【送料無料】みかへりの塔

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(国際情報社「世界画報」昭和16年1月号、映画紹介)

少年よ、少女よ、健かに育て!

「みかへりの塔」(松竹大船映画)

 社会と家庭に於て温い愛撫と規律を失つた不幸な子供達に肉親に劣らぬ 温い愛情を以て接し、善良な正しい子に立ち還らせる、それがこの学院の 仕事なのである──「みかへりの塔」と云ふのは、この学院に収容されてゐる 子供達が善良な少年少女に更生して学院を去り、父母の許へ、或は生活戦線へと 再出発する時、この塔の前に誓を立てて自分をこんなに正しい善良な人間に してくれたこの学院に感謝の念を溢れさせて、この塔を我が心の固い戒と するのである。学院の収容児童定員は204名で、それに教職員その他を 合せると約500名の人々が広い敷地の中に一部落を建設し、一小社会を 営んで、家庭、学校、社会の三位一体を形成してゐる。その家庭は十六家庭に 分れて、それに、秀才、低能、興奮性、沈鬱性、長幼それぞれの者が 収容されてゐる。家庭の指導監督は教師並に保母が当り、これは夫婦制を 原則としてゐるが、女子ばかりの家庭では保母が単独でこれに当つてゐる。 家庭は疑制家庭であるが、出来るだけ真実の家庭と同様にすることにし、 教師はお父さん、保母はお母さんと呼ばせてゐる。学院の児童は朝五時、 時季に依り多少の変動はあるが、この塔の父の鐘、母の鐘で起床することに なつてゐる。学科は午前中四時間、午後昼食後は実科作業の教育になつてゐる。 農業の実習、木工場の家具の製作、印刷所、女子は裁縫、ミシンの操作、 それぞれ児童の適応性に依つて教へてゐるのである。


 楽園でもなければ、遊園地でもなく、さうかと云つて勿論地獄でもなければ 刑務所でもないこの学院へ、或日多美子と云ふ新入生が入つて来た。 いろいろと知能検査があつた後多美子は父の待つてゐる応接室へ戻つて来た。
「とても面白い機械が沢山あつたわ、まるで科学博覧会へ行つたみたい」
多美子は至極呑気であつた。
 院長と一人の保母が入つて来て、
「この方の家庭で多美子さんを預つて頂くことに致しました。保母の夏村さんです」
 院長は夏村保母を多美子の父に紹介した。──この日から多美子は学院で 生活することになつたのである。

 夏村保母は多美子を連れて自分の家庭に帰つて来ると子供達がまたこの新入生を 珍しさうに迎へた。多美子も珍しさうに家の中や子供達を見回した。子供達は 十二人もゐた。
「これからは、私が多美子さんのお母さんよ」夏村保母が言つた。
「まあ若いお母さん──お姉さん位だわ」
「お姉さんでもいいわ──此処では自分のことは何んでも自分でしなけりや いけませんのよ、出来ないことがあればこのお母さんが──お姉さんが 手伝つて上げますから──」
 夕方、食堂では子供達の食事が始つた。が、多美子は食卓に就かうともしない。
「多美ちゃん早く御飯食べなさい」
保母が呼んだが、多美子は見向きもしない。
「いいんです、そんな不味さうな御飯食べられるもんか!」
後半分は口の中で言った。
「さう、ぢやみんなお先に頂きませう」
一同は多美子に取合ず食事を始めた。
 学院に灯が入って、その夜──子供達は枕を並べて寝てゐる。多美子一人だけ 蚊帳にも入らないで起きてゐた。保母はそれを見て
「まだ寝ないんですか?早くお眠みなさい」
「いいんです」多美子はやはり冷く返事するばかりであつた。
「さう、私はもう寝みますよ」保母もやはり取り合わなかつた。
 夜中に多美子は流石に疲れたか、半身を蚊帳に入れて眠つてゐる。 夏村保母はそつと出て来て多美子を布団の中に入れてやつた。 と、それを妬ましさうに見てゐた直子が、自分もわざと寝返りをうつて 布団からハミ出した。保母はそれを見てまた布団をかけてやる。

 そんな風に多美子の学院に於る最初の夜が明けて、教室では六年生が 授業してゐる。多美子はまたゴテた。
「先生、私は小学校はもう卒業して女学校へ行つてたんです。今更小学校の 勉強したくはありません」
 多美子はサツサと出て行つてしまつた。昨夜も今朝も御飯を食べないので 多美子はお腹が空いて来た。院庭に井戸があるので井戸水をガブガブ飲んでゐると
「おい、あんまり水を粗末にするなよ」
 傍で誰かさう言つた。見ると善雄と云ふ三年生の少年である。善雄は草間先生の 家庭の子で、何時も算術の時間になると「頭が痛くなる」のであつた。
「随分飲むんだな、あんまり飲むなよ、水がなくて困つてるんだぜ」善雄は呆れた。
「こんな所へ来るんぢやなかつたわ、もつといい所かと思つて来たんだけど、 家は汚いし、御飯は咽喉へ通りやしないし──私、昨夜も今朝も食べてないのよ」
「何か持つて来てやらうか?」
 善雄は一つの家庭の台所口から「今日わ」と声を掛けたが、中で何も声がしない ので入り込んで行つた。こんな風に多美子と善雄は知合つた。
 夏村保母が家庭に戻つて来ると、台所の方で多美子が御飯を食べ終つたので あらうか「ああ、うまかつた」と言ふ声がした。保母はその声を聴いてホツと したやうであつた。

 翌日、夏村保母が子供の部屋を点検すると多美子が裸足のままで立つてゐた。
「靴、誰かに盗られちやつたんですもの」と多美子は言訳した。
「ぢや、多美子ちやんの靴が出て来るまで私の履いてるといいわ」
夏村保母は自分の履物を取りに行つたが、その間に多美子は雑誌を持つて外へ 出て行つてしまつた。
 裏山の木の下で、多美子は正雄と云ふ少年と寝ころんでゐた。
「あんた何家庭?」
「××家庭」正雄が答へる。
「何故学校帰つて来たんだか当ててみようか─算術の時間だつたんでせう?」
 何時の間にか二人共眠つてしまつた。夏村保母は漸く捜し当てて二人を
起したが、多美子だけは起きなかつた。保母は諦めてそのまま持つて来た 履物を多美子の傍に置いて帰つてしまつた。
 お昼の鐘の音が鳴つて子供達が帰つて来た。と、誰か一人が叫んだ。
「あ、誰かのおツ母さんだ!」
見ると、正雄の母親が門を入つて来た。
「正ちやんなら裏山の木の下で多美子ちやんと眠つてゐたわ。早く教へて来て 上げて下さい」
 夏村保母が傍にゐた直子に言ふと直子は行きかけたが、更に
「序でに多美ちやんも御飯だからお帰んなさいつて──」
 直子が不満さうに行つて、やがて正雄を連れて帰つて来ると一足の履物を 保母に示して
「多美ちやん幾ら帰れつて言つても帰らないの、それにお母さんの履物──」
「それ私が貸て上げたのよ、多美ちやん今日靴盗られ── 失くしたと言ふから──」
 それを聞くと何故か直子はハツとした。

 善雄の家庭の前で善雄が寂しさうに立つてゐると、信一が御飯だと言つて 迎へに来た。善雄は力なく歩いて行つたが、家の前まで来ると忘れものでも したやうに呆然としてゐた。草間先生がそれを見て
「善雄、何してるんだ?早く御飯食べないか!」
 善雄は上つて来たが
「僕のおツ母さん来ないのかなア」
と寂しさうである。そして、その夜は善雄に寂しく暮れて明けた。
 作業場の木の枝に黒髪が掛けてある。正雄が鍬を持つて作業をしてゐると 善雄がやつて来て
「おイ、昨日おツ母さんのお土産何だつたい?」
 正雄は黙つて木の枝に掛けてある黒髪を視線で示した。やがて彼は その黒髪を取つて銅に巻き付けた。
 作業の帰りに善雄は草間先生に言つた。
「おツ母さん来てくれないね」
 草間先生が振返つて見ると善雄は涙ぐんでゐた。
「泣く奴があるかい、さあ背負つてやる。オンブしろ」
 先生は屈んで善雄をオブつてやつたが、善雄はまだ泣いてゐた。 草間先生は善雄がいぢらしくなつた。

 学院には井戸が一つしかないのでとかく水不足である。この頃の日照りで 水は急に不足し始めた。
「僕の意見では、又理想論として一笑されるかも知れないが、あの山の池から 何んとか引けないものかねえ?」院長が初めに意見を出した。
 会議室で教職員が集つて水対策の会議を開いたのである。
「引けないことはないでせうけど、問題は費用ですね、此処から十丁近く あるからねえ」
 学院の前の大和川から子供達は桶やバケツで水を運んでゐた。
 ──母様に別れてつきぬ寂しさを忘れんとして歌を歌へり
 ──首すぢを触りてみれば懐かしや母のすえたるヤイト残りて
 子供がこんな歌を河原の砂地に書いてゐた。
 会議は学院の子供達の集団労働に依り池から学院へ水を引く工事を興すこと に決定した。集団労働の鍛練は子供達を健全に甦らせた。やがて苦心の末 完成された工事は子供達の明るい感激に包まれてゐた。


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