生徒も喜ぶでしょう」 なんだか良く分からないけど、先生たちが喜んでくれてるみたいで良かった。 元学園長も現れて、ひいおばあちゃんと話を始めた。二人は僕の方を時々見ながら 楽しそうに話しているけど、学園長や他の先生は入学式の準備なのか、忙しそう。 窓の外を見ると、向かいの校舎に生徒がたくさんいるのが見える。あれは在校生 のように見えるけど、そろそろ新入生も来るのかな。名簿を持って先生が何人か 職員室から出て行った。そんな職員室で、生徒でも新入生でもないのに、 女子でもないのに、制服を着て座っているのは居心地が悪い。しばらく出番が ないだけに、当分ここにいなきゃいけないのが辛い。 「あ、ここにいた」 声のする方を見ると、次期生徒会長の顔が見えた。先生ばかりの中で僕一人だけ 制服姿だったから、他にも制服の子が来てくれたのでほっとした。次期生徒会長 だから、先生ばかりの中で一緒にいてくれると安心できるし。あれ?どうして 次期生徒会長が一緒にいてくれると安心できるんだろう?元学園長からも 学園長からも信頼されてるようだから、恐い先生ばかりでも次期生徒会長が近くに いてくれれば…あれ?次期生徒会長は舞よりは年上で、舞の事をよく知ってて。 ……でも僕よりは年下で。次期生徒会長だけあってしっかりした人に見えて、 僕よりも年上のように感じたのかな。そんな事を思っていた自分が、なんだか 恥ずかしくなってきた。 そんな事を考えていたら、舞や、朝一緒に登校した二人もやってきた。 「お兄ちゃん、職員室にいたんだ」 「学園長が、他の先生に説明したから」 「もう説明しちゃったんだ」 「先生たちがどんな顔をするのか、見たかったな」 舞たちと話していたら。 「次期生徒会長、ちょっと手伝って」 「はーい」 次期生徒会長は先生に呼ばれて、どこかに行ってしまった。次期生徒会長がいなく なって、ちょっと不安になったけど、でも舞が隣にいるから大丈夫だろう。 あれ、これもちょっとおかしいか。 忙しそうにしている先生の中、割と暇そうにしていた年配の先生が近づいてきて、 舞に話しかけた。 「岸部さんって苗字、どこかで聞いた事があると思ったら、あなたのひいおばあさん だったの?」 「はい」 「確かに似てるわね。じゃあこちらは、弟さん?」 弟って言われた。妹と言われるよりもリアルで生々しくて、ショックだ。 「兄です」 「あら、お兄さんだったの」 弟と言われるのもショックだけど、『お兄さんだったの』もかなり恥ずかしい。 「身長はあまり似てないのね」 「でも、ひいおばあちゃんの妹にはそっくりだったんです。写真を見て驚きました」 「あら、そんなに似てるの?じゃあこの制服を着るのに適役なのね」 「はい」 そんな事を言われたら、今日は女の子らしくしないといけない、という気持ちに なる。今日はマサちゃんの代わりだ、そう思えば、そんなにイヤじゃないかな。 ひいおばあちゃんの事が大好きだったマサちゃんの代わりなら、いいかも。 「でもこの制服、檀上から紹介するだけじゃなくて、生徒達にもっと近くで見て もらいたいわ。ハンガーやマネキンにかかっている制服じゃなくて、ちゃんと 着ている所を」 「確かにそうです、木原先生」 舞の友達もノリノリだ。 「はあ」 「毎日ここに来てもらいたいくらいだわ」 「いいですね、それ」 「でも…そこまで暇じゃないか。お兄さんはどこの高校かしら?何年生?」 こんな事まで舞が答えてはくれないだろう。恥ずかしいけど、自分で答えないと。 「えっと…保土川高校を、先月…卒業しました」 「あら、大学生?」 「え、えっと……まだ、その…」 この制服を着たまま、こんな場所で、こんな事を答えなきゃいけないなんて、 すごくみじめな気分だ。 「ああ、それなら毎日ここに来れるわね」 いくら浪人生といっても、そこまで暇なわけがない。 「え、えっと、その、べ、勉強が…」 「私は家庭科だから受験科目は教えられないけど。佐藤先生、どうかしら?」 すぐ近くで書類に目を通していた先生が、こちらに顔を向けずに答えた。 「私はいいですよ。その制服を毎日見られると思うと、楽しいですよね」 「ほら」 「えっと…」 つまり九輪女子の先生たちが教えてくれる、という事だろうか。 「マイちゃんのお兄さん、いい話だと思うよ」 確かにそうだ。九輪女子の先生たちなら、保土川高校の先生より、予備校の先生 よりも、ずっといいと思う。予備校は、駅の近くとはいえ県庁所在地まで行く必要が あるけど、九輪女子ならすぐ近くだ。それに……ひいおばあちゃんが着ていたのと 同じ制服を着て登校するわけで……舞と一緒に登校するのはちょっと恥ずかしい ……恥ずかしいけど、ひいおばあちゃんの若い頃とそっくりの舞と毎日一緒に 登校できるのって、ちょっと嬉しいかも……ここ数日、舞と一緒に過ごす時間が ちょっと増えて、舞といるのが楽しくなってきたし… 「で、でも、いいんですか?そんな事…だ、だって…」 「学園長がいいって言えば、いいんじゃない?」 「そうですけど…」 「学園長がちょっと暇そうだから、話してきますね」 家庭科の先生が立ちあがり、ひいおばあちゃんと元学園長の話に加わっている 学園長の所に行き、話し始めた。4人が時々僕の方を見ながら話している。 はじめのうちは頭をひねっていた学園長が、急に嬉しそうに頭を縦に振り始めた。 でもまた頭をひねり始めた。また頭を縦に振った。4人が顔を近づけた後、 急ぎ足で職員室に入って来た先生を捕まえて、長々と説明し始めた。 捕まった先生は、最初はキョトンとしてたけど、急にニコニコし始めた。 家庭科の先生と捕まった先生が僕たちの所にやってきた。 「学園長も、良いアイデアですと許可してくださいました」 ニコニコしながら、家庭科の先生はそう言った。 「えっと、じゃあ、家庭科の授業とかで着てみせればいいんですか?」 「もちろん家庭科の時間に、私の説明付で見てもらいたいんだけど、他の時間にも もっと身近に見てもらいたいの。80年前の国語の教科書もあるんですってね。 それを生徒に見せる時に、その制服を着たあなたがいると、生徒も興味を持つと 思うの」 先生はすごく熱心に話している。 「はあ」 「あなたが受験勉強をする時間はもちろん十分に確保するけど、出来るだけ 多くの生徒と多くの時間を一緒に過ごして欲しいの」 「えっと、つまり…」 捕まってここに連れてこられた先生が話し始めた。 「多くの生徒に見てもらいたいから、いろんなクラスの授業に加わってもらう 事になると思うけど、とりあえず、1年1組のみんなと同級生になってね。 私は1年1組担任の、内倉牧子です」 よく意味が分からない。 「えっと、とりあえずって、どういう意味なんですか?」 「元学園長とひいおばあさまが、入学写真や、いろんな行事に参加するとき、 クラス無しではつまらない、とおっしゃるから」 「つまり、普通は1年1組の生徒として…」 「普通に、とはいかないけど、多くの行事や時間で、1年1組のみんなと 一緒に過ごしてもらいましょう、というお話です」 「はいはいはーい」 舞の同級生が大声で割って入った。 「1年1組というのは高校の1年1組ですよね?」 「中学1年です。だって私のクラスですから」 先生はきっぱりと答えた。 「えー、私たちと一緒じゃないの?つまんなーい」 「でもマイちゃんと同じ学年というのも、変かもね」 「というわけで、1年1組の同級生のみんなと仲良くしてね、岸部マサちゃん」 先生にマサちゃんと言われて、僕の事を呼ばれたのか、ひいおばあちゃんの妹の 事を呼ばれたのか、一瞬分からなかった。今までもひいおばあちゃんの友達や舞に 『マサちゃん』と呼ばれてドキっとしたけど、よく知っている人たちだから、 どっちの事を言っているのか、なんとなく分かった。でも初めて会った人に 言われると、どっちだか分からなくなる。ひいおばあちゃんの旧姓ではなく 『岸部』と言ったから、僕の事なんだろうけど、それでもよく分からない。 「ほら、名簿にもちゃんと加えたから。一番最後だけど」 女の子の名前が何十人も続いた後に、『岸部マサ』と手書きで書いてある。 なんだか本当に九輪女子の生徒になったような気分だ。本当は男子で、 年齢もずっと上で、入学試験も受けてないのに。ちょっと悪い事をしている ような気持ちにもなる。でも80年前に死んだひいおばあちゃんの妹の代わりに、 80年遅れで出席すると思えば。 「えっと……内倉先生…よろしくお願いします…」 「よろしくね」