新しい幼馴染(3)/山崎智美project
(12)
後ろの方から話声が聞こえる。角を曲がる時にちょっと横目で見てみる。
小学生の男子が三人。あの顔とあの顔とあの顔……三人とも同級生。
あの顔は確か浦上くん、お父さんが運送会社の大口担当で、
うちの会社と取引が……そんな事どうでもよかった。
同級生の浦上くんで、家はこの何軒か先、だから帰り道が同じで当たり前。
でも他の二人は確か違うはず。
やっぱり変に思って後をついてきたのかな。小学生から見たらこんなおじさん……
違う、見た目がおじさんみたいなだけ、中身はきちんと桐島留美なんだから、
全然気にしなくてもいい、先生達もそう言っていたんだから。
いや、本当の小学生の女の子でこんな見た目なら気にするかな。
でも見た目を気にするんであって、小学生の女の子らしくしなきゃいけないんであって、
小学生をやってる事は気にしなくていい。
うん。
ようやく家に着いた。でも今日はあの二人が来るから、まだ終わりじゃない。
これからまだやる事がある。
……あれ、扉が開かない。まだ「お母さん」は帰ってないのかな。
鍵を取り出して。開けて。
やっぱり「お母さん」はまだ帰ってなかった。
静かな家のドアを開けて、静かに入る。それで、えっと。
「……た、ただいま」
靴を脱いで上がる。まだちょっと慣れない。でもここが「私」の家。
「私」が生まれた時から……じゃなかった、4歳の時から住んでる家。
「私」が慣れ親しんでる家。
その「私」の家の2階に上がり、「私」の部屋のドアを開ける。
ドアを開けると、花柄のカーテン、大きなぬいぐるみ、
ピンク色のクッション、ベッドの上には赤い猫の絵が入った布団、
机の上には花の飾りが付いたヘアピンと少女漫画雑誌が数冊、
机の横には赤いランドセル、壁には大きな鏡。
ちょっぴりためらったけど、ここは「私」の部屋なんだと思い直して、
部屋に入り、ドアを閉める。ちょっとだけほっとする。
壁にかかった鏡に映っている自分の姿を見る。
今日、この女子の小学校制服を着て、多くの人が見ている中を、
小学校まで歩いて行って帰ってきた。クラスのみんなは変な目で見てて
居心地悪かったけど、先生達がちゃんと「桐島留美」として扱って
くれたから、我慢できないほどではなかった。
今日は始業式だったからランドセルを使わなかったけど、明日からは毎日、
机の横にある赤いランドセルに教科書を入れて、これを背負って、
みんなの目の前を歩いて小学校に行くんだ。明日からは
……明日の事はまだいいや、今日やる事がまだあるんだから。
そうだ、制服を脱がなきゃ。
制服の上着を脱いで、ハンガーにかける。スカートとブラウスも脱ぐ。
壁の鏡に、女児用の下着を着た自分の姿が写っている。
真っ白で前に縫い目も何もないパンツ、その真ん中がちょっと変に盛り上がっている。
その盛り上がりの部分を押さえてみる。ちょっとぐりぐり押してみる。
柔らかいパンツの感触にちょっと違和感。やっぱりこんなパンツをはくのは変かな。
違う、「私」はこういうパンツをはかなきゃいけないんであって、
盛り上がっている方が変。お正月前までの「私」にはこんなの付いてなかった。
今こんなのが付いてるというのが変なだけ。
……またぐりぐり押してしまう。ダメ。「お母さん」が帰ってくる前に着替えてしまおう。
タンスを開けて中を見る。ピンク、水色、オレンジ色、紫色、いろんな服が入っている。
これが「私」の服。「私」が好きで選んだ服。確かそのはず。
今日はどれにしようか。この後、理沙ちゃんと祥子ちゃんが来るんだし。
二人に見てもらうんだから、やっぱり女の子らしさを強調する服の方がいいかな。
それ以上に、早く自分自身が心の中から「桐島留美」にならなきゃいけないし。
「私」のお気に入り、のはずのこの水色のスカートと、このブラウスと、
この青のフリルいっぱいのカーディガン。これにしよう。
ブラウスに袖を通し、スカートをはいて、カーディガンをはおって、鏡の前に立つ。
…確か留美ちゃんと11月に会って話した時、留美ちゃんはこの服を着ていた。
違う。元留美ちゃんが。それも違う。元々の私が。えーとそれもなんか違うような。
ま、いいか。とにかく「私」が「桐島留美」なんだから、これを着ているのは当然。
これが「私」の普通の服装。この服を着て、この「私」の部屋で、
「私のやりたい事を自由に」やる。うん。
まだお母さん帰ってないし、何をしよう。
机の上にある少女漫画雑誌。これが「私の好きな雑誌」なんだよね。
下の方から一番古い号を取り出して、それを持ってピンク色のクッションの上に座る。
表紙をめくると、おめめキラキラのカラーイラスト。まだちょっと慣れない。
だけど、これが「私の好きな漫画」。早く本当の「桐島留美」になるために。
ゆっくりと読み始める。
「ただいまー。帰ってきてるの?留美」
玄関の方から「お母さん」の声がした。
「はーい、お母さん」
立ち上がって、手に持っていたマンガを机の上に置いた。
ドアを開けようとして立ち止まり、鏡に写っている自分の姿を見る。
今の「私」は「桐島留美」の服を着ている。スカートにカーディガン。
女の子の服を着ている。胸や腕の部分が少し小さいのか、生地が張っているように見える。
こんな服を着ているのを見られたら。ふとそう思い、ドキドキする。
違う。この服装でないといけない。この服装で「お母さん」の目の前に出ないといけない。
だって「私」は「桐島留美」なんだから。小学4年生の女子なんだから。
似合ってなくてもこういう服を着ていないといけない。こういう服を着てない方が変。
それでもドキドキする。なんていわれるだろう。やっぱり変に見えるのかな。
ドキドキする心臓を押さえて、深呼吸して、ドアを開く。
ドキドキしながら階段を一段ずつ降りると、目を足元に向けていても、
目の隅の方に「お母さん」が見えた。たとえ目の隅に入っただけでも、
何年も見慣れている社長だから……じゃなくて「お母さん」だから、
すぐに分かる。知っている人がそこにいる事が分かってもっとドキドキする。
階段を降りて、「お母さん」の目の前に立つ。留美ちゃんの服……じゃなくて
「私の服」を着た「私」を見て、「お母さん」はどう思ってるんだろう。
もう一週間以上やってる事だけど、やっぱり恥ずかしい。
だけど、「私」が「桐島留美」なんだから。こういう時に留美ちゃんは、
ではなくて「私」は、「私」の方から。
「お母さん、おかえりなさい」
「ただいま。今日、小学校はどうだった?」
ちらりと見た「お母さん」は微笑んでました。
「冬休みの間に、先生に忘れられたりしてなかった?」
そんな事を聞かれるとは思ってなかったのでちょっと慌てました。
「い、いえ、そ、そんな、そんなこと、ないです。先生と、たくさん話しました」
「そうか。お友達とお話してきた?」
「はい。あの、理沙ちゃんと祥子ちゃん、今日うちに来てくれるって」
「あら、良かったわ。話したい事があるものね。しばらく会ってないし。
……二人が来るから、その服を選んだの?」
「は、はい」
「ふーん、その服、好きなんだ」
「はい…」
「うん、そうか。留美はそういうのが好きだからね」
そう言って、「お母さん」は「私」の全身を見ながら、嬉しそうな顔をしました。
「じゃあお昼にしましょう。手伝ってね、留美」
「はい」
台所で「お母さん」はエプロンをつけながら冷蔵庫を開けました。
「私」も「お母さん」に渡されたエプロンをつけました。
「何があったかしら……うーん、早く出来る方がいいわね、焼きそばにしようかしら」
「お母さん」が材料を取り出しました。
「それじゃあ留美には、タマネギを切ってもらおうかしら」
「は、はい」
包丁を手渡されます。
「まず半分こにして。大丈夫かな?」
「だ、だいじょうぶです」
包丁を持って、タマネギの真ん中に当てて、体重をかけます。ざくっ。
「じゃあもう少し小さく切ってね」
「お母さん」はキャベツを切りながら、「私」にそう言いました。
ざく、ざく、ざく、ざく、ざく。
「自分の指を切らないようにね」
ざく、ざく、ざく、ざく。
「あの、このくらいでいいですか?お母さん」
「うん、それじゃあ留美には、次は、お肉を切ってもらおうかな」
豚肉の入った袋を渡されました。
「この量なら、全部使っちゃっていいわね。適当な大きさに切ってね」
「はい」
冷たいお肉を広げて、包丁で切ります。よいしょ、よいしょ、よいしょ。
「よし、こんなところかな。じゃあフライパンに油と」
コンロの上のフライパンに油をひいて、お肉とお野菜と麺を入れていきます。
じゅわじゅわじゅわじゅわ。
「留美、そこのソースを取って」
「はい」
ソースを「お母さん」に手渡そうとしました。
「あ、留美がかけちゃって」
「あの、はい」
そう「お母さん」に言われたので、ソースのフタを開けて、
フライパンの上からソースをかけました。
「あの、お母さん、このくらい、ですか?」
「もっともっと」
「は、はい」
「もっとどんどん」
「あの、はい」
「うん、そのくらい。それじゃあ、お皿を出しててね、留美」
「はい」
食器棚に向かい、大きめのお皿を二つ出して、台所に並べました。
「よし、出来た」
エプロンを外して、お皿に盛られた焼きそばを持ってテーブルに向かいます。
お母さんと向かい合って椅子に座りました。
「いただきます」
「いただきます」
「そうね、今度は留美に全部やってもらおうかな」
「え、あの、その、まだ、出来るかどうか…」
「もう4年生でしょ?もうすぐ5年生でしょ?このくらい出来なきゃ」
「は、はい…」
「留美が作った焼きそば、楽しみね」
焼きそばを食べながら、「お母さん」が私の方を見ました。
「………その服、ちょっと小さくなってない?きつくない?」
「え、あの、そんなでも、ないです……それにこれは…」
「うん、それはお気に入りだから着たいかもしれないけど、
小さいのを無理して着るのは良くないわよ。そうね、近いうちに買いに行かなきゃ。
留美もどんどん大きくなるんだし、もうすぐ5年生になるんだし、大人になるんだし、
もっとお姉さんな服を買わなきゃ。今度、お店に見に行きましょうね」
「はい…」
(13)
「りさー、祥子ちゃんが来てるわよー」
「はーい」
もうそんな時間なんだ。玄関に向かう。
「お母さん、今から祥子ちゃんとちょっと出かけてくる」
「どこに行くの?」
「えっと、その……留美ちゃん、の家まで」
「そう、じゃあいってらっしゃい。晩御飯までには帰ってきなさい」
「はーい」
「なんだか緊張するね」
留美ちゃんの家に向かいながら、祥子ちゃんがそんな事を言った。
私もちょっと緊張する。何度も行った事がある家なのに。
本当に留美ちゃんのお母さんがいるのかな。
「桐島留美」を名乗っている知らない人だけかもしれない。
他に知らない人がいるかもしれない。
でも留美ちゃん、というか、元の留美ちゃんがいるかもしれない。
どっちだか分からない。だから緊張する。
留美ちゃんの家が見えてきた。何度も来た事がある、見慣れた玄関。
だけど、なんだか違う家のような気もする。どうなんだろう。
ちょっぴりドキドキしながら、チャイムのボタンを押す。
ぴんぽーん。
「はーい、どちらさまですか?」
「あの、浜田と熊井です」
「あらあらいらっしゃい、さあさあ早く入って」
留美ちゃんのお母さんが出てきました。前と同じ留美ちゃんのお母さんです。
とりあえず一安心しました。
「るみー、理沙ちゃんと祥子ちゃんが来たわよー。どのお部屋がいいかしら。
留美の部屋がいいかな。じゃあ2階にあがっちゃって」
留美ちゃんの部屋というと、入った事がある、2階のあの部屋。だけど。
階段を上がりながら、またちょっとドキドキ。
確かこの部屋のはず。ドアを開ける。
「あ、理沙ちゃんと、祥子ちゃん。き、きてくれたんだ」
部屋の中を見回す。去年の秋に見た時とほとんど変っていない。
お布団が真冬用になってるくらい。カーテンも、ぬいぐるみも、
クッションも、机の上も。
目の前にいる人が着ている服も同じ。留美ちゃんが良く着ていた服。
でもその服を着ている人が違う。他は全部同じなのに。
ほとんど同じなのに、それだけが全然違う。
「あ、あの、その、そこに座って」
去年の秋に来た時と同じ場所に座りました。
全く同じ部屋の中に、同じ服を着た、だけど違う人が。
「あの、それで、その、おとといの『リボンちゃんストライク!』、見た?」
「え?」
一瞬なんのことか分かりませんでした。
だけど、そういえば、確か去年の秋にここに来た時も、留美ちゃんが
同じ事を言ったような。そして私は。
「う、うん、見たよ。リボンちゃんのあの服、今度も良かった、よね」
そういうと、『桐島』さんは安心したような顔をしました。
「う、うん、あのスカートは、着てみたいよね。売ってたりしないのかな」
「えっと、その……作っちゃえば?えと、祥子ちゃんの、お母さんみたいに」
「祥子ちゃんのお母さん、すごいよね」
「えっと、う、うん……そういえば、リボンちゃんの新刊、買った?」
「うん、ほら、ここ」
「えっ……それって、昨日が発売日じゃなかったっけ?昨日買ったの?」
「うん、昨日本屋さんに行って来た」
嬉しそうな『桐島』さんの顔を見て、私は一瞬、
あの中に留美ちゃんが入ってるのか、そう思いました。
だけど着ぐるみじゃあるまいし、大人の男の人に見える人の中に
留美ちゃんが入ってるって考えると、それはそれで気持ち悪いし。
「はいはい、二人とも、よく来てくれたわね」
留美ちゃんのお母さんが部屋に入ってきました。
「今年も留美と仲良くしてね。はい、これ食べて」
ケーキを持ってきてくれました。
「留美、これをみんなについであげて」
「はい、お母さん」
このケーキ、こないだテレビで見たような気がします。
結構高いのに行列が出来るくらいに人気があるケーキ屋さんの、
すぐに売り切れるっていうケーキだったような。
一口食べてみる。すごくおいしい。
やっぱり留美ちゃんちってお金持ちなんだ。すごーい。
いや、それよりもずっと大切な事があったんだ。
「あ、あの、留美ちゃんのことなんですけど…えっと」
「なにかしら?」
えーっと、なんて言ったらいいんだろう、前もって考えておけばよかった。
「あの、前の留美ちゃん、じゃなくて去年の留美ちゃん、というか、
それとこの留美ちゃんとはちょっと、いや、あの、その」
「ああ、うん、ちょっと変ったと思うわよね。見た目はこんなだけど、
性格は逆に幼くなったと思うのよ、小学生らしくなったというか。
ちょっとお馬鹿に思えるかもしれないけど、馬鹿にしていじめたりしないで、
今まで通り仲良くしてあげてね」
「幼いと言われればそうですけど、あの、その、変ったというより、
全然違うと思うんですけど…」
「まあ、違うと言われれば違うわね。だけど、これが私の可愛い留美よ、うん。
これからもよろしくね」
「そ、その、お、おんなのこ、なんですか?」
「そうよ、女の子よ。体の一部がちょっと違うけど、女の子よ」
「は、はあ…」
「あ、あのぉ、私も聞きたいんですけど…」
今度は祥子ちゃんが質問しようとした時。
ぴんぽーん。
「ちょっと待っててね。すぐ戻ってくるから」
留美ちゃんのお母さんが部屋を出ました。
「あ、あの、祥子ちゃん、これ食べて。お、おいしいから」
「うん…」
でもすぐに外から階段を登る音がしました。
「留美、工藤さんが来られたわよ」
「あ、よ、よしおおにいちゃん」
くどう?よしお?それって今朝の手紙の。
振り返ってドアの方を見ると。
「留美ちゃん、元気にしてた?今日も可愛い服を着てるね。
あれ、お友達もいるのかな?」
「はい、よしおおにい…」
「あーーーーー」
思わず声を上げてしまいました。留美ちゃんです。
私のお父さんが着ているような背広を着ているけど、
男の人みたいに髪の毛が短いけど、留美ちゃんです。
「こんにちわ、留美ちゃんのお友達」
留美ちゃんはニコニコしながらそんな事を言います。
「留美ちゃん留美ちゃん、あの、留美ちゃん」
「は、はい、なんでしょう」
頭の後ろの方から『桐島』さんが返事が聞こえました。
「え?あ、その、違うの、えっと」
ああ、そうだった。『留美ちゃん』と呼んでも
『桐島』さんの方がこたえるんだった。どうしよう。
今は『工藤良雄』なんだったっけ。じゃあそう呼べば。
変な感じだけど、とりあえず会話をしないと。
「あ、あの……工藤、良雄、さん?…です…よね?」
「僕の名前を知ってるんだ。留美ちゃんから聞いたの?」
「あの、はい。そうです。お手紙も、受け取りました」
留美ちゃん相手になんでこんな話し方してるんだろう。
でも名前が『工藤良雄』だから、背広なんて着ているから、
留美ちゃんがなんだか大人の男の人みたいな話し方だから、
どうしてもそういう話し方になってしまう。
「そうか、よかった」
「あの、その、えっと、あれです」
何を聞くんだったっけ。話がややこしくてすぐに口に出てこない。
留美ちゃんは相変わらずニコニコしながらこちらを見ています。
すぐにいなくなる訳じゃなさそうだから、私も落ち着いて話そう。
ニコニコしている留美ちゃんの顔を眺めながら。
色々頭に浮かんで、何から聞いたらいいのか悩んでいたら、
『桐島』さんが話し始めました。
「あ、あの、よ、よしおおにいちゃん、お仕事、忙しいんですか?」
「うん、昨日は徹夜だったよ。でも徹夜したお陰でこの時間に来れたけどね」
「あ、あの、つ、つかれてませんか?」
「うん、留美ちゃんに会ってから、ちょっと寝ようと思ってたところ。
その後にまた仕事だけどね」
確かに留美ちゃんは眠そうでした。
「あの…そんな大変なお仕事、きつくないですか?」
そんな事を聞いてしまいました。
「うーん、きついけど、楽しいよ」
「どんなお仕事なんですか?」
「そうだね、うちの会社は色んな商品の材料を作ってる会社だけど、
『こんな商品も作れますよ』って他の会社に売り込むためのアイデアを、
材料を開発する人達と一緒に考えるような」
「はあ」
「えーと。社長、いいですよね?」
「ええ」
留美ちゃんはポケットからビニールテープを取り出しました。
「これは電気を通すビニールテープ。銅線の代わりに使えるくらい電気を
通すから、床に貼り付けちゃえば、電線に足をひっかけて転ばなくなる、とか」
「す、すごい、それは欲しい」
「まだ値段がすごく高くて、どこでも使えるわけじゃないけど」
「そうですか…」
他に聞きたい事がたくさんあるんだけど、
『留美ちゃん』と呼んでも返事をするのは留美ちゃんじゃないし、
『工藤さん』と呼んだら、普通の事も聞きづらくなるし。
一番聞きたい『留美ちゃんはもう小学校には戻ってこないの?』が
一番聞きづらい。どう質問すればいいのかな。
「あの、会社って、楽しいですか?」
祥子ちゃんが尋ねました。
「うん、楽しいよ。とっても楽しい。寝てる暇もないくらい楽しい」
留美ちゃんは、眠そうな目で、だけど嬉しそうに答えました。その直後。
「おっと」
留美ちゃんがよろけてしまいました。
「寝不足なんでしょ、そこの部屋で寝ていきなさい」
「はい、社長。じゃあおやすみ、留美ちゃん」
「お、おやすみなさい、よしおおにいちゃん」
もっと聞きたい事があったような気がする。だけど。
隣にいる祥子ちゃんとしばらく目を合わせて、
諦めなきゃいけないのかな、そんな気分になりました。
あんな楽しそうな留美ちゃんを見たら。
目の前にいる『桐島』さんは留美ちゃんじゃないけど。
「あのね、こないだお店の人に聞いたの。リボンちゃんの服で
人気があるのを、本当に作って売り出すんだって」
「ほ、ほ、ほんとう?」
「どのくらい売れるのかな、どれくらい入荷すればいいかな、って、
お店の人が悩んでたけど……留美ちゃん、買う?」
「うん、買う」
「じゃあ……一緒にお店に行こう」
「あの、おいしいケーキ、ごちそうさまでした」
「おいしかった?それはよかったわ」
「あの、それと、工藤良雄さんに、『お仕事がんばってください』
と伝えていただきたいんですけど」
「ええ、分かったわ」
「あの、それじゃ、留美…ちゃん、また…明日」
「は、はい、また、明日」
とぼ、とぼ、とぼ。
「留美ちゃん、もう小学校に来ないのかなぁ」
「どっちの留美ちゃん?」
「えーと、工藤良雄さんになった方」
「来ないんじゃないかなぁ、多分」
「そうだよね、うん」
「でも全然会えなくなった訳じゃないみたいだし。
新しい方の留美ちゃんと遊んでたら、たまに合えそうだし」
「うん、そうだよね。うん」
(14)
翌朝。いつもの時間に登校したら、『留美ちゃん』はもう席に座ってました。
「お、おはよう、理沙ちゃん」
私に向かって、ちょっとぎこちない感じで笑って挨拶してきました。
他の同級生は、『留美ちゃん』の席から距離を取るように立ってます。
私も他の同級生の気持ちは分かります。
だけど、この『留美ちゃん』と留美ちゃんは無関係じゃないし、
この『留美ちゃん』と仲良くしないと留美ちゃんと縁が切れてしまいそうで、
それに留美ちゃんが安心してお仕事出来ないんじゃないか、なんて考えたり。
それに、見た目は確かにこんなだけど、同じ学年の女子全部と比べれば、
『ちょっと不細工な顔でおとなしい性格の女子』
くらいだから、クラスに一人くらいいても、別におかしくないし。
趣味も留美ちゃんと同じだし。もしかしたら一生懸命『留美ちゃんと同じに
なろう』としているだけなのかもしれないけど、『留美ちゃんと同じに
なろう』と思っているその気持ちが、私が好きなものを一緒に楽しみたい
って気持ちでもあるんだから。
うん。だから。
「おはよう、留美ちゃん。昨日の帰りに、リボンちゃんの新刊、私も買ったよ」
「よ、よみましたか?もう。番外編まで」
「うん、読んじゃった。やっぱり面白いよね」
「あ、祥子ちゃんだ。お、おはよう」
「おはよう」
「二人とも、もう来てたの?」
「け、けさは早起きできたから」
「わたしも」
きーんこーんかーんこーん。
私と留美ちゃんと祥子ちゃんとで色々とおしゃべりを
していたら、チャイムが鳴ってしまいました。
「あ、もうこんな時間。先生が来ちゃうよね」
「1時間目はなんだった?あ、体育だ」
「体育って、留美ちゃん、その…どうする…っていうか…」
「あ、あの、あんまり好きじゃない、けど、がんばる、うん」
「あはは、がんばろうね、うん、3学期は何するんだろうねー」
そんな事を話していたら、先生が教室に入って来ました。
「はやく着席してください」
ざわざわざわ、がたがたがた。
「起立、気をつけ、礼」
「おはようございます」
「おはようございます。えーと、もう欠席している人がいますね。
風邪をひかないように気をつけてください」
「それでは、最初の授業は体育ですね。体育館で行います。
早く着替えて移動してください。はい」
「起立、気をつけ、礼」
がたがたがた、ざわざわざわ。
早く着替えなきゃ。カバンから体操着を取り出しました。
つんつんつん。
誰かが背中を突付いてます。私の後ろの席の伊藤さんでした。
「ねえ、さっき、あの人と話してたでしょ?」
留美ちゃんの方を指さしました。
「あの人の事、知ってるの?仲いいの?」
なんて答えたらいいんだろう。ちょっと考えました。
全部話すと長くなっちゃうし。
「…うん、留美ちゃんとは、仲いいかな」
「留美ちゃん、なの?あの人が?」
「うん。昨日、学校が終わってから、留美ちゃんちに遊びに行ったよ」
「あの人の家に行ったの?」
「うん、留美ちゃんちに行ったよ」
「え?」
困った顔をしています。昨日の私もこんな顔してたのかなぁ。
でも、こんな所ではこう答えるしか出来ません。
「早く着替えようよ、また後でゆっくり答えるから」
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