「ひいおばあちゃんはここにいるの?」 ひいおばあちゃんの実家の玄関をのぞいて見ると、ひいおばあちゃんが、 ひいおばあちゃんの甥の敏男さんと一緒に座って話していた。 「マサくんが迎えに来たぞ」 ひいおばあちゃんの甥だなんて、普通はギリギリ親戚のうちに入るか、という程度 だそうけど、うちはひいおばあちゃんが生きてるから、あまり遠い親戚のような 気がしない。遠くに住んでいる自分の孫に会えないから、僕を孫のように 可愛がってくれるし。僕のおじいちゃんは父方母方共に生きているから、敏男さん という呼び方になってるけど。 「あら、マサちゃん、もうそんな時間?」 90歳にしてはかなり背が高いひいおばあちゃんが立ち上がり、背伸びをした。 「じゃあ、いつでもいいからやってください」 敏男さんがひいおばあちゃんの方に言った後、僕の方を向いた。 「マサくんは明日暇かい?」 「う、うん…」 浪人だから、暇が全くないともいえるし、いつでも暇とも言えるし。 「じゃあ明日やっちゃいましょ」 「なにかやるの?」 敏男さんが手を伸ばして、指だけ曲げた。 「そこにある蔵」 指を曲げた先の方を見ると、そこには蔵がある。あるのは知ってたけど、あまり気に した事はない。平屋だけど大きな家だし、ご近所にもあるし、この程度の蔵はそれほど 珍しいとも思わない。でもここの家よりも古そうだ。 「中を出して掃除しようと思うんだが」 「何かあるの?」 「親父が使っていたけど、僕はほとんど見た事がなくて、何が入っているのか 分からない。どこかの業者に頼んで掃除してもらおうかとも思ったんだが、 おばが中を見たいって言うから」 おばというのはひいおばあちゃんの事だ。 「僕はいいけど。僕だけで足りる?」 「マイちゃんにも来てもらいましょうかね。じゃあ明日やりましょう」 そして、ひいおばあちゃんと一緒に玄関を出た。 ひいおばあちゃんは、家までの近道とは反対方向に歩き出した。ひいおばあちゃん は、それほど急がない時、裏にある神社を通って家まで帰る。この神社を歩くのが 好きみたいだ。この神社から九輪女子学園までの桜は有名らしくて、その季節は 人が多いけど、ひいおばあちゃんは他の季節でもここを通りたがる。 「なぜ急に、あの蔵を掃除する事になったの?」 「文化財として指定したいとか、役場の方が言ってきたらしくて」 「あの蔵が?他の家にもああいう蔵はあるのに?」 「ほとんどは駅が出来た後だけど、うちの蔵はもっと古いから」 「家よりは古そうだけど」 「家は私が生まれた後よ。駅より古いけど。蔵は私が生まれるよりずっと前。 私のおじいちゃんが建てたって」 「へえ」 確かに家の方は洋室があったりして、あまり古く感じない。蔵はそれよりも古い とは思っていたけど、そんなに古かったんだ。 通り抜けた先にひいおばあちゃんの友達の細溝さんの家がある。ひいおばあちゃんが 遠回りして神社を通る理由のひとつだろう。背の高いひいおばあちゃんがさらに 背伸びして、庭を見渡した。 「あら、今おかえり?マサくんも?」 顔はともかく身長はひいおばあちゃんに似てない僕は、細溝さんの声は聞こえるが、 ここからは顔が見えない。ここの家はひいおばあちゃんの実家よりも新しいけど、 その代わりに洋館っぽい感じがして、割とお好きなんだけど、こちらの通りからは 見えない。 「甥と話しててね。そこの家に蔵があるでしょ?」 「あの古い蔵ね」 「明日、あの中身を取り出して、掃除をする事になったの」 「あら、何かすごい物が出てくるんじゃない?」 「さあ、何を入れたかしら。兄が頻繁に出し入れしてたから、そんな古い物も ないわよ、きっと」 「でも、あの蔵の中って入ってみたいわ。私ものぞいてみようかしら」 「暇だったらいつでもいらっしゃい。それじゃ」 そう言って、ひいおばあちゃんはようやく家の方向に向かって歩き出した。 ひいおばあちゃんと一緒に、石で出来た階段を下る。 この階段はひいおばあちゃんが子供の頃に出来たらしい。かなり古くて、 石の角が削れて歩きにくいのに、ひいおばあちゃんは気にせず下りていく。 90歳を過ぎているのに元気だ。階段を下り終わって、その先も角が丸くなった 石が敷かれている。ここから駅までの道は、昭和何年かに駅が出来た時に一緒に 作ったらしい。だからそれほど古くない。でもひいおばあちゃんが子供の頃に 出来たものだから、やっぱりここが好きなのかな。何十年か後に山を削って作った 新しい路線が出来て、この駅を通る汽車も減り、この辺りはずっとほったらかしで、 僕が小さな頃には石の角が既に丸くなっていた。ここの風景は十年以上変わってない。 ひいおばあちゃんとこの道を一緒に歩くのも、十年以上変わってない。 ひいおばあちゃんは、僕と歩くのが楽しいようだ。僕を『マサちゃん』と呼ぶ時に 嬉しそうな顔をする。僕もひいおばあちゃんと歩くのが好きだ。ひいおばあちゃんは 優しいし、僕と一緒にいると嬉しそうな顔をするから、僕も嬉しくなってくる。 それにひいおばあちゃんはきれいだし。もちろん90歳を超えているから顔は しわだらけなんだけど、他のおばあちゃん達に比べるとたるんでなくて、 見かけがたるんでないだけじゃなくて、表情もキリっとしていて、話し方も 品が良くて、元気で姿勢も良くて。こんなきれいなひいおばあちゃんと歩けるのは 嬉しい。僕の背があまり伸びずに、背の高いひいおばあちゃんと並んで歩くと、 自分があまり成長してないような気持ちにはなる。未だに『ちゃん』付けされる のもちょっと恥ずかしい。でも小学校の時に同級生から『マサ』って呼び捨てに されると、ヤクザ映画の下っ端みたいな感じがして嫌だったけど、 ひいおばあちゃんに『マサちゃん』と呼ばれるのは嬉しかった。ひいおばあちゃんも、 歩いているこの道も、十年以上前から変わってないから、そういう気持ちも 小学生の時からあまり変わってないのかも。それでいいような気がした。 帰ってから、妹の舞に蔵の掃除の事を話した。 「えー?掃除をするの?」 面倒くさい事はやりたくない、というのがあからさまに分かる。 「お母さんが行けばいいのに」 身長はひいおばあちゃん似の舞が、長い足をばたばたさせた。 「お母さんも午前中は行くかも知れないけど、もう少し人数がいた方がいいから」 「うーん。高校生になるから忙しいんだよー」 「高校って、九輪女子の中学から高校に上がるだけじゃないか。それに土日も 忙しいのか?」 「土日は今のところ何もないけど」 「ほら、明日はおじいちゃんが友達を呼んで騒ぐから、あっちに泊まるんだよね?」 「そうだけどー」 「ほら、あの蔵だから、何か出てくるかも知れないよ」 舞は大きな体を僕の上にかぶせるように身を乗り出して、上から僕をのぞきこんで。 「幽霊?」 いきなり変な事を言い出した。 「いや、それは……それも出るかもしれないけど」 舞が近づけていた顔を離して。 「分かった。お兄ちゃんがそこまで熱心に私にお願いするって事は、ひいおばあちゃん にお願いされているのと同じだもん」 僕がひいおばあちゃんっ子だって、妹にまで言われてちょっとショック。 僕より背が高くなった舞がそんな事を言うと、やっぱり僕って成長してないのか、 と感じてしまう。 そういう訳で、ひいおばあちゃんの実家まで、ひいおばあちゃんと舞と僕の3人が 並んで歩いた。ひいおばあちゃんと舞、背の高い二人に挟まれて、背の低い僕が 歩くのはやっぱり恥ずかしい。ひいおばあちゃんだけなら、僕の背が低くても 昔のままだけど、舞は既にひいおばあちゃんよりも高いかも知れない。 こうして並んで歩いていると、僕だけ成長してないのが露骨に分かる。 でも、ひいおばあちゃんと舞の両方を交互に見ていると、身長以外も意外と似ている 気がしてきた。舞もまあまあ美人ではあるし。もしかして、ひいおばあちゃんの 若い頃は舞みたいな感じだったんだろうか。そう思うと、3人で歩いているのも ちょっと楽しい。 ひいおばあちゃん、僕、舞、敏男さん、後から来たお母さん、それに昨日『見たい』 と言っていた細溝さんが蔵の横にいた。 「中は暗そうだけど、灯りは必要ないの?」 舞が蔵の小さな窓をのぞき込んでいる。背の高い舞が背伸びすればどうにか のぞきこめるくらいの高さだ。 「戸を大きく開けば、かなり明るくなると思うけど。今日はきれいに晴れているし」 ひいおばあちゃんも背伸びしてのぞきこんだ。敏男さんは特に背伸びせずに中を 見ている。僕とお母さんと細溝さんは背伸びしてものぞけない。なんだかちょっと 悔しい。 みんな正面の戸の方に回って、ゆっくりと開ける。戸のすぐ内側には、ヒモで 束ねられた雑誌が積んであった。 「ああ、兄が好きで読んでた雑誌ね。これは捨てていいわ」 ひいおばあちゃんがチラっと見てそう言った雑誌の表紙には『東邦画報』 『昭和二十七年九月号』『ヘルシンキ五輪特集号』と書いてあった。 「これ、捨てるの?」 ちょっと驚いた。 「まだ奥にたくさん隠れてるわよ」 「古本屋さんにでも引き取ってもらった方が」 お母さんもそう言ったが、ひいおばあちゃんは頭をひねっている。 「そうかしら。持っていくのも大変よ」 「三河さんのところで引き取ってもらえば?春江さんの娘さんが興味を持ちそう」 細溝さんが、別の友達の名前を挙げた。 「じゃあ、そうしましょう」 細溝さんの言葉で、ひいおばあちゃんも納得した。とりあえずその雑誌の束を 表に出す。 「あら、このお皿はきれいじゃないの。こんな物、いつもらったのかしら。 使わずにいたなんてもったいない」 お皿は嬉しそうに見ている。 ああだこうだと話しながら掃除をしていると、あっという間に昼を過ぎた。 ひいおばあちゃんと同じ歳の細溝さんは、蔵の中を見たら満足したようで、 もう疲れたからと言って帰った。90歳過ぎた人なら、普通はそうだろう。 お母さんは、おじいちゃんの飲み会を手伝うために帰った。敏男さんは、 蔵から出した物を整理し始めた。 蔵の中身も残り少なくなって、その多くは古過ぎて使えないものだった。 古過ぎてボロボロの着物を見て、ひいおばあちゃんが 「大事にしてたら、舞の成人式に使えたんだろうにねぇ」 などと残念がりながらも、捨てる物の山の上に置く。 最後に、割と大きい木の箱が残った。かなり古そうな箱だけど、鍵がかかっている訳 でもないのにフタが意外としっかりと閉まっていて、狭い蔵の中では開けにくい。 「一番奥にあったけど、この大きさの箱って何だったかしら?」 ひいおばあちゃんは不思議そうに箱を見ている。 「これで最後なんだから、外に持ち出して、先にここを掃除しない?」 舞がそう言って箱を引っ張り始めた。大きな箱を引きずると、床と箱が傷つきそうに 思えて、あわてて反対側を持ち上げたけど、大きさの割には意外と軽かった。 外に持ち出して開けようとしたけど、古い箱の割には全然開かない。 「箱は古いし、壊しちゃった方がいいんじゃない?中身はともかく、箱はどうせ 捨てるんでしょ?」 舞もなかなか豪快な事を言う。とりあえず蔵の中をホウキで簡単に掃除し、戸を 閉めて、最後に残った箱を開ける事になった。壊してもいいと思い、とがった物で 突いてみると、表面こそボロボロに見えるが、表面を剥ぐと下は意外ときれいで 丈夫だった。フタが箱に比べてかなりきつく作ってあって、簡単には開かない。 とがった物を箱とフタの隙間に見える所にねじ込んで、それでも持ち上がらずに 穴が開くんだけど、壊してもいいとさらに突き刺すと、少しだけ持ち上がった。 その少しの隙間に、近くの車庫にあったドライバーをねじ込んだら、ドライバー の方が曲がりながらも、なんとかフタが開いた。中には布が見えたが、それは 単なる覆いのようだ。その下に何かある。 「こんな頑丈な箱に、何だったかしら」 ひいおばあちゃんが箱の中をしばらくのぞきこんだが、急に顔をあげて 「マサちゃん、マイちゃん。これを廊下の一番奥の部屋に運んでちょうだい」 と言い出した。 「あまりきれいな箱じゃないけど、箱のままでいいの?」 「丈夫な箱だし、中身が大事だから、箱のままで運んでちょうだい。汚れたままで いいから」 廊下の一番奥の部屋というのは、何度か入った事はある。いつもきれいにしてある けど、あまり物はない。古い机と椅子だけでがらんとしている。特に何かに使って いる訳ではない。でも、いつも掃除をしているようで、きれいだ。 そんな部屋に汚れた箱を持ち込むのはちょっと気が引けるけど、ひいおばあちゃんに 言われた通りに、部屋に箱を持ち込んだ。 「こっちの角に置いてちょうだい。そう」 言われた場所に置く。部屋のすみっこに置いたので、部屋が狭くなったようには 感じない。壁際に置かれた箱を、ひいおばあちゃんは嬉しそうにのぞきこんだ。 「何十年ぶりかしら」 どうやらひいおばあちゃんが大事にしまっていた物らしい。上を覆っていた布を取り、 その下にあった服を取り出す。セーラー服だ。 「それって、学校の制服?」 「そうよ。九輪女子の制服よ」 舞が通っている高校の名前をひいおばあちゃんが言った。 「ああ、どこかで見た事あると思ったら。布の感じがちょっと違うから すぐには分からなかったけど、確かに今とほとんど同じだ。ひいおばあちゃんも 九輪だったの?」 「そうよ」 嬉しそうにその制服を見ている。 「それって、ひいおばあちゃんが着ていた服なの?」 「私がこんなに小さな訳ないじゃないの」 ひいおばあちゃんの背丈と比べると、確かにちょっと小さく見える。 「私の妹の制服よ」 「あれ?ひいおばあちゃんに妹って…」 「もともと少し体が弱かったんだけど、九輪に入学して1年くらい経った時に、 肺炎で死んじゃったの」 「そうなんだ…」 「もう80年くらい前の話なんだけどね」 しばらくその服を見ていたひいおばあちゃんは、それを床に置いて、箱から他の服や 本などを取り出した。何十年も前に箱に入れて、箱の表面はボロボロなのに、 中に入っている服や本は意外ときれいだった。 「そうそう、こんなのも入れてた」 ひいおばあちゃんが自分で入れたのに、すっかり忘れていたらしい。 「制服は今とあまり変わってないけど、この服は今見かけない感じの服だね」 「そうね」 ひいおばあちゃんはそう言って顔をあげ、舞の方をしばらく見ていた。ちょっと 首をかしげた後、僕の方を向いて。 「ねえ、マサちゃん、お願いがあるんだけど」 「なに?」 「あのね、この服を着て欲しいんだけど」 ひいおばあちゃんはセーラー服を指さした。 「え、これって九輪の制服なんだよね?舞が着れば…」 「ほら、だって舞だと入らないから」 確かにそうだ。ひいおばあちゃんに小さ過ぎる服が、舞に着れる訳がない。でも。 「女の子の服を…着るの?」 「イヤ?」 ひいおばあちゃんがちょっと悲しそうな顔をした。大好きなひいおばあちゃんの お願いだけど、女の子の服を着るのはちょっと抵抗がある。でも目の前の服を 見ると、今の女子の服とはちょっと感じが違って、女の子の服じゃないような 気もする。九輪女子の制服だけど、舞が言った通り、生地の感じが違っていて、 今の制服とは違うような気がする。 「この服なら…いい、かな?」 「ありがとう、マサちゃん」 ひいおばあちゃんがすごく嬉しそうな顔をした。 「でも、こういう服の着方を知らないから…」 「今のセーラー服と別に変わらないわよ」 「だ、だから、今のセーラー服も…」 「うーん、そうねえ」 ひいおばあちゃんは少し考えて。 「マイちゃん、学校の制服を持ってきてくれる?」 ひいおばあちゃんにそう言われて、舞はちょっと不思議そうな顔をした。 「え?いいけど、何をするの?」 「マイちゃんが今の制服を使って、マサちゃんに着方を教えてあげて」 「え?…ああ、ああ、そういう事。うん。すぐ持ってくる」 なぜか舞も嬉しそうな顔になって、すぐに立ち上がって部屋から出て行った。 ひいおばあちゃんと僕が部屋に残って。 「下着くらいは説明がなくても着れるでしょ。分からなかったら私が説明するから」 「下着から?」 また驚いた。ひいおばあちゃんが膝元にはいくつか服があり、下着に見える物が いくつかあった。ただ、今の女性用の下着とは違う物ばかり。しわの寄せ方が 女性向けかな?と思わなくもないくらい。 「下着からちゃんと着ないと、制服が着崩れしちゃうから」 「う、うん…」 なんだか良く分からないけど、制服の一部だと思ってきた方がいいって事か。 舞の洗濯物にある下着とは違うように見えるし。 「えっと、じゃあ、どうしたら…」 「とりあえず今着ているのを脱いで」 下着まで着替えるという事だから、全裸になるのか。この年になって人前で 全裸なんて、温泉以外ではちょっと恥ずかしいかも。でも見ているのが ひいおばあちゃんだけで、小学生の時とあまり変わらない気もする。 ひいおばあちゃんの前ではそこまで恥ずかしくないか。と思って、脱ぎ始めた。 靴下まで全部脱ぎ終わって。 「まずはシミズね」 シミズ?ヒラヒラした長めのTシャツのようにも見えなくもない。首回りが 女子用って感じもしないではない。でも良く分からないから、言われるままに着た。 「次はこれね」 大きめの女子用水着のようにも見えるし、Tシャツと短パンを縫い付けたようにも 見える。あ、でもよく見るとボタンで前を閉じるようになっている。どうやって 着るのか分からない。こんな物、舞の洗濯物でも見たことがないから、舞に聞いても 分からないだろう。足を通すように見えるから、そこに足を入れてみる。 色々悩んで時間を取っていたら、ドアが開く音がした。 「持って来たよ」 舞がもう帰って来た。 「あれ?お兄ちゃん、もう着替えてたんだ」 家まで近くはあるけど、もう帰ってくるなんて。僕がもたもたしていたせい だろうか。二つ目を着終わる前の姿を舞に見られた。 「それって下着なの?」 ちょっと嬉しそうな、興味津々といった感じの舞の顔が見えて、恥ずかしくて下を 向いた。ひいおばあちゃんだけならまだしも、舞にまでこんな姿を見られるなんて。 僕よりも大きくなった舞に、半分裸の姿を見られるのはかなり嫌だ。 「じゃあ私も脱がなきゃ」 舞がジーパンとシャツを脱ぎ始めて、ちょっとびっくりした。舞の裸なんて小さな 頃にいくらでも見たけど、舞が僕よりも大きくなって以降は初めてかも。 とドギマギしたが、僕と違って舞は下着まで全部脱ぐ必要はないから、僕だけが 半分裸の状態だ。それも嫌だから、良く分からない下着を慌てて着る。 「はい、これ」 次に靴下を渡された。ちょっと長いような。はいてみると、僕がいつもはいている 物とは肌触りが違う。昔の生地だからか、女子用だからか。 次に渡されたのは、今度こそ女の子用だと分かる、膝くらいまでの長さがある ワンピースみたいな下着だった。気が付いたら、舞も似たものを着ていた。 あ、ブラジャーが見えた。舞って意外と大きい。いや、今はそれどころじゃなくて。 舞と同じものを着ると思うと恥ずかしいけど、ここまで着ちゃったんだから、 あきらめて着た。自分の着た下着を見て、そして舞の下着姿を見ると、 なんだか自分の方が子供っぽい下着を着ているような気がする。背が高くて、 意外と胸が大きい舞と比べているからか、とも思ったが、着ているものも なんだか子供っぽい気がする。舞が小学生の頃に着ていたものとはまた違うんだけど、 それでもどことなく子供っぽい。ひいおばあちゃんの頃の子供用下着だったのかな。 ひいおばあちゃんの妹の服らしいけど、何歳頃の物なんだろう。九輪に入学して 1年目に死んだって言ってたけど、その頃なら舞と変わらないような気がするが。 「さて、それじゃセーラー服ね」 ひいおばあちゃんはますます嬉しそう。 「じゃあまずスカートだよ」 舞が自分の制服のスカートを持った。僕もひいおばあちゃんに渡された。 舞は既にスカートに足を入れている。 「あれ?そっちはつりスカート?」 「そうね。あの子、小さかったから」 「ひもを先に外に出しておいて、その間に足を入れて。前後ろ気をつけてね」 舞はスカートを持ち上げながら言った。なんだか舞も嬉しそうだ。 「うん…」 舞に言われた通りに、スカートの中に半分隠れていたヒモを表に出して左右に広げ、 そこに足を入れる。そして舞の真似をしてスカートを持ち上げた。 「ヒモを肩にかけて」 小学生の時に女子が着ていたのを見たことがあるから、そこは分かる。 ヒモに腕を通して、ヒモを肩にかけた。小学生の時の同級生の女子みたいな事を した自分が、ちょっと恥ずかしい。 「あとはファスナーを閉じて」 舞の真似をして左側の腰に手を当てたが、ファスナーがない。 「ファスナーなんて付いてないわよ。ボタンよ」 「へー」 舞が面白そうに、スカートをはいている僕の腰に顔を近づけた。舞と同じような 服装で舞に近づかれるとドキドキする。舞はスカートの作りが面白いんだろうけど、 僕がスカートをはいている事を面白がっているようにも見えて、恥ずかしくなる。 「さ、これを着てちょうだい」 そしてひいおばあちゃんが手渡したものはセーラー服。生地が違って色が微妙に 違うけど、デザインは確かに舞の制服と同じだ。 「こうして頭からかぶって」 舞がやっているのを見て、僕も同じようにかぶる。頭からかぶる服はいくらでも あるけど、分厚い生地で、あまり伸びなくて、ちょっと着づらい。 頭を通し終わると、舞の方を見ながら形を整えていく。裾をひっぱり、襟の形を 整えて。 「じゃあスカーフだね」 舞がスカーフを持って座ったので、僕も舞の真似をして座った。スカートをはいて 床に正座するなんて初めてで、変な感じ。 「一旦広げてから、こう折って」 ひいおばあちゃんから受け取ったスカーフを、舞がやるのを見ながら、その通りに 折っていく。 「これをこんな具合に襟に通して」 舞のやる通りに、襟の後ろに通して。 「前で結ぶ」 舞がゆっくり結ぶのを見て、それを真似する。 「これで完成」 舞の真似をして、生地こそ違うものの、同じ学校の制服を着終わった。 舞に女子制服の着方を教わって、なんだか自分が舞と同じ学校の、舞よりも下級生 であるかのように思えてきた。背の高い舞に見下ろされていると、なおさらそう 感じる。 「じゃあ二人とも並んで。座ったままでいいから」 そう言われて、舞が僕の隣まで来て座った。ひいおばあちゃんの前で並んで 正座して座る。自分が舞の下級生みたいに感じている時に舞が隣に来ると、 同じ学校の制服を着ている事、そして僕の背の小ささをますます感じて、 それをひいおばあちゃんが見ている。すごく恥ずかしいんだけど、 でもひいおばあちゃんはすごく嬉しそう。 「やっぱり触り心地が違うね」 舞が僕の膝に手を伸ばして、スカートをなでた。女子の制服を着ている僕の体を 服の上から触られるなんて、なんだか変な感じ。次に袖を触って、次にセーラー服の 襟をなでた。舞はこのセーラー服を珍しがって触っているんだけど、僕の体を なで回されているようで、ちょっと変な気持になる。でもひいおばあちゃんは、 ますます嬉しそうにしている。ひいおばあちゃんから見られながら、何もしないで じっと座っているのも、居心地が悪い。 「舞の制服を、触っていい?」 触られっぱなしじゃ癪なので、そう言ってみた。 「いいよ」 舞のセーラー服の裾に手を伸ばして触ってみた。僕が今着ているセーラー服とは 確かに全然違う。なんというか、良く分からないけど『合成繊維』って感じがする。 コマーシャルで『丸洗いOK』とか言ってるから、そういう違いがあるのかな。 そうやって舞と触りあいっこしていると、ひいおばあちゃんは本当に嬉しそう。 「そうだ」 急にひいおばあちゃんが手を叩いた。 「ヒサちゃんに見せてあげましょう」 ヒサちゃんというのは細溝さんの事だ。ひいおばあちゃんも仲良しの細溝さんに 見せたいだろうし、細溝さんも蔵の中に面白い物があるんじゃないかと期待して いたみたいだし。でも毎日のように会う細溝さんにこの姿を見られるのはかなり 恥ずかしい。 「マサちゃん、マイちゃん、細溝さんちまで一緒に来てくれる?」 でも、ひいおばあちゃんの嬉しそうな顔を見ると断れない。細溝さんも喜ぶ だろうし。 「私も?」 「そうよ」 舞は良く分からないような顔をしたけど、僕の方をしばらく見たら、納得した ような顔をした。 「分かった。行く」 「えーと、靴もあるはず」 ひいおばあちゃんは箱の中を探して、靴も取り出した。僕が着ている物は、 下着から靴まで全部この箱にあったものだ。軽いと思ったんだけど、 結構入ってたんだ。 3人で玄関から出て、神社の方に向かう。 「お兄ちゃん、その服、結構にあってるよ」 舞が笑いながら言った。妹にそんな事を言われるなんて、ちょっとイヤだ。 ひいおばあちゃんはなぜか僕たちよりも少し遅れて、後ろを歩いている。 神社の敷地に入ると、九輪女子の方から生徒が数人歩いて来た。部活帰りの生徒 だろう。舞と並んでるだけでも恥ずかしいのに、他にも同じ制服を着ている子が いるなんて。でも全く同じじゃないんだ。だからあの子達は、僕が同じ制服を 着ているとは気付かないだろう。多分。その生徒達は、僕たちの方をちらっと 見て、横を通り過ぎた。なんだかほっとした。でもひいおばあちゃんも、 この制服を着てここを歩いたんだろうな。この制服はひいおばあちゃんの妹のもの だったか。じゃあ二人でここを歩いたのかな。そこを、同じ制服を着て僕と舞が 歩いている。確かにひいおばあちゃんは嬉しいかもしれない。もしかして、だから この神社が好きなのかな?そう思うと、この制服でこの神社を歩いているのが ちょっと楽しくなった。恥ずかしいけど。 「あら、岸部さん、お久しぶりです」 年配の女性が声をかけてきた。確かこの人は、ひいおばあちゃんの友達の三河さん の娘で、九輪女子学園の学園長のはず。つまり舞の通っている学校の学園長で。 「曾孫さんたちとお散歩ですか?」 「ええ、ちょっと細溝さんの家まで」 「あら?」 学園長が僕の方を凝視している。少し舞の方を見て、また僕を凝視して。 「あの、これって…」 学園長はおじいちゃんたちと同じくらいの歳だから、もしかしたら気付いたのかも。 「そうだ。春江さんを呼んでくれない?細溝さんの家にいますから」 「分かりました。母にすぐに連絡します」 学園長は、急ぎ足で学校のある方に戻って言った。 「それじゃ行きましょう」 今度はひいおばあちゃんが先に歩いて、細溝さんの家に向かった。いつものように 背伸びをして庭を見渡した。 「ヒサちゃん」 「あら。蔵の掃除は終わったの?何か面白い物でもあった?マサくんだけじゃなく マイちゃんまで一緒だなんて」 「玄関の方に回るわね」 玄関が面している道に行くと、ひいおばあちゃんが僕と舞の背中を押した。 「二人が先に、一緒に入って。細溝さんに見せて」 僕が着ている制服は蔵の中にあった物だけど、舞の制服は今の九輪女子の制服で、 この辺りでは毎日何百人もが着て歩いている制服なんだけど。今の制服との比較が 面白いんだろうか?舞と並んで門を通り、玄関の前で止まって、舞が隣に立っている のを確認してから、戸を開ける。細溝さんも、奥のドアを開けて部屋から出てきた ところだった。 「あの、蔵からこういうのが…」 「あら?トミちゃんとマサちゃん?」 細溝さんがすごく驚いた。トミちゃんというのはひいおばあちゃんだ。マサちゃんと いうのは、ひいおばあちゃんからは毎日呼ばれているけど、細溝さんに言われるのは 初めてだ。細溝さんは僕たちの方を指さして驚いたけど、ドアから手を離して あわてて指さしたためにバランスが崩れて、足がもつれて前に倒れた。 「あ、あの大丈夫ですか?」 僕はあわてて細溝さんの所に行って手を取った。 「マサちゃんよね?すごく元気そうだけど、病気は良くなったの?」 「え?」 何を言ってるのか、意味が分からない。僕とは毎日のように会ってるのに。 舞が少し遅れて細溝さんのそばまで来た。 「トミちゃん、これはどういう事なの?今日は何日だったかしら…」 細溝さんは、舞の方を見てひいおばあちゃんの名前を言った。 「えっと、あら?どうしてトミちゃんが二人いるの?女学校のトミちゃんと、 90歳のトミちゃんと」 「ごめんなさい。そこまで驚くとは思わなかったわ」 笑いながらひいおばあちゃんが言った。 「あら、いやだもう、私ボケたのか、いえ、天国に行ったのかと思っちゃったわ。 だってマサちゃんがいるんだもの」 細溝さんは床にお尻を付けたまま、ひいおばあちゃんと舞と僕を見比べた。 「ああ、こっちは舞ちゃんで、こっちはマサくんね。もう驚いちゃった。 曾孫だけあってそっくりで、本当に女学校の時に戻ったのかと」 「マサちゃんって、ひいおばあちゃんの妹?」 舞が不思議そうに尋ねた。 「そうよ」 「お兄ちゃんと同じなの?」 「私の妹はカタカナでマサ」 僕は漢字で政だ。 「マサって、女の子の名前?」 「あの頃は結構いたわよ」 「へえ」 「蔵から出てきたのって、この制服?」 細溝さんが、座り込んだまま僕の制服に顔を近づけた。 「一番奥にあったのよ。蔵の奥にしまい込んだ事をすっかり忘れてたわ」 細溝さんが僕のスカートを触り始めた。 「本当、私たちが着ていたのと同じ。私の孫が通っていた頃には、もう違う生地 だったわ。でも、よくこんなにきれいに残ってたわね」 細溝さんは僕の制服をあちこち触りながら、ひいおばあちゃんと話を続けた。 舞にも触られて、細溝さんにも触られて、やっぱり恥ずかしい。 「すごく丈夫な箱に入ってて、開けるのが大変だったのよ。どうしてあんな箱に 入れたのか、自分でも分からないほど丈夫で」 「そうかー。マサちゃんが着ていた制服なんだ」 細溝さんもすごく嬉しそう。 「ヒサちゃんいる?娘から電話があって、トミさんが呼んでるって言うから…」 玄関の方で声がしたので振り返ると。 「あら?なんでマサちゃんがいるの?だって先月お葬式を」